リリアン女学園に入学して初めての週末、夕食を終え、いまだドキドキの入浴を済ませ、寝るまでの憩いの一時。明日の登校の準備も終え、一人で静かに読書をしていた祐麒はふと立ち上がり、そっと部屋を出た。
人気のない廊下をぺたぺたと歩き、向かう先は女子トイレ。まあ、女子寮だから女子トイレしかないし、男子トイレがあったとしても入ることは出来ないが。抵抗感は拭えないが、個室だから見られる心配もないし、仕方がないと割り切る。
トイレの前まで来たところで、逆にトイレから出てきた女子生徒と鉢合わせし、軽く会釈して通り過ぎようとすると、「ちょっと待って、貴女」と何故か呼び止められた。
誰だと思って立ち止まり顔を見ると、見覚えのある美少女。
「やっと見つかった」
「あ、えと、江利子さま……」
現・黄薔薇さまである江利子が立っていた。
「同じ寮内だからいつでも会えると思っていたけれど、意外と機会って無いものね。それに貴女いつも桂ちゃんと一緒にいるから、なかなか一人にならないし」
「あの、な、何か御用で」
あまり印象だけで言ってはよくないとは思うが、どうも江利子に対しては、あまりかかわらない方が良いのではという勘が働きかけてくる。しかしだからといって先輩である江利子を無碍に扱うことも出来ず、なんとか無難にやり過ごせないものかと思う。
「祐紀ちゃんと仲良くなりたいと思っていたのよ。駄目かしら」
「そ、そういうわけではないですが、一年生ですし、恐れ多いといいますか」
「そんなこと気にしなくていいのよ、何せ恩人ですもの」
助けたこと自体は後悔していないどころか良くやったと我ながら思うが、後のことまで考えられていたわけではない。あまり、多くの人と親しくなるのは危険性が増すだけなので避けたいのだが。
「……それとも、私なんかと仲良くするのは、迷惑かしら?」
「そ、そんなんじゃあ、ないです」
「じゃあ、別にいいじゃない」
体を寄せてくる江利子。
リリアンの制服は体型が分かりづらいのだが、今は寮内なので私服となっており、服の上からでもその胸の大きさがよく分かる。そんな江利子がにじりよってくるのだから、祐麒としてはたまったものではない。
胸から逃げるように後退してトイレに足を踏み入れるが、江利子も追いかけてくる。
「待って、祐紀ちゃんってば」
突き飛ばすわけにもいかず、だかといってあまり体を寄せられても色々と困るし、うだうだとしているうちに江利子が腕を掴んできた。やんわりと離そうとしたがうまくいかず、バランスを崩してそのまま後ろ向きに倒れそうになる。
「――――くっ、あいだっ!!?」
踏ん張ろうとしたものの、後頭部を後ろの壁にぶつけ、お尻から床に落ちていく。体勢を立て直す間もなく、目の前に迫りくる影があり、額に強烈な衝撃がはしった。
「きゃあっ!?」
「あうぅっ!!」
物凄く鈍い音がして、目の前はまさに星が飛び散ったかのようにちかちかとしている。激しい痛みを堪えながら目を開けるが、涙で滲んで視界がぼやける。何度か瞬きを繰り返し、ようやく焦点があってきたところで違和感を覚える。
なぜ視界に祐麒自身の姿が映っているのか。トイレだから鏡があるのはおかしくないが、転んでしゃがみ込んだ体勢で鏡が目の前にあるわけがないし、動きも連動していない。
やがて、目の前で頭をおさえて呻いていた『祐麒』が顔を上げてこちらを見てきて、大きく目を広げた。
「え、ちょ、な、なんで私がいるのっ!?」
その声は間違いなく祐麒自身のものだが、なんだか別人のようにも思える。
「……え……あ、あれ……」
呟いてみてまたびっくり。明らかに祐麒自身の声とは異なる声が口から出たから。
これはなんだ、あれか。入れ替わったというヤツか。
「え、ええええーーーーーーーーーーーっ!!!?」
「ちょ、ちょっと、どういうことよっ!?」
しばらく二人で、驚きに浸る。
