マリア祭。
それは5月の中旬ごろに行われる山百合会主催の新入生歓迎会イベント。山百合会に正式に所属することになったとはいえ、祐麒はまだ一年生であり歓迎される立場。お手伝いはするが、あくまで主体は二年生、三年生であるのだが。
「ちょっと江利子、さぼってないで仕事してよねー」
「あ、ご、ごめん……えと、聖」
祐麒はまさに主体として準備にとりかかっていた。
何せ、江利子との入れ替わりがいまだに続いているのだから。これでもう五日目だ。前回はすぐに戻ったのに今回は随分と長い。お蔭で気疲ればかりしている。祐麒としては、江利子の体を見たり触ったりしないように気を遣うし、友人づきあいも大変だ。江利子が変なこと(主に桂に対し)をしないか注意する必要もあり、このところ寝不足でもある。
睡眠不足はお肌の大敵だし、ちゃんと睡眠をとるようにと江利子にも言われているのだが、簡単にできるわけもない。
一方で江利子の方は無難に生活しているようだった。この辺はアンリにサポートを依頼しているところも大きいのだろう。祐麒とは異なり、まるで入れ替わりを楽しんでいるかのように生き生きとしている。いや、実際に楽しんでいるのだろう。
この一週間で、女の体での着替えというものにも随分と慣れてきた。初日に江利子に指導され、ブラのつけ方を教わった。自分であんな風に自分の胸を掴んでカップに収めるなんてと思ったが、胸の大きな江利子にとって正しくブラを装着することは重要なのだ。
「ちょっと、職員室に行ってきます」
マリア祭の確認事項を潰し込むために、色々と足を動かす必要もある。薔薇の館に居ると入れ替わりのことが気になるから、外に出られた方が都合良いというのもある。
「ええと……祐紀ちゃんも一緒にきてくれる?」
「はい」
それは江利子も同じことなので、こうして一緒に行動できるよう声をかけるようにしているのだが。
「ちょっと待った、江利子」
「え?」
思いがけず呼び止められ、声の主である聖をみつめる。
「最近さぁ、祐紀ちゃんばっかり連れまわしていない?」
「え、そ、そんなことは……」
「そうですわ、江利子さま。祐紀は私の妹なのです。江利子さまには令がいるではありませんか」
「う……」
確かに、事情もあって江利子と行動することが多かったかもしれないが、まさか聖や祥子に文句を言われるほどだとは思わなかった。
視線を変えれば、令が少しさみしそうな表情をして江利子の様子を窺っていた。姉である江利子は、紅薔薇の蕾の妹である祐紀にばかり声をかけ、妹である令には用を言いつけない。それがどれだけ令を悲しませていたか、自分自身のことでいっぱいいっぱいだった祐麒は気が付けなかった。
「…………れ、令」
「は、はいっ」
声をかけると、ぱあぁっと明るくなる令の表情。
「一緒についてきてくだ……きてくれる?」
「はいっ」
犬だったら間違いなく尻尾をぶんぶん振っている勢いで、令は立ちあがって祐麒のもとに寄ってきた。
由乃は体が弱いので肉体労働をさせるわけにはいかず、そうなるとあとは祐麒にとって上級生になるから言葉づかいに困るのだ。
「……ごめんなさいね」
「え、な、何がですかっ」
薔薇の館を出たところで、謝罪の言葉を口にする。令はとぼけたふりをするが、先ほどの様子を見れば祐麒でも分かる。
「ほら、先ほど私が言われたこと。最近、令のこと……」
「あ、あはは、大丈夫ですよ。それにお姉さまの気持ちも分かりますから。祐紀ちゃん、可愛くてつい構いたくなっちゃうんですよね。気難しい祥子が妹にして、聖さままで祐紀ちゃんには首ったけですからね。祐紀ちゃんも薔薇の館にまだ来始めたばかりで、色々と慣れさせなければっていうのもあるでしょうし」
残念ながらそのような立派なものではない。純粋な思いを口にする令に、なんだか申し訳なくなってくる。それに、祥子に関しては今までの経緯もあるわけだし、聖に関しては玩具にされているだけで、祐麒などたいしたものではないのだ。
