"黄薔薇様、熱愛発覚!? お相手は噂のスーパー一年生!?"
"公衆の面前で堂々と愛の接吻"
江利子との騒動の翌日、分かっていたことではあるけれど、通学途中で手渡された『りりあんかわら版』の号外を見て祐麒は絶句する。
仰々しいタイトルと共に写されているのは、祐麒のほっぺにチュウをする江利子の写真。祐麒だって、これが自分だと思わなければ、仲の良い女の子同士がふざけて、あるいは親愛の意味を込めて頬にキスしている綺麗な写真だと感じたかもしれない。
しかし、ハートマークでご丁寧に型抜きされ、それっぽい見出しをつけられると、とてもそうは思えないから不思議である。
書かれている記事の詳細を読めば、入学式の事故の時に助けてもらった江利子が、感謝の気持ちを込めて行ったものだというのが分かるが、ぱっと見ただけでは誤解してしまってもおかしくない。
昨日の写真といい、蔦子の腕はこの時点から確かなようで、今日の『かわら版』を求めて女子生徒が群れをなしているし、それだけでなく昨日の分も増刷してくれという声も出て、新聞部は嬉しい悲鳴をあげているとか。
一応、三奈子から直接取材を受け、どのような記事にするかという大枠は聞いていたのだが、実際に新聞になってみると想像していたよりも遥かに良い(悪い)出来で、リリアンはちょっとしたフィーバーになっていた。
これはまた、祥子に何を言われたものか分かったものでないと、ため息をつく。昨日の『かわら版』だって、目にした祥子が電話してきて、怪我はどうしたのか、大丈夫なのか、信頼できる医者に診てもらったのか、入院しなくて良いのか、等々、凄まじい勢いで聞いてきたのだ。
本来ならすっ飛んでくるところなのだろうが、家の方で用事があり、無理矢理に家に拘束されて来られなかったらしい。果たして、今日はどうなることか。本気で祐麒の身を心配してくれているのは分かるが、少し過保護ではないだろうかとも思う。
今回の記事では、また異なる意味で危険を感じ、心配してくるだろうことは想像に難くなかった。入学早々、とんでもないことになってしまったと肩を落とす。正体がばれたら破滅という身で、目立つというのは、致命傷になりかねないのだから。
「あ~あ、なんでこんなことに」
「祐紀ちゃん、元気出して。こういうのって一時的には盛り上がるけれど、いつまでも続くわけじゃないよ、うん」
「ありがと、桂ちゃん」
下駄箱で上履きに履き替えながら、桂が笑顔で慰めてくれるのが救いだった。本当に、寮の同室が桂で、尚且つ同じクラスというのは不幸中の幸いだった。祐巳が一緒にいてくれたら、ここまで苦労することはなかったかもしれないのに、なんて考えたところでふと思う。
桂は中等部からの繰り上がりである。ならば、もしかしたら知っているのではないか。
「えーと、あの、桂ちゃんさ、ちょっと変なこと訊くかもしれないんだけど」
「ん、なに?」
「福沢祐巳って生徒、知らない?」
「福沢祐巳さん? 祐紀ちゃんの親戚か何か?」
「まあ、そんなところ。リリアンに居なかったかなぁと思って」
「うーん」
下駄箱から校舎内に入り、廊下を歩きながら考える桂だが、それでも歩みは結構速く、全般的におっとりしている生徒達と比較しても並んで歩きやすい。この辺も、桂と友達になれて良かったと思うポイントだ。なんだかんだいって、男としての歩きかた、速度に体が慣れてしまっているから。
「あたしも生徒全員覚えているってわけじゃないけど、昔からリリアンにいる同い年の子なら大体名前は知っているから、いれば覚えていると思うけれど、ちょっと記憶にないかも。同い年、なんだよね?」
「あ、うん、別に分からないならいいって。もしかしたら記憶違いかもしれないし、確かそうじゃなかったかなぁ、程度で。あまり親戚づきあいも深くないから」
あまり桂を困らせても申し訳ないので、曖昧に誤魔化して話を打ち切る。小笠原家が祐麒の家族を探して見つからなかったのだ、『この世界』では何らかの事情があっていないのだろう。存在しないとは考えたくないので、少なくとも日本にはいないとか、『福沢』という名前ではいないとか、そういう風に考えたい。
祐麒だって今まで何もしなかったわけではなく、自宅の電話番号にかけてみたり、ネットで検索かけてみたり、幾つか試してみたが全て空振りだったのだ。人に訊いて簡単に分かるくらいなら、苦労はしない。
