<後編>
女の子三人というのは本当に華やかだと、今日だけで何回感じたことだろうか。賑やかな食事、そして食後にはリベンジだと言って再びゲームに興じた。
大変だと思いながらも、可愛い女の子に囲まれて遊ぶことは、男として嫌なわけもなく、なんだかんだといいつつも祐麒は楽しんでいたのだ。
一緒に遊んでいれば、自然と距離は近くなってくる。彼女達の体が近寄るたびに祐麒は、女の子の甘い香りや、柔らかな空気を感じ、胸の鼓動が速くなるのを悟られないようにするので実は必死だった。
そうこうしているうちに時間は流れてゆき、いくら楽しいといってもいつまでも女の子達の中にいるわけにもいかない。適当な時間で祐麒が自室に引っ込むと、リビングは女の子だけの花園となった。
女の子というのは、よくあれだけ、お喋りだけで時間を過ごすことが出来るものだと感心する。もちろん、祐麒だって友人と話ぐらいするが、一日中できるわけでもない。大体、ゲームをしたり漫画を読んだり、外であればカラオケやゲーセンに行ったりと、会話だけで一日を過ごすことはまずない。
果たして、あの三人はどんなことを話すのだろうか。
女子高校生らしい会話とは、どんなものか。
ファッションの話なのか、流行りのテレビドラマや音楽のことか、美味しい食べ物のことか。あるいはもしかして、恋の話などしているのだろうか。祐巳が家でそのような話をした記憶はないし、お嬢様学校で更に特殊な環境でもあるから、あまり一般的な恋愛をするというイメージがわかない。
清く正しく美しく、穢れを知らない乙女達、という印象がリリアン全体を覆っている。祐巳という実姉が居てさえ、そのように思うのだ。
彼女達は、彼女は、果たしてどのような相手に恋するのか―――
女の子達が同じ家にいるという状況のせいだろうか。彼女達の気配を感じたり気にしたりしていたためか、時間の流れがいつもと異なるように感じられた。
両親はどうやら今日は、出かけ先である親戚の家に泊まることになったようで、結局は子供達だけでの留守番になったが、祐巳たちにすれば親に気兼ねなく夜更かししてお喋りできるから、逆に嬉しいことだろう。
部屋の中で本を読み始めてから随分と経つような気がしたのに、時計の針を見てみるとさほどの時間は過ぎていない。一緒に遊んでいるときは、瞬く間に時など過ぎ去っていったというのに、不思議なことである。
ベッドの上で姿勢を正し、首を軽く捻って凝りをほぐす。
眠るにはまだ早い時間であり、祐麒は喉が渇いたこともあって一度、下へと降りていくことにした。
最初は様子をうかがうようにしていたが、自分の家でおどおどするのも変だと思い、あまり気にせずに行動することにした。それに、自分の気配を知らせた方が、彼女達にも都合がいいのではないかと思える。
階段を降り、リビングへと向かうその途中。
いきなり、洗面所の扉が開いて、中から出てきた由乃と鉢合わせになった。
「あ」
呟きともとれるその声は、どちらの口から発せられたのか。
ただ、申し合わせたかのように二人の動きは止まり、廊下で見合わせる格好となってしまった。
風呂に入ったため、由乃のお下げはほどかれ、長く綺麗な髪の毛が背中まで流れている。長くて量も多いためか、まだ完全には乾いていないようで、どこか艶めいている。
格好はといえば、先ほどの私服と変わってパジャマ姿になっていた。
水色のボーダー柄のチュニックパジャマ姿は文句なしに可愛らしい。
湯に浸かり、体温が上昇したのか肌は桃色に染まっている。もともと色白なだけに、上気した肌は一目見て分かるくらいであり、髪型とも相まって、まるで別人のように映って見える。
胸元のボタンの一番上が開いているため、わずかに目に入る肌が健康的な色気を感じさせてくれる。
