今日は、水野さんとのデートの日。しかも、土曜の午後からだから一日丸まる、デートにあてられるということで気持ちも浮ついている。
午前中の講義の時には、浮かれていることを見抜かれて佐藤さんに散々からかわれたけれど、あまり気にしないようにした。とにかく、自分の気持ちに正直になると決めたのだから。
今日は、黒のタイがついた白無地のシャツに、グリーンのチェック柄ミニスカート。無意味かもしれないが、一応、下着も気合を入れてきた。こういうのは気持ちの問題だから。
待ち合わせの場所に立ち、腕時計と睨めっこ。約束の時間まではまだ少しあったが、こうして水野さんを待つ時間はいつもドキドキして、心が弾む。デートの待ち時間も楽しいというのも本当なのだなと、水野さんに恋をして私は改めて理解した。
至福の待ち時間を経て、実物の水野さんが現れると胸の鼓動は倍以上に高鳴る。当たり前だけれども、本人と一緒にいる方が遥かに嬉しい。
「ごめんなさい、待った?」
胸の前で手をあわせ、可愛らしく謝ってくる水野さん。
「ううん。まだ、約束の時間前だし、私が早く来すぎただけだから」
首を振りつつ、水野さんの姿に見ほれる。
フリルをあしらったブラックのシフォンブラウスに、薄いベージュのタックフレアキュロットパンツ。黒いブラウスがシックな大人らしさを演出していながら、ショートパンツが可愛らしさを見せている。
「わ、素敵、格好いい水野さん」
「ありがと。でも、加東さんの方が、可愛い」
薔薇のように優雅に笑い、私のことを誉めてくれる。ミニスカートがちょっと大胆だったかと思っていたが、とても似合っている、足が綺麗だとの賛辞を受けて、余計に恥しくなってしまった。
「ふふ、じゃあ、行きましょうか」
ごく自然に手が触れあい、指が絡まる。
水野さんの指が触れている、ただそれだけで性感帯を刺激されたかのような痺れが私の体を駆け巡る気がする。
いつもとどこか異なる気持ちを抱きながら、何回目かの私と水野さんのデートは始まった。
それは、軽くウィンドウショッピングをして、お茶を飲みながら決まった。今日のデートでは特に目的地を決めているわけではなく、その場の流れでどこに行くかを決めていた。だから、どこに行こうとも不思議ではなかったのだけど、それでも意外であることには違いなかった。
今、私と水野さんは狭い個室に二人きりでいた。
照明は暗く落とされ、どこか微妙にムードがあるような感じだけど、決して怪しいお店にいるわけではない。
ここは、カラオケボックス。
日中なら料金も安いからと誘われて、水野さんと二人では初めて足を踏み入れた。そうして水野さんはマイクを握り、歌っているわけで、私としては水野さんの美声に聞き惚れているというわけだ。
特に今、水野さんが選曲して歌っているのは、しっとりとしたラブバラード。歌詞も当然、恋心を綴ったものだから、まるで水野さんが私に対しての心情を吐露しているかのように感じられて、私は一人のぼせてしまった。
『好きだ』、『愛している』、『貴方を想うたびに』、そんな歌詞が出てくる毎に水野さんの声で聞かされ、私の心は高鳴ってしまう。
一人でどきどきしているうちに水野さんの歌は終わり、私の入れた曲のイントロが流れ出す。
「あ、私もこの歌、好きなのよ」
斜め前の場所に座っている水野さんが、烏龍茶を一口飲んだ後、嬉しそうに私に向かって言った。
そんな期待に満ちた顔して見られると、プレッシャーがかかってしまう。それに、よく考えるとこの曲も情熱的な歌詞で、好きな人を想う気持ちを歌っているものだった。今度は逆に、私が水野さんへ切々と想いを伝えているような、告白をしているような気持ちになり、違った意味で鼓動が速くなる。
歌いながら、ちらりと横目で水野さんの様子を窺うと、画面に流れる字幕を追って、口を動かしている。小さな声で口ずさんでいるのが分かる。その様があまりに可愛らしくて、ついじっと見つめてしまうとさすがに私の視線に気がつき、照れたように笑う。
(だ、ダメだ、可愛すぎる……っ!!)
