一学期の中間テストも無事に終了し、結果が生徒達に公表されている。とはいっても、公になるのは各学年上位五十名までで、それ以下の生徒については個別に知らされるだけである。
公開の方法は特に珍しいことも無く、職員室隣の掲示板に紙で張り出す格好となっている。そして今、その掲示板の前まで祐麒達はやってきているというわけである。
名前が載るわけでもないと分かっていながら見に来てしまうのは、人としての悲しい性なのか、はたまた単なる野次馬根性か。もしかしたら、などという意味の無い妄想もあっさりと打ち砕かれ、とりあえず誰が首席だろうかと目を見張ってみると。
「おー、トップはアリスだ。さすがじゃん」
隣で背伸びをしながら見ていた小林が声をあげる。つられるようにして祐麒も見てみると、確かに二年生の一位の場所には友人であるアリスの名前が載っていた。
だが、アリスに対して納得はあっても驚きは無い。むしろ、一年生の方に目を向けて、祐麒は驚愕した。
堂々とトップに名を連ねているのは、"二条乃梨子"。しかも、断トツだ。
見なかったフリをして、祐麒は小林と並んで教室に戻ることにした。結局のところ、二年生になろうが成績上位者に名前が載るメンバーは、一年のときと代わり映えなどしない。気がついたのは、志摩子の名前が三位に入っていたことで、彼女は頭が良いのだなと感じたくらいだった。
そうして、教室に近づいた頃。
「あ、由乃ちゃんに令先輩」
小林の言葉に、内心、どきりとする。
目を上げれば見間違えようの無い、見慣れた幼馴染の少女二人の姿。しかし今は、顔を合わせづらい。
「こんにちはー、令先輩。いやー、さすがですね令先輩。二十位以内に入っていましたよ」
「ありがとう、小林くん。でも、たまたまよ」
照れたように笑うが、令が努力家であることを祐麒は知っている。テストの結果も、努力に相応しいものである。
小林のお陰で場の雰囲気も明るく感じ、祐麒は思い切っていつもどおりの軽口を叩いてみせた。
「うん、令ちゃんはさすがだよな。でも、由乃はやっぱ名前、載ってなかったな、ははっ」
しかしながら。
「…………」
返ってきたのは、由乃の冷たい視線と、令のどことなく気まずそうな表情。
「祐麒だって、載ってないでしょ」
氷のように冷たい由乃の言葉に、祐麒は乾いた笑いを見せることしかできない。
そして、今朝の出来事を頭の中で思い出す。
珍しく祐麒は、朝早くに目が覚めた。
昨日の夜、なぜか無性に眠くて早い時間に床についたせいだろうか、二度寝の誘惑もまるでなく、いつになく爽快な目覚めであった。
由乃達が起こしに来る時間よりもずっと早く、今日は驚かせてやろうと内心ほくそ笑みながら、顔を洗うため洗面所の扉を開けた。
すると、視界に飛び込んできたのは。
裸の美少女が二人。
いや、正確に言うならば、裸に近い姿の、令と由乃の肢体。
シャワーを浴びていたのか、二人の肌はしっとりとしながらほんのりとピンク色に上気し、令の髪の毛は水気を帯びて光っている。お下げをほどいた由乃の長い髪、乱れた令のショートヘアー。
そして何より目に眩しいのは、すらりと伸びた由乃の細い脚、腕、腰。豊かな膨らみを見せる令の胸元、浮かぶ鎖骨、首筋。
「……え、あれっ。あの、ちょっ」
祐麒も戸惑ったが、二人の方も突然のことに動けないでいる。
だが、しばらくして。
「っ、バカっ! な、な、何してんのよ、このバカ祐麒ーーーっ!!」
由乃の怒声と、思いっきり投げつけられた洗濯籠が祐麒の顔面に激突したのであった。
なぜ、福沢家の洗面所に二人がいたのかを聞いてみると、以下のようなことになる。
令の家は、小さいながらも剣道道場を営んでいる。道場で朝の練習をこなした令が、汗を洗い流そうと由乃の家を訪れる。これは、令の家には立派な檜風呂はあるのだがシャワーがついていないという理由に基づく。しかしながら、訪れた由乃の家のシャワーが丁度壊れてしまっていた。
困った令だが、さすがにそのまま学校には行きたくない。外見が幾ら美少年とはいえ、内面は可憐な少女なのである。いくらなんでも汗臭いまま、祐麒と一緒に登校することなど出来ない。
