七月に入り、本格的に暑さが増してきた。かなり我慢してきた祐麒だったが、さすがに耐えきれなくなって夏服に替えた。
リリアンの夏服は、基本的に冬服から生地が薄く軽くなって半袖になるだけなので、露出度は高くないし透ける心配もないのだが、それでも可能な限り露出は少なくなるようにしておきたいのだ。
「はぁ、今日は一人で登校か……」
桂はテニス部の朝練で既に早くから部屋を出ていた。時々あることなのだが、いつも賑やかで楽しい桂が隣にいることに慣れてしまい、いないとやっぱり少しさみしい気分になる。女子校という場所で無事に過ごすことが出来ているのは、なんといっても桂の癒し効果が高いのだ。
「おはよう、祐紀ちゃん。今日は一人なの?」
「あ、おはようございます、瑞穂お姉さま。はい、今日は桂ちゃんが朝練だったので」
挨拶の声をかけてきたのは、祐麒と桂がお世話をしているお姉さま、宮小路瑞穂だった。いつ見ても麗しく、優雅で、非の打ちどころのない女性だと思う。
「良かったら一緒に学校まで行かない?」
「はいっ、もちろん、喜んで」
笑顔で応じ、瑞穂と並んで歩き出す。
「ふふ、今日は私が祐紀ちゃんを独り占めね。祐紀ちゃんはいつも桂ちゃんと一緒だから、嬉しいわ」
「そ、そんな。私なんて」
瑞穂に見つめられ、頬が熱くなる。これは気温のせいに違いないと自分に言い聞かせて、頭をぷるぷると振る。
確かに瑞穂は美人で成績もよくて運動神経も抜群、それでいて優しくて人当たりもよく、後輩の面倒見もよくそれでいて同級生への気配りも欠かさない、それこそ完全無欠のような人だが、それだけに他の女子生徒達からも人気がある。目をかけられているからといって、調子にのってはいけない。あくまで単なる後輩の一人なのだから。
「――ごきげんよう、瑞穂お姉さま。今日も麗しゅうございます」
「ごきげんよう。ありがとうございます」
不意に話しかけてきた女子に、嫋やかに挨拶する瑞穂。
「……あれ、今の方、三年生ですよね」
「そうね」
三年生なのに、同級生の瑞穂を"お姉さま"と呼ぶなんて……と思ったが、そこでようやく思い出した。瑞穂は全生徒の"お姉さま"になったことを。
いや、それだけではない。
「おはよう、祐紀ちゃん。今日も可愛いわね」
「ほえっ? え、あ、あのっ」
「やーん、祐紀ちゃん、本当に可愛いわっ」
「こんな可愛い子が私の妹でもあるなんて、本当に嬉しいですわ」
「あの、祐紀ちゃん、一つお願いがあるのですけれど……わ、私の事、"瑠璃子お姉さま"と呼んでいただけないかしら?」
「え? あ、はあ……ええと、なんでしょうか、るりこお姉さま?」
意味が分からず、とりあえず首を傾げて問いかけるように口を開くと。
目の前の"るりこお姉さま"は、胸の前で拳を握りしめ、顔を紅潮させてくねくねと体を揺らした。
「ああ、胸キュン……」
「あ、あ、ずるいですわ瑠璃子さんだけ。ねえ祐紀ちゃん、私のことも」
「順番です、私のことは出来れば、少し舌足らずな感じで呼んでもらいたいわ」
「私は、上目づかいでっ」
「え、え、え、ななななっ、なんなんですかーーーっ!?」
見ず知らずの先輩方に取り囲まれ、あたふたとする祐麒。
そこへ救いの手を差し伸べてきたのは、やっぱり瑞穂だった。
「皆さん、お気持ちは分かりますけれど、祐紀ちゃんが困っていますよ?」
「あ……ご、ごめんなさい、祐紀ちゃん」
「怖がらせるつもりはなかったの」
瑞穂の言葉で冷静になったのか、少し祐麒から距離を取って頭を下げてくる先輩方。祐麒はいまだに訳が分からず、きょとんとするばかり。
「それではまた、ごきげんよう瑞穂お姉さま、祐紀ちゃん」
「ごきげんよう」
適度に散っていく先輩方。
立ち尽くしている祐麒を見て、微笑み瑞穂。
「皆、祐紀ちゃんのことが大好きなのね」
「か、からかわないでくださいよっ」
恥ずかしさに頬が熱くなる。
「瑞穂お姉さまだって、沢山の方に声を掛けられているじゃないですか」
「そうね……お互い、慣れるまでは大変そうね」
苦笑して肩をすくめる瑞穂を見て、ようやく祐麒も少し笑うことが出来た。
まさか、こんな状況になるなんて思ってもいなかったのだ。
「……ねえ、見て。瑞穂お姉さまと祐紀ちゃんよ」
