林の中に駆け込んだ乃梨子は、まず心を落ち着かせることを最優先とした。ここまで感じる限り、近くに他の生徒はいないようだった。
リュックを抱き寄せて開けて、手を突っ込んで中身を取り出す。先に説明された通りのものが入っているが、今の時点で一番必要なのは地図と、それを読むための懐中電灯。手早く地図を広げ、懐中電灯のスイッチを点ける。思いもかけず強力な光に、びっくりする。体で光を隠すようにして地図を見て、息をのむ。
「ここは……」
聳え立つ大きくて優雅な城、鬱蒼と木々が生い茂るジャングルに茶色い岩肌の見えるロックマウンテン、おとぎの国のような街並み、サーキット場、色とりどりのフラワーパーク、空を飛ぶ愛嬌のある生物。
どこかで見た覚えのある地図。
それもそのはず、乃梨子は幼い頃、訪れたことがあった。
「ふざけてるわね」
ここは、夢と魔法のワンダーランド。
地域の活性化の意味もこめて作られた、巨大テーマパーク。ショッピングモールも併設されて、開園時にはさんざんニュースにもなったし、人も沢山訪れていた。だが、夢と魔法は解けた。作った場所が悪かったのか、それともアトラクションに飽きられたのか、経営は悪化し、破綻した。
どうにかしようという経営側の熱意も空回りし、ついに数ヶ月前には閉園したはずだった。
郊外の敷地を切り開いて作られた場所だった。テーマパークが人気のあったころは、周囲にも色々と店は出ていたが、集客が下降線を辿るにつれて周囲も徐々に寂れてゆき、閉園となった今は、テーマパークを含め周辺は完全にゴーストタウンとなっているはずであった。人もいなければ、通りかかる車もない。いや、いくら閉演したとはいえ、そこまで交通の便が悪ければ、そもそもの集客が見込めない。ということは、こんな大掛かりなことをするくらいだから、周囲の道路を封鎖くらいしているのかもしれない。
場所は分かるのだから、誰かと連絡がつけばどうにかなるかもしれないが、電話が外部と繋がるなんて間抜けなことをしているとも思えない。
しかし、夢と魔法の国でうら若き乙女同士に殺し合いをさせるなんて、どんなセンスをしている人間なんだと、乃梨子は頭の中で悪態をつく。
「現在地は……F-1あたりかしら」
先ほどまで縛られていた場所、そしてそこから走りこんだ今の場所を思い浮かべ、おおよその位置を把握する。
おそらく、最初の位置はフューチャーパークの広場。そこから、園の端っこの林の中に逃げ込んできたのだろう。
乃梨子は懐中電灯のスイッチをオフにした。この暗闇の中、電灯の光は目立つ。
取り出した荷物を再びリュックの中にしまいこみ、乃梨子は膝を抱えるようにして座り込んだ。
先ほど確認した時計では、時刻は午前一時くらい。無駄に動き、無駄に体力を失うことは避けたい。だからといって、この状況で眠れるとも思えない。ならば、することは一つ。考えろ、考えるのだ。
何も考えなしに、闇雲に動くのは危険だ。幸い、今いる場所は草木の生い茂った林の中、人が動けば音がするはずだった。
良い方策、少しでも、僅かでも良い策があるはずだ。乃梨子は神でも仏でもないし、他の皆はバラバラの場所に位置しているから、全員が助かるなんて思えない。それでも、少しでも多くの人間が助かる方策を、見つけ出すのだ。
今のままでは、最大でも二人しか助からない。最低だと一人……いや、全滅という可能性だって考えられる。
考えるのだ、乃梨子。
お前の頭は、脳みそは、学年首席という成績は何のためにあるのだ。
暗い、闇の中。
まるで闇に同化したかのように蹲り、闇をねめつけ、乃梨子はひたすらに脳をフル回転させるのであった。
☆
福沢祐巳は怯えていた。
拘束が解け、目隠しを解いた途端に目に入ってきたのは、のっぺりとした馬の顔。あまりの驚きに、思わず声をあげそうになってあわてて口を抑えた。
祐巳が拘束されていた場所は、メリーゴーラウンドの中だった。本来であれば、子供や女の子に人気で可愛らしいはずのメリーゴーラウンドも、暗闇の中で真っ白い表情の無い顔を見せられると、不気味で仕方が無かった。
どうすればよいのか、分からない。
