「志摩子さーんっ」
ぶんぶんと大きく手を振ると、気が付いた志摩子もまた笑いながら手を振り返してくれた。
「桂さん」
と、桂の名前を呼びながら。
今日は休日、桂はとうとう念願だった志摩子との初デートを敢行することに成功したのだ。正式に付き合い始めてキスも済ませたというのに、デートはしたことがなかった。順番が逆だろうと自ら突っ込みをいれつつも、いざ誘おうとなるとなかなか言葉にすることができなかった。
志摩子は普段、どうゆう場所に遊びに行っているのだろうか。桂と志摩子では趣味がまるで違いそうで、言うなればミーハーな桂が好きな場所に興味を示してくれるか、分からなかった。
それでも映画なら外さないだろう、観る映画もその場で志摩子と相談すれば良いだろうと、とにかく誘わない限り何も進展しないのだと気合を入れて誘うと、あっさりと志摩子は頷いてくれた。
「志摩子さん、可愛いっ」
当然のように今日は私服だが、ふわっとしたワンピースにカーディガンをあわせた志摩子は間違いなく可愛い。というか、志摩子が着ればニッカボッカだろうとなんだろうと可愛いに違いない。
「桂さんも、可愛い」
「そ、そう? あ、ありがと」
パーカにキュロットスカートという普段着、無理にお洒落をするよりは、普段通りの自分で居た方が良いと決断した、というか、お洒落しようと思ったんだけどそんな素敵な洋服は持っていなかった。
「えへへ、今日、志摩子さんとデートだと思ったら、興奮して昨日なかなか眠れなかったよー、実は」
「そうなの? 実は、私も……」
「えーっ、志摩子さんが? うっそー、志摩子さんてなんか、何があっても縁側で日向ぼっこしている猫みたいに寝ちゃうイメージがあるのに」
「え、私って、そんなイメージなの?」
「あ、ごめん、別に悪い意味じゃなくて、その、動じないっていうかね?」
「そんなことない、今だってまだ、胸がドキドキしているのよ?」
ちょっと頬を赤らめ、はにかむようにしながら言う志摩子の破壊力は凄まじいもので、思わず桂は腰砕けになりそうになるのを、テニスで鍛えた脚力で踏ん張る。
「大丈夫、桂さん?」
「だ、大丈夫大丈夫っ、じゃあ、さっそく行こうか」
緊張しつつ、そっと志摩子の手を握る桂。
「い……いやなら、離すけど」
「いやなわけ、ないじゃない。ふふっ、桂さんたら変なの」
少し強めにキュッと握り返してくれる志摩子。
仲の良い女の子同士の友達だったら手を繋いで歩いたって不自然ではないし、それどころか二人は恋人同士なのだから何を臆するところがあろうか。
仲良くお喋りしながらシネコンに到着すると、さすが休日、非常に人が沢山いて賑わっている。
上映開始時間と作品タイトルからサスペンスものを選び、ポップコーンとコーラを購入して中に入る。
適度に人の入りもよいけれど、桂と志摩子が選んだ席は後ろの方だったので、比較的周囲は空いている。
「やっぱり映画といったらこれだよねぇ。はい、志摩子さんもどうぞ」
「ありがとう。美味しいわね、やっぱり」
「そうだよねー、映画にポップコーンは外せないよね。味も、あたしは基本に忠実、塩がいいと思うんだ。キャラメルの甘いのも捨てがたいけれど、しょっぱい方がコーラには合う気がするし」
「うん。でも……私はこうして桂さんと一緒に並んで食べるなら、どちらでも凄く美味しいと思う」
「ふぇっ!?」
「あ、ご、ごめんなさい、変なこと言っちゃって……」
赤面して俯く志摩子。
とんでもなく嬉しいことを言われた気がするが、もしかしたら勘違いという可能性もある。桂は食べるの大好き、いつも笑顔でもりもり食べるから、一緒にいる友人からも本当に美味しそうだとよく言われる。だから、同じものを食べたらより美味しく感じるとか、そういうことかもしれないし。
まさか、自分と一緒に居るだけで何でも美味しいなんて、志摩子がそこまで言ってくれるなんて思うほど、まだ自分に自信が持てない。
それでも、ちらりと志摩子の方に目を向けると。
目が合ったとたん、またしても照れたように顔を下に向けてしまう志摩子。もしかしたら、本当に桂と同じ空間にいることでということか。ならば、自分だって志摩子さえいてくれたらご飯何杯でもいけることを伝えなければ。
「あたしも、志摩子さん」
「え――」
しかし桂が口を開こうとしたタイミングで館内の明かりが消えて暗くなる。映画が始まろうとしていた。
「何かしら、桂さん」
「あ~~っと、いえ、映画、始まるみたいだね。楽しみだね」
なんとなくタイミングを逃し、そう言って誤魔化す。
