大学構内を歩いていると、その姿を見てひそひそと小声で話をする人、好奇の視線を向けてくる人、なぜか誘うような色目をつかってくる人も中にはいる。耳を澄ませば、話している内容も耳に届いてくる。
「……聞いた?聖さんと蓉子さんで二股をかけていたんですって」
「白薔薇さまと紅薔薇さまで両天秤だなんて、すごいわね」
「それどころか、可愛い女の子を見るとすぐにナンパしてお持ち帰りするらしいわよ」
「まじめそうな顔して、意外よねえ……」
そんな声をただひたすら聞き流して、四方八方から突き刺さる視線のレーザービームを無視して、加東景は耐え忍んでいた。
「あぁん、私もお持ち帰りしてくれないかしら景さん……」
これはマジ聞かなかったことにして。
しかしなぜ、こんなことになっているのか。
今や景は、佐藤聖と水野蓉子という前薔薇さま方に二股をかけ、加えて可愛い女の子とみればつまみ食いする腕利きの美少女ハンターとして、リリアン女子大の一年生の間では有名人になっていた。
否定しようとすればするほど泥沼にはまると思い、噂が風化するまで静かに耐えようと考えていても、佐藤さんが噂などお構いなしとばかりに絡んできて台無しだった。
とにかく、早いうちに本腰を入れて対策をうたないと四年間の大学生活は悲惨なものとなってしまう。さて、どうすればよいだろうかとつい最近まで頭を悩ませていたのだが、そこに運命のごとき出会いが訪れた。
運命。
そんな言葉を軽々しく使いたくは無いが、そう思いたくなるのも仕方ない。何せ今の状況を抜け出せるなら、運命という言葉にすがりたくなるのも仕方が無いところだと自分自身を納得させる。それに、そう言っても差し支えないのではないかと思うくらいの人だった。その人自身の気持ちというものもあるが、そこはとりあえずさておいて、自分の思いさえあればいいはずだ。
あとは、いかに佐藤さんや水野さん、はては周囲の人間に分からせるかというところだ。
そんなことを思っていた数日後。
景は修羅場の真っ只中にいた。
いや、修羅場だなんて認めたくは無いのだけれど、傍から見ればどうしたってそう見えてしまうだろう。
「なななな、なんで蓉子と加東さんが名前で呼び合っているのよ?」
「だって、聖。リリアンなら名前で呼び合うのが普通でしょう」
「加東さんはカトーさんだったじゃない。なんで急に?やや、やっぱり二人、その」
「だって、景さんの指が、吐息が、唇が、忘れられなくて……」
「って、うぉい!あなた覚えていないでしょうが!てかそれ以前にそんなことヤっていないし!」
突っ込みをいれる景だったが、二人の耳には届いていないようだった。景の知らないところで、景が知らない景がなにやら不埒な行為をはたらいているようだ。
「あの日、私に言ってくれた言葉は嘘だったの?」
「ごめんなさい聖、私も自分の気持ちがよく分からなくなってきて」
「確かに加東さんのフィンガーマジックは絶品かもしれないけれど、そんな」
どんなテクニックだ。
しかも、そんなことをした覚えも記憶も無い。
「何よ、聖だって景さんとそんなことをしているんじゃない」
していないっての。
「だ、だって加東さんが蓉子に負けないくらい魅力的だから」
そういうことを真顔で言わないでください。
「景さん、あなたの気持ちはどうなの?」
いきなり、こちらに振るか。
二人の視線が同時に景に向けられる。女の情念のこもった、なんとも言いがたいオーラを放っている。
「あなたは、私と聖、どちらのことが本気なの。それとも、二人とも遊びだったの?!」
にじり寄る水野さん。
本気でも遊びでもないというのに、どう答えろというのか。景は『フリーダム!』と叫びながらディープインパクトに騎乗して帰宅したい衝動を必死に抑えた。
するとそこに、また新たな人物が姿をあらわした。
来た瞬間に存在を知らしめる額の光。凸魔人、鳥居さんだ。一度、彼女にはこっぴどい目に遭わされており、それ以来、景の要注意人物リストに載り続けている女性。
「あら、どうしたの。楽しそうね」
生き生きとした表情で近寄ってくる。心底楽しそうにしているところが恐ろしい。
鳥居さんは、水野さんと佐藤さんの顔を交互に見て、その後になってようやく景のことを見つけた風を装ってわざとらしく驚いた顔をする。
そして、言うなれば少女漫画のように目をキラキラと輝かせながら景に駆け寄ってきた。周りの人から見れば、美少女が迫ってくるように写るだろうが、景からしたら悪魔が舌なめずりしながら襲い掛かってくるようにしか思えなかった。
