<旋風編>
今日は桂さんとのデート。映画を観て、お茶して、ウィンドウショッピングをしてと、何の変哲もない普通のデートだったけれど、つまらないなんてことは全然なくて。
桂さんはよく喋るし、よく笑うし、明るいし、ちょっとおっちょこちょいだけどそこがまた可愛い。特別に美人というわけではないし、人目をひくほど可憐というわけでもない。でも、一緒にいるとその雰囲気に包まれてあたたかくなる。いつの間にか、彼女の笑顔につられるように笑っている自分がいる。
そんな良い雰囲気のデートであったが、祐麒はどうしても気になることがあった。
今日こそは、聞かなくてはならない。決意して家を出たはずなのに、なかなか言い出せないまま今に至っている。
これではいかん、と、祐麒は頭を振ると、ごくりと唾を飲み込んで、ついに切り出すことにした。
「か、桂さんっ」
「ん、なあに?」
桂さんは無邪気な笑みを浮かべながら、聞き返してくる。
胸が痛むのを感じながらも、祐麒は言葉を続ける。ここで聞かなければ、心が痛むどころか、物理的に体を痛める可能性だって高いかもしれないのだから。
「……あのさ、桂さんのお父さんって、ど、どんな仕事しているの?」
聞いた。聞いたぞ!
しかも直球に。
しかし、桂さんはにこやかにこう答えた。
「どんなって、普通のサラリーマンだよ」
いやいやいや、それはありえんだろう?!そう言いたいのをぐっとこらえて、祐麒は違う角度から攻めてみる。
「そ、そうなの?それにしては随分と立派なお家だよね」
「あ、あれはおじいちゃんの家だから」
「そ、そうなんだ。でもそれって結局、お父さんの家ってことじゃないの?」
「ううん、お父さんはね、勘当状態なの。というか、お母さんがおじいちゃんの子なんだけれど、海外赴任のお父さんと一緒にシンガポールの方にいるの」
「えっ、そ、そうなのっ?!」
「うん、おじいちゃんは跡を継がせたかったらしいんだけど、お父さんはそれが嫌で、今の会社で海外赴任になったのをいいことに、お母さんと一緒に向こうにいついちゃって。あたしも向こうにって言われたんだけど、あたしは日本の方が良かったから残ってるの」
「跡を継ぐのが嫌って……お、おじいさまはどのようなお仕事を?」
生暖かい汗が背中を伝い落ちる。
桂さんは短い髪の毛をふわりと揺らしながら、答える。
「うーんとね、貿易関係の会社らしいよ」
「らしい、って?」
「なんかね、仕事のこととかあまり詳しく教えてくれないの。嫌よね、いつまでもあたしのこと子供扱いしているんだから」
口を尖らしている桂さんはとっても可愛いのだけど、そんなことを暢気に考えている場合ではなかった。どうも、やはり想像していた通りだ。はっきりとしたことは出ていないが、限りなく黒に近い灰色といったところか。
そもそも貿易って、一体何を輸出しているんですか?それとも輸入しているのでしょうか。ブツですか、それとも人でしょうか。孫に言えないような貿易の仕事とは、どのようなものなのでしょうか。
「おじいちゃんはいずれ、私のお婿さんに跡を継がせたいみたいだけど、全く」
「は、ははは」
それなら自分も跡を継ぎたくないなと思った。どんな会社なのか実体は見えないけれど、どう考えたところで嫌な想像が頭の中から消えてくれない。
「ええとじゃあ、あのこの前の……マサさん、だっけ?あの人は?」
「会社の社員よ。なんかねえ、おじいちゃんの会社には社員寮がないらしくて、多くの人が社員寮代わりにおじいちゃんの家に住み込みで働いているの。だから、あたしも小さい頃から知っている人ばかりで、マサさんにもよく遊んでもらったりしたなあ」
「こ、恐そうに見えたけどね、あはは」
「見た目で損しているのよねえ。すっごい優しい人なんだよ」
きっとそれは桂さんに対してだけではないだろうかと思ったが、黙っていることにした。幼い頃からあんな人達に囲まれて育ったのでは、それが普通と感じてしまうのかもしれない。
「じゃ、じゃあ桂さんて社長令嬢……じゃないにしても、社長のお孫さんなんだ。お嬢様なんだね」
「やだなー、やめてよ。そんな柄じゃないし、ちょっと前まではお父さんたちと一緒に3LDKのマンション住まいの、ごく普通の家で育ってきたんだから」