情けない自分にトホホとする桂であったが、気持ちの切り替えが早いのも桂の良いところである。映画の本編が開始されると、すぐに映画に夢中になる。
もちろん、隣でスクリーンを見ている桂のことも気になるけれど、映画は映画で楽しまなければ損だから。
「――――っっ!!」
話も進んだ中盤、ヒロインに迫る危機、その場面転換の見事さと音響効果で見事にビクッと体を震わせた桂は、食べようとしていたポップコーンを取り落してしまった。
(わっ、わっ、ととっ)
慌てて身を屈めて拾おうとするが、周囲が暗くてよくわからないし、そもそも落ちてしまったポップコーンを食べられるわけもない。
勿体ないけれど仕方ない、諦めようと思ったところで。
「――――」
目の前に、志摩子の顔があった。
桂の動きにつられてポップコーンを拾おうとしてくれたのか。
暗い館内だけれども、スクリーンからの光もあってお互いの表情は分かる。間近に迫った志摩子の顔、そして唇。吐息が感じられそうなくらいの距離、ちょっと首をのばせばキスだって出来そうな。
「――あ、ご、ごめんね、落としちゃって」
ここは映画館内、いくら暗くて周囲に他の観客が少なくてもゼロではない。小声で謝り、急いで姿勢を戻す。
ドキドキしている心臓の動きに気付かれないかと思いつつ横を盗み見れば、志摩子は既にスクリーンに集中している。
(……そりゃ、そうだよね。変なこと考えていたのは、私だけか)
志摩子とデートということで気持ちが浮つくのは仕方ない。でも、下心ばかり丸出しで接していたら呆れられてしまうかもしれない。
よし、改めてしっかり映画を観ようと心に決めてスクリーンを中止する。
「――――ぎゃっ!?」
と、タイミングよくまたしても驚かせるシーンに、今度はとうとう悲鳴まで出してしまった。しかも、うら若き女子高校生とは思えないような。
周囲の観客からも、くすくすと笑い声が聞こえてきて耳が熱を持つほど恥ずかしくなる。申し訳ないなぁと、志摩子の方を観ることも出来ずにしょんぼりしていると、手すりに置いた手の甲に、優しく重ねられる温もり。
志摩子が気を遣ってくれていると嬉しくなった桂が、志摩子の方を見ると。
手で口もとを隠し、志摩子も笑いを堪えていた。
「――――もうっ、酷いよー、志摩子さんまで笑うんだもん」
映画を観終えた後、桂は頬を膨らませて言った。
もちろん、笑われた件だ。
いや分かっている、悪いのは変な悲鳴を上げてしまった自分なのだということは。それだとしても、好きな人に変な姿を見られた挙句に笑われてしまし、桂としては恥ずかしさを押し隠すためにも拗ねて見せるしかなかった。
「ごめんなさい。でも、桂さんのお蔭で怖かったシーンも、あんまり怖くなくなったし」
「えー、それってどうなのかな。だって、怖いシーンは怖がらせるために作ったんだから、思いっきり怖がらないと損した気分じゃない?」
「え? あ、なるほど……とゆうことは、私は桂さんに損をさせられたということね」
「え、あ、そ、そんな」
「酷いわ、桂さん、私の楽しみを奪うなんて」
ぷくーっ、と可愛らしく膨れる志摩子だが、桂はその可愛さを堪能する余裕もない。あわあわ、おろおろと狼狽し、どうにか志摩子を宥めようとする。
「……ぷっ」
と、堪り兼ねたように志摩子がふきだした。
「え?」
「もう……やだわ、桂さんたら。そんなことで怒るわけないでしょう?」
膨れていた筈の頬っぺたに人差し指をあてて、くすっと笑いながら言う志摩子に、何この可愛い女の子、もしかしなくても天使だけど! と内心で絶叫する桂。
「ああ……良かったぁ。どうしようかと思ったよー」
「焦る桂さんも可愛かったけれど……」
「え?」
「じゃあ、そろそろ行きましょうか。実は、ちょっと寄りたいところがあって」
と、そういう志摩子が足を向けた先は、ランジェリーショップだった。必然的に志摩子の下着姿を脳裏に浮かべてしまい、慌てて打ち消す桂。
「実は……最近また胸が大きくなったのか、今までのブラだとキツクて……」
「っっ!!!」
思いがけない重大告白に、咄嗟に鼻をおさえる。
ただでさえとんでもない威力を誇るというのに、まだ成長しているとは恐るべき志摩子のバストである……と、まじまじと見つめてしまう。
「……あ、やだわ、桂さんのエッチ」
視線に気が付いたのか、もじもじしつつ腕で胸を隠す志摩子だが、志摩子に「エッチ」と言われてなぜか嬉しくなる桂。
「こうなったら、桂さんにはエッチな下着をつけてもらっちゃうから」
「え、えーっ、やめてようっ」