そこですかさず由乃が提案する。即ち、福沢家のシャワーを借りようと。
小さい頃から行ったり来たりの三つの家だから、困ったときに遠慮などする必要は無い。案の定、祐麒の母は快く二人のことを迎え入れてくれた。で、令が入るのであればついでに由乃もと思い立ち、二人でシャワーを借りることにした、というわけだった。
しかし、自分で思い出して起きながら、赤面する祐麒。
凹凸はないが、細くて綺麗な体をしている由乃。
一方の令は、外見とは異なり物凄く女性らしい体つきに成長していて。
幼馴染ということで、普段はあまり意識しない二人の女性らしさというものを実感させられ、自然と鼓動が高鳴るのだ。
「……何よ、いきなり顔赤くして。もう、サイッテー!」
由乃の怒りと羞恥を含んだ声に、我に返る。
目の前には、目を吊り上げた由乃。
「どーせ、思い出して変なこと考えていたんでしょ。やめてよね、ホント」
「ば、馬鹿っ、そんなんじゃねーっての」
「なんだなんだ。ユキチ、また由乃ちゃん怒らせたのか? 由乃ちゃん、今度は何やったのコイツ? 浮気?」
事態を面白がる小林が、余計な口をはさんでくる。
「そんなんじゃないわよ。覗きよ、覗き。本当にもう、エッチでスケベで変態なんだから」
「ちょっと待てよ。それじゃ俺が一方的に悪いみたいじゃないか」
「当たり前でしょう、ねえ、令ちゃん?」
「え、あ、でも……」
「ほら、令ちゃんもそう言っているじゃない」
「言ってないだろ。そもそも、俺んちで、二人とも見られたって仕方ない状況で。それに、今まで散々見たのに今さら二人の裸を覗き見ようとするかっての!」
「な、なんですってー!?」
睨みあう二人だったが。
ふと、周囲の空気が変化したことに気がつく。
「えーと、要するに、なんだ。由乃ちゃんと令先輩は二人ともユキチの家にいて……」
「由乃と令先輩は祐麒くんと、祐麒くんに裸を見られても仕方ないコトをしていて」
いつの間にかやってきていた蔦子が、小林とあわせるようにして言葉をつないでゆく。
「で、ユキチは散々、二人の、その……は、はだ、ハダ」
「散々裸を見ているんだから、今さら覗き見などしないと……由乃、あんたちょっといくらなんでも、そんな三人でなんてふしだらな……まあ、三人の関係を考えたら、三人が納得しているならそれが一番良い解決策かもしれないけれどさ」
眼鏡を不敵に光らせ、口の端を歪める蔦子。
「うわああああ、そりゃ、考えないこともなかったけれど、まさか本当に由乃ちゃんと令先輩が、そんな、ユキチとっ!?」
こちらは、頭を抱えて悶絶している小林。
一方、祐麒はといえば、令と由乃の顔に交互に視線を向け。二人の顔が急速に赤みを帯びてゆくのを見つめていた。
先に爆発したのは、やっぱり由乃の方だった。
「ななななな、何、訳のわからないこと言っているのよ蔦子! あたし達、そんな、そんな関係じゃないってば!」
「あら、さっき自分達で言っていたんじゃない。覗きって言ったって、祐麒くんの家でそういう格好を由乃がしていたんでしょう?」
「あ、それは違うの蔦子ちゃん。あの、汗をかいちゃったからシャワーを浴びようとして」
と、そこまで赤面しているだけだった令が口をはさんだが、最悪のタイミングで最悪のことを言ってしまった。
「汗をかいたから!」
「シャワーを浴びようとした!」
周囲のボルテージが上昇する。
「それって即ち、汗をかくような行為をされていたということですよね?」
「え、うん。今朝はね、結構激しく……」
「朝から激しく! うわ~、三人とも若さ溢れているわね」
流石の蔦子も、顔が上気している。
小林は泡を吹いている。
「ちょ、ちょっと令ちゃん! 誤解されているっ!」
「え、誤解? 何が」
真っ赤になった由乃が、背伸びをして令の耳に口を寄せ、小声で伝えると。
途端に、令は耳から首筋まで赤くして、わたわたとし始める。
「えええっ、ち、違うっ。そ、そ、そーゆうことじゃないから!」