一年松組の教室に入ると、既に登校してきていたクラスメイト達が祐麒の姿を見て、少しざわめいた。気付かないふりをして席についたが、すぐに席の周囲にクラスメイト達が集まってきて、口々に話しかけてくる。
「ごきげんよう、福沢祐紀さん、ですわよね」
「はじめまして、私、小山田みゆきっていいます」
「あの、号外を見たんですが、あれって祐紀さんですよね」
お嬢様とはいえ高校生の女の子、やっぱり興味津々という感じで訊いてくるが、それでも節度をわきまえているのか強引に聞いてくるような子はいなかった。
女の子をどのようにあしらえば良いのか分からず、なんとなくあやふやに応対していると、桂がやってきて助けてくれた。しかも、かわら版の話からうまいこと話を別の方向に転換し、いつしか今期に始まるドラマの期待度ランキングなんて話で盛り上がり始めた。
ちらりと桂を見ると目が合ったので、感謝の意を込めて軽く会釈すると、ウィンクして応じてくれる。やっぱり可愛いなと思う。
(はぁ……しかし入学したばかりだというのにこの騒ぎ、本当に大変なことになったな。女の子として、男だとバレずに本当にやっていけるんだろうか。あー、不安でしかない、とゆうか、ごたごたに紛れて何か忘れているような気がするんだよな……)
クラスメイト達の会話を聞き流しながら、そんな風に思う。
だが、その忘れていることは意外に早く判明した。
担任の山村先生が教室に入ってきてホームルームを開始し、その中で祐麒はつい、叫びだしそうになってしまった。
「……今日からクラスの一員になる、杏里真由です。よろしくお願いいたします」
それは、リリアンの制服を身に付け、澄ました顔の振りをしつつ、わずかに恥ずかしそうに教室の前で挨拶するアンリの姿だった。
(……わ、忘れてたーーーーーーーーーーーーーっ!!!!?)
思わず頭を抱え、机に伏せる祐麒。
何かを忘れていたと思えばそう、アンリのことだった。確かに、祐麒に従ってリリアンに来ることになると、半ば無理やり祥子に言い含められていたが、色々と準備が必要ということで祐麒とは少し日にちをずらして来ることになっていたのだ。入学式での事故や、その後の『りりあんかわら版』のことですっかり、頭の中から抜け落ちていたのだ。
教室の前方では、山村先生がアンリについて説明をしている。家庭の事情でずっと休学扱いになっていたが、このたび、実に9年ぶりに復学が可能となったこと。皆と同じように授業を受けるし、皆も普段と変わりなく生活するようにとのこと。
普段と変わりなくと言われても、まだ入学して数日しか経っていないわけで、そのくらいの遅れなら祐麒とだって違いがないと思ったが、クラスの多くが中学からの持ち上がりなので、新一年生といえど既にある程度の秩序が出来ているのだと理解する。
しかし、本当に入ってくるとは思わなかったし、まさか祐麒と同じ一年生として入るとは、それこそ考えもしなかった。顔をあげると、アンリと目が合った。
まあ、良い方向に考えるとしよう。祐麒の正体を知っていて、且つ味方である人が同じクラスにいるというのは、実際のところ心強い。さすがに24歳が制服を着て女子高校生というのは多少厳しいものはあるが、アンリは肌も綺麗だし、化粧なしでも全く問題ないし、髪型を変えることで少し幼く見え、大きな違和感はなかった。
休み時間になると、クラスメイト達はアンリのことが気になりつつも、なんとなく遠慮して話しかけられない、という感じで様子見をしていた。24のクラスメイトにいきなり話しかける度胸はなかなか無いようだったし、人見知りしなさそうな桂もさすがに声をかけるのをためらっている。アンリ自身、周囲に壁を作っているようにも見えた(まあ、これは仕方ないと思うが)
そうこうしているうちに時間は過ぎ、放課後となっていた。祐麒は桂と一緒に、寮へと帰ろうかと歩いているところだ。
「そういえば、祐紀ちゃんは部活動とかする?」
「え? あー、今のところはその予定はないかな」
「えー、そうなの、勿体ないよ、頭も良くて運動神経も良いのに。あ、でも、どこの部も取り合いになっちゃうから、その方が逆にいいのかもね」
「あはは……桂ちゃんはどうなの?」
「あたしはね、テニス部に入るんだ。中学の時もテニスだったし、そんなに上手ってわけじゃないけれど、好きだから」
「ふーん、いいね」
と、桂のテニスウェア姿を思い浮かべて、ニヤけそうになるのを堪える。きっと、とても健康的で可愛らしいことだろう。