久しぶりに姉妹水入らずの時間ということで、終始笑顔でご機嫌な令をつれて用事を済ませ、薔薇の館に戻ろうとしていると。
「あれ……?」
ふと、見慣れた人の姿が薔薇の館の近くを落ち着かない様子でうろうろしているのを見つけた。
「ん、誰かしら」
少し遅れて、浮かれていた令も気が付いた。
祐麒は少し考えた後、問題ないと判断して声をかけることにした。
「……桂ちゃん、薔薇の館に何かご用かしら?」
「ひゃいっ!? え、あ、わわ、江利子さまと令さまっ!?」
振り返ったのは桂。
いきなり登場した江利子と令の姿い驚いているようだが、薔薇の館の近くに居れば不思議でもなんでもないことだ。
「お姉さま、お知り合いですか?」
「え、ええ、寮の子なの。ええと……桂ちゃん、どうしたの。もしかして、祐紀ちゃんに用かしら。なんだったら、呼んできましょうか」
江利子が入っているわけであまり会わせたくはないのだが、わざわざ友人を訪ねてきたのを無碍に断るわけにもいかない。
「あ、いえ、なんでもないです、大丈夫です、はい。し、失礼しますっ!!」
深々とお辞儀をすると、桂は逃げるように去っていってしまった。
「なんだったんでしょうか」
「さあ……」
さすがに理解することが出来ず、祐麒も首を傾げるだけだった。
「ふぅ……」
一日の疲れを落とす入浴時間だが、ここでも祐麒が落ち着くことはない。
周囲の生徒達の裸身を目に入れないようにし、尚且つ男の時は自分の体がバレないように気を付ける。そして今は、江利子の体を見ないよう、そして変に触らないように気を付ける必要がある。
しかし、お風呂に入ることで乳が水に浮くということを知った。はっきりいって、これで意識をするなという方が無理だ。
「うぬぬぬ……」
湯船につかりながら心頭滅却させる。
「――あ、祐紀ちゃんだ」
誰かのその声が耳に届き、浴室の入り口に目を向ければタオルで体を隠した江利子、そして隣にアンリがいた。桂の姿は見えない。
祐麒は浴槽から上がると、洗い場で体を流し始めた江利子の隣に素早く位置取った。江利子もすぐに気が付いたが、ポーカーフェイスを保っている。この辺はさすがというべき点だろうか。
「……まったく、お風呂の時だけはさすがに私もドキドキするわ」
江利子が息を吐き出して肩をすくめる。
「あはは……わ、私もです」
「特に、洗う時がね……って、それは貴方も同じか……」
顔を赤くする江利子。
洗う際には当然手で触れる必要があるからだ。トイレのときは、最低限という感じで済ませることもできるが、汚れを落とすのに適当に済ませるわけにはいかない。
「わ、私の見ている前で、触ったりしないでほしいわ、せめて」
「あ、でも、洗わないと……」
「なら、今日ぐらいは私が洗ってあげるから」
「そんな無茶な。他の人に見られたら変な風に思われますよっ」
「今は人が少ないし、アンリさんも体で隠してくれているから大丈夫よ。ほら、今のうち、じっとしていて」
ここであまり揉めていても仕方がない。祐麒が仕方なく力をぬくと、江利子が膝に手をかけて脚を押し開いた。
――視界に、江利子の美しい裸身と、脚を開いて曝け出された下腹部が映っていた。湯気の下、淡い恥毛、そして女性器が。
「――――ぶはぁっ!!?」
途端、鼻血を大量に噴き出していた。
「ちょ、ゆ、祐紀!?」
「え……あ、ええっ、きゃあっ!?」
倒れかかる体をアンリが受け止め、江利子は一瞬何事が起きたのか分からなかったが、やがて事態を悟ると顔を真っ赤にして慌てて脚を閉じる。
同時に、周囲で悲鳴があがる。
力なく倒れてアンリに抱きかかえられている祐麒、そしてお湯によって薄められているとはいえ広がっている赤い血。騒ぎになるのも当然だった。
