<1>
「克美さん、お願いがあるんですけれど」
「何? スケベなお願いならお断りよ」
眼鏡のレンズをキラリと光らせながら、冷たく言い放つ克美。
「そんな、一言のもとに片づけなくても」
「ということは、そういうお願いだったわけね。まったく、祐麒ときたら何かというとそんなことばかり」
大きくため息をつく克美。ここは、克美の自室。実に珍しく、克美の部屋に招じ入れられたのだ。
どうも今日は、両親と妹が外出しているらしい。
二人きりなのだから、そういう気分になって当然だと思うのだが、克美は堅い。
「いいじゃないですか、こうして二人きりなんですから」
言いながら克美の背後にまわり、そっと抱きしめる。そのまま、ささやかな克美の胸を手のひらで包もうとして。
すぐに手で叩かれた。
「イタタっ、た、叩かなくてもいいじゃないですか」
赤くなった手の甲をさすっていると、体の向きを変えた克美が膝立ちになり、祐麒の頭をつかんだ。
「駄目よ、祐麒は、そういうことをしちゃ駄目なの。していいのは、私だけ」
そして、額に唇を触れさせながら、服の上から胸をさすってくる。くすぐったいような気持ちよさが襲ってくる。
克美は常に、こうしてリードをとり優位性を保ちたがる。
まだ、初めて体を重ねてから三度しかしていないが、それは最初から変わらない。
祐麒の肩に手を置くと、ゆっくりと祐麒の体を床に押し倒していく。
「ちょっと、克美さん、このまま?」
「何よ、祐麒から手を出してきたくせに」
そのまま祐麒のシャツのボタンを一つ、二つと外てくる。
普段は真面目でお堅いだけに、こうした意外な積極性が良い。ギャップ萌えというやつか。
女教師とかの設定ならさらに萌えるかなぁ、などと考えているあたり、祐麒は完全にやられているのであった。
<2>
「祐麒さん……」笙子は、目の前にいる、想い人のことを呼んだ。自分の気持ちを込めて、名前を呼ぶ。
「しょ、笙子ちゃん、なんか今日、雰囲気が違う?」
それはそうだ、今日は勝負の日。家族が出かけていることを伏せて祐麒を家にあげた。そして今、笙子の部屋で二人きり。
ここで決めずにいつ決める。笙子は祐麒の隣にすわり、そっと、身をもたせかける。
「しょ、笙子ちゃんっ?」
無言で、その声に応じるように、祐麒の手に自分の手を静かに重ねる。
祐麒の瞳が笙子をとらえる。どこかまだ、戸惑っているような祐麒の瞳。今ならいける、そう思い、顔を近づける。
しかし、次の瞬間。
「ちょっと、笙子、あんた、何をしているのよっ!?」
「お、お姉ちゃんっ!? な、なんでここにっ」部屋の扉を開けていきなり入ってきたのは、姉の克美だった。
「なんか、嫌な予感がしたのよね。そうしたらやっぱり……祐麒は私の生徒よ、何、人が遅くなるからって部屋にひっぱりこんで」
「遅くなるお姉ちゃんが悪いんでしょう、だから私の部屋で待っててもらっただけじゃない!」
「なら、そんな密着することないでしょう!?」
「あら、なに、お姉ちゃんたらヤキモチ?」
「ばっ……ばかなこと、言わないでよ」わずかに頬を赤くしながらも、否定の言葉を口にする克美。
「そうよね、『ただの』家庭教師と生徒だもんね。真面目なお姉ちゃんが、そんなわけないよね」
姉の真面目さと、妙なプライドの高さを知っている笙子は、わざとらしくそう言ってかすかに笑う。
「じゃあ、私が祐麒さんと何しようと勝手でしょう。祐麒さんは真面目でつまらないお姉ちゃんより、私の方がいいのよ」
しかし克美も、さすがに笙子のこの台詞にはカチンときたようで、たまらずに口を開いた。
「そんなわけないでしょう、先週、私は祐麒にキスされているんだから、笙子が何をしようと関係ないのよもう」
「うそだ! それにそれなら私だって、この前うちにきたときに祐麒さん、キスしてくれたもん! 抱きしめてもくれたし」
「私は胸まで触られたわよ! それに祐麒は眼鏡っ娘萌えなんだから」
「おっぱいだったら私の方がおっきいもん! 眼鏡っ娘って、自分でいわないでよっ」
「ふ、二人とも落ち着いて……」と、祐麒が姉妹の間に割って入ろうとしたところで。