思わず、眼が吸い寄せられそうになるのを、必死にとどめて無理矢理に顔を背ける。
「お、お風呂、どうだった?」
「あ、うん、いい湯加減だった。あとで祐麒くんも入りなよ」
「うん、そうだね」
二人とも、どこかぎこちない会話。
目の前の由乃にクラクラしそうになり、それだけで話を切り上げ祐麒は自分の部屋へと戻っていった。
何のために一階に行ったのかは、すっかり頭の中から消え去っていた。
由乃は機嫌が悪かった。
買い物をしていたときは、由乃とのことをからかわれても済ましていたのに、志摩子の前だと途端に慌てだして。
そしてつい先ほどもまた、由乃の顔を見るなり逃げるようにして二階へと戻って行った。二階から降りてきたところだったはずなのに、そのままとんぼ返りするようにして帰っていったのは、明らかに由乃の姿を見て引き返した証拠だ。
そんな、あからさまに避けることはないだろうに。とゆうか、由乃が一体何をしたのか、何がそんなに気に入らないのか。考えれば考えるほどに腹が立ってくる。
「由乃さん、頬ふくらませてどうしたの?」
ここは、一階の客間。
三人で一緒に寝られるところということで、今日はこの部屋に布団を敷いて眠ることになっていた。
既に三人ともお風呂を済ませ、夜着へと着替えている。由乃と志摩子はパジャマ姿、祐巳はパジャマというよりは、シャツと、ジャージのパンツみたいな格好である。
「別に。たださ」
一拍おいて、由乃は爆弾を投げ込んだ。
「祐麒くんて、志摩子さんのことが好きなんじゃない?」
由乃としては、平静を装いつつもかなり思い切って投げつけたつもりだった。しかしながら、二人の反応は由乃の予想を大きく裏切るもので。
「な、なんで二人とも笑うのよ?」
くすくすと、口元を抑えて笑っている二人。
「じゃあ、なんで由乃さんはそういう風に思ったの?」
解いた髪の毛をいじりながら、祐巳が尋ねてくる。
「なんでって、だって、さっき料理のとき、あたしとのことからかわれて、慌てて否定したでしょう。あれは、その場にいた志摩子さんに誤解されたくなかったからじゃない」
言いながら、さすがにこの理由は無理があるかなと、今さらになって由乃自身も思い始めていた。しかし、今さら覆すわけにもいかない。
由乃は半ば強引に自説を推したが、言えば言うほどに二人の視線が生温かいものになっていくように見えた。
「ふうん。由乃さんは、そういう風に思ったんだ。どう、志摩子さん?」
「私は、もうちょっと違うように感じたけれど」
上品に微笑みながら、志摩子は静かな口調で諭すように言う。
「な、な、何がよ」
「それは、私の口から言うのはどうかと……」
「気になるじゃないのよ、もーっ!」
じたばたしてみせても、二人とも笑うだけで教えてくれるわけでもない。由乃は余計にむしゃくしゃしてしまう。
「なんなのよもう、二人ともっ」
結局、その後も二人は思わせぶりなことを言いながらも、肝心なことは何も教えてくれなかった。
そうして時間だけが過ぎ、やがて由乃はトイレに行きたくなって部屋を出た。用を済ませ、部屋に戻ろうかと思ったが、ふと何気なく階段を見つめた。上には祐巳の部屋、そして祐麒の部屋がある。由乃は自分でも気がつかないうちに、音を立てずに階段を上りはじめていた。
自分は何をするつもりなのだろう、その疑問は消えないけれども、足を止めることはできなかった。
上りきると、廊下の先の扉がわずかに開き、中から光が漏れているのが見えた。由乃は息を飲み、ゆっくりと扉へと近寄っていった。
祐巳は下の部屋にいるのだから、開いている扉は祐麒の部屋のものしかありえない。分かっていて、止められない。好奇心なのか、怖いもの見たさなのか、この先で何が待っているのかも分からずにただ足だけを交互に動かす。