「祐紀ちゃんも、テニス部とかどう? あ、なんなら見学だけでも」
「い、いやー、運動部はちょっと」
着替えとか諸々あって、確実に無理である。見るだけなら楽しめるが。
「体験入学とかもあるよ、一度体験してみると、楽しさとかもわかるからさ。無理にとは言わないけれど、行ってみない? あ、テニスウェア着るだけでも楽しいよ、って、さすがに体験入学でそれはないか」
「か、桂ちゃん、ええと」
余程テニスが好きなのだろう、随分と祐麒のことを誘ってくれるが、頷くわけにはいかない。半ばふざけ半分、腕を引っ張ろうとする桂に抵抗するようにしていると、不意に桂の手がすっぽ抜け、祐麒の体が後ろに流れる。
「――危ないっ」
「えっ?」
バランスを崩した祐麒の肩を、誰かが支えてくれた。
「……っと、と」
「あ、す、すみません」
「大丈夫ですか? 元気なのはよいですけれど、あまりはしゃぎ過ぎていると、危ないですよ」
「は、はい……っ!?」
謝りつつ振り返ると。
そこには凄い美少女がいた。
お尻まで届く少し砂色がかった長い髪はサラサラという音が聞こえてきそうなほど流麗、大きな瞳は慈愛に満ち、優しさが表情から溢れ出ている、掛け値なしの美少女。
「あ、あの、すみません、ご迷惑をおかけして……って、と、わっ」
「あ」
せっかく支えてもらったというのに、突然の美少女の出現に慌てた祐麒は、慣れないリリアン指定のシューズということもあり、一人でバランスを崩しその場にぺたんと尻餅をついてしまった。
「まあ、大丈夫?」
女子生徒が身を屈め、祐麒の顔を覗き込むようにしながら手を差し出してくる。祐麒は羞恥と、そして何とも言えない感情により一気に顔が熱くなるのを感じた。桂も、呆然と女子生徒のことを見ているから、おそらく彼女のことは知らないのだろう。
「す、すみません、大丈夫です、自分がドジなだけなんで、そんな綺麗なお手をわずらわせるわけにはっ」
人は、あまりに美少女を前にすると、訳が分からなくなるらしい。いや、単に美少女というなら祥子も絶世の美少女なのだが、目の前の女子生徒は祥子とはまた異なった輝きを放っているように感じるのだ。
「そんな遠慮しなくていいのよ? ほら、つかまって」
「――――は、はい」
にっこりと笑顔で言われては、断ることも出来ない。
差し出された手を握り、立ち上がろうとしたところで、遠くの方から女子生徒の声が上がるのが耳に届いた。
「な、何か悲鳴みたいのが聞こえなかった?」
「うん、なんだろう……」
桂も戸惑いつつ、声のした方になんとなく顔を向ける。
"……変質者!"
"痴漢…………っ!!"
そんな言葉が聞こえてきた。
「え、やだ、変質者が出たのかな?」
「リリアンの警備はかなり厚いはずだけど……」
しかし、騒ぎの声は更に大きくなり、随分と混乱が広がっているように見えた。リリアンの女子は祐麒が知っているだけでも美少女が多く、非常にレベルが高く、おまけにお嬢様でもあるので、色々と興味を持たれ邪な気持ちを持っている輩が多いのは事実だが、それだけに警備も万全のはずだった。それをかいくぐって学校の中にまで入り込んでくるとは、相当気合いの入っている変質者か。
「――――誰か捕まえて!」
「女装して侵入してきているなんて、とんでもない変質者よ!!」
「「――っ!?」」
その言葉を聞いて、思わずギクリとして身を震わせてしまう祐麒。
「「――――ん?」」
正面に佇んでいた女子生徒もなぜか同じような反応をして、思わず互いに顔を見合わせてしまう。
一瞬、何だろうかと不思議に思ったものの、事態はそんな猶予を許さない。騒ぎは更に大きくなっている。どうやら、正体がバレた変質者が逃げようとしているのか、それともヤケになって暴れているのか、とにかく騒ぎは大きくなっている。
視線を向けると、分かりづらいが随分とゴツイ体格をした制服姿の人影が見え、おそらくソイツが変質者と思える。近くで見れば分かりやすいのだろうが、ぱっと見には制服を身に付けていることもあり分かりづらいのだろう、他の女子生徒も困惑しているようだ。
そして、そんな女子生徒の一人に向かって、変質者の手が伸びた。
「あ、危ないっ!」
叫ぶが、距離が遠すぎる。それでもどうにかしなければと、駆け出そうとしたその直前、颯爽と飛び出してきた人影。
「女の敵はてめぇかオラ、変質者なんて人間のクズ、このあたしが大地の藻屑にして、モ、モ、モグルに送ってくれるわ!!」