なんでこんなことになっているのか、どういうことなのか、本当に祐麒であり江利子なのか、どうすれば戻ることができるのか、ひとしきりその場で混乱する二人。この辺の驚きようは、さすがの江利子といえども祐麒とさして変わらないようだったが、危機感の持ち方という意味では祐麒の方が遥かに高い。
なんたって祐麒の体は男であり、戻ることが出来なければ確実に正体を知られてしまうのだから。いや、江利子が落ち着けばすぐにでも違和感に気が付くかもしれない。男と女の体では大きな違いがあるのだから。現に祐麒も実は先ほどから胸の重みや、自分の腕にあたる自分の胸なんかが気になって仕方ないから。
「と、とにかく少し落ち着きましょうか」
「落ち着いてって、まあそうね……ん」
祐麒の言葉に頷いた江利子だったが、口を閉じた途端に神妙な顔をした。
「ど、どうかしましたか?」
「ああ、うん、ちょっと待って。とりあえず用を足してからでいいかしら」
「ぶっ!?」
江利子の体に入ったことで失念していたが、元々、トイレに行きたくてやってきたのだから、祐麒の体に入った江利子が尿意を催しているのは当たり前のことだった。しかし、それはまずい。
「も、もう少し我慢できませんか? あの、せめて明日の朝くらいまで」
「は? ちょ、そんなの無理だって貴女自身、分かっているでしょう。とにかく、話は用を済ませてからね」
「あ、ちょ、ちょっ」
止める間もなく江利子はトイレの個室に駆け込んだ。
そして数秒の後、個室から悲鳴が轟いた。
頭を抱える祐麒の前で個室の扉が開き、よろよろとふらつきながら江利子が顔を見せる。
「……な、なんか…………は、生えてる…………?」
とにかくまずい状況だった。
他の人がいつやってくるとも分からない状況でもある。ふと目を横に向けると、倒れてぶつかった拍子に用具入れの扉が開きかけていて、中を覗いてみるとちょうど『清掃中』の立札を見つけたので、トイレの前に置いて江利子のもとへと向かう。
江利子は、祐麒の顔を青ざめさせながら何やらぶつぶつと呟いている。
「あ、あの~」
声をかけると。
「――あっ、あなた、ちょ、一体コレはどういうことなのっ!?」
股間のあたりを指差して、目を剥いて問いかけてくる。
「そ、それは、マリアナ海溝よりも深い理由がありまして……」
「そんなありきたりの比喩使われたって誤魔化されないわよ、あなた、お、男の子だったのね!?」
あっさりとばれてしまった。これで人生も終わりかと思ったが、その前に江利子の方が苦しそうに表情を歪める。
「……あれ、もしかしてまだ出してないんですか」
「で、出来るわけないでしょうっ……う、うぅ~っ」
もじもじ体を震わせる江利子。確かに、個室に入ってから数秒の内に出てきたから、用を足す時間なんてなかっただろうけれど。
「あ、あの、俺の体でお漏らしとかやめてくださいよっ?」
「そ、そんなこといっても……ねえ、コレどうやってすればいいの?」
「どうやってって、普通に……」
「普通にって、その普通が分からないんでしょう!? あぁもう、ちょっと手伝ってちょうだい」
「て、手伝うって……わっ」
手を掴まれ、強引に個室の中に引き込まれる。
「と、とにかく、どうにかして頂戴」
「あの、本当にわたしが……?」
「だって、そ、そんなもの、見たり触ったりできるわけないじゃない!」
真っ赤になって手で顔を覆ってしまう江利子。
先日の時は随分と好き勝手なことをしてくれたが、そうはいってもリリアンのお嬢様、さすがに男性の体に対する免疫などはないようだ。
自分の体で漏らされても困るし、祐麒は仕方なく従うことにした。
「それじゃあ、失礼しますね……」
本当は便座に座らせてやれば良いのだが、そうするとやりづらくなってしまうので、立ったまさせることにした。
「とりあえず江利子さまは、服を持っててください、邪魔なので」