「落ち着いてください皆さん、湯あたりして鼻血が出ているだけです。すぐに医務室に運ぶので、開けてください」
アンリの落ち着いた声が、皆を少し安堵させる。
祐麒の体にさりげなくタオルをかけて大事な部分を隠すと、アンリは祐麒を抱きかかえて立ち上がる。先日に引き続いてのお姫様抱っこ、しかも今度は祐麒もアンリもほとんど裸に近い格好である。
またしても『りりあんかわら版』に格好のネタを与えてしまうのかと、茫洋とした意識の中でも祐麒はそんなことを考えてしまうのであった。
倒れたことを幸い、祐麒は一晩を医務室で過ごした。着替えはアンリが取ってきてくれて、看病という名のもとにアンリも付き添ってくれた。しかし、よりにもよってあんなタイミングで戻らなくても良いだろうに、狙っているとしか思えないような感じだ。
医務室で着替えて、朝食をとるために食堂へと向かう。
「祐麒さん、大丈夫なの?」
食堂に入ると、見知った同級生から声をかけられ、それを契機に何人もの人が集まってきて心配そうに祐麒を見つめて取り囲んでくる。
風呂場でいきなり血を出してぶっ倒れたということで、色々と噂も肥大化してしまったようで、随分と迷惑をかけている。申し訳ないと思うと同時に、ここまで心配してくれる寮の皆の心配りが嬉しくもある。
「皆さん、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。あの、単にのぼせて鼻血が出ちゃっただけなんで、あまり大げさに考えないでください。むしろ、恥ずかしいんで」
三奈子や静を始めとする何人かと話しながら食事をとり、食べ終えて部屋に戻ろうとしたところで江利子と鉢合わせになった。周囲を気にして、少し人の目のないところに移動して、改めて向き合う。
「あ……と」
江利子の頬に赤みがさす。
「あ、あの、湯気でけむってたし、その、全然見てませんから」
「でも、鼻血を出して」
「あれは、あの、む、胸は見てしまって……すみません」
頭を下げると、しばらくして江利子は小さく息を吐き出した。
「まあ、入れ替わった時点で見られてしまうのは避けられないことだし、見ても構わないと言ったのも私だし」
「でも、見ないと誓ったのも確かですし」
「これ以上何を言っても、どうしようもないわ。事故だったんだし。それより、今日までに戻ることが出来て良かった、今日はマリア祭だものね」
「あ……そっか」
昨夜からのドタバタですっかり忘れていた。
マリア祭は新入生歓迎のイベントなのだから、元の体に戻っていないとせっかくのイベントも受けられないことになる。
「昨日の今日だし、そもそも新入生歓迎のイベントだし、今日は手伝いはいいから」
「え、でも」
「あれだけ大量の出血をしたんだから、大人しくしてなさい。じゃなきゃ、祥子に言っちゃうわよ」
祥子の名前を出されて、黙る。もしも昨夜のことが祥子の耳に入ったら、それはもう大変なことになるのは目に見えていたから。
「わ、分かりました……」
なので祐麒としては頷くしかなかった。
江利子と別れて部屋に戻ろうとしたところで、離れた場所に桂の姿を見つけた。
「あ、桂ちゃん」
随分と久しぶりに桂とも話すような気がする。祐麒はウキウキとした気分で桂の方に歩み寄る。
「祐紀ちゃん、体の方は大丈夫なの?」
「うん、心配かけてごめん。それより桂ちゃん、今日のマリア祭は一緒に行こうね」
「山百合会のお手伝いはしなくても大丈夫なの?」
「今日は私たちの歓迎イベントだからね、その辺は免除されるんだって」
「そっか……うん、じゃあ一緒に行こう」
桂と一緒に居るとやはり気分が和む。バレたらいけないというのは変わらないのだが、桂の持つ親しみやすさがそれ以上に心を癒してくれるのだ。
しかし久しぶりの桂は、どうも以前と微妙に異なるような気がした。何が、と具体的には言えないのだが、元気さ、明るさ、朗らかさといったものがレベルダウンしている感じだ。テニス部の練習が厳しくて疲れているのかもしれない。