冷静を装って歌い続けるものの、マイクを握る手は熱く、わずかに汗をかいているし、頬はきっと赤くなっている。部屋が暗くてよく分からないだろう、ということだけが救いだった。
その後、何曲かお互いに歌った後で、水野さんがお手洗いに席を外した。
一人残された室内で、私は大きく息を吐き出した。
カラオケをしているだけのはずなのに、私は何を意識過剰になっているのだろうか。狭い密室で二人きりということがいけないのか、緊張してやけに疲れていた。
スピーカーからは、私が入れた次の曲が流れていたが、私は落ち着くためにマイクを放し、目を閉じて精神を集中させていた。
しばらくして、ようやく冷静さを取り戻した頃に、水野さんは戻ってきた。
丁度、曲のサビのメロディが流れているときだ。
「ごめんなさい、ちょっと前を失礼するわね」
奥に位置していた水野さんは私の前を横切ろうとした。しかし、暗い室内で足を椅子に引っ掛けたのか、バランスを崩していきなり倒れ掛かってきた。
「きゃあっ?!」
「わっ」
もつれるようにして倒れこむ。幸いにして下は柔らかいソファだったので、頭を打って怪我するようなことはなかったが。
「ご、ごめんなさい。大丈夫、加東さん?」
「え、ええ、わ、私は。それより、み、水野さんこそっ」
自分の声が裏返っているのではないかと思えた。
何しろ、水野さんの方が私の上に覆いかぶさる格好で倒れているのだから。目の前には、わずかに赤くなっている水野さんの綺麗な顔。
「私も、大丈夫」
口を開くたびに感じられる、水野さんの息。
そして何より、私の胸に押し付けられている、水野さんの胸。柔らかなその感触が、私の胸を強く圧迫する。苦しくも、でもそれを遥かに上回る気持ちよさが胸を中心に広がってゆく。
それだけではない。水野さんの脚が、私の股間に押し付けられている。羞恥と快感がないまぜになって私を責め立てる。
歌い手のないメロディが、ただ室内を満たす。
きっと今の私は、水野さんの何倍も顔を赤くしているに違いない。照明の光のせいだと思ってくれるとよいのだが。
「ご、ごめんなさい」
どれくらいの間、私と水野さんは密着していたのだろう。刹那とも思える時間だったけれども、私にとっては拷問とも至福ともいえる時間。
水野さんはそっと体を起こし、続いて私を起こそうと手を伸ばしたところで、赤面して両手で顔を覆ってしまった。
どうしたのか、と、まだ少しぼーっとした頭で自分の格好をよく見てみると。
倒れたはずみでか、私のミニスカートは乱れて捲り上がり、思いっきりショーツが丸見えとなっていたのだ。
「きゃ……あっ?!」
慌ててスカートを直すが、はっきりいって遅い。ばっちりと見られてしまったことだろう。幸いにして気合を入れて選んできた、新品で可愛いショーツではあったけれど、見られて恥しくないわけもない。
ましてや私は、水野さんに恋している立場。
しかしながら水野さんも、先ほどの体勢が影響しているのか、顔を赤くして気まずそうにしている。
「か、可愛い下着ね」
などと、笑顔を作りながら言ってくれたものの、どこか微妙な雰囲気を拭い去ることはできなくて。
ぎこちない空気のまま、私たちはカラオケボックスを出たのであった。
その後、レストランで食事をしている間も、微妙な感じだった。いや、微妙なのは私一人だったか。
水野さんはいつもどおりに戻り、色々と話しかけてきてくれたのだが、私がカラオケボックスでのことを一人で引きずってしまっていたのだ。
女同士だし、下着を見られたくらいでそこまで動揺することは無い。むしろ、余計に変だと思われるだけだと内心ではわかっているものの、どうしても意識してしまう。
いや、言い訳だとは分かっている。下着を見られたことに動揺しているわけではない。密着したときに感じた水野さんの体の柔らかさが、熱さが、忘れられないのだ。押し付けられた胸の柔らかさ、くすぐる吐息、ほのかに香る体臭、そういった全てが、私を狂わせるのだ。
下着を見られたことだって、恥しくはあったものの、それ以上の嬉しさが生まれていることにも気がついていた。
これではまるで、自分が変態ではないかと落ち込むばかり。
だから、水野さんのことを意識したり、自身の気持ちに落ち込んだりして、挙動不審になってしまったのだ。
レストランを出ても、雰囲気は変わらない。
隣に並んで歩いているのに、手はつながれていない。いつもだったら自然につながれていた手が、今は離れている。
ちょっと動かせば触れられるのに、それが出来ない。