「てゆうか祐麒、あんた、笙子ともキスしたって何それ!? 二股かけていたのっ」
「別にお姉ちゃんとつきあっていたわけじゃないでしょう? ただの家庭教師じゃないの」
「勉強以外にも教えたりすんのよ! って、何言わせるのよ」
「あの、し、姉妹仲良く、ね」
「祐麒!?」
「祐麒さんっ!?」
<3>
「ただいまーっ、あーつかれたーっ」
玄関を開けるなり、そんな言葉が三奈子の口をついて出るけれど。
「おかえりなさい、おかあさん。今日はおかあさんの好きな、とくせーオムライスだよー」
「わーお、やったぁ! うーん、絆ちゃんを見たら元気出てきちゃったー。あー可愛い絆ちゃんっ」
愛娘の頬っぺたにチューする三奈子。娘にも、自分の頬っぺたにキスを要求する。小さな唇が頬に触れると、幸せな気持ちになる。
絆の手を引いてリビングダイニングキッチンに足を踏み入れると、いい匂い。キッチンで祐麒がエプロンをつけて料理中だった。
「お帰り、三奈、ってこら、料理中だからあぶないっ……んっ」
抗議を、口で塞いで封印。祐麒は慌てて三奈子の身体を引き離し、とりあえずコンロの火を止める。そして改めて、お帰りなさいのキス。
「うーん、これで元気ふっかーつ!」と気勢を上げる三奈子。 その様子を見つめていた絆であったが。
「ねえおかあさん。おとうさんとチューすると、元気になるの?」と、前から思っていたであろう疑問を口にする。
「そうだよー、お母さんの元気の素だからね、祐麒くんは」まったく照れもせず、娘の問いに答える三奈子。
それを聞いて絆は首を傾げ、三奈子を見て、祐麒を見る。
「ねえ、おとーさん、おとーさん」
「ん? どうした絆ちゃん」
にこにこと笑いながら、娘の目線に合わせるように腰を曲げる祐麒。
すると、絆は祐麒の頬を手で挟み、「ちゅ」と、可愛らしくキスをしてきた。
「ひ、ひぃぃーーーーーーーーーーっ!!!!!」
ムンクの『叫び』のように絶叫する三奈子。
「……あ、ほんとだ。元気が出るかもー」口を離して、にへら~、と母親似の笑みをこぼす絆。
「き、き、き、絆ちゃんっ! ななななんてことをっ! 祐麒くんの浮気者ーーーーっ!!!」
「馬鹿、三奈、実の娘だろうが」絆を抱っこしながら苦笑する祐麒だが。
「でも、私と祐麒くんの子だから10年後にはきっともっと可愛く、スタイルもよくなって……ああ、実の娘がライバルなんてぇ」
「馬鹿だな、三奈は誰よりも若々しくて魅力的なのに」
「むぅー、じゃあ、そのことをちゃんと言葉じゃなくて行動で証明してね、夜」
「こ、こら、絆ちゃんの前でなんてことを」
ちなみに、さらなるライバルである次女の亜優は、すやすやとお昼寝中なのであった。
<4>
始まりは、罰ゲームだった。中学卒業の仲間内でのパーティ、ゲームで最下位になったことに伴う罰ゲームで、女装をさせられ、街に出させられた。
そこで起きた出来事。ナンパされ、強引に乱暴なことをされそうになり、さっさと男とバラして暴れようとした時、颯爽と助けに現れたのだ。
「はい、ユウキちゃん。喉、乾いたでしょう」
「あ、うん、ありがとう」
差し出された缶の紅茶を受け取る。にこにこと微笑みかけてくるその顔を見ていると、自然と胸の鼓動がはやくなる。
隣にいるのは、祐麒が今、つきあっている相手。そして祐麒はといえば、いまだに女の格好をして、だましていた。
その方面に興味など全くなかったのに、あの日、助けられて「大丈夫?」とやさしく微笑みかけられて、祐麒に不思議な気持ちが生まれたのだ。
相手は一つ年上。モデルかアイドルかと見間違うほどにさわやかで格好いい、美少年。その人の前で、祐麒は女でいることを選んだ。
いくらなんでも正体がバレたら嫌われる。だって相手は、祐麒が女の子だと思っているから付き合っているのだから。
「随分と暑くなってきたね。でも祐麒ちゃん、暑くないの?」
祐麒はひらひら、ふわふわして、布面積の多い服をなるべく着る。やはり、男の肌を見られたらばれるかもしれないと思うから。
