夏休み。
いつもの場所で1on1。可南子は長い髪の毛を束ねてまとめ上げ、細くしなやかな体を躍らせ、汗を滴らせ、ボールを、ゴールを追いかける。
相手をするのはもちろん、祐麒。ひょんなことから知り合い、なぜかこうして、時には一緒にバスケの練習をすることもある。
祐麒はバスケ部というわけではないが、中学時代は野球部のエースで、もともと運動神経がよく、また男ということで基礎体力も可南子に負けていない。やはりバスケ部である可南子の方が動きは良いし、理にもかなっているが、それに対し運動神経と運動量でカバーする祐麒。トータルすれば可南子の方が勝っていることは確実だが、祐麒の方も一方的にやられているわけではない。
「あーっ、畜生、またやられたっ」
「ふふっ、まだまだ甘いわね」
「くそっ、もう一回!」
転がったボールを拾い上げ、何度か弾ませた後に、可南子にパスをして渡す。ボールを受け取った可南子は、再びオフェンスのスタート位置に戻って不敵に笑って見せる。
「何回やっても、同じじゃないかしら」
「今度は止める!」
腰を落とし、ディフェンスとして可南子を見据える。身長では敵わない。ジャンプ力を加えてみても、空中戦では分が悪いので、地上で食い止めるのが最優先。
余裕の表情で、可南子はドリブルを始める。
先ほどまで4回連続で決められているので、ここで止めておかないと5連敗になる。5連敗したらアイスを奢ることになっているのだ。
可南子がいきなり姿勢を低くして、鋭く切り込んでくるのを、祐麒も両手を広げてコースを塞ぐ。可南子にも疲労があるのか、珍しく隙がみえた。罠かとも思ったが、本当に隙があると見て手を伸ばすとボールに手が触れた。変な方向に弾むボールを慌てて追いかけ、もう一度キープする可南子。
「集中力切れているんじゃない?」
「あら、せっかく隙を見せてあげたのに。それでも奪えないなんて」
「くっ……」
仕切り直し。
しかし、可南子が少し疲れているのも間違いないようで、ここは絶対に一本止めると、汗を拭いながら心の中で頷く。
もう一度、可南子が攻撃を仕掛けようとしてきて、祐麒も身構える。
と。
「――――ぶっ!?」
吹き出しそうになった。
おそらく無意識にではあろうが、可南子もまたやはり滴る汗を拭ったのだが、その際、シャツの首周りの部分を指で引き上げて顎の汗を拭いた。そして暑かったのだろう、そのままパタパタと仰いで風を送った。その際、胸元が見えてしまったのだ。前傾姿勢になっていたからそれは相当の迫力を持って、祐麒の目に入った。おそらくスポーツブラだろうが、それでも胸の膨らみ、谷間は、じゅうぶんな大きさを理解させた。
「余所見? 余裕ね」
祐麒の動揺を見逃さず、可南子が突っ込んでくる。慌てて対応しようとするが、またも目が胸に吸い寄せられてしまった。今までに何度も交わされた攻防で、体の接触も幾度もあったが、そこまで意識したことはなかった。純粋に勝負の方が熱く、楽しかったから。
しかし今、視覚でとらえ、脳内にインプットされてしまった。その隙に可南子が脇を抜けてゴールに向かう。
「待てっ……!」
ジャンプシュートに向かう可南子を塞ぐように、無理に祐麒も飛ぶ。
「あっ」
「しまった……!?」
空中で互いにバランスを崩し、そのまま着地しようとして、転倒する。
「やば、ごめん、可南子ちゃん、大丈夫……?」
すぐに起き上がり、可南子の様子を確かめると、うずくまるようにして右足首を手でおさえていた。
「……もう、今のは完全にディフェンスファウル、じゃない」
痛みに顔をゆがめならも、そんなことを言ってくる可南子。
「今のは、完全に俺が悪かった。立てる?」
「少し休んでいればこれくらい……っ!」
立ち上がろうとして、すぐに膝をつく可南子。ひねって捻挫でもしたか、言葉とは裏腹に、しばらく歩くのは無理そうだった。今日は練習を切り上げ、家まで送っていくと言ったが、可南子は強情に首を横に振る。少し時間をおけば一人で帰れるから、祐麒は一人で帰れと言い張る。
結局、可南子の強情に三十分ほど付き合って待ってみたが、可南子は一人で歩けるまでに回復しなかった。
「……あと、2、3時間もすれば大丈夫よ」
「それまで、ずっとここにいるつもり?」
「そうよ、悪い?」
気温はぐんぐんと上がっていく。日陰がないわけではないが、相当に暑いことに変わりはない。
「……アイス」
「はぁ?」
