「ふぁ……」
欠伸を噛み殺しながら、斗南柊はベッドから体を起こした。かけられていた毛布がするりと落ちると、均整のとれた肢体が惜しげもなく露わになる。大きすぎず小さすぎず、形の整った美しいバストにくびれた腰、つるんと丸みを帯びたお尻、滑らかで張りのある肌、それでいてしなやかで引き締まった筋肉、モデルとしても十分に通用すると思われる見事なボディラインである。
本人はそんなこと気にした様子もなく、乱れた髪の毛をかきあげる。
「……んっ……」
もぞもぞと、すぐ隣の毛布が動いた。
毛布にくるまっていたのは、紗枝だった。毛布から細い肩が露出し、ほんのりと胸の膨らみが見える。
「おう、お嬢は随分と寝坊さんだね」
紗枝を見下ろし、ニヤリと笑う柊。
「あ……あなたのせいでしょう?」
僅かに顔を赤くし、毛布を握り締めながら拗ねたように見上げる紗枝。
「ベッドの上じゃあ、あたしの方が上みたいだな」
「当たり前でしょう、私みたいな清らかな乙女が」
「まあ、もう清らかじゃなくなっちまったけれどな……あ痛テテテテ、つねるなよ」
「誰が、清らかじゃなくしたのかしら?」
毛布の下から紗枝の腕が伸び、柊の脇腹をつねっていた。
「怒るなよ、ほら、な?」
紗枝の腕を抑え、上にのしかかりながら毛布の中の紗枝の身体に指を這わしていく柊。
「馬鹿、ちょ、昨夜さんざんしたくせに、こんな朝から……んっ」
「横須賀生まれ横須賀育ち、米軍女兵士仕込みの指先テク、存分に見せてやるから」
「あら……とゆうことは、私以外にも随分と沢山の女性と?」
「あ、藪蛇? いやぁ、三人ほどだし、今はお嬢に夢中だし」
紗枝の胸に顔を埋めながら、太ももと脇腹を撫ぜる。
「あっ……ん、く」
背を反らし、切ない声を漏らす紗枝。
「いや、お嬢じゃなかったか……紗枝」
「やっ……名前で……あぁっ」
柊の口から紗枝の名前が漏れた途端、じゅくっ、と甘い蜜が溢れ出して柊の指を濡らす。
「朝からだって充分に元気でやる気じゃん、紗枝だって、さ」
微笑みながら、柊は唇で、舌で、指で、紗枝を蹂躙していった。
「ううぅ、こ、腰が痛い……だるい……」
廊下を歩きながら、紗枝は腰をトントンと叩きつつ重い息を吐き出す。
「おいおい、仮にも白服さんがそんなだらしない姿していいのか?」
隣を歩く柊が、呆れたような目を向けると、逆に紗枝は恨みがましく睨みつける。
「あなたのせいでしょう? 朝からあんな無茶な格好させて、ギリギリまでずっと……」
「普段、鍛えているんだからどってことないっしょ?」
「剣の鍛錬とじゃあ、使用する体力が全然違うのよ」
ぷーっ、と頬を膨らませる紗枝。ドSの紗枝も、慣れないベッドの上では思うようにいかないようであった。
「あら紗枝、変な姿勢してどうしたの?」
「おはよう、紅愛。あはは、ちょっと鍛錬でね」
階段で、下から上がってきた紅愛と会って挨拶をかわす。
「そうそう、なかなか激しい腰使いで……痛ッ!?」
「斗南柊? そういえば最近あんた達、よく一緒にいるわね」
「まあ、色々とね」
こういう時、白服同士というのは良いものである。一緒に行動をしていても、さほど不審には思われない。
「珍しいわね、紗枝がそんなことになるなんて」
「たまにはね」
苦笑しながら紅愛を見る。
紅愛はいつも通り、手入れを欠かさない爪を見つめて何やらいじっている。剣待生達はみんな年頃の少女であり、お洒落に気を遣う子も多いが、それでもやはり剣の方を優先する。だから、剣待生の中では恐らく紅愛がもっともお洒落であろう。