こういった『プログラム』が行われていることは、祐巳も知っていた。だけど、まさか自分身に降りかかってくるとは、人はなかなか考えないものである。そしていざ、我が身に及んだところで、このような非日常的な現実の中で、何の変哲も無い女子高生にいったい何が出来るというのだろう。
祐巳は、手に握り締めたものを見つめなおした。
それは、月の光を浴びて銀色に輝くロザリオ。
リュックの中に入っていた、おそらく祐巳に与えられた武器。武器として考えたら外れなのだろうけれど、外れてよかったと祐巳は思っていた。例えば銃とかナイフのようなものが入っていたところで、使えるとも思えないし、使いたいとも思わないけれど、手にしたらどのような気持ちになるかわからない。いざといったときに、何をどうしてしまうか分からない。
だが、ロザリオなら何をしようもない。むしろ、心が落ち着いてくる。
祥子から授かったロザリオは、ない。おそらく回収されてしまったのだろう。そのかわりが、首にお飾り程度につけられたものだけでは、なんと悲しいことか。
そこで祐巳は、ようやく僅かに冷静になることが出来た。
きっと、恐怖に怯えているのは自分だけではない。
姉である祥子、山百合会の皆、友達に先輩、可愛い後輩達。誰もが皆、この異常な状態に混乱をきたしていたり、死の恐怖に打ち震えていたりするに違いない。
自分のことだけを考えていたのでは、駄目だ。
他の人のことを、大切な人のことを考えていれば、自分がもっと強くなれるような気がした。たとえ錯覚だとしても、そう思えることが今は心強かった。
この先、どうなるのか分からない。
ひょっとしたら、死ぬのかもしれない。
でも、大好きな人たちと戦うなんてことだけは、したくなかった。そうしなければ生きて帰れないのだとしても、嫌だ。
祐巳は弱い。
山百合会に属しているとはいえ、勉強も運動もごく平均的だ。だから、今の状況を乗り切る知恵を簡単に思いつくことなんて、至難の業だ。
でも、信じることは出来る。話すことはできる。
震えは止まらない。胸の鼓動は、今だって早鐘をうつかのようだ。喉はひりつくように渇いているし、深夜だというのに眠気も襲ってこない。
恐怖が消えることなんて、ない。
それでも祐巳は、精一杯に戦うことを決意した。
武器を持って戦うのではない。
自分に負けずに、皆とともに生きるために戦うことを、決意したのだ。
☆
暗闇に包まれた部屋の中、月の光だけが窓から差し込み、室内を怪しく浮かび上がらせていた。
中世を模した室内の装飾が、より幻想的な雰囲気を漂わせている。
なかなか素敵ではないかと鳥居江利子は感じ、目を細めた。
現在位置は把握した。
江利子が今いる場所は、中央部に位置する"マジックサークル"エリア内の、『月の塔』の中だった。
『月の塔』はいわゆる参加型のアトラクションで、『月の塔』に隠されている謎を解き明かすのが目的だった。参加するたびに、入ることのできる部屋、秘められている謎が異なっているというもので、江利子も子供の頃家族に連れられて来た時に、入った記憶があった。
しかし、今いる部屋は見たことが無かった。
初めて入る部屋なのか、それとも江利子が入った後に色々とリニューアルなどがされて変わったのかは分からない。
多分、最上階に近い部屋。
江利子は室内に置かれていたベッドの上に腰掛けていた。膝の上には、リュックの中から取り出した武器。
これが当たりか外れかは分からないが、攻撃がまともに当たったならば無事ではすまないことは確実だ。
武器を置き、一つ息を吐き出して、部屋の中に置かれていたベッドの上に横になる江利子。
呑気に寝ている場合ではないと言われるかもしれないが、朝までは何も起きないだろうと江利子は予測していた。
真夜中に、それぞれ一人で放置された生徒達。しかも、リリアンという箱入りのお嬢様たちである。そう簡単に動き出し、命をかけて戦いだすとは思えなかった。
もしも一同が同じ場所に顔を合わすような形で放り出されていたら、疑心暗鬼のまま、わけもわからず混戦となっていたかもしれないが、今のようにバラバラに各所に初期配置されたのであれば、そうそう鉢合わせはしないだろう。馬鹿みたいに巨大なテーマパークの中にたったの三十人だ、それだけでも確率は低いだろうし、加えて闇は恐怖を助長し、身を隠す蓑ともなる。