部屋着の上着は股間を隠すためにも裾が長いものばかりなので、そのまま用を足そうとすると邪魔にしかならないのだ。江利子は素直に従い、裾を手で持ち上げる。
祐麒はしゃがみ込んでズボンをおろし、続いてパンツも下ろし、自らの性器に手を伸ばした。
「――――っ!」
江利子がびくんと体を震わす。
両手がふさがっているので手で顔を隠すことが出来ず、ぎゅっと目を瞑って顔を横に背けている。
「えと……どうぞ」
「ど、どうぞ、って?」
「そのまま出してください」
「ど、どうやって出せばいいの?」
「どうやってって……た、多分、いつもと同じようにで大丈夫だと」
良く分からないが、おそらく男も女もさして変わらないだろうと思う。しばらく待っていると、先からおしっこが出始める。結構我慢していたので勢いも量もあり、祐麒は性器を持った手で着水地点を調整する。この点、洋式の便器にするときは面倒だ。
「……ふぁ……あ、いやぁ、音が…………」
ようやく出せたことで一安心したかと思いきや、今度は自分が出している音が気になるのか、泣きそうな顔をしてイヤイヤをしている。目は閉じられても、耳をふさぐことは出来ないからだ。
しかし不思議な感じである。自分のモノだから見慣れているけれど、今ソレを掴んでいるのは江利子の細く繊細な指なのだ。
(あ……こ、コレって、俺的には江利子さまに触られている、ってことになるのかな)
思わずそんなことを考えてしまうと、途端に自分のモノを握っているその指がいやらしいもののように思えてくる。女性に性器を触れられるなんて、初めてのことだ。
今は江利子の体に入っていて感覚はないはずなのに、不思議と下腹部あたりが熱を持ったように感じてくる。
「はぁっ……や、やっと終わった……」
江利子が息も絶え絶えといった感じで呟く。見れば、確かに出し終えているようだが。
「……じゃ、じゃあ、出し残しがないようにしますね」
握った手を振る。
普通ならこれで終わりだ。でも、せっかく『江利子』が触ってくれているというのに、終わらせてしまって良いのだろうか。変な気持ちが押し寄せてきて、祐麒は江利子の手で自分の体の性器を握って振りながら軽く動かす。
「あ、あの……ま、まだ?」
「はい、えと、出し残しがあったらパンツに染みがついちゃいますから」
「だ、だけど、な、なんか変な感じが……あっ」
ぶるっと江利子が体を震わせ、腰を引く。
手の中の性器が少し大きくなる。
見上げれば、羞恥に頬を染め、目に涙をためて怯えた小動物のように震える少女の姿。それは自分自身のはずなのに、まるで別の女の子のように見えて祐麒の欲望を煽る。
「ねえっ、あの、も、もうっ」
江利子の声に、焦りの色が濃くなってくる。
祐麒も熱に浮かされたかのように止められない。
その時。
「――清掃中ってなんだこれ、あたし知らないぞ」
トイレの入り口から、そんな声が聞こえてきて動きが止まる。
「……ん、なんだここか? おい、誰かいるのか?」
どうしようかと思う間もなく、個室の扉が開かれた。そういえば、入った時に特に鍵をかけていなかった。
「――――んなっ!?」
扉を開けた人物、アンリは中を見るなり目を真ん丸にした。
そりゃそうだろう、恥ずかしそうに服の裾を持ち上げて、真っ赤になって涙目の『祐麒』がいて、その傍らにしゃがみ込んでその性器を握っている『江利子』がいるのだから。
「お、お、お、おま……おまっ」
「ちちちちち違うんだアンリ、こ、これはっ」
慌てて言い訳をしようと口を開こうとした祐麒だったが。
「な、な、何してんだコラっ!? そ、そ、そういうお世話が必要だったら、まずは、あ、あ、あたしに言えっ!!」
「――――ほぇ?」
赤面しながらそんなことを言うアンリに。
なんか、空気が固まった。
「……入れ替わっちまったってのは、どうやら本当みてぇだな」