などと二人でわいわいと色とりどりの下着を見ていくが、志摩子は大きいサイズだと可愛いデザインのものが少ないとため息をつく。
「そんなことないよー、ほら、これなんか可愛いし、志摩子さんに似合いそう」
「本当? あ、でも素敵かも」
「でしょでしょー?」
志摩子が気に入った様子だったので、桂も嬉しくなる。
さっそく志摩子は試着室へと入っていく。尚、手にしていたのはGカップサイズのブラジャーだった。
「――――どう、志摩子さん?」
外から声をかける。
「うん……とても良いのだけれど……桂さんも見てくれる?」
「え、い、いいのっ!?」
と、思わず前のめりになりそうになるのをどうにか自制する。
「そ、それではお邪魔します…………」
冷静に、普段通りにと、表情を取り繕って素早く試着室の中に入ると。
フロントからサイドベルトにレースのあしらわれたブラジャーを身に付けた志摩子が立っていた。白い肌に対しブラはラベンダー、そして何より美しくて大きな胸の谷間が垂涎ものである。
「す……凄くよく似合ってる、うん、可愛いっ」
垂れかけた涎を慌てて拭い、それでも桂は素直に感想を伝える。すると、志摩子も嬉しそうに微笑みを浮かべる。
「良かった。それじゃあ」
「あ、うん、あたしは一度出るね」
良いものも見られたし、満足感たっぷりに言って試着室から出ようとしたら、志摩子に腕を掴まれた。
ドキッとして振り向くと。
「――せっかく試着室に入ったんだから、桂さんも、どうかしら」
と、いつの間に持って入ってきていたのか、ブラジャーを桂に見せる。
「え、いや、あたしは」
「……私ばっかり、下着姿を見られて、恥ずかしいのに」
「うぐ」
「映画でも、桂さんに損させられたし
「はうっ……う、わ、分かりました、あたしも試着します」
桂が陥落すると、志摩子は嬉しそうにうきうきとブラを渡してきた。
ギリギリCカップの胸を披露するのはお恥ずかしいばかりだが、確かに志摩子ばかり下着姿にさせるのは平等ではないと、志摩子に背を向けつつもそもそと試着する。
「――わぁ、やっぱり思った通り、可愛いわ。桂さんに良く似合っているわ」
「そ……そう?」
恥ずかしいけれど、褒められればうれしくなる。
全体はミントグリーンだが、左胸に花をモチーフにしたピンクのレースのあしらわれた可愛いブラジャーは、桂には可愛すぎないだろうか思ったが、志摩子が思った以上にテンション高くなって喜んでいる。
志摩子が選んでくれたのなら記念に買ってもいいかな、そう、思っていると。
「それじゃあ、次はこれね」
と、今度はピンクのブラを手にしてみせてくる。
いや、よく見れば、様々なブラジャーがうず高く積まれている。
「やっぱり、可愛いのが沢山あるわよね。桂さんならどれも似合いそうだし……楽しみだわっ」
え、それ全部、試着するんですかと問いたくなる桂だったが。
満面笑みの志摩子に逆らうことは出来ず、様々なブラを試着し続けてゆく。
そして何着目であったろうか。
「あれ? なんか引っかかっちゃった」
「大丈夫、桂さん」
ブラのホックが何か変な感じに引っかかってしまったようで、背中に腕を伸ばすもうまいこと届かない。
「大丈夫大丈夫、これくらい自分で……あたたたっ」
「無理しないで、私が……あ」
正面から背中に腕を回してくる志摩子、必然的に二人は抱き合う格好となる、しかも二人とも上半身は下着姿だ。
ふにょっ、という感触と共に圧倒的なボリュームと肉感でもって押さえつけられる桂のバストだが、小ぶりとはいえ弾力は十分、一方的に押し込まれることはなく主張するように踏ん張り押し返そうとするも、やはり敵わず押し戻される。
「し……志摩子さん……」
驚いているようだったが、志摩子の白皙の頬は桜色に染まり、しなやかな指が桂の背中をなぞってきている。
桂も、あまりの気持ち良さと、志摩子から漂う甘い香りに脳までとろけるようで、無意識に志摩子のわき腹を撫でていた。
「あン……」
可愛らしい悲鳴をあげたあと、自分の出した声にびっくりしたように目を丸くし、でも体は離れようとしない。むしろ、潤んだ瞳で訴えるかのように桂を見つめてくる。
これは、このままキスくらいしては良いシチュエーションでは? そう思った桂だったが。
試着室のすぐ外に人の気配が近寄るのを感じ、急いで志摩子から体を離した。温もりが名残惜しいが、このままでは理性の方もヤバい。
「あ、ほら、次の人待っているみたいだし、そろそろ出ようか」
「そ……そうね、ごめんなさい、つい調子に乗っちゃって」