江利子が置かれた場所も、逃げ場が無いといえるが、かわりに誰かが来るにしても入り口は一つしかないから、警戒もしやすい。塔ごと破壊するとか、遠くから狙撃されるとかでもないかぎり、いきなりやられることはないだろう。
念のため、入り口と、部屋にいたるまでの階段には侵入者が来れば分かるような仕掛けを施しておいた。
休めるときに休んでおくのが、重要である。
仮に何物かが江利子の仕掛けを抜け、気づかれないように近づいてきたのであれば、それは相手を誉めるしかないだろう。
だが、そんなことは絶対にない、という予感もあった。
嘘でも冗談でもない状況におかれて、不思議と江利子の心は落ち着いていた。いや、むしろどこか高揚するような感さえある。
非日常的な現実が、江利子を包み込んでいるせいなのか。
どちらにせよ、今は体を休めるだけだ。心と体が落ち着けば、もっと色々と考えることも出来る。
瞳を閉じる。
もちろん、怖さはある。
怖いのだけれど、反するようにして胸が騒ぐ。今までに感じたことないような気持ちが、興奮が、体を包み込む。
窓から月光が突き刺さる。
いつしか江利子は眠りに落ちていた。
寝顔は、眠り姫のように――
☆
まるで絵本の中から飛び出してきたような街の風景。きのこをデフォルメした、可愛らしい家の中で、敦子と美幸はお互いの手を強く握り合っていた。
各所に配置される前、教室の中で二人は目で会話をし、そして約束していた。地図上、一番右上のブロックで落ち合おうと。
二人とも初期配置された場所が比較的、約束の場所に近く、他の生徒の目にも触れなかったのは僥倖だったとしかいいようがない。
闇の中で無事に再会を果たした二人は、近くの建物の中に逃げ込んだのだ。
家の中は、外見に違わずメルヘンチックな様相を呈していた。その中のベッドの上、二人は並んで腰掛け、手を繋いだまま静かに唇を重ねた。
ゆっくりと、顔を離す。
室内に電気はつけられていなかったが、窓からわずかに差し込んでくる月の光で、何も見えないようなことは無かった。
先ほど二人は、お互いの気持ちを確認しあっていた。
互いが互いを大切に想っている事を、友情以上の感情を抱いていることを。
日常生活でも仲の良い二人は、なんとなくそうなのかもしれないという思いは持っていたものの、口に出すことは無かった。それは、平和な現実があり、楽しい毎日があり、幸せな日がこれから先もずっと続くものと思っていたから。
だが、この非現実的な世界に叩き落されたとき、敦子も美幸も自分の素直な気持ちに心から気がつき、相手に告げたのであった。
「敦子さん……」
ほんのりと上気した美幸の頬。心なしか、瞳も少し潤んでいる。
「うん……」
美幸の気持ちを理解した敦子は頷き、美幸の手を取り導くようにして自分の胸に触れさせた。同時に、空いている手で敦子も美幸の胸に触れる。
高鳴る鼓動。
キスを繰り返しながら、お互いの服を脱がしてゆく。
じれったく、もどかしくも、やがて二人は生まれたままの姿となる。
「綺麗、美幸さん」
「敦子さんも、綺麗」
強く抱きしめあい、まだ未成熟な身体を触れ合わせる。胸と胸が重ねあわされ、形を変える。敏感な先端同士が擦れあうたびに、未知の快感が二人を襲う。
敦子が美幸の唇を奪う。舌を伸ばし、美幸の口内に侵入して中を蹂躙してゆく。注ぎ込まれる唾液を夢中で飲み下しながら、美幸は自分の秘所が、まるでお漏らしをしたかのように濡れそぼっていることを感じていた。
絡み合うようにして、ベッドに倒れこむ。
二人とも初めてであったけれど、ただ本能の赴くままに動けばよかった。互いが互いを想い、相手を気持ちよくさせてあげたいという思いに嘘はなかったから。
時に敦子が上となって美幸の体を貪り、時に美幸が敦子の股間に顔を埋めて蜜を啜る。
一時たりとも無駄にするまいとでもいうように、二人はただひたすらに愛し合った。何度、絶頂を味わっただろうか。
狂った状況が、二人を狂わせるのか。
「ああっ、ダメ、ダメっ、敦子さ……あああぁっっ!!」
快感の果て、達した瞬間に美幸の股間から迸り出る温かな滴を受けながら、敦子もまた果てる。
二人とも理解していた。
自分達が、生き残る可能性などないことを。