「先に行くわよ」
紅愛はそのまま更に階段を上っていくが、爪に気をとられていたせいか、途中で鞄を落としてしまった。
「わ、と」
屈んで鞄を拾おうとする紅愛だが、その姿を下から見上げていた紗枝と柊には、スカートの下の太ももが目に入り、見えそうで見えない下着が気になってつい、身を屈めてしまいそうになる。
「……おい、星河のやつ、スパッツ穿いてねぇの?」
「私に聞かないでよ」
剣待生は鐘が鳴ると戦いに赴く。戦っている最中は激しく動くので、当然、下着が見えないようにスパッツを穿いているものなのだが、どう考えても紅愛は穿いているように見えなかった。
頂上決戦で負けた紅愛たちはランク落ちしているが、だからこそ戦う時もみのり一人で充分なのかもしれないが。
「……あんた達、何、変な格好しているの?」
つい、覗き込もうとしていた姿勢を見られ、紅愛が訝しげな表情をして尋ねてくる。
「えー、あー、別に」
「変なの……って、わ、と」
立ち上がり、体を捻って下を見て、紅愛がバランスを崩した。そのまま倒れそうになるが、すぐ後ろまで柊が上ってきていたので、柊の胸に受け止められる。
「何やってんだか、しっかりしろよな」
「う、うるさいわねっ」
背後から抱きしめられる形となった紅愛は、恥ずかしいのをごまかすように口を尖らせ、わずかに赤くなった顔で柊を見上げる。
柊の目に入ってくるのは照れたような紅愛の顔、伝わってくるのは抱きしめている体のやわらかさ、そして甘い香水の匂い。
「もう、大丈夫よ」
抱きしめていた柊の手を解こうと触れてくる、綺麗な指。手の甲をくすぐるように撫でられ、ぞくっとした、痺れにも似た心地よさが駆け上がってくる。
我知らず、柊は赤面していた。
「……お、おい、なんなんだよ星河のやつ、誘ってんのか?」
声を潜め、紗枝に耳打ちするようにして訊く柊。
「違うわよ、紅愛のあれは、天然よ」
「天然って……マジかよ、剣待生とは思えない無防備さだな」
「まあね、それで、皆ヤられちゃうんだけどね」
ほう、と息を吐き出す紗枝。
「皆、って」
「会長さんとか、静久とか、他にも色々といるけれど。大体、もう白服でもないのにいつまでも生徒会にいるのって、何でだと思う?」
「……そーゆーことかよ」
呆れたように頭をかく柊。
紗枝が口にしていることは事実で、紅愛の刃友であるみのりはともかくとして、天地学園の会長である天地ひつぎ、ひつぎの刃友である宮本静久などは、紅愛の無防備な天然さにやられ、日々うずうずしているのが見ていて分かる。いつ、紅愛が襲われるかと心配にもなるのだが、紅愛はその強烈な天然さとスルースキルで常にやり過ごしている。かくいう紗枝も、今までに何度、紅愛に襲い掛かりたい欲求が湧き上がってきたことか。
このことは、剣待生なら多くの人間が知っていることで、実際に戦って紅愛の戦術、戦略に苦杯を喫した相手でさえも、普段の無防備な受けオーラには参っている。
「でも、実際に行動には起こさない方がいいわよ。怖~いワンコが見張っているから」
「――そうみたいだな」
二人の視線の先には、角から凄い目つきで睨みつけてきている玲の姿があった。
紅愛が誰かに襲われないか、見張っているのだ。
「一緒に歩いていた方が早くね?」
「それができるようなら、ヘタレなんて呼ばれてないわよ」
「そりゃそーか」
柊と紗枝は、そのまま紅愛の後を追いかけていくことにした。特に意味はないが、面白いことがあるような気がしたからだ。そして、その後ろからは玲が追ってくる。