マリア祭、言い返ると『新入生を迎える会』である。
新入生たちは今年度の薔薇様たちからおメダイをいただき、またいくつかの余興が催される。
祐麒たちのクラスは、紅薔薇さまである蓉子からおメダイをもらう列に入っている。江利子や聖だと、なんだか頂くときに悪戯でもされるんじゃないかという懸念があっただけに、ホッとしている。
おメダイをもらう子達は皆、憧れの薔薇様方から直接かけてもらい更に間近でご尊顔を拝謁することができるとあって、誰も彼も興奮気味に思えた。それでも淑女らしく騒いだりしないのはさすがといったところだ。
列も進んでいき、やがて一人の少女が蓉子からおメダイをもらうにあたり、思わず周囲からため息が漏れた。
志摩子だった。
同じクラスであり、いずれ白薔薇様になる志摩子のことは当然、祐麒だって知っている。ただ残念ながらクラス内ではまだ口をきくことすらできていない。
なんというか、美少女すぎて、雰囲気もあって、近寄りがたいように皆思っているようだった。祐麒自身は、志摩子だって普通の女の子と変わりないことを知っているが、今の時点では接点もなく話しかける機会もない。その辺、気にしないで声をかけられるほどの図々しさは持っていなかった。
ふと視線を移せば、聖が何やら志摩子のことを意味ありげに見つめているようにみえたが、すぐに表情を戻してしまったので気のせいだったかもしれない。
志摩子はいずれ白薔薇さまになるわけで、この頃から聖とは何か結びつきのようなものがあったのかもしれない。
そんなこんなのうちに、祐麒の番になった。
足を進めて蓉子の前に立つ。
優しく微笑む蓉子に緊張する。既に山百合会で一緒に活動し始めているとはいえ、蓉子との接点はまだあまり多くはないのだ。
軽く頭を下げておメダイをかけてもらう。
「おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
真正面から見て、改めて美人だと感じる。
山百合会のメンバーは美少女ぞろいだが、蓉子の場合は美人という言葉の方がしっくりくる気がする。同年代の他の女子より少しだけ大人びていて、だけど少女らしさも残していて、憧れる人も多いのが分かる気がする。
「蓉子さまにおメダイいただけて、凄く嬉しいです」
次の人が待っているからさっさと戻らないといけないのに、思わずそんなことを口にしてしまったのは甘えだったかもしれない。蓉子のファンも多いわけだし、あまりそういうことをしてはいけないと心の中で自分を戒め、ふと蓉子を見てみると。
鼻の下に、赤い筋がつと垂れる。
「え……よよ、蓉子さまっ、は、鼻血がっ!?」
「え? え、あらやだ、わ、私ったら」
慌ててハンカチを取り出して押さえる蓉子。
「だ、大丈夫ですか? どこかお体の調子でも悪いのでは」
「な、なんでもないのよ。ごめんなさい祥子、ちょっと……」
と、後ろに控えている祥子に声をかける蓉子だったが。
なぜか後ろの祥子も蓉子と同じようにハンカチで鼻を押さえ、真っ赤にした顔を横に背けていた。
これはもちろん、甘えを見せた祐麒が『えへへ』という感じに照れ笑いをしてみせたせいなのだが、それを目撃したのは目の前にいた蓉子と祥子だけだったので、結局は原因不明のままマリア祭は終わるのであった。
マリア祭を終えると五月は特にイベントもなく、淡々と陽が流れていくわけだが、どうにも不可思議な日々が祐麒にとtぅては続いていた。
何かといえば、桂が妙に余所余所しい気がするのだ。
テニス部の活動が忙しいのかもしれないが、前に比べて態度が素っ気ないというか、スキンシップがない。
