新年を間近に迎えた年の瀬、忘年会という名目の飲み会で三人のアラサー女子が飲み屋に集合した。飲み屋といってもちょっとお洒落な個室居酒屋で、内密な話をするにはぴったりである。
栄子の前の座席には美月が座り、隣には理砂子が腰を下ろし、栄子は逃げられないように完全にブロックされてしまっている。
「――――で?」
しばらく世間話に興じた後、なんの前振りも無く笑顔でそんなことを口にして栄子を見つめてくる美月。
「……で、とは?」
首を傾げる栄子。
「そんなの、祐麒くんとの続きに決まっているじゃない、もう栄子ちゃんたらぁ」
笑いながら肩を叩いてくる理砂子。
「つ、続きといわれても、特に何もない」
「クリスマスデートしたんでしょー?」
「プレゼントは渡すべきか、なんて相談してきたくせにぃ~」
「うっ……そ、それは」
去年は祐麒からプレゼントを貰ったものの、栄子は特に何も渡していない。一応、付き合っているということでもあるし、何かしら渡した方が良いとは思ったのだが、高校生男子の欲しいモノなど全く想像もつかず理砂子に相談を持ちかけたのだ。
「え、何、そんなこと私に相談してくれたら良いアドバイスしてあげたのに」
「美月に話したら、絶対にまともな回答がくるわけないからしなかったんだ」
「そんなことないわよ、ごくまとも、セオリー通りに、『プレゼントは私だ』って、ベッドの上で全裸リボンで待機しておきなさいって」
「それが、まともでないと言っているんだ!」
つくづく、美月に相談を持ちかけなくて良かったと思う。
もっとも理砂子とて、「栄子ちゃんが選んであげることが重要だと思うわ。それに、栄子ちゃんが選んでくれたものなら、なんだって大喜びするに決まっているじゃない」と、具体的に役に立つ助言をくれたわけではないのだが。
「とにかく、クリスマスデートのことを話さない限り、今日は帰れないんだからね」
「そうよぉ、既にロマンスのない私や美月ちゃんのためにも、栄子ちゃんの話を聞かせてもらわないと」
「わ……分かった」
もともと、この場に来た時点で話さなくてはならないのは分かっていたのだ、諦めて栄子は話すことにした。
クリスマス・イブだが、特に何も予定を入れていなかったのに、午後から急遽仕事が入ってしまい図らずも祐麒についた嘘が本当になってしまった。なかなかに忙しくて時間もとれそうになく、祐麒には最初にメールを送っておいた。
仕事が終わったのはとっくに日も暮れ、21時近くにまでなっていた。夜中の学校に一人で残って仕事、それもクリスマス・イブの日にである。なんだか悲しくなるが仕方がない、急な仕事には文句も言いたくなるが。
片づけ、バッグの中に入れたままにしておいた携帯を取り出して見て、慌ててメールを確認して息をのむ。
そこには、「仕事が終わるまで待ちます」という祐麒からのメールが入っていた。着信したのは栄子が仕事にとりかかった直後くらい。まさか、とは思いつつも急いで身支度をして外に出る。
身を切るような冷たい風を受け、コートをキュッと抱きしめるようにして足早に駐車場へと向かい、車に乗って外に出たところで停車する。道に降りて左右を見回してみるが、暗い道に人の姿は無い。
当たり前だ。
ホッと安心すると同時に、どこか寂しい気持ちにもなる。
馬鹿なことを考えても仕方ないと首を振り、再び車に乗ろうと扉を開ける。
「…………保科先生っ」
「え?」
顔をあげると、祐麒が向かってくるのが見えた。
「ど……どうして?」
「どうしてって、待っているってメールしましたよね」
「そうだけど、私は返信していないし、いつ終わるか分からなかっただろう?」
「だから、待ってたんですよ。さすがにリリアンの門の前にずっといるわけにはいかなかったので、ちょっと離れた場所にいたんです。先生の帰る方向も知っていたし」
「だからって、こんな寒い中で何時間も……と、とりあえず早い所、中に入れ」
いつまでも寒空の下にいさせるわけにもいかない。車の中もまだ十分に温まっているわけではなかったが、外よりは遥かにマシである。助手席に腰を下ろすと、祐麒はホッと頬を緩めた。
「まったく……もし、もっと遅かったらどうするつもりだったんだ?」
「ギリギリまで待ちましたよ。だって、好きな人にクリスマス・イブに会えるなら、全然へっちゃらですから」
「……とりあえず、どこか行くか」
車の中が薄暗くて良かったと思う。こんな風に寒い中で何時間も栄子のことを待ってくれて、やっぱり嬉しいから。寒いけれど、頬が熱くなっているのを見られたくなかったから。
車を走らせて到着したのはファミレスだった。時間的に遠くまで行く余裕もないし、近くに洒落た店があるわけでもないし、飲み屋に行くのは違うしそもそも車だしで、なんとも色気のない場所に落ち着いてしまった。