「エルダーシスターとアドラブルシスターが並んで歩かれているなんて、目の保養ですわ」
「本当、全てを覆い尽くすような包容力をもった瑞穂お姉さま、誰の心も開いてしまうような可憐な祐紀ちゃん、なんて理想的な姉妹なのでしょう」
「こうして遠くから拝見しているだけでも、ご飯何杯でもいけそうですわ」
並んで歩いている二人を見て、そんな会話がそこかしこでかわされているが、『理想の姉と妹』と選ばれた二人ともが"男の娘"であることを知る者はいないのであった。
「ふぅ~~~~っ、大変だったんだから~~~~」
「あははっ、人気者だね祐紀ちゃん」
「もう、笑いごとじゃないから桂ちゃん」
お昼休み、教室から中庭に移動して桂と二人でのランチのとき、朝の登校の時の話をしたら桂に笑われた。
「ごめんごめん。でも、仕方ないよ。だって祐紀ちゃんは、今や全校生徒の可愛い妹なんだから」
玉子焼きを頬張りながら、言い含めるような桂。
「まさか、そんな凄いことになるなんて……」
祐麒は緑茶を口にしつつ、がっくりと肩を落とす。
エルダー選挙で江利子の策謀(?)にて、まさかの『アドラブルシスター』などというものに選出され、休みを挟んでの登校で祐麒は洗礼を浴びたわけである。瑞穂も『エルダーシスター』に選ばれたわけで、声を掛けられることも多かったが、割合的には祐麒の方が多かっただろう。恐らくそれは、瑞穂が最上級生なのに対し祐麒が一年生だから、声をかけやすいというのもあったのだろう。
しかし、登校中に囲まれたのを皮切りに、下駄箱に入ってからや教室に向かうまでの間にも、何度も呼ばれて足を止めることになってしまった。一年生でもあり、声をかけられたら無視するわけにもいかず都度、相手をしていた。特別なことを話すわけではなく、単に皆、祐麒がどのような人となりなのかを知りたくて寄ってきているようだったが、それでも披露することに変わりはない。
予鈴が鳴ったところでようやく解放されて教室に入り、それからはなんだか怖くて休み時間の間もトイレに一回行っただけで、あとはクラスから出なかった。幸いなのは、クラスメイトの皆はあまり前と変わった態度を取らないでいてくれたこと。
「だって、祐紀さんは祐紀さんであることに変わりはないから」
というのが理由だった。ちょっと嬉しい。
「まあ、仕方ないよ。でも、しばらくすれば落ち着くと思うよ」
「そうだといいけれど……」
目立つことなく、大人しく学園生活を過ごしたいのだが、現実はなかなかうまくいかないものである。
「そんなしょんぼりしないで、祐紀ちゃん。元気出してよ」
「うん、そうだね」
「そうそう、ほら、今週からはお楽しみの水泳の授業も始まるし」
「うん、そうだね……」
「楽しみだよね~、暑い夏はやっぱりプールに限るよね」
「そう……なん…………だと……?」
桂の言葉に、思わず箸を取り落とす。
「ん、どうかした、祐紀ちゃん?」
「あの、桂ちゃん。今、水泳の授業とか言った?」
「うん。7月と9月の短い期間だけど、水泳の授業があるじゃない。新しく作られた綺麗なプールで泳げるなんていいよねー。出席さえしておけば、成績には関係ないし」
にこにこと楽しそうに笑っている桂とは反対に、一気に青ざめる祐麒。
そうして――
「あ、アンリえも~~~~~~~んっ!!!!」
「だあああぁぁぁっ!? な、なんだ、いきなり抱きついてきて……ちょ、ひ、人の胸に顔を埋めるなんて……っ」
寮に戻るなり、アンリに泣きつく祐麒。
勢いあまってアンリの薄い胸板に頬ずりしてしまったが、残念ながら埋めるほどボリュームのある胸ではない。
「……ほほう、そりゃ、どういう意味だ?」
「うぅ、あ、アンリさん、助けてっ」
「ぐっ……」
しがみついて泣きそうな状態でアンリを見つめ上げると、アンリは頬を赤く染めて視線をそらす。
そして、ぽんと祐麒の頭に手を置き、わしゃわしゃと髪の毛を撫でる。
「水泳の授業の事ならちゃんと考えてあるから、安心しろ」
「ほ、本当にっ!?」
アンリの言葉を聞いて、ようやく胸を撫で下ろす。
体操服はジャージやハーフパンツが着用可能なので誤魔化せるし、お風呂は小笠原家特注のアイテムとタオルと湯気とアンリのガードで誤魔化しているが、さすがにスクール水着を着たら誤魔化しきれないだろう。