その後、アンリと江利子とすったもんだがあったのだが、色々と説明してどうやら納得してくれたようだった。祐麒や祥子しか知らないはずのことを告げることで、アンリも、江利子の体に入っているのが祐麒だと納得してくれたのだ。
またアンリが来たことで、江利子もどうして男の祐麒がリリアン女学園に入学することになったのか、またそれが事実であるということを、とりあえずは納得してくれた。
「と、とにかく。原因は不明だけど、元に戻れるまでアンリもフォローをよろしく。そ、それと江利子さま、俺が男だということはどうか、どうか内密に……」
「言わないわよ。っていうか、もし戻れなかったら変態扱いされるのは私じゃない」
腕を組んでむくれている江利子だったが。 「とはいえ……入れ替わった挙句、実は男の娘でしたなんて……面白いじゃない」
「――――」
早くも立ち直り、不敵な笑みを浮かべる江利子に背筋が寒くなる。なんか、嫌な予感しかしない。
くるりと振り返り、祐麒のことを見つめる江利子。
「ねえ祐紀ちゃん」
「は、はい?」
「祐紀ちゃんも男のコだから、私の体に入ったら女の子の体がどうなっているとか、気になることは沢山あるわよねぇ、きっと?」
「え? い、いやぁ……あの、見ないように注意しますから、本当に!!」
「いいのよ、こういう状況ですもの、不可抗力でしょ。年頃の男のコだったら仕方ないでしょうし。お風呂の時とか着替えの時にちょっと見てしまったり、触ったりするくらいなら許してあげる」
「は、はあ……そ、それはどうも」
「だからね、年頃の女の子が男の子の体に興味を持つことも、許してね?」
「はい、それは……って、え、え、何をするつもりですか?」
「祐紀ちゃんと同じよ。ちょっと見たり触ったり……出したり、ね」
「だだだだだ出すって、ナニをですかっ!?」
「ナニって決まっているじゃない……生理現象は我慢できないもの」
「ああああああの、そそそそそそれって」
ダラダラと汗が滴り落ちる。
「っていうか、今もしたじゃない。おしっこ」
「……あ、あぁ、そうですね……そうか、おしっこ……」
そこまで言って、そうすると自分も江利子の体で用を足すことになるのかと考える。いや、用を足すとなると小だけではない。でも、こんな美少女が……よく言うではないか、『アイドルは○○○なんてしない』って。
「とにかく、無事に戻れるまではお互いの体を満喫……もとい、ばれないように気を付けましょう。あ、私は女の子なんだから、さっき言ったこと以上のことをしちゃダメよ?」
赤くなりながら言う江利子を見て、江利子もやっぱり恥ずかしいのだと理解する。当たり前だ、他人、しかも実は異性であった祐麒に体を奪われているのだ。口では平気そうなことを言っているが、見られたり触られたりしたいわけがない。
「そろそろ消灯時間ね。とりあえずルームメイトや自分に関する最低限の情報交換をしましょう。それで、明日の朝は学校のことについて。時間がないから的確に」
そうして二人は情報交換を行い、それぞれの部屋へと向かった。
「えと、412号室で間違いないよな」
扉の横の表札には間違いなく江利子の名前が書かれており、目的地に辿り着いたことが明確となった。
しかし、棟も違えば階も違うトイレにまで来ていたのはなぜだろうか。白の棟だと図書室があるので、もしかしたらそこに居たのかもしれない。一応、図書室も消灯時間までは自由に出入りすることができる。
「そんなことより、だ」
目の前の扉に意識を集中する。この一週間ほどで、なんとか桂たちとの部屋で過ごす術を身に付けてきたというのに、全く異なる部屋で、異なる相手と、異なる自分として過ごさなくてはならないのだ。緊張するなという方が無理だ。
深呼吸をして、思わずノックしそうになった手をひっこめ、扉を開く。幸い、今日は消灯時間まであと少しなので寝るだけだ。朝は少し早めに起きて着替えてしまおう。