「暑くないよ、あたし、寒がりだし肌が弱いから。令さんは暑い? あ、汗、かいてる」
祐麒の彼氏--『支倉 令』は、うっすらと汗を浮かべながらも、それすらさわやかに見える。
ハンカチを取り出して、拭く。その綺麗な首筋や首周りに、おもわず見とれてしまいそうになる。
つきあいはじめて三カ月、まだキスもしていない。キスを許せばさらに先へと進み、そうするとばれてしまうから、出来ない。
それによく考えると、やはり男同士のキスというのはどうなのだろうか。つきあっていながら、その辺にはまだ抵抗感があるのだ。
「ユウキちゃんも汗、少し出ているよ」
「あ、だ、大丈夫だから」
ハンカチを差し出してくる令に、慌ててやんわりと拒否しようとする。しかし。
手首を握られたかと思うと、ごく自然に令の顔が近付いてきて、その唇が、祐麒の唇に重ねられた。
「……ごめん、ユウキちゃんがあまりに可愛すぎて、我慢できなくなっちゃった……イヤ、だった?」
唇を離した令が、少し心配そうに尋ねてくる。
キスされたことを理解して、祐麒は一気に真っ赤になった。そして、ぶんぶんと首を左右に振る。
そうなのだ、嫌じゃなかったのだ。むしろ、嬉しかったというか、ドキドキしたというか。
嬉しさと、この先のことを考えた時の不安。さまざまな感情に困惑する祐麒の、はたして未来は……
<5>
偶然、男たちに襲われかけている女の子を助けた。その子は、お礼がしたいからまた今度、会えないかと言ってきた。
態度を見るに、どうも令のことが気になっているという感じだった。令は自分の外見が女の子を惹きつけるという自覚はあった。
だから、断ろうと思ったのだけど、上目づかいで見つめてくるその子の表情、仕種に、心を奪われ、いつしか会う約束をしていた。
だましていると分かっていたが、それでもその子と会いたくて男の子のふりして会い、とうとう、付き合ってほしいと告白までしてしまった。
驚き、困惑した様子を見せながらも、その子は恥ずかしそうにうなずいてくれた。嬉しかったけれど、罪悪感もある。
付き合い始めて三カ月たった今も、男であるように思わせている。騙しているという心苦しさもあるが、一緒にいる幸せの方が強い。
「はい、ユウキちゃん。喉、乾いたでしょう」自販機で購入した冷たい紅茶を手渡すと、遠慮がちに受け取るユウキ。
控えめで、あまり口数も多くないけれど、とても可愛らしい令の彼女の名は、『福沢 ユウキ』。高校一年生。
女の子らしい、ひらひら、ふわふわとした服を好み、それがまたよく似合っていて、見ているだけで幸せになれる。
対して、令はいつも通り、ラフな格好で、もちろんスカートなどはかない。それどころかサラシを巻いて、胸も隠している。
だって、ユウキが好きになったのは、男としての『支倉 令』だから。
いつまでこの偽りの関係が続くのか。順調に進めば、キスをして、男女の関係を持ちたいと考えるのが普通。だけど、令は実は女なのだ。
深く傷つける前に、別れた方がよい。そうは思うものの、ユウキを前にすると、そんな気持ちは萎えてしまう。
ユウキを見る。可憐な唇が濡れているのは、紅茶を飲んでいたからだろうか。
太陽の光に輝くその可憐な蕾を見ているうちに、いつしか令は引き寄せられるように、ユウキの唇を奪っていた。
みずみずしく、柔らかで、可愛らしい唇。
ゆっくりと、口を離すと、目をまん丸にして、令のことを見つめている。
「……ごめん、ユウキちゃんがあまりに可愛すぎて、我慢できなくなっちゃった……イヤ、だった?」
ユウキは奥手で恥ずかしがり屋なのか、手をつなぐことも恥じらう。だから、キスなんていきなりすぎたかと不安になったが。
首筋まで真っ赤になって、首を左右に振る。嫌ではない、ということ。ほっ、と安心すると同時に。
(うわ、真っ赤になって、かわいい~~~っ!!)
目をあわせられず、ちらりと上目で見てきて、視線があうと慌ててそらす、そんな小動物のようなユウキが可愛すぎて。
先に不安はあるけれど、やっぱり別れるなんて言えるわけがない、強く思う令なのであった。