「うーん、でもそう言われても今さら遅いと思いますよ、令先輩。今まであんな大きな声で大騒ぎしていたわけですし」
「え」
気がついて周囲を観察してみれば。
教室の入り口の真ん前の廊下に立つ祐麒たちを中心に、教室内のクラスメイトはもちろん、隣のクラスの生徒達や、単に通りかかった生徒、廊下の向こう側から様子を窺っている生徒と、かなりの人数が騒動に注目をしていた。
更には。
「―――こら、授業始まるわよ。みんな、教室に戻りなさい」
騒ぎを聞きつけたのかは分からないが、教師までやってきていて。
先生が現れたことにより、波が引いていくかのように生徒達は自クラスに戻ってゆく。その中に紛れようとした祐麒だったけれども。
「ちょっと待ちなさい、福沢くん」
呼ばれて、おそるおそる振り返ってみると。
「……後で、社会化準備室に来てくれるかしら?」
にっこりと、恐怖を感じさせる笑顔を浮かべた蓉子が仁王立ちしていて。
祐麒はその瞬間、生きながらにして地獄のビジョンを見た……
蓉子の尋問をどうにか乗り越え、一日の授業を終える頃には祐麒は疲れきっていた。大きなため息をついて疲労を体現しながら教室を出ると、いきなり目の前に誰かが駆け寄ってきた。
「Hi! ちょっと失礼、あなたが噂の福沢祐麒くん、かしら?」
「え、あ、はい。そうですけれど」
勢いに押されて頷いてしまったが、目の前に立っているのは祐麒の知らない女子生徒であった。
長い髪の毛を後ろで束ねているのは、いわゆるポニーテールというやつで、女子生徒の走ってきた勢いを示すかのように揺れている。爛々と輝いた瞳に、手にしたメモ帳とペンを目にして、祐麒は嫌な予感を抱いた。
「俺に、何か御用でしょうか?」
「ええ。あ、失礼、私は校内新聞、『りりあんかわら版』の編集長であり新聞部部長の築山三奈子よ。よろしくね」
名前だけは、聞いたことがあった。
それまで『りりあんかわら版』は、校内新聞の域を出ていなかったのに、現部長、即ち築山三奈子が編集長になった途端、急激に変わったと。まるでゴシップ記事のようなものを載せたり、読者の興味を煽るような企画を掲載したり、生徒会、教師を巻き込んで、ひとつの名物になりつつあると。
その張本人が、目の前にいるわけである。嫌な予感を抱くのも仕方ないところであろう。
「ちょーっち、取材させてほしいんだけれど、いいかしら?」
ウィンクをしてくる三奈子だが、ドキリともしない。むしろ、不安ばかりが増してくる。
「取材って、何をですか? 俺、別に取材されるようなことは……」
「いえいえ、何せ二人の女子生徒を妻に持つことを公言し、しかもその二人の女子生徒というのが、リリアンでも人気の高い美少女二人とくれば、黙っていられないというものでしょう」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいって」
頭を振る祐麒。
そもそも、由乃と令のことであれば、一年のときから色々とからかわれていたのだ。それが今になって新聞部が動き出したということは、今日の昼間の騒ぎが伝わったからであろう。果たして、どう捻じ曲がって伝わっているのか。
「……あの、どんな風な噂が築山さんまで伝わっているんです?」
「えーっとね、福沢くんと支倉令さん、島津由乃さんは既に一つ屋根の下で寝食をともにして、日毎に夜伽をさせていると」
「もーいいです」
「よくないわよ。今日はあまり時間がないのだから、早く取材させて頂戴」
祐麒が話さないことには、逃げさせてくれない雰囲気である。周囲の生徒達も、三奈子のことを知っているせいなのか、見てみぬ振りをしている。
「ええと、そうですね……あれ? 築山先輩、あそこで何か騒ぎが起きているみたいですけれど、なんでしょうね」
「え? どこどこ」
「ほら、中庭の隅で」
「えーっ、どこよ、分からないわ」
「あっちですよ、ほら……」
真っ赤な嘘であるが、三奈子は疑うことを知らないのか、あるいは記事のネタを追いかける記者の性か、祐麒が指差した方向を必死に見て探している。
そして、祐麒は。
(すみません、失礼しまーす!)