三階に上がったところで早速、イベントが発生した。
教室から出てきた女子生徒と紅愛の肩が僅かにぶつかったのだ。
「あ、失礼……げっ」
軽く謝った紅愛がぶつかった人物の顔を見上げて、表情を歪めた。
「氷室瞑子……」
そう、そこに居たのは眼鏡の下に怜悧な瞳を輝かせた氷室瞑子だったから。氷室、炎雪組については、あまり良い噂を聞かない。確かに腕はたつのだが、その勝ち方というかがどうにも反感を呼ぶものらしいから。
紅愛自身は立ち会ったことがないが、正直、近寄りたいタイプではない。同じ策を練るタイプのようでいて、紅愛はいかに楽に自分が勝つかを考えるのに対し、瞑子はいかに相手にダメージを与えるかを考えているような感じだ。
長身の瞑子相手だと見下ろされている感じだし、一学年上だし、正直、紅愛としてもあまり得意な相手ではない。
「な、何よ、謝ったでしょう?」
と、強気を装いつつも少しおっかなびっくり、といった感じで瞑子を見上げる。
「くっ……あの上目使いとか、ヤバくね?」
「さすがね、紅愛」
見守りつつ、紅愛の天然無防備さに一撃を喰らう二人。ちなみに玲は少し離れた場所で鼻血を垂らしていた。
「……気をつけなさい」
そんな紅愛ではあったが、瞑子は一瞥だけして何事もなかったかのように歩き出す。 「まあ、当然よね。氷室さんはクールなタイプだし、あの猛獣を刃友にしているんですもの、こんなところで暴れるような人じゃないか」
頷く紗枝とは裏腹に、柊は瞑子の後ろ姿を見て首を捻る。
「……いやぁ、ありゃあ心ここにあらず、って感じだね」
「そう?」
「うん、何か中にいれられてんな、アレ。あの歩き方だと、ケツの方か……調教中、ってところか。やるねぇ、あの女を相手にって、一体誰が……」
「どうしたの、斗南さん?」
「いんや、まぁ、まだまだ色々と楽しいことがこの学園にもあるんだなって……」
ニヤリと口元を歪める柊の視線の端、瞑子に近寄る一人の生徒が映る。髪の毛で片目を隠すようになっているその女子が、何やら瞑子に囁くように顔を近づけると、びくっ、と瞑子の身体が震えた。
「ほうほう、なるほどねぇ」
楽しげに笑う柊。
一方で、玲はとうとう我慢できなくなったのか、ようやく紅愛の前に姿を見せた。
「よ、よう紅愛。偶然だな」
後ろから追いかけてきて偶然も何もあったものではないが、玲にしてみればこれが精一杯なのだろう。
「あら、玲……って、何て顔しているのよ」
「え? な、何が」
「鼻血が出てるわよ、何、また変な稽古でもしていたんでしょう。本当、熱血よね」
「べ、別にそんなんじゃねーよ」
慌てて手の甲でごしごしと鼻の下を拭う玲。それを見て、紅愛は呆れたようにため息をつく。
「そんな風にしたら、余計に汚くなるでしょう。仕方ないわね、ちょっと待って」
そう言って、紅愛はスカートのポケットに手を突っ込んだ。ハンカチかティッシュでも出してくれるのだろうかと思ってみていると、取り出そうとしたハンカチがスカートに引っ掛かって、そのままスカートの裾が大きく捲れあがって太ももが露わになる。
「ばっ、ばばばばばかっ、な、何やってんだ!?」
あやうく下着まで見えそうになるのを、玲は慌ててしがみつくようにして紅愛の手を抑えて封じ込んだ。
周囲を見回し、誰かに見られていなかったかを確認すると、何人かの女子生徒が顔を赤くして、手で鼻を抑えて顔を背けていた。