果たして、アンリの言う考えとはなんだろうか。
「――ほら、これだ」
と、アンリはバッグの中から何かを取り出して祐麒に向けて放り投げた。
水着だった。
「えーと、どういうこと?」
「水泳の授業は通常のスクール水着も含め3種類のタイプから選べるようにしたんだ。リリアンの水泳の授業は遊びみたいなもんで、本格的に泳ぐわけでもないからな、スクール水着みたいのにこだわる必要はないんだ。で、女子高校生なんだから可愛い水着がいい、っていう心理もあわせて学園に認めさせたんだよ、小笠原家が」
「はぁ……」
ちなみにその裏には、祐麒の可愛らしい水着姿を拝みたいという祥子の下心があったことは伏せておく。
アンリが出してきた水着は3種類。
一つは通常のスクール水着のタイプ。
二つ目は可愛らしい段々フリルのついたワンピース。
三つ目はリボンのついたブラとショーツ、そしてやはりリボンのついたスカートの3点セットビキニ。
「…………この中から選べと? 変わらないじゃんっ」
「馬鹿、スカートがあるだろうが」
「確かにそうだけど、これじゃ超ミニスカートじゃん」
手に広げてみるスカートは、水着だからこそ通用するようなミニで、穿いたところでショーツなんかすぐに見えてしまうだろう。
かといって、ワンピースタイプの二つは股間がモロに見えてしまうのでアウトだ。
「水の中に入ってりゃ、分かんないだろ」
「――そ、そうだ、着替え! 着替えの時って、裸にならないと駄目じゃん!?」
「スカートの中で先に脱いで穿いちゃえばいいんだよ」
「あ、ああ、そうか……」
「とりあえず問題がないか確かめるから、ちょっと今、きてみろ」
「ええっ、い、今、ここで!?」
「そうだ。べ、別に、祐麒の着替えが見たいとか、水着姿を一人で先に拝みたいとか、そんなんじゃないからなっ。授業の時にいきなりで失敗したら大変だから、な」
「そ、そりゃそうかもだけど……」
「他の生徒がいる中で着替えるんだ、うまく着替えられるか、水着姿でも大丈夫か、確認する必要があるんだ」
「わ……わかったよ」
アンリのいうことはもっともだ。いざ着替えようとして失敗したり、水着になってからとんでもないことに気が付いたら大惨事だ。
とはいえ、正直な所はずかしい。
まずはスカートの中に手を突っ込んでパンツに手をかける。この時だって、スカートをたくし上げすぎて見えないように注意する必要がある。もぞもぞとパンツをおろし、片足ずつ抜いていく。
「ぼ、ボクサーショーツか……」
脱いだショーツをアンリが丁寧に畳んでくれるが、逆に恥ずかしい。
「ほら、続けて」
スカートの中が落ち着かないまま、ビキニのショーツを手に取って足を通す。さすがに体育の授業用ということもあり、ビキニといっても大人しいデザインで、食い込んだりTバックだったりということはない。どうにか股間を収めることができた。水着のスカートも先に身に付ける。多少の無理はあるが、制服のスカートを脱いだ後できちんと調整すれば良いだろう。
「ええと……う、上はどうすればよいの?」
「上は、タオルを巻いて隠してやれ。先に水着のブラをつけて、下着のブラを外す」
苦戦しつつも言われたとおりにどうにか水着を身に付けることが出来た。あとは制服のスカートを脱ぎ、上半身に巻いていたタオルを外す。
「うう、ど、どうだろう」
「うっ…………!」
水着姿になった祐麒を見て、声をなくすアンリ。
「やっぱり、無理があるよね……」
当たり前だ、男なのだから。
着替えがうまくできても、肝心の水着姿が駄目ではどうしようもない。スカートで股間を隠すことが出来ても、やっぱり――
「い、いや、大丈夫だ、問題ない。祐麒、お前、本当に腰細いな……肌もすべすべだし」
「ひゃうっ!?」
いきなりアンリの細い指が腰からお腹のあたりを撫でてきて、ゾクッとした。
「ブラのフリルとリボンがうまいこと隠してくれているから大丈夫……胸は、パッドをいれるからな」
「え、あ、アンリ、ちょっと……ふぁぁんっ」
パッドを入れようとアンリの手がブラの中に差し入れられ、その指先が乳首に触れて痺れがはしると同時に変な声が漏れてしまった。背後から抱きしめるような格好で胸に手を入れられ、なんだか変な気持ちになりそうだ。アンリはただ、祐麒のことを考えてやってくれているだけだというのに。