だから最期に、最愛の相手と愛し合いたいと願った。
二人が一つとなる影は、哀しくも、美しかった。
☆
静かに、だが確実に時間は流れすぎ、夜が明ける。
結局、ほとんど眠ることなどできずに、乃梨子は朝を迎えた。
これからどうするか、まだ考えはまとまっていない。睡眠はとれていないが、頭の中は意外なほどクリアである。何か、ひょっとしたら良い考えが思い浮かぶかもしれないと、思い始めたその時。
園内に設置されているスピーカーから、リリアンではお馴染みのチャイムの音が鳴り響いた。
『――はい皆さん、おはようございます。朝の六時になりました、朝のお祈りの時間ですよー、なんちゃって』
チャイムの音の残滓が消え去らないうちに、苛立ちをつのらせる、万里矢の声が聞こえてきた。
乃梨子は、ペンと地図を手に万里矢の声に耳を傾ける。
聞きたくは無いが、情報は必要不可欠だ。禁止エリアが分からず、足を踏み入れるなんて間抜けなことにはなりたくない。
『それでは、第一回目の記念すべき放送です。皆さん、ちゃんと聞いてくださいねー』
いいからさっさと言え、と苛々しながら思う。
この万里矢の声は、人の神経を逆撫でする。わざと、そういう人材を持ってきたのではないかと思ってしまう。
いらつく心を抑えながら、乃梨子は地図を睨みつける。
平常心を保たなければ、この先、やっていけないぞと自らに言い聞かせる。
『えー、それじゃあ……』
万里矢の声が、静謐な園内に場違いのように響いてゆく。
『――五時間後に禁止となるエリアは、D-4、G-1、I-8です。さあみなさん、今日も一日、頑張って殺しあってくださいね!』
嫌味なほどの元気さをもって、万里矢の放送は終えた。
一時間後に禁止となるのは、B-10、C-2、H-3。三時間後に禁止となるエリアは、C-7、E-9、J-4。
乃梨子は機械的にメモっていた。
だが脳は、異なることを考えていた。
いや、考えていたというよりは、無意識のうちに色々な思いや気持ちが交錯し、流れすぎていった。ある程度の覚悟はしていたとはいえ、実際に聞いてしまうと衝撃は予想していたよりも大きかった。
「敦子さんと美幸さんが、死んだ……?」
放送で告げられた、事実。
最初の放送では、死亡者なんて出ないのではないかと、希望的な観測も持っていたが、甘かった。
本当に二人は、死んだのだろうか。
実際に瞬間を見たわけでもないし、葬式や告別式に出たわけでもないから、意外なほどに現実感は無かった。
同級生が死ぬということに、乃梨子の優秀な頭脳もうまく機能しなかったが、それもほんの数分のこと。
すぐに乃梨子は、重要なことを悟った。
犠牲者が出たということは即ち、『誰かが』手を下したということ。この、ろくでもないゲームに乗った者がいるということを指し示していた。
誰なのか、全くわからない。
だが、他の全員を信じるという選択肢は、失われた。誰かが分からない以上、自分以外の誰にも可能性はあるということ。
乃梨子はぎゅっと、目を閉じた。
園内の各所で、おそらく乃梨子と同様のことを多くの者が考えたことだろう。
だが、少女達は知らない。
敦子と美幸が、殺しあうことを避けるために、自ら死を選んだことを。美幸のリュックに入っていた毒薬で、二人、心中したということを。
きのこの家の中のベッドの上で、きちんと制服を身につけた少女二人が、抱き合うようにして息を引き取ったということを。
苦しむような劇薬でなかったのか、二人の顔は安らかだった。寝ていると言われれば、そう思えたかもしれない。
儚く美しい、死。
極限下の状況の中、生前いくら仲が良かったとはいえ、二人が心中するなどと考えが及ぶだろうか。
例え、そうかもしれないと思ったところで、確認する術はない。ならば、二人は殺されたのだと考える方が、自分の身を守る上で安全であろう。他の人間は、信用できるか分からない。何しろ、敦子と美幸の二人を葬ったのかもしれないのだから……
互いを大切に思い、激しく愛しあい、そして命を絶った二人の少女。
二人は知らない。
二人の愛が、皆と傷つけあいたくないという願いの末に選択した行為が、この後の悲劇を加速させるということを。
【残り 28人】