見られたかと歯ぎしりする玲。
「ちょっと玲、あんたこそ何暴れているのよ。ほら、余計に鼻血が出ているじゃない」
それは、今の紅愛のせいだと言いたかったが、紅愛は気付いていないのかハンカチを今度こそ取り出し、玲に向けようとする。
「い、いいよ、んな綺麗なハンカチ、汚れるだろ」
「気にしないで、それより顔を血で汚したままいられた方が、迷惑だわ」
「だ、大丈夫だってば」
「こら、逃げるなっての」
背の高い玲の鼻に手を伸ばそうとする紅愛だったが、玲は背を反らせて顔を遠ざけて逃げようとする。紅愛は追いかけようと玲の肩を掴み、背伸びをする。自然と密着する二人の身体、押し付けあう胸と胸、直に触れ合う脚。
「……おいおい、朝っぱらからあのバカップル、何やってんスカ? お嬢の相棒っしょ、どうにかしてくんね?」
「あはは……二人はバカップルどころか、カップルの認識もないと思うけどね……」
呆れ顔の柊に、苦笑いするしかない紗枝。
周囲から見れば、玲と紅愛の二人は廊下で抱き合ってイチャイチャしているバカップルにしか見えないのである。
ぐだぐだしていたが、ようやく玲はハンカチを受け取って鼻を拭った。
「……悪いな、洗って返すから」
「本当、手がかかるわよね、玲って」
「お、お前、だ、誰のせいだと思ってんだよ」
「何よ、私が悪いとでもいうの?」
「く、紅愛が無防備なのが悪いんだろ、あ、ああいうのはな、あたし以外のやつに見せんなよ!」
顔を赤くしながらも、玲は言った。
きょとん、としたように紅愛は玲を見上げる。
「……ああいうの、って?」
「だからっ、この、迂闊女!」
「な、なんなのよ、さっきから。もういいわよ、さよなら」
「あ、ちょ、紅愛」
「知らない」
ぷい、と拗ねたように顔を背け、歩き出す紅愛。
玲はおろおろとして、追いかけられずにその場で立ち尽くす。
「……ったく、何やってんだか、ブルジョワさんはよー」
「仕方ないわよ、玲のスペックじゃあ、あれで精一杯でしょう」
一部始終を見守っていた(楽しんでいた)柊と紗枝が、がっくりと肩を落とした玲に近づいて行って、慰め(?)の声をかける。
「さっさと追いかけた方がいいんじゃないの、玲?」
「う、うっせーな、紅愛なんかどうでもいいっつーの!」
逆切れしてそれだけ言い残すと、玲は荒々しい足取りで紅愛とは反対方向へと突き進んで行ってしまった。
「――逃げたな」
「逃げたわね」
「しっかし、本当、うちの相方もヘタレだけど、お嬢の相方も相当だな」
「まあねぇ……っていうか、そろそろその『お嬢』っていうの、やめてほしいんだけど?」
「ん、そんじゃあ、あたしらも行きますか、祈」
「それでも、名前では呼んでくれないのね、斗南さん」
「あたしらにゃ、これが丁度いいでしょ?」
「まあ、ね」
肩をすくめ、歩き出す紗枝。
半歩前を行く紗枝のうなじをみつめ、柊は手を伸ばして肩を掴んだ。
「何、斗南さ……っ!?」
振り返りかけた紗枝の言葉を封じるようにして、紗枝の唇を塞ぐ。時間にしてほんの三秒ほどだが、その間に舌を差し入れ、絡み合わせ、唾液を送り込んで飲ませる。口を離してぺろりと唇を舌で舐めながら紗枝を見ると、ほんのりと上気した頬をして柊のことをとろんとした瞳で見ていた。
「名前で呼ぶのは、ベッドの上だけでいいだろ? 紗~枝」
「ば、馬鹿……」
はっと我に返り、慌てて手の甲を唇に持っていく。顔が熱い。見ると、柊はにやにやと笑っている。
剣ではともかく、この手のことに関しては悔しいが柊にはとても敵いそうにない。