と、内心で謝りながら、三奈子を置いて逃げ出したのであった。
学校を出て、街のほうまでやってきてようやく一息をつく。
祐麒としても、グズグズしている時間は無いのであった。何しろ今日は、アルバイトに入る初日なのであるから。
かつてはアルバイト禁止であったリリアンも、共学化に伴い校則も多少緩くなり、学校の許可を得た上でアルバイトが認可されるようになった。
「初日から遅刻はマズイよな」
小声で呟きながら、バイト先に向かい、やってきたのは繁華街から住宅街にさしかかる、中途半端な場所にある喫茶店。マスターが祐麒の父の知り合いということで紹介されたのだが、儲かっているのか怪しそうな店である。マスターの道楽でやっているような店だと聞いたから、おそらく儲かっていないのだろう。
教えられていた裏口から入ると、早速、人の良さそうなマスターが出迎えてくれる。
「おお、祐麒くん。今日が初日だったね。うーん、でも参ったな、もう一人のバイトの子がまだ来ていないんだよね」
「はあ」
「ちょっと僕、買い物に行かなくちゃいけないんだけれど……あ、来たかな?」
マスターが言った後、店の外をドタバタと走る足音が響き、思い切り良く店の入り口の扉が開かれた。
現れたのは。
「おはようございますっ。すみません、ちょっと遅れましたっ!」
「おはよう、三奈子ちゃん。何度も言うけど、店員なんだから一応、裏口から入るようにしてね」
ポニーテールを揺らして入り口で仁王立ちしているのは、リリアン学園新聞部部長、築山三奈子その人であった。
と、いうことで、いきなり三奈子と二人で店内に残された祐麒。マスターが言うには、『大丈夫、この時間ならほとんどお客さん来ないし、コーヒーと紅茶なら三奈子ちゃんが出せるしケーキは切り分ければいいから』ということであった。
確かに、店内に客の姿は見当たらないわけだが、それでもバイト(内、一人は入ったばかりの新人)に任せておいて良いものだろうかと祐麒は考える。
「―――そんな真面目に考えたって仕方ないわよ、福沢くん」
祐麒の思考をぶち破るのは、バイトの制服に着替えてきた三奈子。
長袖の白いブラウスの上に赤黒タータンチェックのベスト、下は黒のプリーツスカートで、足元は黒のサンダルにソックス。
丈が短めのスカートと、ブラウスの胸元のボタンが外されているのは、男としてはナイスと言うしかない。制服姿を見せ付けられて、祐麒は三奈子のスタイルの良さ、そして可愛らしさというものを初めて認識した。
「いや、しかしですね……そういえば、取材の続きは、しないんですか?」
なんとなく正面から顔を見ることが出来ず、横を向きながら口を開く。
「公私は別にしないとね。それに仕事、覚えてもらわないといけないことが沢山あるから。光陰矢のごとし、時間は無駄にしない」
嬉々として、祐麒に仕事の説明をする三奈子。
学校で騙してしまったことは特に根に持っていない様子で、祐麒としてもその点については少し安心したのだが、よく考えればバイトをやめない限り三奈子から逃れられないわけで、三奈子にしてみれば焦る必要はないのだ。
「大丈夫、取材する時間ならこの後いくらでも作れそうだからね」
予想通りの言葉に、祐麒が頭を抱えたくなったところで。
「あ、いらっしゃいませー!」
三奈子の明るい出迎えの声。入り口に目を向けると、中に入ってきたのは。
「こんにちは……あ、祐麒お兄ちゃん、今日が初日でしょ? 遊びに来たよー」
手を振りながら、お花畑が周囲に浮かび上がるような笑顔を見せる笙子だった。
「笙子、こっちは仕事中なんだから、遊びに来たというのはちょっと」
わざと、しかつめらしい顔をしてみせると、笙子もまた口を尖らせてみせる。