あまり激しいものは困るが、桂の無邪気で可愛らしいスキンシップがないと、それはそれで落ち着かないのだ。なんだかんだといいつつ桂の存在は重要で、気の抜けない女子校生活の中での陽だまりみたいなものだった。
もしかしたら入れ替わっているうちに、また江利子が変なことをしたのではないかと疑って問いただしてもみたのだが、江利子は否定した。
「祐紀ちゃんに釘をさされていたし、マリア祭の準備で忙しかったし、慣れない体でもあったし、そんなことしていないわよ」
嘘を言っている様子はなく、だとすると理由が分からない。
一時的なものかとも思っていたが、そんな感じで桂との接触が少ない日が数日ほど続くと気が気でなくなってくる。別に話はするし、聞けば納得のいく理由で忙しいようでもあるし、そういうこともあるのかなと思う。いくら寮生活で同じ部屋といっても、ずっと一緒にいるわけではないのだから。
だが、教室でも話をする機会が減ったというか、二人で行動する機会が減った。おしゃべりも教室移動も、他のクラスメイトをまじえてという感じになっている。
山百合会での活動は続けて参加しており、週末のその日も山百合会の活動があってその帰り道。以前と同じように桂の姿を見かけた。しかも、今回はテニスウェア姿だ。遠目にも可愛らしいと思えるその姿、近くで見たいなと思い、友人であることを良いことに見学でもさせてもらおうか、なんて思っている祐麒だったが。
「え――!?」
またしても、桂に逃げられた。しかも今回は、確実に目があったはずなのに、走って逃げられてしまった。
明らかに避けられている、そう理解した祐麒は激しくショックを受けたまま寮へと足を運んだ。
何か桂に嫌われるようなことをしてしまったのか。知らず知らずのうちに傷つけていたのか。それともまさか男であることがバレたとか、いやいくらなんでもそれはないだろう。様々な嫌な想像が頭の中を巡る。
「――あら、祐紀ちゃん。今、帰り?」
声をかけられて顔をあげると、瑞穂がいた。
「どうかしたの、顔色が悪いし、なんだか足元もおぼつかないようだし」
心配そうに見つめてくる瑞穂。
瑞穂のお世話係になっていることを思い出す。しかし、たいしたことはしていない。それにもかかわらず、相談したいと甘えたくなってくる。
「……私の部屋、行こうか?」
祐麒の顔を見て、瑞穂は何も問いただそうとせず、ただ優しく微笑んでそう言った。
祐麒は自然と頷いていた。
「なるほど、桂ちゃんがねぇ」
瑞穂の部屋に上がらせてもらい、図々しくもお茶までご馳走になって、ようやくのことで桂のことを話すことが出来た。
「正直、何が桂ちゃんを怒らせたか分からないんですよ、はぁ~~っ」
肩を落とし、ため息をつく。
「ん~~」
祐麒の話を聞くと、瑞穂は人差し指を顎にあて、少し上を見るような感じで可愛らしく考える。
「でも、話を聞くと桂ちゃんが怒っているようには聞こえないけれど。お話しもするし、避けられているわけでもないのでしょう」
「だけど、今日のは確実に、こっちを見て逃げるように去って行きましたよ」
「う~ん。ねえ祐紀ちゃん、もう一度詳しく、最初から話してくれる?」
瑞穂にそう言われて、最初に違和感を覚えた日のことから改めて説明していく。一つ一つはたいしたことないように思えるが、幾つも積み重なっていくとダメージも大きい。特に、このリリアンという女だらけの落ち着かない場所で、もっとも祐麒に安心感と安らぎを与えてくれる桂の変化だけに厳しい。
「そっか……ふふ」
ところが、話を聞き終えた瑞穂はなぜか笑っていた。
「ちょ、な、なんで笑うんですか。こっちは本当に困っているのってのにっ」
「祐紀ちゃん」
思わず怒りそうになると、瑞穂はそっと祐麒の側まで寄ってきて、手を取った。柔らかな瑞穂の手に、祐麒の手が包まれる。
「桂ちゃんと話したのかしら? 祐紀ちゃんがどう考えているのか、ちゃんと気持ちを伝えないと。素直に話して桂ちゃんに聞いてみなさい。きっと、悪いことにはならないから」