「見られていたらどうするのよ」
「別にいんじゃね、隠すことでもねーし。少なくともあたしは困らないし。お嬢……っと、祈は困るん? ま、祈が困る顔を見るのも楽しいけれど」
「もう、意地悪ね」
「ああ、意地悪だね。だから」
有無を言わさず紗枝の顔を引き寄せると、柊はもう一度キスをした。
周囲の目が集まっているのも気にせずに――
放課後、紅愛は一人図書館で静かに過ごした後、寮へと戻ることにした。今日は鐘が鳴って星獲りもあったが、Dランクに落ちている現在、みのり一人で充分だった。スパッツを穿いていなかったので、完全にみのりに任せてしまったが、二つ目の鐘が鳴る頃には戦いは終わっていた。
「やれやれ……」
部活動に精を出している生徒、稽古をしている剣待生、学園内はまだまだ騒がしく、そこかしこから声が聞こえてくる。
「……あぁ、もうスゥちゃん、またそんな気の上に登って、パンツが見えちゃうでしょう」
「先輩、放っておいたらどうですか?」
「そんな、駄目よ、今日の戦いでスゥちゃん、怪我しているんだから。そういえば今日、動きに精彩がなかったわね、氷室さん?」
「えっ? そ、そうかしら」
「どこか調子悪かったんですか、氷室先輩?」
「ひっ……う、あ、そんなことは……」
「大丈夫、氷室さん? なんか顔赤くしてモジモジしちゃって……お手洗いなら我慢しなくて行ってきた方が……って、わぁ! スゥちゃん、いきなり飛びついてこないの!? え、何、ご褒美? もう、甘えん坊なんだからスゥちゃんはぁ(ハァト)」
何やら楽しげな声が聞こえてきて、平和なものである。
そんな喧騒に背を向けて紅愛は寮の部屋に戻った。みのりはまだ帰ってきていないようで、一人、制服から部屋着に着替える。部屋着といっても、他の寮生みたいにスウェットやジャージではなく、カットソーにパーカ、ティアードスカートに二ーハイソックス。どこへ出かける気なんだと言われたりもするが、お洒落は紅愛としては譲れないところ。これでも、随分と妥協しているのだ。
制服をハンガーにつるしたところで息を一つ吐き出す。思い出すのはどうしても今朝の出来事。玲の態度に、ムカムカとしてくる。
「何よ、全く。なんで私が怒られないといけないのよ」
呟きながら、頭の中で玲を思い浮かべ、ボコボコにやっつけてやる。
『――紅愛、いるか?』
「っ!?」
ちょうど想像の中で玲を土下座させたところで、本当の玲の声が扉の向こうから聞こえてきてびっくりする。
「……何よ」
『えと……その、だな。えーと』
「……はぁ。開いているわよ、とりあえず入ってきたら?」
いつまでも部屋の前でぐずぐずされても都合が悪い、紅愛がそう声をかけると、やがておずおずと扉が開いてまだ制服姿の玲が顔を見せた。
部屋の中に入ってきた玲は、きまり悪そうにぼさぼさの髪の毛をかき、紅愛となかなか目を合わせようとしない。そういうところが、紅愛を更に苛立たせる。
「なんなのよ、何か用があったから来たんでしょう?」
「あ、ああ、その、今朝のことなんだけどさ」
まあ、それ以外にないだろうとは思っていたが、それにしてはこの態度。剣の腕に関しては学園内でもトップクラスなのに、なんでこんなにも情けないのか。
「わ、悪かった、と思って」
「……なんで私が怒られなくちゃいけないのか、それを説明してくれないと、ただ謝られても分からないわよ」
「それは、だから、あれだよ」
「あーもうっ、あれとか言われても分かんないわよ、はっきりしなさいよ!」