頭の中で色々とシミュレーションして、室内に足を踏み入れる。
「……おかえりなさい。遅かったわね」
同室の女の子の声が耳に入る。
「あ、うん。ちょっと友達と会って、お喋りしていたから」
「――――ふぅん」
冷たい視線、冷たい口調がぶつかってくる。
彼女の名前は内藤克美さん。部屋もクラスも同じで、とても頭が良くて生真面目だというのが江利子からの情報。
更に付け加えるなら。
『私、克美さんに嫌われているかもしれないの。ううん、別に部屋では普通に接しているし、お喋りな子じゃないけれど話せば普通に応じてくれるし。でも、なんていうのかしら。時々、怒ったように睨んできたり、冷たい口調で突き放されたり、そういうことがあるの。もしかしたら、知らないうちに克美さんの気に喰わないことをしているのかも。仲良くなれたらとは思っているのだけれど……』
なんてことも言っていたので、気を付けなければならない。今、睨まれたのも、もしかしたら消灯時間間際になってようやく帰ってきたことを非難しているのかもしれない。
話せることもないので、さっさと着替えて寝ることにする。教えてもらった通りの場所から寝間着を取り出し、引き攣る。聞いてはいたが、江利子は寝るときは基本的にネグリジェということで、手に取ったのはレモンイエローのマキシ丈ネグリジェ。嫌だけれど着ないわけにはいかないので、服を脱ぎにかかる。
「う……おおぉ」
思わず声が出てしまった。
ボタンを外した途端に、まるで自己主張をするかのように胸が飛び出した。ブラジャーを付けているから、あくまで錯覚でしかないはずなのだが、それくらい立派で大きな胸だった。あまり見てはいけないと思いつつ、どうしても目が吸い寄せられてしまう。
つるりとして染みひとつない肌に、盛り上がるような大きな膨らみによってつくられている谷間。
「…………ん?」
ふと、自分以外に視線を感じて振り返ってみると。
「――――っ!!」
首を捻ってそっぽを向く克美の姿。さすがに自分の胸を凝視していては不審がられるかと、慌ててネグリジェを身に付ける。胸が動くと苦しいから寝る時もブラは付けたままだと言われている。胸が大きいというのも大変なようだ。
続いて、克美の方をちらと見ると、克美も寝間着に着替えようとするところで、細く凹凸の少ないラインが目に入る。これまた同室の女性の着替えを見るなんていけないことだが、つい見てしまったのだから仕方がない。
タイミング悪く克美と目が合うが、凄い勢いで目をそらされてしまった。これはいかんと思ったところで、別れる前に江利子に言われたことを思いだす。
『……実は、克美さんと仲良くなろうと思って最近、やり始めたことがあるの』
本当にやらなければならないのだろうか、だが日々の習慣であるならばやらないと逆に疑いを持たれるかもしれない。それに、克美と仲良くなりたいという江利子の思いも無駄にはしたくない。
「あ、あの、克美さん」
意を決し、着替え終えた克美に声をかける。
「え、何?」
恥ずかしいが、恥ずかしがっては駄目だ。ごく当たり前のように言うのだ。
「それじゃあ、寝る前の豊胸マッサージするわね」
どうにか声を震わさずに言うことが出来た。
「――――え、え?」
「失礼します」
克美の背後から抱きしめるようにして手を前に回し、一瞬だけためらってからそっと胸に手を触れる。
「ひぁっ」
甘く可愛らしい悲鳴が克美から漏れる。 克美は胸が小さいことを気にしていて、その悩みの解消とスキンシップを図ることを目的として、夜に豊胸マッサージをしてあげることにしているとか。
恥ずかしいし大変申し訳ないが、これも正体がばれないようにするためだと言い聞かせて続ける。しかし内心では謝るが、役得で嬉しさが発生していることも否定できない。