「俺の5連敗だから、アイスだろ。でもほら、そのためには降りて行かないと」
練習している広場の周辺は住宅街で、店はほとんどない。
「……別に、コンビニでいいわよ」
「 "ヘロヘロ"がいいんだろ? モニストップはこの辺少ないから、駅の方に向かわないと。賭けの期限は当日だから、ほら」
「…………」
まだそれでも渋っていた可南子であったが、祐麒としては放っておくわけにはいかない。無理やりにでも連れて行くつもりで、可南子の腕をつかんで引っ張ろうとすると、強く腕を振りほどかれた。
「触らないでっ」
「えっ……と」
そこまで強く拒絶されると思わなかったので、ちょっとびっくりする。
一方の可南子も、バツが悪そうに顔を背け、ゆっくりと左足で立ちあがる。
「……一人で、立てるから」
足を引きずるようにして歩きだす可南子を、後ろから見ていると、可南子は少しだけ顔を祐麒の方に向け、素っ気なく口を開いた。
「何、しているのよ。アイス買いに行くんじゃ、ないの?」
「あ、ああ、うんごめん」
慌てて祐麒は自転車に向かうのであった。
可南子の自転車にまたがり、後部座席に可南子を乗せ、こいでゆく。もちろん可南子は、祐麒の背中に抱きつくなんてことはしていないけれど、すぐ近くに可南子の空気を感じ取ることが出来て、むずがゆい感覚に襲われる。
走っている間、会話がなくて、無言の間がどこか居心地が悪い。
「……あ、その先の角を右に」
「え、駅に向かうなら真っ直ぐじゃん」
「こんな二人乗りで駅の方に行って、誰か知り合いになんか見られたくないし」
「あー、そうだね」
可南子の言葉に従い、ハンドルを右に切る。その後も可南子の指示に従って自転車を走らせ、やがてどこかのアパートの前に到着した。築何年かは分からないが、決して新しいとは言えない外観、たたずまい。
駐輪場に自転車を入れて、アパートの前で塀に寄り掛かるようにして待っていた可南子の前に戻る。
「足、ちゃんとみてもらったほうがいいよ。変に長引かせたら嫌でしょ。えーと、じゃ」
アイス云々というのは、もちろん、可南子を送るための言い訳であった。また後日、きちんと約束は守るつもりである。
「ちょっと待ちなさいよ」
「ん? あー、アイスだったらちゃんと約束守るから、とりあえず今日は……」
「そうじゃなくて」
「え?」
「送らせるだけ送らせるほど、礼儀をわきまえてないつもりはないわ。暑いし、麦茶くらい出すから上がっていけば?」
予想もしていない申し出だった。
可南子と出会い、バスケの勝負を繰り返してきたが、可南子とは決して友好的な関係を築いてきたというわけではない。会話は少ないし、むしろ可南子は祐麒から一歩も二歩も引いた感じであった。
違うのは、バスケの勝負の時だけ。そのときだけは、ただ純粋に勝負を楽しみ、一人の人間として祐麒と相対していたように思う。逆にいえば、それ以外の時は非常に素っ気なかった。
「でも、いいの?」
「何が? 私が誘っているんだから、いいに決まっているじゃない」
と、言いきる可南子であったが、『誘う』という言葉に驚く。むろん、可南子は変な意味を込めていたわけではないのだろうが。
「……あ……ば、馬鹿じゃないの? 誘うって、変な風にとらえないでよ」
祐麒の動揺を見てとったのか、言わなくてもいいようなことを口走る可南子。怒った顔をしながら、わずかに顔を赤くさせたのは、恥ずかしさのためか。
「ほら、さっさと入りなさいよ」
ひょこひょことぎこちなくも、アパートの一室の前にたどり着き、鍵を回して扉を開く可南子。結局、祐麒はその後に続いて部屋の中に足を踏み入れた。
部屋は決して広くはないが、きちんと片づけられていて狭さは感じない。どうしたらよいのか分からずに立ちすくんでいると、リビングに置かれたクッションを指し示され、腰を下ろす。
思いがけず、女の子の家に上がることになり、わずかに緊張している。
「はい、麦茶くらいしかないけれど」
「あ、いえ、どうも」
麦茶をいれたグラスを持ってきた可南子が至近に迫り、心臓が跳ねる。まだ髪の毛をアップにしているため、あらわになった首筋に、今まで思っていなかった色気を感じる。ほんのりと漂ってくる汗の匂いは、決して不快ではなく、むしろ甘い芳香のように感じる。
そして何より、バスケの時の映像が脳裏に蘇って、つい、胸に視線がいってしまう。これまであまり意識しないようにしてきたが、シャツから透けて見える下着のラインと、豊かな胸の膨らみ。