だが祐麒も栄子もお腹が空いていたので、丁度良かったかもしれない。二人で食事をとり、体を温めて外に出る。
車に乗り込み、祐麒の家の近くまで送り届ける。時間的に、これ以上は一緒にいられない。
停車した車の中、なんとなく黙っていると。
「あの、えーこちゃん。これ、俺からのクリスマスプレゼントです」
去年に引き続き、祐麒からのクリスマスプレゼントを受け取る。
「ああ、ありがとう……それで、だな。今年は、その。私からも、だ」
念のため持ってきていたプレゼントを取り出して祐麒に差し出してみせると、祐麒は驚きと喜び、二つの表情を同時に浮かべるという器用なことをしてみせた。
「ありがとうございます! うわー、凄い嬉しいです!」
「そ、そんな、大層な物じゃないぞ」
栄子が贈ったのは定期入れだった。実用重視の、シンプルなデザインのものだ。
「大学には、これ使って通いますね」
「あ、ああ」
色々と迷ったものだが、自分で選んで送ったプレゼントを素直に喜んでくれると、やはり嬉しくなる。
「それじゃあ俺、そろそろ戻りますね。送ってくれて、ありがとうございました」
お礼を告げて車の外に出ようと扉に手をかける祐麒を見て。
「あ……」
思わず栄子は、祐麒の手に自分の手を重ねていた。
「え? あ……えと、なんでしょうか」
動きを止める祐麒。
自分はなぜ、祐麒の手を掴んでしまったのか。なぜ引き止めてしまったのか。困惑しながらも口を開く。
「あ、あの、今日はすまなかったな。その、夜まで待たせた上に、ほら、せっかくのクリスマスなのに、私は服も髪もいつも通りというか、いつも以上にラフだし」
どうせ他の教師や生徒に会うことも殆どないだろうと、お洒落にあまり気をつかわずに出てきてしまったから、服装は普段着だし髪の毛だってざっとまとめただけ、化粧も薄く整えている程度だ。
栄子だって女である、クリスマスという日でもあるし、せっかくなら綺麗になった姿を見せたいと思うものだし、見せるつもりのなかった姿を見られてしまうという恥ずかしさもあった。
「え、そうですか。いつも通り可愛いですよ、凄く」
「ま、また、そんな歯の浮くような台詞を平気で口にする」
「歯の浮く台詞かもしれませんけれど、本心ですから」
こういう、真っ正直な所が困るのだ。
栄子は小さな手でぎゅっと祐麒の手を握る。
「な、なあ、祐麒」
「はい」
「クリスマスだからな……特別に、ちゅーくらい、してあげても……い、いいぞ」
俯き、赤くなりながら言う栄子。
「本当ですかっ!?」
「ああ。その……寒い中、待たせてしまったのもあるしな……」
言い切る前に、祐麒の手が栄子の肩に触れてきた。
顔を上げると、ゆっくりと祐麒の顔が迫ってくる。
これでは"栄子がキスしてあげる"のではなく、"栄子がキスされる"になってしまうではないか、それじゃあ駄目だ。そう内心で文句をたれながら、栄子はそっと目を閉じて唇を軽くつきだす。
重なる唇は柔らかくて温かい。
離れる。
「…………馬鹿者、これじゃあ、私がされただけじゃないか。私が、してあげてもいいぞと言ったんだぞ」
ちょっと怒った様子で言ってみせて。
「……だから、今度はちゃんと、私がしてやるから…………ん……」
栄子の方から身を乗り出し、二度目のキスをして。
その夜を、別れた。
そんなことのあったクリスマス・イブのことを話して聞かせた。もっとも、最後のキスのくだりについては省いたが。
すると。
「えーっ、何ソレ信じらんない、なんでそれで終わるの? 別にそのままお泊まりすればいいじゃん」
「そうよ、栄子ちゃんってば、勿体ない。祐麒くんだって絶対、泊まっても問題ないように工作していたに決まっているわよ」
案の定、二人から責められた。
「あ、相手はまだ高校生なんだぞ、当然のことだろう」
「相手は高校生でも、栄子はもう三十路半ばなのよ? しかも処女の」
「やかましい」
頬杖をつき、ふてくされる栄子。
もちろん、そんな態度をとったところで美月たちは許してなどくれない。
「で、次はいつ会う約束しているの?」
「この時期だと、初詣ってところじゃないかしら」
「ね、年末年始は実家に帰るからな」
「あぁ、それでこっちに戻ってきて初詣の人が少なくなったところで行こうと」
「なっ、なぜ分かる!?」
「ホントだったんだ? 私達もその日にあわせて初詣でも行く、美月ちゃん?」
「それいいわね。お正月は混雑しているし、それくらいの方が」
「やめろ、絶対に来るな、来るなよ!?」
「それってアレ、フリでしょ? 来るなと言っておいて来てほしいっていう」
「ちがーう!!」
結局、美月たちのいいように酒の肴にされる栄子だった。
おしまい