鵜沢美冬は戸惑いの表情を浮かべながら、メルヘンメイズへと足を踏み入れていた。最初に美冬が置かれていたのは、ゴーカート乗り場の近くだった。夜の間は動けなかったが、明るくなってから恐る恐る移動を始め、ようやくのことで辿り着いた。
特に意味があって目指していたわけではないが、このテーマパーク内でも最もメルヘンチックで可愛らしい一角、子供や女性に好まれていたエリアで、美冬もなんとなくつられるように、やってきただけだ。
まず出迎えてくれるのが、可愛らしい勇者たち。雪だるまの形をしているが、剣や盾を装備して、凛々しくもどこか抜けている冒険者パーティ。勇者、戦士、僧侶、魔法使いという、非常に分かりやすくバランスも取れている。
本来の愛らしさなら人気も出ただろうし、見ていても心和むだろうが、捨て置かれ、灰色に薄汚れてきた外観は、どこか物悲しい。時間と道具さえあれば、綺麗に磨いてあげたいと思うものの、今はそのような余裕はない。美冬は心の中で雪だるまパーティに謝りながら、中に入っていく。
メルヘンな街並みだが、人気がなければ不気味さばかりが増してくる。
歩きながら、美冬はこれから先のことを考えると憂鬱になる。
正直、自身のおかれた立場について、いまだ完全に理解するに至っていない。いや、分かってはいるのだが、心のどこかで否定している。何せ、今のところ戦闘もないし、他に人も見かけないし、現実感がないのだ。
死ぬかもしれない、ということに対しても同様だった。死にたくはないと思うが、さりとて誰かを殺したいとも思わない。すると、自分はきっとこの"プログラム"では生き残れないのだろうなと予測するが、現実感がないから今一つ恐怖も身近なものにならない。ひょっとして、自分はものすごく図太いか鈍感なのだろうかと、こんな状況にも関わらず、そんなことを考えてしまう。
それでも建物の陰に隠れるなどして、美冬なりに精一杯、努力をして歩いていた。現実感がなくとも、やっぱり死にたくはないという意識が先に立つから。
美冬の手には、支給された武器である特殊警棒が握られている。非常に軽量で、非力な美冬が持ち歩いていても、枷にはならない。とはいっても、そもそも使ったこともないし、喧嘩もしたことないので、どれほど役に立つかは、美冬自身が懐疑的であった。
歩きながら美冬は、一人の同級生のことを思い浮かべる。小笠原祥子、同学年であるけれど、美冬にとって憧れの相手であった。もし、死が免れないものだとしたら、せめて最後に祥子の顔を見たかった。自分の想いを伝えるとか、応えてほしいとか、大それたことは望まない。祥子が気がつかなくてもいいから、遠くからでもその姿を見たかった。
その時、遠くから足音が聞こえてきて、美冬は咄嗟に建物の陰に身を隠した。規則的に響く音を耳にすると、どうやらその相手は、ゆっくりと走っているようだった。音は確実に近づいてくる。美冬が隠れている建物の、すぐ横のストリートを進んでいるようだ。
徐々に近づいてくる足音に、身を硬くする。
足音の主は美冬の存在に気が付いていないようなので、少しだけ顔を出して道の方を見てみると、ちょうど女子生徒が一人、通過するところだった。その横顔を見て、美冬の心臓が跳ねる。
「祥子さん……」
見間違えようない、祥子の美しい横顔。一瞬だったけれど、間違えるわけがない。祥子は少し疲労しているようで、走るといっても勢いはほとんどなく、歩くよりはわずかに速いといった程度で、美冬でも追いつけそうだった。
後を追いかけて話しかけようかどうしようか、迷いながら祥子の後ろ姿を見ていると、美冬のいる場所から通りを挟んで反対側、やや後方で何かが動いた。美冬は見覚えのない女子生徒だったが、その生徒が手にしているものを見て、驚愕する。
黒光りする、細長い物体は、恐らく銃。女子生徒は音もなくストリートに出ると、銃を構えて祥子の背中に狙いを定めた。
祥子の足は鈍く、後ろから狙われていることにも気が付いていない。命中するかは分からないけれど、危険であることに変わりはない。
気がついた時には、美冬は隠れていた建物の陰から飛び出していた。銃を構えている生徒は、祥子を狙うことに集中しているのか、すぐには美冬のことには気が付かなかったが、さすがに近づく前には気づく。
「やめてっ」
美冬は相手を攻撃するつもりはなかった。そもそも、争い事なんて自分に出来るわけがないと思っている。だから、相手と、祥子と間に両手を広げて割って入った。