思わずいやらしい妄想をしそうになり、誤魔化すように麦茶を一気に半分ほど飲み干す。
「ちょっと失礼。私だけ申し訳ないけれど、汗かいているんで着替えさせてもらうから」
「あ、ああ、どうぞ」
意識してしまっただけに、離れてくれる方がありがたかった。可南子の姿が隣の部屋に消えると、ほっとして息をつく。
改めて室内を見回してみるが、余計なものがない本当に簡素な部屋である。最初から物が少ないのか、いつも整理を心がけているのかは分からないが、中に居て落ち着くことのできる部屋である。
ベランダに続く窓は開けられて網戸になっているが、心地よい風は吹きこんでこない。扇風機が生ぬるい風を送ってくれるだけで、暑さは消えない。
「ごめん、お待たせ」
襖を開けて、可南子が再び姿を現す。
薄いピンクのシャツに、デニムのショートパンツと、夏らしい格好になっているが、細くて長い腕と足がむき出しになって、目に眩しい。長い髪の毛を後ろでポニーテールに結びながらやってきたため、それで目に入る脇、そしてシャツが引き上げられてちらりと覗いて見えたお腹にまた、ドキリとさせられる。
何を余計なことを考えているのだと、心の中で打ち消そうとする。今まで、ここまで意識したことなどなかったというのに。
「麦茶、おかわり、いる?」
「いや、大丈夫。それに、足を怪我しているんだから、気を遣わなくていいし」
「これくらい、なんともないっていったでしょう」
強がってはいるが、座るときに顔をしかめたのは、やはり足が痛いためであろう。可南子に思いがけずどぎまぎしてしまったこともあり、長居せずに早く辞去しようと思うものの、席を立つタイミングがうまくつかめない。
何かを話すわけでもなく、二人で無言で麦茶を口にする、非常に気まずい雰囲気。
「えっと……ご家族の方は、仕事?」
「そう、昼間はね」
会話が途切れる。麦茶を一口、すする。
と、思ったら。
「……って! ちょっと、まさか二人だからって変なこと考えないでよ!?」
「考えてないよ! てゆうか、言うタイミングが遅いだろ!」
「うるさいわね、とにかく私は、男なんて大嫌いなんだから、やめてよね」
睨みつけてくる可南子。
「そんなことするかって。でも、可南子ちゃん、男嫌いなんだ」
「嫌いよ」
「じゃあ」
「ユウキだけ特別、なんて自惚れないでよ? ユウキにはね、男らしさみたいなもんが欠如しているから、ちょっと平気なだけ。バスケの対戦相手、そう、ゲームのCOMPみたいなものだと思えば、大丈夫ってこと」
頬に張り付く髪の毛をうっとうしそうに指で上げながら、一息にそういって麦茶を口に含む。
そこでまた、会話が止まる。
部屋の中には、蝉の鳴き声だけが響いている。
正直、同世代の女子など、祐巳とくらいしかまともに会話を続けたことがないので、こういうときにどうすればよいのかが分からない。小林あたりだったら、如才なく切り抜けられるのかもしれないが、祐麒にはそんな芸当は無理だ。しかも、可南子は男嫌いときている。
「可南子ちゃんは、バスケ部なんだっけ?」
結局、バスケの話をするしかないという結論に達した。何しろ、二人の今のところの、唯一の共通点だ。祐麒はバスケ部というわけではないが。
「背も高いし、運動神経良いし、負けず嫌いだし、向いているよね」
相手が男嫌いだとしても、祐麒の方から架け橋を壊すつもりはない。褒められて悪い気はしないだろうし、祐麒が口にしていることは本心だ。
「――別に。部活には、入っていない」
だが可南子は、わずかに顔を背け、素っ気なく吐き捨てるように言っただけ。
失敗したかと、動揺する。
冷静に考えれば、一人であんな場所でバスケの練習をしているのは、何かしら理由があってバスケ部に入っていない証拠ではないか。ひょっとして、可南子の傷を抉ってしまったかと、口を噤む。
「別に、変に気を使わないでも平気よ。特別な理由があるわけじゃない」
とても、そうとは見えない可南子。
事情を知り得ない祐麒にはかけるべき言葉も見つからず、とりあえず場をつなぐようにコップを手に取り、口につけるが。
「――ん」
いつの間にか、麦茶はなくなっていた。
「おかわり、いる?」
「ん、じゃあ、いただこうか」
可南子が立ち上がり、コップを手にキッチンへと消えていく。
戻ってきたら、さっさと話題を別のものに切り替えた方がよいだろうか。といって、何を話せばよい。
テレビや音楽の話? 政治について? 学校生活について?