アンリだった。
飛び出した勢いもそのまま、襲われかけた女子生徒を庇うように前に出て、綺麗な蹴りを放つ。
しかし変質者も格闘の心得でもあるのか、素早く腕でガードする。
「甘ぇぇっ!!!」
蹴りの軌道が変わり、振り下ろされた足がガードをすり抜けるようにして変質者の首筋にヒットする。しかも、女性で蹴りに重さが足りないことを自覚しているのか、リリアンのバレエシューズ風の革靴のつま先をピンポイントで突き刺すようにしている。
たたらを踏んだ変質者に対し、更にキック三連発(ミラージュキック)でよろめいた相手にトーキックジャックナイフをお見舞いした。
「てめぇがあたしの前に立とうなんざ、一世紀は早いんだよ!!」
別に好きでアンリの前に立とうとしたわけではないだろうが、アンリの怒涛の攻撃をくらい、変質者は崩れ落ちた。
それにしても見事だ。そして見事なパステルブルーだった。どうやらアンリは、パステル系が好きらしい。
アンリの活躍と下着に目を奪われていたせいであろう、祐麒の注意力も散漫になっていて、誰かが近づいてきたことに気が付かなかった。そして、気が付いた時には手遅れであった。
「……き、君、可愛いね。超、好みだよ」
耳元に生暖かい息と、囁くような声。同時に、悪寒が背中を突き抜ける。
次の瞬間、見知らぬ手が胸をまさぐり、更にお尻を撫でまわしていた。
「うぎゃああああああああああああっ!!?」
生理的な嫌悪感に包まれて、絶叫していた。
「オレは貧乳派だからね!」
更に無い胸を一揉みされ、力が抜けてへたり込む。それでも、どうにか体を捩ってみると、制服を着て鬘をつけている男の姿を見つけた。変質者は一人ではなかったのだ。
もう一人の方が体格もよくて分かりやすく、そちらにばかり目がいっていたが、もう一人の方は比較的細身で、更に鬘で顔を隠すような感じで分かりづらかった。
「捕まってたまるか、うははは」
逃げようとするもう一人の変質者、そいつの前には、先ほど祐麒を助けてくれた女子生徒がいるのみ。
危ないと思った次の瞬間、男の体は宙に舞っていた。
「――――へ?」
そのまま背中から地面に落ちたと思うと、腕を取られうつ伏せに転がされて身動きを封じられていた。動きを封じているのは先ほどの女子生徒だが、正直、何をしたのか全く祐麒には分からなかった。更に女子生徒は、手早く手持ちのハンカチやら何やらで変質者を縛り、完全に動けなくした。
唖然としている祐麒の前に、再び駆け寄ってくる女子生徒。
「大丈夫? ごめんなさい」
「え、ど、どうして謝るんですか? た、助けていただいたのにっ」
「貴女、触られてしまったでしょう? 本当に酷いわね、いたいけな女の子に」
「あ、いや、大丈夫です、はい」
確かに気持ち悪かったが、女の子ではないし。
そしてまたも、彼女の手を借りて助け起こしてもらう。
「だだだ、大丈夫、祐紀ちゃん?」
「あ、うん、大丈夫だよ……っと」
桂が慌てて駆け寄ってきたかと思うと、祐麒の制服の袖をぎゅっと強く握り、潤んだ瞳で見上げてくる。
「ご、ご、ごめんね祐紀ちゃん、あたし、何もできなくて……っ」
「何言っているの、桂ちゃんに何もなくてよかったよ、て、わ、ほら泣かないで」
「あたし、怖くて、動けなくて、うっ、ひっ……」
泣き出してしまった桂を宥めていると、ようやく警備員が駆けてくる姿が見えた。
「ああ、いけない。私、目立つのは苦手なの。申し訳ないけれど、行かせてもらうね」
と、女子生徒が告げる。しかし、逃げたところで既に多くの生徒が目撃しているし、明日はアンリとこの女子生徒の話でまた持ちきりになるだろうことは明白だった。もちろん、祐麒としては嫌がる気持ちも良く分かるので、邪魔するつもりなどない。ただ、二度も助けられて、何もなく済ますというわけにもいかない。
「あ、あのっ!」
去ろうとする女子生徒に声をかけると、彼女は足を止めて祐麒を見た。
「よかったら、名前を教えていただけますか? 助けてもらったのに、まだロクなお礼も言えてないし……」
お願いすると。
女子生徒はにっこりと微笑み、口を開いた。
「――私は三年松組、宮小路瑞穂。それでは、またね」
「あ……」
瑞穂は、それだけ告げて去って行った。
「ふわぁ……す、素敵だねぇ」
桂も、ほわんとした表情で瑞穂を見送る。
「う、うん」
そして祐麒もまた、高鳴る胸を抑えながら見送るのであった。