具体的な根拠を何か示してくれたわけでもないのに、不思議と瑞穂の言葉に祐麒は安心を覚えた。
「わ、分かりました。そうですよね、ちゃんと聞かないと、何が悪いのかも分からないですし、それで悪いことをしていたら謝ります」
「もう、祐紀ちゃんは心配性ね。桂ちゃんが祐紀ちゃんのこと、嫌いになるとでも思っているの?」
「あイタっ」
細い瑞穂の指がOKサインを作ったかと思うと、そのまま指で祐麒の額を弾いた。俗に言う、でこピンというやつだ。
「す、すみません、なんか、いきなり変な悩みを聞いていただいて」
「いいのよ。だって私は祐紀ちゃんと桂ちゃん、二人の『お姉さま』なんだから。可愛い妹たちのためなら、いつでも私は門戸を開いているから」
「はい、ありがとうございますっ!」
元気を取り戻した祐麒は、瑞穂に礼を述べて自分の部屋へと戻る。
尚、そんな祐麒の背中を見送り一人残された部屋の中で。
瑞穂は一人『orz』となる。
「……ふ、二人の『お姉さま』なんだから、って、なんなんだ僕はーーーっ!?」
部屋に戻って着替えているところに、桂が帰ってきた。
「あ、わ」
油断して上半身は下着だけだったので、慌てて両腕で隠す。女の子同士ならあまり気にしないのかもしれないが、何しろ胸が全くないわけだし、細いといっても男の体だとばれないとも限らない。
「あ、ご、ごめんねっ」
すると、なぜか桂も焦った様子を見せ、踵を返そうとする。
いつもだったら全く気にすることなどないはずなのに。
「ま、待って桂ちゃん!」
ここを逃したらマズイと判断し、咄嗟に桂の腕を掴んで引き留める。幸い、三奈子も静もまだ戻ってきていないので部屋には二人しかいない。話をするにはちょうどいい。
「な、何?」
「話があるの……だから、ちょ、ちょっと待ってて」
とはいうものの、下着姿でというわけにはいかないので、急いで服を着る。身だしなみを整えたところで、改めて桂と向かい合う。
「話って、なぁに?」
桂はいつもと変わらないように見えるが、どこか落ち着きがないようにも見える。
「ずばり聞きます。私、何か桂ちゃんを怒らせるようなコトした? 悪かったことがあるなら直すし、桂ちゃんを怒らせたり傷つけていたりしたら謝るから、教えてください」
正座した祐麒は、そのまま床に額をくっつけんばかりに頭を下げた。
「え……ちょ、ちょちょっ、何してるの祐紀ちゃん!? 顔をあげてよっ」
桂が近づいてきて、土下座している祐麒の肩を掴んで体を起こしてくる。
「いったい何事っ? いきなり土下座なんかしてきて」
「えーと、ほら、最近の桂ちゃん私のことを避けていない? それで、なんか桂ちゃんを怒らせるようなことをしちゃったのかと」
「え、祐紀ちゃんが私を怒らせるようなことを? そんなこと、絶対にないよー!」
「でで、でも、桂ちゃん私のことを避けていたよね? 今日だって、ほら」
「あ……そ、それは」
「ねえ、本当のことを言って。自分が悪いことなら」
「だから、そんなことはないの……うぅぅ……」
「じゃあ、どうして?」
祐麒が迫ると、桂は俯いてもじもじしている。口を開こうとしては閉じ、躊躇しているのが分かる。それくらい、言いづらいことなのだろうか。
「…………あ、あのね……祐紀ちゃんは、スターだから」
辛抱強く待ってようやく桂は口を開いたが、その内容が理解できず首を傾げる。
「祐紀ちゃん、入学式に江利子さまを格好よく助け出したじゃない。さらに今度は祥子さまに見初められて紅薔薇の蕾の妹になって、凄く有名なんだよ。山百合会の、薔薇様方の皆さんと一緒にいても全然違和感なくて、むしろそれが初めから決められていたかのように自然に見えるの。山百合会の活動も一生懸命で忙しそうで、夜は疲れているのかすぐ寝ちゃって、お話できないのは寂しかったけど、祐紀ちゃんは山百合会の中でキラキラと輝いて見えて。それでね、私わかったんだ。祐紀ちゃんはスターで特別な女の子なんだって。私みたいな地味で普通の子とは違うんだなって思っちゃって……スターで華やかな人の隣に、私みたいな子は相応しくないかなって思っちゃって」