「いやあ、そうなのかなー。あはははは」
もはや乾いた笑いしか出てこなかった。
駄目だ、桂さんは可愛いけれど、やっぱりこれ以上深入りするのは危険すぎる。ここは少しずつ距離を置いていって、単なるお友達レベルでとどまるようにしよう。いや、ことによっては縁を切ったほうがいいかもしれない。
「そうだ、祐麒くん今度うちに遊びに来ない?おじいちゃんにも一度……きゃっ?!」
お喋りに夢中になっていたせいか、桂さんは前方から歩いてきた人にぶつかってしまった。
「あわわ、ご、ごめんなさい」
「……ごめんなさいですんだら、警察はいらんのじゃよ、お嬢ちゃん」
「ふぇ?」
目の前には、型にはまったようなヤンキーっぽい兄ちゃんが、二人を威嚇するかのように仁王立ちしていた。周りには、取り巻きらしき男たちが数人いて、祐麒たちを逃さないようにしている。
「今の衝撃で、わしの肋骨も何本かイカれてもうたかもしれん。こりゃ、どうにかしてもらわんといかんな」
「ええええええ、そ、そんな、ちょっと体があたっただけじゃないですか」
「なんじゃ、なんか文句でもあるんか、お嬢ちゃん?」
えーと、なんだこの展開は。
いまどき、こんな兄ちゃんたちが存在するのだろうか。声もなく立ち尽くしながら、祐麒はそんなことを思っていた。
「なかなか可愛いお嬢ちゃんじゃないか。なんならこれから、お嬢ちゃんの体で償ってもらってもいいんやけどな」
どこの人間だ。
などと意味なく考えているうちに。
「きゃ、やだ、放してくださいっ」
「暴れても無駄や。これからわしらと白昼のあばんちゅーるといこうやないか」
「やだ、祐麒くん、助けてっ」
そこで我に返った。
そうだ、魂抜けている場合ではなかった。路地裏に連れて行かれそうになっている桂さんと、ヤンキー連中の後を追う。
「待て!」
「あン?なんやねん、兄ちゃん」
睨みをきかせてくるヤンキー軍団(一昔前風)。
でも、ここで逃げるわけにはいかない。桂さんと距離を置こう、なんて考えてもいたけれどこれは話が別。いくらなんでもこの状況で、桂さんを置いては逃げられない。
「か、桂さんの手を放せ、は、放してください」
「なんじゃ、彼女の前で格好いいとこ見せたいのか?だったらもう十分だろ、怪我せんうちにどっか消えとき」
「そうそう、足が震えてるぜ坊や」
「くっ……」
恐くはない。だけど、いくらなんでも多勢に無勢だ。学校で、他の生徒を相手に立ち回っているのとはわけが違う。相手も、怪しげな連中とはいえ喧嘩慣れしていそうだ。
それでも。
「えーい、放せってばこのー。えいっ!」
「イデぇっ?!こ、この女、噛みやがった!」
「ぺっぺっ!うわ、汚な~っ」
「ふざけんな、この女!」
「きゃあっ?!」
桂さんに腕を噛み付かれた男が、忌々しげに桂さんを投げ飛ばした。尻餅をつく桂さん。
それを見て、祐麒のスイッチも入った。
「ふざけんな、お前らっ……!!」
「ぐわっ?!」
集団のうちの一人に殴りかかる。標的は、最初に因縁をつけてきたリーダー格の男。これだけ人数がいるのだ、最初にリーダー格をやっつけでもして相手の意欲を削がない限り、先は見えない。
不意をつかれ、まともに祐麒のタックルを受ける男。
しかし。
「甘いな」
「っ!!」
受け止められ、逆に肘撃ちを背中にくらう。衝撃に、息が詰まった。だけど、倒れるわけにはいかない。祐麒は意地で男の右足を抱きかかえるようにして持ち、そのまま体重を前にかける。
バランスを取って踏ん張ろうとする男だったが、祐麒は自分の体を預けるようにして、もろともに倒れていった。そしてその勢いを利用して、男の鼻っ面に頭突きをくらわせる。男の口から呻き声とともに血が飛び散る。
うまくいった。そのまま男の体から離れて桂さんを連れて逃げようかと思い、身を起こしたとき。
「――ぐっ!!」
近くにいた長身の男の蹴りが入り、祐麒の動きを止める。
「逃がすかよ!」
小太りの男が後ろから祐麒の体を掴み、固定する。動けなくなった祐麒に向かってまた別の男が殴りかかってくる。
懸命に暴れてかろうじて直撃は避けたが、それでも拳がかすめた衝撃で脳が揺れる。踏ん張れたのはそこまでだった。その後はなす術がなく、なんとかガードを固めて致命的な一撃を避けるのが精一杯だった。
「祐麒くんっ!!」