志摩子も我に返ったかのように応じると、二人で下着を片付けてそそくさと試着室を出る。それでも結局、二人とも上下セットを購入したのであった。
帰り道。
映画もショッピングも、そしてその後のカフェでのお茶も楽しかった桂は、デートを堪能してご機嫌であったが、志摩子はどうも微妙な感じに見えた。もちろん楽しそうに笑っているのだが、時折、寂しそうな感じを受けたのは、桂の気のせいだろうか。
その答えも分からないまま、そろそろお別れしなければいけないところまで来てしまった。そのまま別れようとも思ったのだが、やはり気になり、このままでは眠れない夜を過ごすことになるかもと、桂は思い切って尋ねてみた。
「志摩子さん、今日、何かあたし悪いことしたかな? あの、あたし馬鹿だし鈍感だから、何かあったら言って欲しいな、って」
「え……?」
「ほら、志摩子さん、なんか時々、悲しそうな顔を見せた気がして……、あ、あたしの勘違いだったらごめんなさいだけど」
そう告げると、志摩子はしばらく無言で桂を見つめた後、小さく言った。
「………………ん」
「え? ごめん、もう一回、少し大きな声で言ってもらえると」
「……だって桂さん、映画館でも、お店でも……キス、してくれなかったんだもん」
「…………え」
「あともうちょっと、というところまで来ていて、それなのに……だから桂さん、嫌なのかなって思っちゃって……」
「あ……」
馬鹿だ。
なんて馬鹿なんだろうと桂は思った。
映画館でもお店でも、桂が感じたことは間違っていなかったのに、自分に度胸がなかったせいで志摩子に悲しい思いをさせてしまったなんて。
「――――。志摩子さん、こっち」
志摩子の手を引いて、駅前に向かう方向とは逆に足を向けると、近くにあった小さな公園内に入る。夕方になり、公園内に人の気配はないが、それでも道路からは丸見えになってしまうので、公園内にあった滑り台の裏側に回り込む。山を模した滑り台だったので、そうすれば道路側から二人の姿は見えなくなる。
「桂さん……?」
「ごっ、ごめんなさい。映画館でも、お店でも、そのぅ、したかったんだけど、公共の場ということで臆しちゃいました」
「今は……? ここも、公共の場だけれど」
不安そうにな表情で首を傾げる志摩子に対し。
桂はもう言葉を出すことなく、身をもって思いを告げた。
「んっ…………」
重なる唇。
やわらくて、ふわふわして、ちょっとひんやりしている。今までにも何度かキスしてきているけれど、何度キスしても飽きることなんてない。
「は…………ぁ……」
しばらくして口を離すと。
「ん……か、桂さん……大胆…………」
赤面しつつ、色っぽく身をよじらせている志摩子。どうしたのかと、その目線を追いかけてみると、志摩子の大きな胸が誰かの手に掴まれていた。
「…………って、あたしだし!? うわぁごめんなさい、この手め! この手め!」
吸い付くように胸を掴んでいた手を引っぺがし、反対の手でぺしぺしと叩く。
「駄目よ桂さん、大事な手じゃない、テニスのための」
「いや、でもこの手が志摩子さんの……あうう」
「いいの……別に、嫌じゃなかったし……」
「し、志摩子さん……」
「でも、ここまで、ね」
「う、うん」
「続きは……二人とも今日買った下着でしましょ?」
誰もいないのに、こっそりと口元を手で隠して言う志摩子。
「ぶふぅっ!?」
たまらず悶絶する桂。
「つ、つづっ、続き、って……」
「ぁ……桂さんは、そういうの……嫌……?」
眉尻を下げる志摩子を見て、慌てて首を高速で横に振る。
「嫌じゃない嫌じゃない、むしろしたいです、しまくりたいですっ、だっていつも志摩子さんとそんなことしたいって妄想して……って、うわあああごめんなさいっ!」
本心ダダ漏れしてしまい、頭を抱える桂だけど。
「大丈夫――――わ・た・し・も」
顔を寄せ、耳元でそう志摩子に囁かれて。
「じゃっ……じゃあ、その、次は続き、お願いしますっ」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
深々と礼をすると、つられたように志摩子も頭を下げる。
そして同時に頭を上げて、顔を見合わせて。
「…………ぷっ」
「……くすっ」
お互いに照れくさくて恥ずかしくて、それでも期待と緊張に満ちて、なんだかよくわからないけれど笑ってしまったのであった。
尚、帰宅した桂は。
「――――うわああああどうしようっ!? 続きって、どうすれば良いのかな? べ、勉強しないと、で、でも、どうやって!?」
と、部屋の中を転がりまわっていた。
おしまい