全く分からない。当たり前だが、改めて可南子のことについて何も知らないということに気づかされた。
「お待たせ」
お代わりを持ってきた可南子が、テーブルにコップを置く。
しかし、手を引っ込めようとしたその時、痛めた足のせいか、わずかにバランスを崩した可南子は、コップに手をひっかけて倒してしまった。
「うおぅっ! 冷たっ!?」
「あ、ごめんなさいっ」
避けようと体を後ろに倒したが遅く、よく冷えた麦茶が祐麒にかかる。慌てて可南子は近くにあったティッシュペーパーを何枚かまとめて抜き取り、こぼした麦茶を拭こうとする。
「あ、いいから、大丈夫だって可南子ちゃん」
「でも」
「夏だし、すぐに乾くって」
「そういうわけにもいかないわ、私のせいでこんなことになっちゃって」
と、その時。
玄関の方で何かが落ちる音がした。
見ると、一人の女性が玄関に立って、祐麒と可南子のことを見ていた。足元には、その女性が落としたと思われるスーパーの買い物袋が落ちて、じゃがいもが転がり出ていた。
その女性は、まじまじと二人を見つめ。
「……あ~、えと、彼氏、暴発させちゃったの? まあ、若いし仕方ないところもあるけれど、可南子、あなたいつの間にそんなことを」
きょとん、とする祐麒と可南子。
祐麒は改めて、考える。
麦茶によって濡れた染みが股間に広がっている祐麒のズボン。左手で祐麒の膝を掴んで足を広げさせ、右手にティッシュを握って祐麒のその股間を拭こうと手を伸ばしている可南子。
――何を誤解しているのか、理解した。
「ちっ、ちっち、違いますからっ!!」
顔を真っ赤にして、否定する。
「え、え、何が?」
一方、全く理解出来ていない可南子だったが、とりあえず拭いてしまおうと手を伸ばす。
「あっ、駄目だって!」
「え? …………えっ!?」
可南子の手が触れた途端、悲しくも祐麒は反応してしまった。
硬直する可南子。
真っ赤になる可南子。
そして。
声にならない悲鳴をあげ、可南子は祐麒に強烈な平手打ちをかましたのであった。
「あはははっ、なんだ、麦茶をこぼしただけだったのー」
笑っている女性は、可南子の母だった。
「わ、笑い事じゃないわよ、まったく」
可南子はまだわずかに頬を赤くしたまま、口をとがらせている。先ほどから全く、祐麒の方を見ようとはしない。
祐麒はといえば、見事なまでに真っ赤になった頬をおさえ、勢いでテーブルの角にぶつけた頭を反対の手でさすり、何も言えず座して待つ。
「ごめんねカレシくん、こんな暴力的な娘で」
「そんなんじゃない、ただの知り合いってだけ」
「何よ、親のいないうちに家に連れ込んで、お触りするような相手が、彼氏じゃないの?」
「変な言いがかりはやめてよ! 好きで触ったんじゃないし!」
そこで、思い出してしまったのか、右手を震わせながら、ちらりと祐麒を見てくるが、すぐに目をそらす。
「あー、そうだ、俺、そろそろお暇します」
可南子のプレッシャーもあり、更に母親が帰って来たとあっては、さすがに居づらくなって腰を上げる。
「あら、ゆっくりしていけばいいのに。せっかくだから、ご飯、食べていかない? この可南子が選んだ男の子のこと、お母さんもっとよく知りたいなー」
「お母さん、いい加減にして」
「いえ、本当に。それに俺、自転車置きっ放しだったんで」
可南子の自転車でここまで来たので、自分の自転車は練習場所に置き去りになっている。この暑さの中、歩いていくのはきついところだが仕方がない。
引きとめてくる可南子の母親に会釈して、家を出ると、無言で可南子も後をついてきた。一応、見送ってはくれるようだ。
「無理しないでいいよ、足、悪くしちゃうよ」
「大したことないわよ、これくらい」
アパートから、道路へ出るところで振り返る。
可南子は体の前で腕を組み、バツが悪そうに横を向いている。
「一応、お礼は言っておくから。今日は、送ってくれてありがとう」
「うん」
「あとごめん、自転車、面倒でしょ」
「楽勝だって、それくらい」
「アイス」
「次、奢るから」
「それと……」
口ごもる、可南子。