「あ、そんなこと言っていいのかな。ちゃんとお客様として来たのに。しかも、友達も連れてきたんだよ?」
「友達?」
聞いて、まさか乃梨子ではないかと不安になる。とにかく、あの少女とはとことん相性が悪い。
「うん。クラスメイトの日出美ちゃん」
「ど、どうも。高知日出美です」
笙子に押されるようにして前に出てきたのは、ちょっと表情が強張っている女の子。とりあえず乃梨子でないことに一安心して、祐麒も挨拶を返す。
「うわっ、何、可愛いーっ! 福沢くんの妹さん?」
「いえ、後輩です。あーっと、築山さん、仕事」
「あ、はいはい」
とりあえず祐麒が適当に二人をテーブルに案内し、ぎこちないながらもオーダーをとる。笙子が途中、くすくすと笑っているのは無視して気にしないことにした。
オーダーを聞いた三奈子が、二人が注文したケーキと紅茶を準備して、祐麒がトレイに乗せて持って行くと。
「へー、ちゃんと仕事しているんだ」
「当たり前だろ。笙子こそ、寄り道していいのか」
「あれ、お客様にそんな口のききかたしていいの?」
「あーもう、口ばっかり達者になって」
店内に他に客がいないということもあり、気さくな雰囲気で話していると、またもや店の扉が開いた。
ほとんど客が来ないなんて嘘じゃないか、と思いながら入り口に目を向ければ。
「いらっしゃいませー。あら、令じゃない」
「こんにちは、三奈子」
入ってきたのは見慣れた二人、令と由乃であった。
相変わらず由乃は朝のことを根に持っているのか、見るからに機嫌が悪そうで、祐麒と目があうなり勢いよく顔を横に背けてしまう。
「今日は剣道部はどうしたの? 珍しいじゃない、ウチに来るなんて」
「うん、今日は早い日だから。それに、今日から祐麒くんバイトだから由乃が」
「令ちゃん、余計なこと言わないでよっ」
「ああ、ごめん、ごめん」
由乃の声に、令は取り繕ったような笑みを見せる。
由乃と令は、笙子と日出美が座っているテーブルをちらっと見ながら、三奈子に案内されたテーブルに腰を下ろして、オムレツとコーヒーを注文する。
「あら、この時間からオムレツ食べるの? 夕ご飯、入らなくなっちゃうわよ」
「あはは、部活で少しお腹すいちゃって」
「OK。じゃあ、ちょっと待っていてね」
スキップするようにキッチンに戻ってくる三奈子を、不安そうな目で見つめる祐麒。小声で三奈子にだけ聞こえるように尋ねてみる。
「あの、ちゃんと作れるんですか?」
「任せといて。あなたはサポート、よろしくね」
「はあ……」
腕まくりする勢いで、三奈子は調理にとりかかる。
「まず、卵を割って……わぁっ、失敗」
「あ、お、俺がやりますよっ」
「ごめんねー、うわ、手がべとべと。手を洗って、と……じゃあ私はフライパンを」
「手、乾かしてからにしてください。あと、フライパンも濡れてますよ」
「えと、お皿はこれかなー」
「そこ、パスタ用って書いてありますよ。そっちの右端のやつじゃないですか?」
「えー、このお皿の方がデザイン、可愛くない?」
「そーゆー問題じゃなくてですね」
「だって私、これの方がいいんだもん。あ、ほら、火、危ないよ」
「だあっ!? ってゆうか、なんで俺が作っているんですかっ」
「あら、じゃあほら、フライパン貸して」
「うわ、いきなり危ないですって!」
「わわ、ご、ごめんっ。お、怒った?」
「怒ってないですから、えと、で、次は?」
「えっとねえ……」
とにかく賑やかなキッチンでの様子。
そんな二人の様子を、どこかピリピリとした雰囲気で窺っている由乃、令、笙子の三人。しかしながら日出美だけは異なるようで。
「……ね、笙子ちゃん。ひょっとしてあの二人、付き合っているのかな?」
と、素直に思ったことを口にした。
するとその瞬間。
「「「そんなわけないでしょっ!」」」