膝を突き、倒れ付して地を舐める祐麒の耳に、桂さんの悲痛な叫び声が飛び込んでくる。
(ああ、情けない……女の子一人守れないのか俺。守れないまでもせめて、逃がすくらいのこと出来ないのかよ……)
自らの無力さが悔しかった。
このままどうなるのか。殴られ、蹴られているのは分かるが、痛覚はすでに麻痺していた。意識が薄れそうになる。でも必死で、抵抗する。意識を失ったら、終わりだ。桂さんはどうなってしまうというのか。少しでも抵抗しているうちは、連中も自分を放っておけないはずだ。ちょっとでも時間を、ちょっとでも隙を見つけて桂さんが逃げられれば……ただそれだけを思い、祐麒は耐える。
「……くそ、よくもやってくれたな」
目を開けると、最初に祐麒が倒したリーダー格の男が、鼻と口から垂れる血を手で拭いながら、祐麒のことを憎々しげに睨んでいた。
「俺が、とどめをさしてやるよ」
「…………くそ……」
言い返そうとしたが、まともに声も出ない。
ここまでか、と祐麒が思いかけたとき。
「お前ら、そこまでにしとけ。ガキの喧嘩にしちゃあ、やりすぎなんじゃないか?」
誰かの声がした。
「な、なんだおっさん?やられたいのか?!さっさとどっか行きやがれ」
「そうもいかないな。うちの大切なお嬢を泣かせた償いは、きっちり取ってもらうぜ」
「ま、マサさんっ?」
そう叫ぶ、桂さんの声が聞こえる。
何が、起こっているというのか。
「わけのわかんないこといいやがって。構わねえ、こんなおっさん一人くらいやっちまっても」
「危ない、マサさんっ!!」
桂さんの悲鳴。
だが。
「うげえっ!!!」
呻き声をあげたのは、マサさんとは異なる男だった。
「誰が、一人だって?」
「ヨ、ヨンハさんっ?!」
「お嬢を泣かセル奴ラ、許さないネ。貴様ラ、万死に値するアルよ」
甲高い、あやしげな日本語を喋る声が、冷たく響き渡る。
それだけではない。
「お、お、俺も、ゆ、許さないんだな。お嬢、やさしい。お嬢、俺、好き。お嬢、いぢめるやつら、俺、つぶすんだな」
「同感だが、殺すなよ。お嬢様はお優しいからな、そんなことをしたらお嬢様が悲しむ。それに、奴らには殺す価値も無い」
「アーノルドさん!左近さんまで?!」
一体、どこの誰が現れたというのか。しかし意識が薄れかけ、目を開けることもままならない祐麒には、何が起きているのかわからなかった。
「こんな連中、俺ひとりでも問題ないんだがな……さ、お嬢はこちらへ。お嬢が見るようなものではありません」
「で、でも、祐麒くんがっ」
「大丈夫です、祐麒さんも一緒です」
力強い何かに引っ張られ、体が宙に浮くのを感じた。
「兄キ、やっちまって、構わないンだロ?」
「ちょ、ちょっとみんな、あの、危ないことはしないで……ね?」
「問題ありません、お嬢様。彼らとは平和的に解決しますから。私もこんな奴らの血で我が斬崖剣を錆びさせる気はありません……もっとも、彼らが平和的解決を望まないのであれば、話はまた別ですが」
「俺、怪我しない。俺、怪我すると、お嬢、泣く。お嬢泣く、俺、悲しい」
「程ほどにしとけよ、お前ら」
なんかとんでもない会話が耳に入ってきているような気がしたが、祐麒はそんなもの聞きたくなかった。だから、今まで我慢していたのをやめて、これ幸いにと気を失うことにした。
その後、ヤンキー連中がどうなったか、祐麒は知らない。
次に目が覚めたのは、体中に伝わる激痛によってだった。
「っ?!イタタタっ!!」
「うわ、だ、駄目だよ祐麒くん、無理しちゃ」
のぞきこむようにして祐麒のことを見ている桂さんの顔があった。
「ごめんなさい、あたしのせいで。でも、ありがとう」
そっと、濡れたハンカチが額に当てられた。ひんやりとした感触が、熱を持った肌に気持ちよかった。
「……でも、良かった。あたし、このまま祐麒くんが目を覚まさなかったらどうしようって……」
目元をこする桂さん。その目は真っ赤で、少し腫れぼったい。泣いていたのか。いや、今もまだ完全に泣き止めず、雫が一滴こぼれおち、祐麒の頬にあたった。
そこでようやく、祐麒は自分が仰向けに寝かされていることがわかった。
(と、いうことは……この、後頭部に感じるやわらかい感触は……)