克美は取り立てて美人というわけではないが、シャープな眼鏡の下にシャープな瞳、小さい鼻に薄い唇、細身の体で、そこはかとない色香がなんとなく感じられる。一般的に人気の出るタイプとはいえないが、祐麒的には結構、好みだったりする。
手の平にふにふにと伝わってくる感触は、確かに江利子と比べれば遥かに落ちる。だが下着をつけていないのか、寝間着越しでも肌感というものが手の平に伝わってきている。
「ど……どうかな、克美さん?」
「……え? あ……う、うん、凄くいい……」
克美のその返事を聞いてほっとする。豊胸マッサージなんて初めてのことだし、果たしてうまくいっているのか分からなかったから。というか、胸を揉むと大きくなるなんて言うのは単なる都市伝説だと思うのだが、胸の小さい女性にとってはそれでも縋りたくなるものなのだろうか。なるべく胸の感触を頭から切り離すよう、そんなことを考えながら無心に手を動かしていると。
「あ、あの、江利子さん」
手に重ねられる、克美の手の平の感触。
「は、はい、何か変な事でもっ?」
「ううん……えと、豊胸マッサージ……私もえ、江利子さんにしてあげてもいいかしら?」
「えっ? え~~、い、いい、のかな?」
マッサージをされる方だとは聞いていないが、断るのも変かと思って頷いてしまった。すると克美はするりと体を反転し、祐麒を見つめてきた。その手は祐麒の手を掴み、自らの胸に導いてきて、再び伝わってくる感触。続いて克美は、おそるおそるといった感じで祐麒の胸に手を伸ばしてきた。
「ふ……あんっ」
触れられた瞬間、思わず、変な声が出てしまった。
「江利子さんの凄い……手の平に乗り切らないくらい……」
下から持ち上げるようにして、たぷたぷと揺らしてくる。そういえば、そもそも江利子はマッサージする必要なんかないくらい大きいのに、そう思って克美を見てみると。
頬を上気させ、うっとりとした瞳で見つめてきて、胸を撫でてきている克美の姿が目に入る。
(あ…………あれぇっ? こ、これってもしかしなくても、克美さんって実は江利子さまのことが大好きなんじゃあ……)
はっきりいって今の克美は恋する乙女の表情をしているとしか見えない。
そう考えると、いつも怒っているように見えるのは単なる照れ隠しか、あるいは好きな人と同じ部屋に居て緊張しているせいか。もしかしたら、他の女子生徒と仲良くしていて嫉妬しているのかもしれない。
「江利子さんの大きくて羨ましい……私も、これくらいあったら……江利子さんは胸が小さい人は、嫌い?」
「そ、そんなこと、ないよ。胸の大きさじゃないし……あ、あん」
もにゅもにゅと動く克美の指が、ネグリジェを通して胸に埋もれてくる。
「立ったままだと疲れるから、座りましょうか」
「う、うん、そうだね……」
二人で互いの胸に手を置いたまま、近くの克美のベッドの上に乗り、向かい合って座って続ける。
「あ、あの……おれ……わ、私は別にマッサージは必要ないんじゃ……ふぁんっ」
「か、形の良い胸を維持するには、マッサージが必要なはずよ」
「そ、そうなの……?」
克美のマッサージは決して力が強いものではなく、撫でるようなものであるのだが、その優しい愛撫がなんともいえないもどかしさを増長させていく。
「え、江利子さ」
「きょ、今日はこのくらいにしておきましょうかっ」
なんだか妙な雰囲気になってきたので、克美が何かを言おうとしてきたが気にせず言葉を被せ、強引に体を離した。
「明日も学校だし、ね」
「そ、そうね」
残念そうな表情をしているように見えるのは、気のせいだろうか。惜しいという気持ちもあるが、さすがに江利子にも克美にも申し訳ないので、理性を動員して誘惑を断ち切り、自分のベッドへとそそくさと逃げ込む。
「じゃあおやすみなさい、克美さん」
「……おやすみなさい」
こうして。
どうにか平和な眠りへと入れることになったのだが。
(…………うわ、胸、重い!? 腕にあたるしっ!?)