奇しくも、三人の声がハモった。
ちょっと驚きながらも、日出美は更に続ける。
「え、そう? でも、なんか凄く微笑ましくて、新婚さんのお店みたいな感じが……」
「「「しないっ!!」」」
「す、すみませんっ」
三人の剣幕に、思わず謝ってしまった日出美。
もっとも、当の祐麒はといえば、料理と三奈子相手に奮闘していて、店内の様子には気がついていなかったのであるが。
祐麒の気がつかないところで緊迫していたアルバイトも終わり、店を閉めて出る頃には外は暗くなっていた。
「じゃあ、またね」
手を振り、ポニーテールを振って去ってゆく三奈子を見送り、さて祐麒自身も帰ろうかと家の方に足を向ける。学校といい、アルバイト先といい、本当に疲れた一日だったので早く家で休みたいところである。
「……あれ?」
しかし、振り向いたところで目に入ったのは、長いお下げの少女。
夕方にはカフェを辞したはずなのに、なぜ、未だにこのような場所にいるのかと祐麒は首をひねった。
由乃は横を向いたまま、それでも視線は祐麒の方に向けて口を開く。
「た、たまたま、買い物していたら遅くなっちゃって」
「……この辺に、そんなに店、あったっけ?」
「別に、この辺だけにいたわけじゃないわよ。帰り際、ちょっと寄ってみただけ」
「ふうん」
「な、何よ」
「何でも。それよりもう暗いから危ないし、一緒に帰ろう」
「う、うん」
「…………」
「…………」
無言で、夜の街を歩く二人。
「……えっと、朝はごめん」
「……エッチ」
「だから、ごめんって。仕方ないだろ、自分の家で、二人があそこにいるなんて予想もできないし。でもさ、突然のことで、その、そんな見ていないから」
「どーせ、令ちゃんの方ばっか見惚れてたんでしょ」
「え?」
「どーせあたしなんか貧相で、令ちゃんみたいにスタイルよくないもんね」
「や……でも、由乃だって肌白くて、体細くて、綺麗だったぞ」
話の方向が変わってきている、と思いながらも、ついそんなことを口にしてしまう。
「な、何よ。で、でも、そ、そう?」
また怒ってくるかと思ったが、由乃のリアクションは想定外だった。わずかに照れたように、横目で祐麒のことを見上げてくる。
夜の暗い道、街の光に浮かび上がった由乃の姿が、急に凄く可愛く見えて胸が高鳴りだす。
「う、うん。でも」
「でも?」
由乃の視線を頬に感じつつ、祐麒は口を開く。
星の見える夜空に目を向けながら。
「……やっぱもうちょっと、体に凹凸は欲しいかな」
「―――は?」
「なんつーの、こう、色気の感じられない体というか。幼児体型はもうちょっとなんとかしたいよなあ」
笑って見せると。
「……こ、この……」
うつむき、肩をぷるぷると震わせている由乃。
そして。
「祐麒の、どバカーーーーーーーっ!!」
「ぐぶぁっ!」
炸裂する由乃のパンチ。
力はそれほど無いが、角度よく顎に入ったため、脳が揺らされ一瞬、視界が揺らめく。
「お、おまえ、グーパンチはないだろ」
「うるさい、祐麒なんか知らない、ばか!」
ぷりぷりと怒りながら、足早に歩く由乃の背中を追いかける。
「由乃、一人で行くと危険だぞ」
「どうせあたしは色気なんかないから、平気でしょ」
「それでも一応、女の子だし」
「一応ってなによ、一応って!」
再び由乃の横に並び、いつものような軽口、悪口の応酬をしてほっとする祐麒。
やっぱり由乃とは、気の置けない仲でいたい。きっと、無意識の内にそんなことを思っていたのだろう。
二人の姿は、仲良く並んで街の風景に溶け込んでいた。
<判明ステータス>
築山 三奈子 (new) ・・・ 先輩
高知 日出美 (new) ・・・ 後輩
<発生イベント>
由乃&令 『早朝の眼福』
三奈子 『突撃取材班』