銃を持つ少女は一瞬、驚いたようだったが、次の瞬間。
破裂音がのどかな街並みに轟いた。
美冬は身体のあらゆる個所に激痛を覚えたと同時に、そのまま後ろに倒れた。倒れた拍子に後頭部を打ちつけるが、もはや頭については、それが痛いのかどうかもよく分からなかった。倒れ、動かぬ体に苦しみながら、気力で首をひねると、祥子の姿がうっすらと見えた。どうやら無事だったらしいと分かり、こんな状況にも関わらずほっとして微笑んだ。
先ほどまでゆっくりとした足取りだった祥子だが、慌てて角を曲がって逃げていく。流れるようなしなやかな髪の毛、翻るスカート、全てのものが美しく見える。去り際の横顔は、美冬に向けられていたように思う。もちろん、ただの希望であり、そんな事実はないのかもしれないが、最期くらい、そう思ってもよいではないか。美冬が死ぬ時、祥子が看取ってくれたと思ったって。
そんな美冬のすぐ横に、女子生徒が立った。顔は見えない。誰だろう。美冬は考えるが、考えることも面倒くさくなってきた。
残念だけど、満足して死ねる。
祥子を守って死ねるのだから。
だけど、願わくは。
次に生まれてきたときは、きちんと、想いを言葉で伝えたい――
【残り 26人】
美冬の亡骸を見下ろし、手にした銃を見下ろす。
込み上げてくる吐き気を必死にこらえ、高城典は自らが行ったことを心に刻み込む。人を一人、殺したのだ。
典は死にたくなかった。生きてやりたいことが山ほどあった。ここで死んだら人生、未練だらけだ。
"プログラム"に参加させられた以上、生きて帰るには勝つしかない。人を殺すなんてもちろん、嫌だけれど、勝つためには、生きるためには殺すしかないのだ。 例え勝ち残っても、その人の心は壊れ、狂ってしまうことも多いと聞く。当たり前だ、自分の親しい人を自ら殺し、仲間同士が殺し合うのを見届ける、狂気のような数日間を過ごすのだから。
だが典は、そうなっても勝ち残ると決めた。
支給された武器を見て、生きてやりたいことを考えて、自分の意志を決めた。
典が手に入れたのは散弾銃だった。この戦いにおいて、相当、上位に位置する武器であると予想した。
素人の女子高校生同士の戦い、単なる拳銃では、命中率などたかがしれているはず。だが、散弾銃であれば、本人の腕が劣ろうとも命中する確度は飛躍的に上がる。そして当たりさえすれば、戦いは決着するだろう。何せ単なる女子高校生、怪我して動けなくなれば、もはやどうしようもないだろうから。
道に広がっている、赤黒い液体を見て、匂いを嗅ぎ、心に焼き付ける。勝ち残るのであれば、生き残るのであれば、これから先に幾らでも見ることになるのだから。
周囲を見回し、美冬が落とした特殊警棒を拾う。近接戦闘になったとき、散弾銃では抗えないかもしれないが、警棒ならそれを補える。
さらに、美冬が残していたリュックから水を取り出して自分のリュックに入れる。食料はともかく、水はあって困ることはない。重量も、まだ許容範囲だった。
震えそうになる手に力を込め、銃を担ぎ直す。
これから先、寝る度に悪夢にうなされるかもしれない。しかし、すべては自分が選んだこと。すでに壁は壊してしまった。あとは進むしかないのだ、例えこの先、どれほどの悪夢と恐怖が待ち構えていようとも。
「……ふ、恐ろしい悪夢に比べれば、現在の恐怖の方がまだまし……なのかしら?」
自嘲するように呟く典。
そもそも、今日の夜、眠れるかどうかですら、あやしい身だというのに。
「今は、生き残ることだけを考えるのよ」
自分に言い聞かせるように口に出し、典は歩き始めた。
物言わぬ亡骸だけが、無言で見送っていた。
☆
モニタールームで、万里矢は顎に拳をあてて、戦況を見つめていた。
戦闘を開始したのが0時からで、間もなく12時間が経過しようというところで、死亡者は4人。悪いペースではないが、もう1人くらいは死ぬかと思っていた。単純計算であれば、あと6倍の時間があるので24人が死亡して残りは6人。ちょっと多い。
それでもまあ、よしとしよう。リリアンなんていうお嬢様学校だから、最悪、殺し合いすら始まらないのではという危惧も抱いていたのだ。だが始まってみれば、ちゃんとみんな、殺し合いが出来るではないか。