詰め寄る紅愛。
間近に迫られて狼狽えつつ、玲は口を開く。
「だ、だから、紅愛が無防備に他のやつを誘惑するようなことするから……」
「――は? な、何よソレ、私、誘惑なんてしてないわよっ!」
「紅愛がそんなつもりなくても、周りから見たらそう見えるんだよ! そんな紅愛をあたしはあたし以外の奴らになんか見せたくなくて、でもそれを紅愛が分かってくれないから怒ってんじゃんか!!」
吹っ切れたというか、なかばやけくそ気味に叫ぶ玲。
さすがに紅愛もその剣幕に腰が引けたが、改めて玲の言った内容を頭の中で吟味して、さっと顔に赤みがはしる。
「な、何よソレ、私は別に玲のモノじゃないのよ」
「そ、そうだけどさ、でもさ、そう思っちゃうものは仕方ないじゃん」
「何で、そう思うの?」
「それは、だから」
先ほどの勢いは消え失せ、またしてもグダグダになり、床に座り込んで俯く玲。スパッツを穿いているとはいえ、スカートで胡坐をかくその姿は玲らしいが。
紅愛も膝をついて玲と視線の位置をあわせると、確認するように玲の瞳を覗き込む。
「……ねえ、玲。教えてよ。ちゃんと」
「え。あ、それは、その」
「ねえ」
「だから、わ、分かれよ、それぐれぇ」
「ちゃんと口にしなさいよ、卑怯者!」
「うううううるさい、もう帰るからな」
立ち上がり、扉へと向かおうとする玲。
紅愛も素早く立ち上がり、逃げようとする玲の肩を掴むと入口の扉の体を押し付ける。
「痛っ! 頭打っただろ、何すん……っ!?」
玲の体を手でおさえたまま、紅愛はつま先立ちになって唇を押し付けてきた。甘く、ほんのりと酸っぱくて、マシュマロのような紅愛の唇。
「ん……、……ッ!?」
鋭い痛みが唇にはしった。同時に、紅愛が体を離す。その唇には、赤い血がついていた。紅愛に、唇を噛まれたのだ。
「ふん、これでちょっとは気がすんだわ」
「お、おい、一体なん……」
「ばーか、玲なんて知らない、深爪でもしすぎて死んじゃえ、ばーかっ!」
べーっ、と可愛らしく舌を出した紅愛に背中を押され、そのまま部屋から叩き出されてしまった。
廊下にへなへなと腰が抜けたようにしゃがみ込み、まだひりひりとした痛みの残る唇を指でなぞる。
「なんなんだよ、チクショウ……」
一人、呟く。
すると。
「あー、ホラ、やっぱり駄目だった。あたしの勝ちな」
「うーん、刃友だから信じてあげたかったけれど、やっぱり駄目だったかー。本当、玲のヘタレクイーンっぷりにはため息しか出な~い」
柊と紗枝が、なんともいえない表情で玲のことを見下ろしていた。
「御門さ、もう押し倒してやっちゃえば良かったのに」
「それが出来たら、こんなことになっていないでしょう」
「そりゃそーだ」
「……ってめーら、い、いつから」
「や、聞こえてきたのはデカい声出した頃からだから」
「むしろ感謝してほしいわ、他の子達が近寄らないようにしておいてあげたのに」
文句を言いたげな玲に、澄ました顔で返答する二人。
玲は結局、何も言い返せずに肩を落とす。
「……傍からみりゃ、単なるバカップルの痴話喧嘩なんだけどな」
「本人達にとっては違うのよねー」
苦笑いするしかない柊と紗枝。
「玲がこんなんだから、会長とか静久とかが、まだ紅愛のこと諦めきれないのよね」
「ま、見ているこっちからしたら楽しいからいいけどね」
玲と紅愛、本人達以外からはバカップルとしか見られていないことに気付いていない二人なのであった。
おしまい