パッドを入れ終えるとアンリは祐麒の正面にまわり、頭からつま先まで確認するように視線を動かす。
祐麒はスカートを手で抑えて内股になり、はずかしさにもじもじとしつつアンリの視線に耐える。
「おい、手を放せよ。じゃないと分からないだろ」
「え、で、でも」
「他の部分は問題ないから、あとはソコだけ確認できればOKなんだから」
「うわ、だ、駄目だってばっ」
「いいから、おらぁっ!」
どうにか防ごうとする祐麒だったが、アンリの腕の方が速くて強い。抑えていた祐麒の手を払いのけようとして。
「ふにゃあああああっ!!?」
「えっ?」
むぎゅっ、と。
アンリの手に、いまだかつて経験のない感触。
「え……え、えっ」
「ああっ、だ、だめ、アンリ……そ、そんな……っ!」
「え、な、何コレっ!?」
「は、離してっ……」
ビクビクと震えながら、アンリの手を振り払う祐麒。どうにか、最悪の事態だけは免れることが出来た。
一方のアンリは呆然とした様相で自らの手の平を見つめている。
「え、今のって……あ、あんな硬くて大きいの? あ、あんなの、本当にあたしの中に入っ……無理……」
そして妙なことを呟きながら、顔を真っ赤にした。
「そ、それは、アンリがさっき胸とか触っていたから……」
前かがみの格好で必死にスカートで股間部分をおさえる祐麒もまた、赤面している。
「お前、そんな胸元強調するアイドルポーズして、あ、あたしをユーワクしてるのか!?」
「そんなわけないでしょー!?」
水泳の授業に備えて事前準備をしているだけのはずが、なんだかしっちゃかめっちゃかになってきた。
「とにかく、ソレをどうにかしないことには、水泳の授業とか無理だぞ!?」
「わ、分かってるよ、そんなこと……でも、なっちゃうものはなっちゃうし」
特に着替えのシーンなんか目にしてしまったら、鎮めたくても自然といきり立ってしまうものなのだ。見ないように背中を向けて目を閉じても、衣擦れの音や話し声なんかを聞いて想像してしまうと難しく、こればかりは3か月通っている今も慣れることはない。
「ど、どうにかならないのか? あたしで出来ることなら手伝うけど……」
「いえいえ、自力でどうにかしますのでっ!」
アンリに出来ることと言われ、とんでもないことを想像してしまい内省する祐麒。どこかのエロゲじゃないんだから、そんなことできるわけがない。
「とりあえず、水着から制服に着替える練習もしておきたいかな」
「あ、ああ、そっか。水着は濡れてるから、タオルでうまく隠しながらやるしかないぜ」
「分かった」
と、床に置いておいたタオルを拾おうと屈んだところで。
「――たっだいまー! って、きゃーーーっ、祐紀ちゃん水着、可愛いっ!!」
「わわ、か、桂ちゃ……」
不意に帰宅してきた桂が姿を見せ、祐麒に飛びついてきた。
アンリは誰かがやってくる外からの足音や気配を察することができるのだが、桂は時々ステルス性能を発揮し、アンリのレーダー網にも引っ掛からずにやってくることがある。もっとも今日は、祐麒の水着姿にのぼせていただけということもあるが。
ともかく、祐麒の水着姿に興奮した桂は。
「あ、新しい水着を試していたんだ。よーしっ、それじゃあ、あたしも着ちゃおうかな」
「え、ちょ、桂ちゃ」
「あ、ちょうど2着あるじゃない。じゃあ、アンリさんも一緒に」
「いえ、わ、私は……」
「ほらほらーっ」
と、勢いで桂は制服を脱ぎ始める。祐麒は慌ててしゃがみこんだまま背を向ける。アンリも桂に巻き込まれ、水着姿にさせられている模様。
結局、桂がフリルのワンピース、そしてアンリがスクール水着姿を披露することになった。
「ほら祐紀ちゃんも立って、見せ合いっこしようよー」
後ろから抱きついてくる桂。
「はわわ……せ、背中に桂ちゃんのおぱーいが、おぱーいが……」
むにゅむにゅと押し付けられてくる感触に、おさまりかけていた股間がまた勢いを盛り返してくる。
「ほら祐紀ちゃんてばー」
この天国のような地獄は、同室の静が戻ってくるまで続いたのであった。
……尚、三奈子ではなく静が先に帰ってきて、本当に良かったと思う祐麒だった。