そして扉の前に辿り着き、呼吸を整え、忙しなく動く心臓を落ち着かせようとしたときに、それは由乃の耳に届いた。
「……やっぱり俺、由乃さんのこと好きになったんだな」
お手洗いから戻ってきた由乃の様子は明らかに変だった。少し時間もかかっていたから、ひょっとしてお通じが悪いのかしら、なんて祐巳は由乃に悪いことも考えたけれど、尋ねてみると喉が渇いたから台所で水を飲んだとのこと。
しかし、それにしても。
「あああの由乃さん? ど、どうして私の布団に入ってくるのかしら」
もそもそと志摩子の布団に潜り込もうとして、志摩子に驚かれている。そうかと思うと、祐巳の布団に入ろうとして、意識が完全にどこか外にいっているというか。眠いのかとも思ったけれど、目ははっきり開いているようで、どうしたというのだろうか。
志摩子に、どうしたのだろうかと目で問いかけてみるものの、志摩子も困惑したように首をふるだけ。
「えっと……由乃さん」
と、祐巳が問いかけてみても、気だるげに生返事をするだけで、そのまま布団をかぶってしまった。夜遅くまでお喋りして、祐巳と志摩子の本音を聞きだしてやると意気込んでいた先日の姿が嘘のようである。
結局、由乃の言動の謎は解けぬまま、朝を迎えるのであった。
祐麒は自室で一人、思いに耽っていた。
思い出すのは、お下げの似合う、瞳の大きな少女の姿。
二人で一緒にいるところを色々と勘違いされたが、買い物先の商店街で言われたときは平静でいられた。
あの手の商店街で店の人が言うことは、前に祐巳と一緒に行ったことがあるから分かっていたし、相手も本気で言っているわけでもなく、またもう一度会ったとしても覚えていないであろうから、祐麒自身落ち着いていられた。
しかし、帰宅してから一緒に調理する姿を見られて祐巳と志摩子に言われたときは、自分でも思っていた以上に取り乱してしまった。知っている人、身内からそのように見られるということが、どれだけ恥しいことか。しかも、自分がそれなりに意識している女の子が相手となれば、尚更だった。
そう、彼女と出会ってからどれくらいが経つのか。
最初は、可愛いとは思ったけれど、単に祐巳の友人でしかなかった。
それが彼女と触れ合う機会が増え、話し、会うたびに加速度的に惹かれていった。
真っ直ぐで、見た目に反して勝ち気で負けず嫌いなところとか。
ちょっとしたことにも本気で悔しがったり、喜んだり、感情表現が豊かなところとか。
お姫様のような容姿だけれども、明るくて、優しくて、等身大の女の子。
今日だって、本当は一緒にゲームして、由乃の温もりの残ったコントローラに触れたときとか、買い物で雑踏の中で身体が触れたり、髪の毛から甘い香りを感じたりしたとき、胸が高鳴っていた。
二人で料理をしていたときは、楽しくて仕方が無かった。
風呂上りの由乃を目にしたときは、あまりの可愛らしさ、そしてそこはかとない色っぽさに、のぼせそうになった。
部屋が違うとはいえ、同じ屋根の下に寝泊りをしているのかと考えると、どこか落ち着かない。
客間でどのような話をしているのか、祐巳が何か余計なことを喋っていないか、気になってしまう。
そんなことを室内で一人考えていたら、椅子の背もたれに寄りかかってごく自然と呟いていた。
自分の、気持ちを―――
「……ほ、ほとんど眠れなかった」
爽快とは程遠い状態で、由乃は朝を迎えた。
差し込む朝の光は、今日の天気のよさを物語っていたけれど、由乃の気分は大荒れであった。昨夜の、祐麒の言葉を耳にしたときから、心の中で自分の気持ちと祐麒の言葉がぐるぐるとまわって、こんがらがって、訳が分からなくなっていた。