慣れない体に、思いがけず眠ることにすら苦労するのであった。
朝、目が覚めたら元の体に戻っていることを期待したが、そう都合よくはいかなかった。やっぱり江利子の体のままで、苦労して着替えて学園に向かう。何が苦労したって、胸が大きすぎてブラジャーがうまく付けられないという事態に陥り、克美に手伝ってもらうという始末だった。その際、克美が鼻血を出していたのは気にしないことにする。
登校する前に祐麒の体に入った江利子と待ち合わせをして、またまた色々と情報交換を行う。
「江利子さま、大丈夫でした?」
「…………男の子って、大変なのね(←赤い顔をしながら)」
「ちょっ!? ななな、何をしたんですかっ」
「べ、別になんでもないわよ。それよりそっちこそ、変なことしてないでしょうね?」
「し、してませんよ?」
「なんか、声が裏返っているんだけど」
「な、何もないですって! 健康そのもので、快食、快眠、快便でしたし!」
「――――」
発言した後で激しく後悔した。
目の前の江利子(自分の顔)が、みるみるうちに朱に染まっていく。
いやだって、生理現象だし仕方ないじゃないですか!
「うふふ……それじゃあ、クラスメイト達の情報交換でもしましょうか?」 「は、はひ」 押し潰されそうなオーラに耐えながら、お互いの情報を教え合うのであった。
しかし、この入れ替わりはどういうことなのだろう。きっと考えたところで『設定だから』とか言われて(誰に?)終わるのだろうが、戻れるのか戻れないのか、戻れるとしたらいつ、どうやって戻れるのかがはっきりしないことには堪ったものではない。
まさか一生、このままでいるというわけでもあるまいに、と考えたところでそんな保証はどこにもないことに気が付く。
万が一、このまま戻れないのだとすると、一生を江利子として女として過ごすことになるのか。となると、結婚なんて絶対に無理。男と結婚なんて不可能。どうせだったら女であることを生かして可愛い女の子と仲良くなって、女の子どうして愛を育んでいく方がましだが、江利子にも家族はいるわけで期待もされているだろうからそうもいかないだろう。
美人で巨乳の女子で嬉しいといっても、それはあくまで一時的なものと分かっていればの話だ。
「うむむむ……」
「どうしたのかしら、今日の江利子さん」
「朝から難しい顔をしているわよね」
「黄薔薇さまとして新たなスタートをきって、やはり色々と悩み事があるのでは」
ずっと考え事をしていたせいか、クラスメイトからもあまり話しかけられることなく無事に午前中の授業を終えた。高校卒業後からタイムスリップしてきているから、授業の内容も特に問題なくついていくことができたし、この辺は感謝である。
お昼になって弁当を食べ終え、それでも色々と考えていたけれど何か結論が出るわけでもなく、さすがに脳みそが疲れてきた。お昼休みの時間もまだあることだし、祐麒は諦めて寝ることにして机に突っ伏した。
「まあ……え、江利子さんがあんな風に寝てしまうなんて」
「よほどお疲れなのね」
「でも、可愛らしい寝顔」
周囲が何やらさわがしい気もするが、気にしすぎていても仕方ないので目を閉じて変なことを考えないようにする。
しかしこうして気が付いたが、胸が邪魔でこの体勢って凄く寝づらい。女の子ってのも大変なんだな、なんて考えながらも、意外とあっさりと眠りに落ちていく。