「景ちゃん、会いたかった!」
「「「け、景ちゃんっ?!」」」
景、水野さん、佐藤さんの声が計らずもハモった。
固まっている景に構わず、鳥居さんは抱きついてきた。
「な、なななな、何を、鳥居さん」
「いやだ、私のことは"江利子ちゃん"って呼んでくれるって、ベッドの中で言ったじゃない」
景のバストに指で円を描く鳥居さん。
拗ねるような仕種、表情はきっと世の多くの男性を惑わすほど破壊力があるものだと思ったけれど、景は見た。俯き加減の彼女の口元が『にやり』といった感じで笑ったのを。
「ちょっと江利子、どういうことなのよ?!」
「景さんから離れなさいよ!」
血相を変えた佐藤さんと水野さんが、鳥居さんの腕と肩を掴んで景から引き離す。
「ああ、ごめんなさい二人とも。実は私と景ちゃん、結ばれてしまったの―――」
さらりと、とんでもないことを口走る凸。
結ばれていない!いったい、どことどこが結ばれたと言うのか、この人は。
「か、加東さん、江利子にまで手をっ?!」
「景さんの気持ちは、一体どこにあるの?!」
どこにもねえよ、と叫んでやりたい。
頭を抱える景の目の前で、前三馬鹿かつ三薔薇さまが景を巡って痴話喧嘩をしている。鳥居さんは明らかに楽しんでいるだけのような気がするが。いや、確実にそうだろう。
三人が諍いに夢中になっている間に、いっそこの世の果てまで逃げてやろうかと視線を転じたとき、救世主は現れた。景の瞳が生気を取り戻す。
「……このままじゃ、埒が明かないわ。景さん、あなたの……」
「待って、三人とも。私の話を聞いて」
神妙な顔をして言うと、三人の声がぴたりと止んだ。
眼鏡の位置を直し、息を整える。
「みんな誤解しているようだけれど、私はノーマルなのよ」
ああ、何が悲しくてこんな告白を真剣にしなくてはならないのか。だけど、一度きちんとしないことには、この先どんどん泥沼にはまっていくしかない。
黙っている三人に向けて、景は決定的な一言を告げることにした。
「その証拠に、私には好きな人がいるのよ……」
これで、きっと皆わかってくれるはず。
ストレートであることを示せば、そちらの世界の方々も引いてくれるだろう。
「なっ……だ、誰なの、その相手は」
「それは……この人よっ」
言うと同時に、景はその人の腕に抱きついた。
なぜ、その人が今こんなすぐ近くにいたのか、それは分からない。けれども、それこそ運命の導きではないだろうか。
「え、ちょ、ちょっと?」
その人は驚いた顔をして景のことを見下ろしていた。いきなりで申し訳ないが、景の窮状を助けてもらうためだ、我慢して欲しい。
しかし、何回見ても惚れ惚れする。実際には二回目だけど。
そこらのアイドルなんか目じゃないくらいの美少年。今までの景の人生の中でも、これ以上はないんじゃないかというくらいの美しい容貌。柔らかな物腰、優しい双眸。さあ、文句ないだろう、と思っていたら。
「なっ……景さん、ボーイッシュな子が好みだったの」
「は?」
ちょっと、反応が違う。
「景さん、まさか現役にまで手を出していたとは」
「ちょっとちょっと、あの、何を言っているの。だから私はノーマルな嗜好ということを皆様方に知っていただきたいと思いまして、ハイ」
と、説明をしようかと思ったら。
「何を言っているの景ちゃん。令はれっきとした女の子よ」
「………………」
見上げる。
嘘だ。冗談に決まっている。こんな美少年が女の子なわけがない。だってそうだとしたら、あの運命の出会い(→人にぶつかられた景が転んで眼鏡を落として、「めがねめがね」とあたふたしているところに颯爽と現れ、眼鏡を拾ってくれたばかりか手を取り腰に手を回し助け起こしてくれたこと。投げかけられるその素敵な笑顔に、思わず景は胸きゅんしてしまい、自らの名前と電話番号を告げ、「是非、今度お礼でも」とか言ってしまった出来事)はなんだったというのか。
「う、嘘でしょう?!」
「うひゃあっ?!」
景は令と呼ばれた美少年(?)の胸に手を伸ばした。
「……ある……」
手に伝わる柔らかな感触。明らかに、女性特有の膨らみ。
「ちょ、ちょっと景さん、い、いきなり何を」
「ほ、本物なの?!」
「あ、ああンっ……」
服の上からではなく、トレーナーの下に手を潜らせてみる。本当に、柔らかい。左右どちらもそうだし、何度揉んでみても変わりようもなく、明らかに女性の胸だった。
「はあっ、あ、そんな……け、景さ……ッんンっ!」