膝枕をされている、と理解した途端、頭に血が上ってきた。殴られたのとは全く別の理由で、顔が熱を持つ。
「そ、そうだ。なんか、喉、渇いたな」
「あ、それじゃああたし、何か冷たいものでも買ってこようか?」
祐麒はゆっくりと上半身を起こした。桂さんは、祐麒の体を心配しつつも、近くに自動販売機がないか探しに小走りで駆けていった。
桂さんの姿が見えなくなってから、全身を襲う痛みに顔をしかめながら周囲の様子をさぐる。どうやら、どこかの公園の中らしかった。
一体、何がどうなったのだろうか。桂さんに怪我がないところを見ると、なんとか逃げ出せたようだったが、最後の方は記憶があいまいだった。確か、誰か別の人が現れたような記憶はあるのだが……
思い出そうとしていると。
「身体の方は、大丈夫ですか?」
「うわあっ?!」
どこから来たのか、ガタイのいい男の人がいきなり目の前に姿を現した。
「え、あれ……確か桂さんとこの、ま、マサさん、でしたっけ?」
「はい、覚えていただいて恐縮です」
「いえ、でも、あれ?どうして……」
「申し訳ありませんでしたっ!!」
何かを言う暇もなく、いきなりマサさんは土下座をした。
「ど、どうしたんですか?!俺、謝られるようなことされてませんよ」
「いえ……助けに行くのが遅くなりました」
「―――え」
そこでようやく、助けにきてくれた人が、目の前で頭を下げている人だということを思い出した。
「助けてもらったのに、なんでそんな。むしろこっちがお礼を言わないと」
「違うんです。実は、もっと早くに出て行くこともできたんです……しかし恥ずかしながら、祐麒さんを試していました」
「試す……?」
「はい。あの場面でどうするか。もし、お嬢を放って逃げたら……もう二度と、お嬢には近づかせないつもりでした」
「いや、でも結局おれ、桂さんを守ることも出来なくて……」
「いえ、そんなことはありません!確かに祐麒さんの強さ、見せてもらいました」
そこでガバッと、マサさんは顔を上げた。
「腕っ節の強いやつなら幾らでもいます。しかし今の世の中、若い奴らは心が弱い。すぐに仲間を売り渡したり、自分の安全ばかりを優先する。そんな連中に、お嬢を任せることなどできません。しかし、祐麒さんは違った。大勢の、自身より大柄で力の強そうな奴らに囲まれた状況でも決して臆することなく立ち向かい。自分の身がぼろぼろになっても心折れることなくお嬢の身を気遣い。正直このマサ、そのうち祐麒さんも屈するだろう、お嬢のことを放って自分だけ逃げるだろう、なんて考えていました。だけど最後まで立ち向かっていた。下手すれば無謀と紙一重、しかし今の時代、そこまで出来る男がどれだけいるでしょうかいや殆どいない。お嬢の見る目に間違いは無かった。このマサ、恥じ入るばかりでございます」
一気にまくし立てるマサさん。
「あの、俺はそんなたいしたものじゃ……」
「さすがにヨンハもアーノルドも、あの左近ですら認めました」
そう言われても、祐麒には何がなんだかわからなかった。良い方向なんだか悪い方向なんだか、微妙な方向に進んでいる感じだった。
「祐麒さん、いえ、これからは『若』と呼ばさせていただきます!」
「いや、や、ややややや、それはちょっと」
「お気に召しませんか?それでは『若旦那』の方が?」
「そ、それは本当にやめてください……」
どっちも嫌だったけれど断れる雰囲気でもなくて、どっちかと言われたらまだ前者の方がましのような気がして。
「それでは若、お嬢のことよろしくお頼み申します」
また深々と頭を下げられて。
「畜生、胸が締め付けられるようでさあ。お嬢の膝の上、さぞかし心地よかったことでしょう」
目を潤ませ、鼻をすするマサさん。
しかし、泣きたいのは祐麒の方だった。
今日の行動は、間違っていなかったと自分でも言えるけれど。それ以上に禁断の扉の鍵を開けてしまったことが恐ろしくて。
「今度、組の……いえ、社の者とも是非、会ってやってください」
「あは、あははははは」
もはや進むも暗黒、戻るも地獄といった感じの祐麒は力なく笑うことしかできなくて。
(ごめん父さん。ごめん母さん。ごめん祐巳……)
ベンチの背もたれに体を預けて、つぶやく祐麒。
そんな祐麒を、マサが熱い視線で見つめているのであった。
おしまい