そして眠りから目が覚めた時。
目を開けるとなぜか桂が見下ろしていた。
「――――桂ちゃん?」
「ん、祐紀ちゃん起きちゃったの?」
声も間違いなく桂のもので、机に突っ伏して寝ていたはずなのに、どうして桂を見上げる格好になっているのか疑問符が浮かぶ。
それに、草木の匂いがやけに強いし、肌にあたる風も感じられ、とても教室内には思えない。
「……あれ?」
ようやく気が付く。どうやら自分の体に戻っているということに。だって、胸がぺったんこになっているから。
「えへへー、気持ちよさそうに寝ていたねー」
にこにこと笑いながら桂が頭を撫でてくれている。気持ちがよく、うっとりとしながら軽く寝返りをうって横になり、再び眠りそうになったところで慌てて目を見開く。
もしかしてもしかしなくても、桂に膝枕をされている。しかもただの膝枕ではない。頬にあたる感触がやたら気持ち良いと思ったら、桂の生太腿に直接、頭が乗っかっているのだ。リリアンのスカートでそんなこと出来るわけなく、なんと桂はスカートを太腿の付け根のあたりギリギリまで捲り上げていた。
そんな状態だから、桂の体の方を向いた祐麒の目には、桂のおパンツが見えてしまった。
「うわわわわわっ!?」
「きゃっ!? ど、どうしたの、祐紀ちゃんっ」
驚いて飛び起きると、桂も驚きながらスカートの裾を直す。
「どうしたって、それはこっちの台詞というか、な、なんでそんな、膝枕をして」
「え? だって祐紀ちゃんがお願いしてきたんじゃない、お昼ご飯食べて眠くなってきちゃったから、膝枕してほしいって。出来れば生足でお願い、って……」
江利子さま、あなた人の体だからってどんだけ変態的要求をするのですかと説教したくなった。これではエロ子さまだ。そして桂も桂で、なんでホイホイと要求を受け入れてしまうのか。素直で良い子なのだろうけれど、色々と心配にもなる。
「あ、あ、ありがと。もう、すっきりしたから」
「そぉ?」
色々と思うところはあるが、戻れたことをよしとしよう。何がきっかけなのかは分からないが、少なくとも戻ることが出来た事実は重要だ。
「え、え~と。あ、そろそろ教室に戻ろうか、時間も、ね」
草木の匂いが強かったのは、裏庭に出ていたからだった。しかし人気のない裏庭で生足膝枕を、しかも別人で男である祐麒の体で頼むとは、何者なんだ江利子は。
「あ、そ、そうだ祐紀ちゃん」
隣にきて手を繋いできた桂が、ほんのり頬を赤らめながら見つめてきて、思わずキュンとなってしまう。やっぱり可愛いのだ。
「な、何?」
「……今夜も、"おっぱいマッサージ"、一緒にやろうね。目指せ、1カップアップ!」
「ずこーーーーーっ!!!!」
「祐紀ちゃん??」
入れ替わったのをいいことに、どれだけセクハラすれば済むのだ。
「いや、あの、実はあのマッサージ、出鱈目らしくて効果ないみたいだって」
「え、えーーっ? そうなの、しゅーん」
がっくり肩を落とす桂。
合法的に桂の胸を揉むチャンスを失くしたわけだが、とてもじゃないが申し訳なくて出来ない。というか、もしもやったら友達として仲良く出来なくなってしまう。
こんな状況にも関わらず、理性を保てた自分に誇りを持つ祐麒。
様々なことが発生し、色々と問題は残されているものの、こうして祐麒にとって激動の四月は過ぎていったのであった。
第一話 おしまい