お喋りして、夜更かしして、寝不足になることは想定していたけれど、こんなことで眠れなくなるとは予想もしていなかった。
祐巳と志摩子が何か言うのもほとんど耳に入らず、とりあえず目を覚ますために顔を洗いに行った洗面所で。
「あ、おはよう由乃さ……ん……」
「ふぇ?」
目を拳でこすりながら入ると、そこには顔を洗ったばかりと思われる祐麒が、タオルを手に由乃の姿を見て目を丸くしていた。
「あ、祐麒くん、おはよ……ん?」
目の前の祐麒の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
小首を傾げる由乃。
祐麒の視線を追いかけていってみると、わずかに乱れたパジャマの胸元。
「って、うきゃあぁぁっ!?」
由乃は手で胸元を隠し、あたふたと洗面所を飛び出した。
部屋に戻ると案の定、祐巳と志摩子は変な顔をして由乃のことを見ていた。
朝食をご馳走になって、一息ついたところでお暇することとなった。志摩子は今日この後、家の手伝いがあるという。由乃は始め、特に用事も無かったので少し遊んで行こうか、などと訪れる前は思っていたのだが、今は全くそんな気がなくなっていた。
余裕がなくなっていたというか、祐麒がいる場所に一緒にいたら、色々と変なことを考えそうだった。とりあえず、一度家に戻って落ち着きたかった。
帰る時になると、祐巳に呼ばれて祐麒も玄関先まで見送りにやってきた。
そんなことしなくていいのに、と内心では思ったが、さすがに口に出すことは出来ずにそっと様子を窺ってみると、なにやら志摩子と楽しそうに話していた。わずかに上気していて、でれっとしている。
由乃と話をしているときは、そんな顔したことがないくせにと、少し腹が立つ。しかも、なんだ、由乃のことが好きじゃなかったのか?
「……って、ちっがーう! 何考えているのよあたしはっ」
「わっ、び、びっくりした。どうしたの由乃さん、突然」
いきなり大きな声を出した由乃を見て、三人とも驚いた表情で見つめてきた。
「え? あ、いや~、ははは、な、なんでもない。そ、それじゃあね祐巳さん」
曖昧な、どこか引き攣った笑みを浮かべながら祐巳に手を振る。
不思議そうな顔をしながらも、祐巳も手を振り返す。
その隣では。
「それじゃ、また」
と、素っ気無い態度で手を上げる祐麒。
「……じゃ、ね」
由乃もまた、素っ気無い態度になってしまった。むしろ、機嫌が悪く見えるくらいかもしれない。
「ちょっと祐麒、あんた何かしたの?」
「え、知らないよ」
とか、祐巳と二人で小さな声で言い合っているのが聞こえたが、由乃は聞こえないフリをして玄関を出た。
内心で、祐麒に向けて舌を出しながら。
自宅に戻り、お泊まりセットを置いてベッドの上に横になる。
目を閉じて、精神を集中させる。時代劇小説の優れた剣客のように、余計なことを考えずに心を静かに清らかに、綺麗な水面に決して波を立てないように。
しかし。
どうしても思い浮かんでくるのは、祐麒の姿と、あの台詞。
「……っ、て、うあああぁぁっ」
頭を抱えて、ベッドの上をごろごろと左右に転がる。
思い出すだけで恥しくなって、顔が熱くなってくるのが分かる。
うつ伏せの体勢になって、枕に顔を埋め、両手でシーツをギュッと掴む。
正式に告白をされたわけではない。でも、だからこそ祐麒の気持ちに嘘がないことが分かってしまった。そうでなければ、あんな言葉を一人で発するはずも無い。
ならば、由乃はどうなのか。
「……分かるわけ、ないじゃん」
頭の中が、スパークしそうになる。
階下から由乃のことを呼ぶ令の声が、この日ばかりはやけに遠いもののように感じた。
おしまい