「じゃ、じゃあこっちは……!」
片方の手を下に伸ばすと。
「……な、ないっ……!!」
「あ、そんな、ああっ、あああアっ……!!」
悩ましい悲鳴とともに、令さんがその場に崩れ落ちた。肌を震わせ、荒い息をこらえながら弱々しくこぼす。
「……はあ……よ、よしのより上手……」
「か、カトーさん、あなたこんな白昼堂々と」
「へっ」
そう言われて我に返り、周囲を見回すと。
呆然と景のことを見つめている前三薔薇さまと、多数のリリアン女子大生ギャラリー。
「……あれが噂のフィンガーマジックね」
「凄いわね、令さんを一瞬で落としたわ」
「これで前三薔薇さまと現黄薔薇さま……薔薇キラーね」
「……ああ、私にもあの指捌きを……」
(―――しまったぁぁあぁぁぁっ?!―――)
と思ったときには時すでに大幅に遅く。
公衆の面前で令さんの胸を揉みしだき股間に手を伸ばしてオトしてしまった景。しかも、その令さんは現在の黄薔薇さまらしい。
「ま、まさか令と景さんがそんな」
「令、あなた本当に?!」
「よ、よく分からないんですけれど……お姉さまに呼ばれて来てみたら、いきなり」
息も絶え絶えといった感じの令さんが、お姉さまと言って見上げた視線の先を見てみれば。
―――お前か、デコチン!!―――
「この前は、お姉さまのお兄さまを使ってわざと景さんを転ばせて、それを私に助けさせたり……何がなんだか」
―――あれもお前の仕掛けか、デコ助!!―――
「ああ、どうしよう。私には由乃がいるのに……でも、景さんの手技が忘れられなさそう……」
頬を染め、瞳を潤ませて景のことを見上げてくる令さん。どこからどう見ても、美少年にしか思えない。
呆然と立ち尽くす景。
そんな景に向けて。
「か、カトーさんがそんなに手が早かったなんて……ま、負けるもんかぁっ!」
流れる涙を隠しつつ、駆け去っていく佐藤さん。
てゆうか、負けるもんかって、何に対して?!誰に対して?!
「キーッ、悔しい!江利子、令、憶えていなさいよっ!」
純白のハンカチーフを噛み、鬼の形相で走り去る水野さん。
悔しいって、何が悔しいの?どういうコトに対して悔しいのデスカ?!
「景ちゃん、何があっても江利子、あの夜のことは忘れないから……っ」
景の首に手を回すように抱きついてきたあと、そそくさと逃げ去る鳥居さん。
あの夜のコトってなんだ、え、この魔女め。去り際に残した笑みを忘れないから。
「わ、私、ああ、どうしたらっ……!!」
乱れた衣服を手で抑えながら、困惑の表情で消え去る令さん。
いや、ちょっと、さっきのは誤解だから。私にそのつもりは無かったから、どうぞ、よしのさんとやらと仲良くしていてください。
「…………」
こうして、景だけがぽつんと一人、残された。
遠巻きに囲んでいた見物人達も、散っていく。
景はがっくりとその場に膝をついた。
「は、は、なんだったの私のしたことは……」
呼吸が荒くなる。鼓動が早くなる。破壊されていく自分の穏やかな生活を自らの目で見て絶望に堕ちていきそうになる。 そんな景の背中に、そっと優しい手が添えられた。
「……え……?」
視線を向けると。
可愛らしい巫女さんがいた。
ナゼ?
「……私は、何があっても景お姉さまの下を離れませんから」
「……誰?」
「えー、分かりませんか?私ですよ、ワ・タ・シ」
「あ」
思い出した。喫茶店のウェイトレスの女の子だ。
いや、誤解しないで欲しいが、この子に対して何もしていない。引っ付いて離れようとしない女の子(制服姿)が疲れたのか公園のベンチで寝てしまったのを、風邪でも引いたらいけないと仕方なく景の部屋まで運んだだけで、誓って何も手を出していない。いや、出す気もないし。
「お姉さまに、巫女さんのコスプレなら手を出していただけるかと思いまして」
「だから!私はそういうのじゃないって……」
「こ、これでも駄目ですか?いったい、どんな制服が好みなんですかっ?!」
「ど、どんなって言われても……」
「こ、今度こそお姉さまを振り向かせる制服を着てきますからっ……!!」
その女の子は涙ぐみながら、巫女装束を振り乱して嵐のごとく飛び去って行った。いや、飛んではいないか。
もはや言葉も無い景。
「……景さん、制服好きなのね」
「コスチュームプレイに目が無いらしいわよ」
そんな声が耳に入ってくる。
呆けた表情で、ゆらりと力なく立ち上がる景。
その右手に、令が身に着けていたブラが握られていることに気がついたのは、それから数分後のことだった。