2人は自殺だが、2人は確実に、生徒同士の殺し合いだ。最初の2人は自殺だから、ファースト・ヒットは軽部逸絵ということになる。少し意外ではあったが、陸上部で運動神経もよく、性格も強気で少々攻撃的ということで、それなりに人気は集めている。ファースト・ヒットを見事に的中させた客も喜んでいる。
当然のように、"プログラム"では賭けがされていた。それも、驚くほど高額の金額が賭けられている。今回の対象がリリアン女学園ということで、観客の入りも、お金の出具合も、非常に好調だ。
人気が高いのは、前三薔薇である水野蓉子、鳥居江利子、佐藤聖の3人。総合力で他の生徒を上回るという予想が多く出ている。運動神経だけに着目すれば、おそらく支倉令が頭一つ抜けているが、令は性格が優しすぎて向いていないだろうと、前述した3人よりは人気で劣る。むしろ、細川可南子の方が、このようなゲームには向いているのではないかと人気を集めている。恵まれた体格に運動神経、そして少し危険な兆候を持つ性格。おまけにゲーム開始して判明した可南子の武器はH&K UMP。武器の中でも『当たり』といっていいだろう。
このようなゲームでは、単に腕っ節や運動神経に秀でていればよいというものではない。むしろ頭の良さ、冷静な判断力、精神的なタフさが求められる。
そういった意味では、高校からリリアンに入ってきた、外の世界を知っている細川可南子、そして二条乃梨子は人気が高い。
続くのは、小笠原祥子。今回の"プログラム"内の目玉の一人でもある、小笠原家の一人娘。
頭もよく、運動神経もそれなり、だが果たして極限下の状況で、どれだけやれるかという疑問もあるが、小笠原家の娘として死ぬわけにはいかない、負けるわけにはいかないというプライドの高さが買われている。
そして、やはり運動部員である田沼ちさとや桂も、そこそこの人気を集めている。
ダークホースは有馬菜々。
唯一、中等部からのゲスト参加で、潜在能力はあるが果たしてどこまで太刀打ちできるか。だが、年下という点が有利に働くかもしれない。
人気薄なのは、由乃や真美といった、やはり体力もなく、非力な者たち。いくら精神力が大事とはいっても、そもそもの体力がなくては勝つどころか動くことがままならなくなる。そう言った意味で、2年生は比較的オッズが低いのだが、オッズを裏切るように今のところ2年生で死者は出ていない。
3年生、1年生で2人ずつ、それも殺されたのはいずれも3年生で、殺したのは2年生。このまま推移することはないだろうが、なかなかに楽しい出足にはなった。
モニターには、生徒たちの居場所が示されている。首輪には、各生徒を判別するため、個々に異なる信号を持っている。
地図を見ると、大体の生徒が各所に点在しているのが分かる。初期配置をバラバラにしたのは、不安をあおるため、そして最初から集団行動を取らないようにするためだ。こうして見てみれば、せいぜい二人組で行動しているのが見られるだけで、あとは単独行動である。
チーム戦になるのも面白いが、個人ごとに様々に工夫して戦い合うのもまた観ていて楽しい。
万里矢の仕事は、基本的には生徒のモニタリングと、放送による情報提供ではあるが、状況によっては戦況に手を出すこともある。それは、ゲストたちを楽しませるために必要だと判断したら、行われる。ただ、ゲスト達は大金を賭けていることもあり、基本的には成行きに任せる。手を出すことにより、流れが変わって怒るゲストもいるからだ。
今回は大物、VIPも多く参加していることもあり、あまりに退屈な展開になるようだったら、少しはいじらないといけないかと思っていたが、それはなさそうだった。『全員で仲良くタイムオーバー待ち』なんて結末は起こさないようにと釘を刺され、その結末に対するオッズも出されていない。戦わせることが、今回は求められている。
特製のビタミンドリンクを口に含み、にっこりと笑う。
「万里矢さん、G-6で接触がありそうです」
スタッフの一人に声をかけられ、モニターに目を転じる。
園内各所にはカメラが設置され、プレイヤー達の様子をとらえている。無論、広大な園内を全てカバーし切れるわけもなく、実は園内に専門のカメラスタッフも潜伏している。軍事訓練を受けており、まず一般人から気付かれることはない。さらに、飛行船による空中からの監視もあり、可能な範囲で生徒達の戦闘をゲストにお届けするようにしている。
「さてさて、誰かしら。いい映像、期待しているわよ」
艶めかしい舌で唇を舐め、万里矢は食い入るようにモニターを見つめるのであった。
【残り 26人】