何か言いたいことがあるのは確かだろうが、どこか迷っている様子。
「どうかした?」
「あの、さ」
声のトーンを落とす可南子。
可南子の方に戻る祐麒。
痛めた足に負担をかけないよう、もう片方の足に体重をかけて立ち、アパートの塀に手をついてバランスをとっている可南子。
さらに一歩、可南子に近づく。
すると可南子は、意を決したように真剣な表情をして、口を開いた。
「……さっきうちの母が言っていた、『暴発させた』って、どういう意味なの?」
「…………は?」
「だから、『暴発』って、なんなのよ」
「いや、そっ、それは、知らなくていいことだってきっと」
「ちょっと何、ユウキは分かっているんでしょう? 凄く気になるじゃない、教えなさいよ」
「無理無理、そんなの無理に決まっているでしょうが」
「なんでよ!? あのときのお母さんの顔ったら……ねえ、一体なんなの!?」
詰め寄られたところで、答えられるわけがない。素直に教えたりしたら、また可南子に引っ叩かれかねない。
「じゃあ、俺、帰るんで。またねっ」
「あ、こらっ、逃げるな!」
足を怪我している可南子は追ってくることはできないから、さっさと逃げ出そうとしたのだが、可南子の長い腕がのびてきて捕まってしまった。
「私だけ知らないなんて、不公平じゃない」
「よ、世の中には知らない方がいいことも、沢山あるんだって」
「可南子ーっ、アンタが手伝ってあげれば、すぐにわかると思うわよ?」
いつの間にか外に出て来ていたのか、部屋の扉の所から可南子の母が、さも面白そうにして祐麒たちのことを眺めている。
「私が何か関係あるの? ちょっと、こらユウキ!」
「可南子ちゃんは男嫌いなんだろ、離せって」
「素直に吐きなさい、そうすれば離してあげる」
「それだけはできねー! てか、自分で調べて後悔でもしてろ!」
「なんなのよソレ!?」
住宅街に、二人の声が響く。
嬉しそうに見守る、可南子の母。
そんな、夏のとある一日だった。
おしまい
【おまけ】
「ええと……」
PCの画面に打ち込んで、エンター。
検索結果を見てみると。
・内にこもっていたものにこらえきれず、にわかに過激な行動を起こすこと。
・不注意などから、ピストルや小銃が誤って発射されること。「猟銃が暴発する」
「何よ、調べても後悔することなんてないじゃない」
口を尖らし、呟く可南子。
「どうしたの可南子、ユウキくんを悩殺する方法でも調べているの?」
母の美月が後ろから画面を覗き込んできながら言う。
「そんなわけないでしょう?」
ブラウザを閉じ、PCの電源を切りながら可南子は返す。
立ち上がり、美月の横を抜けて台所に向かい、冷蔵庫から麦茶を取り出す。
「そうよねえ、そんなこと調べなくても、悩殺できそうだし。てゆうか、していたのか」
人差し指を顎にあてて言う美月。表情はどこか楽しそうに見える。
可南子は麦茶をコップに注いで一口飲むと、テーブルにコップを置いて伸びをした。
「はい可南子、その姿勢でストップ!」
「?」
意味が分からなかったが、美月の言葉で思わず動きを止める。
美月は「ふぅむ」と呟きながら可南子を見つめている。
「な、何よ。なんなのよ?」
「腋見え、へそチラ、太もも、それ見せられたらユウキくんだってムラムラきちゃうでしょ? そんな格好で接していたんだものねぇ?」
「…………っ!?」
慌てて腕を下ろし、お腹を隠す。
「こんな格好、この季節なら普通でしょ」
「それでもね、男ってのは女の薄着に目がいっちゃうものなのよ」
「そんな」
そう言いつつ、つい先ほど不注意で触れてしまったことを思い出し、頬が熱くなる。
男嫌いだが、保健の授業などで知識がないわけではない。
あれは、美月が言うように可南子で反応してしまったのか。
「って、何を考えているのよ私は!」
頭を振ると、ポニーにした髪の毛がぶんぶんと揺れる。
「ああもう、今日は寝る」
「こんな早い時間に?」
「疲れたし、足も痛いし」
美月に背を向けて自室に入り、ベッドに倒れ込む。
「……次は、着る服、気を付けるもの」
顔を枕に伏せながら、誰にも聞こえない声を出す可南子であった。