桂の告白に祐麒は衝撃を受けた。祐麒自身はリリアン育ちでもないし、山百合会メンバーにそのような思いを抱くこともなかったが、桂からすれば違うのだ。そしてこの数日、確かに桂の言うとおり山百合会の活動が忙しかった。体の入れ替わった江利子も言っていた、祐紀に釘もさされたしマリア祭の準備が忙しくもあり、桂とはあまり一緒には居られていないと。
それが桂には、山百合会の活動に打ち込むことが楽しくて、放っておかれたように感じられたのかもしれない。
「ごめんね、寂しいなんて私のただの我が儘なんだけど。祐紀ちゃんに迷惑かけたくないし、同じお部屋で生活できるだけでも喜ばないとね」
「な…………」
「でも、山百合会の皆さんは凄く美人だし、祐紀ちゃんも負けていないくらい可愛いよね。やっぱり凄いよね。私なんか単なる一般人だから、あ、これ別に変な僻みとかじゃないよ? 素直にそう思うだけで」
「そんなことない、桂ちゃんは今まで会った誰よりも可愛いのにっ!!」
「ふえっ!?」
確かに、祥子は超がつく美人だ。今の三薔薇さまはそれぞれタイプの異なる美少女だし、令、由乃が美少女であることも異論ない。だけれども、一番『可愛い』と思えるのは桂だった。その気持ちには、一片の嘘も偽りも存在していない。
「それに、桂ちゃんはリリアンに来て初めての友達で、今までも仲良くしてくれて、これからもずっと仲良くしてほしくて……桂ちゃんは私と友達でいるのは嫌? 違う、私が桂ちゃんにこれからも友達でいて欲しいっ」
「ゆ、祐紀ちゃん……」
「私、嫌だよっ。桂ちゃんが手を繋いでくれなかったり、腕を組んで一緒にトイレに行けなかったり、お喋りできなくなったりしたら、嫌だよっ」
自分の想いを伝える。
リリアンでの女子としての生活、桂がいなければ間違いなく、男とバレないようにひっそりと一人で殻に閉じこもっていた可能性が高い。リスクこそ高いが、学園生活を、寮生活を楽しいと思わせてくれているのは間違いなく桂が友達だからなのだ。
「……ごめんなさい祐紀ちゃん! 本当は私、逃げていただけなの。自分に自信がなくて、祐紀ちゃんみたいな女の子の隣にいていいのかって、自分が逃げているのを祐紀ちゃんのせいにしていた……」
「なんで、桂ちゃんはこんなに可愛いのに」
「祐紀ちゃん、ごめんなさい。私と友達、やめないで」
二人、抱き合う。
思いもかけないところから友情にひびが入るところだったが、どうにかお互いの気持ちのすれ違いは避けられたようだ。良かったと心底思う。
「ただいまーっ、て、あ、お邪魔だった?」
「ふふ……麗しく咲き誇る百合の花……素敵」
またしても都合よくあらわれた三奈子と静に、二人で抱き合っているところを目撃された。真っ赤になって離れる祐麒と桂。
「あはは、何よ今さら、二人が仲良いのは今日に始まったことじゃないでしょう」
「私としてはいつ行為に及ぶか、毎夜息を潜めて楽しみにしているというのに」
「コウイ?」
「ちょ、何言っているんですかお二人ともっ。か、桂ちゃんは気にしないでいいからっ」
途端に騒がしくなるけれど、それで良いのだと思える。
「よぉーっし、今日は久しぶりに一緒にお風呂に入ろうね、祐紀ちゃん」
「うええぇっ!?」
「背中の流しっこもしようか? 祐紀ちゃんのお肌すべすべで素敵なんだよね~」
「あの、か、桂ちゃん」
「それとも、今日はおっぱいも洗いっこしようか?」
「あ、いや、あは、あはは」
仲が良いなら良いで困るけれど、それでもこっちの方が遥かに良いと思う五月の終わりであった。
第二話 おしまい