どことなく重い空気のまま、二人での帰り道にいつも通り抜ける公園に入った。
さほど広くも無く、何か目立つものがあるわけでもない公園は、夜ともなるとほとんど人気が無かった。ところどころに置かれた街灯が周囲を照らしているが、一人だったら通ることのない場所だ。
そういった意味では、水野さんと一緒に出かけるようになったからこそ、使うようになった場所である。
その公園の半ばで、不意に水野さんが口を開いた。
「……ごめんなさいね、加東さん」
申し訳なさそうな口調で。
どうして、水野さんが謝るのか。空気を悪くしているのは、明らかに私の方だというのに。
「カラオケでのこと、気にしているんでしょう?」
公園の中にぽつんと置かれた自動販売機の放つ光が、不自然なほどに明るく見え、薄暗い公園で四角い機械が妙に浮いて見える。
水野さんは私の方を見ずに、続ける。
「加東さんに、不快な思いさせちゃったわね」
違う、そんなことはない。むしろ、淫らなことを考えてしまいそうになる自分自身が嫌だった。水野さんを、汚しているようで。
私たちは立ち止まる。
自販機の明かりを背にして、水野さんの横顔が浮かび上がる。
「ごめんなさい……あのとき。加東さんの上に倒れこんだとき、私……本当はもっと早くに退くことができたはずなのに、そうしなかったの」
「……?」
「その、加東さんの体が柔らかくて心地よくて、むしろもっと密着するように……ほ、本当にごめんなさいっ……」
言いながら、頬を朱に染める水野さん。
一方の私はといえば、思いがけない告白に呆気に取られていた。ただ何を言えばいいのか分からなかっただけなのだが、黙っていることで怒っていると勘違いしたのか、更に水野さんは弁解するかのように続ける。
「で、でも、加東さんにとったらいい迷惑だったわよね。重いし、気持ち悪いだろうし」
「そ、そんなことないっ!」
そこでようやく私は、水野さんの言葉を遮った。
このままでは、水野さんが誤解したまま、水野さん一人を責めるような形となってしまう。私は、水野さんの沈んだ顔など見たくない。私のせいで、水野さんに悲しい表情などさせたくなかった。
「わ、私だって、嬉しかったの。あのハプニングが。水野さんに上に乗られたことが」
恥しかったけれど、止まらなかった。
勘違いされたまま水野さんを落ち込ませるくらいなら、自分が恥しい思いをした方がよほどマシだと思ったから。
「水野さんに乗られて、水野さんの温もりを感じて、嬉しかった。どきどきした。もっと、ぎゅっとしたいと思った」
「か、加東さん……?」
驚いた顔をして水野さんが何か言おうとしたが、遮るようにして私は一人で勝手に喋り続ける。
「水野さんとだったら、いくらでもああしていたかった。ううん、本当のことをいえば、もっと淫らな事も想像した……」
止まらない。
溢れ出した想いは、止めることが出来ない。
「水野さんに軽蔑されるかもしれないけれど……絶交されるかもしれないけれど……でも、駄目なの。もう、止められない。だって……だって、水野さんが、好きだから」
水野さんの目が、大きく見開かれる。
「友達とかじゃなくて、好きなの。本当に、好きなの。分かってる、女同士だって。でもそんなの関係なく、私、水野さんのこと好きなの」
とうとう、言ってしまった。
今まで我慢してきた、胸に秘めてきた想い。
同性同士の恋愛なんて、一般的じゃないけれど。受け入れられる可能性なんて限りなくゼロに近いのかもしれないけれど。それでも、打ち明けられずにはいられなかった。
「…………」
水野さんは何も言わず、目をぱちくりさせて私のことを見ている。
途端に、私の心は冷えてゆく。
ほとんど勢いに任せて告白したが、それは即ち今までの関係を壊したということに他ならないのだ。
受け入れられない可能性の方が遥かに高いと分かっていたつもりでも、頭の中で予測するのとそれが現実になるのとでは、全く異なる。
熱に浮かされていたかのような狂騒が去ると、恐怖と絶望を一緒くたにした感情が奥底から浮かび上がってくる。
拒絶される。
離れてゆく。
元の関係には戻れない。
嫌われる。
ありとあらゆるマイナスの気持ちが、私の体内を駆け巡り、荒らしてゆく。
このまま私に背を向け水野さんは去ってゆき、公園の中でただ一人取り残された自分の映像を思い浮かべて、震える。
目を閉じ、再びあける。
水野さんはまだ、目の前にいる。今からなら、元に戻せるのではないか。無意味な思考が脳裏に蠢く。
永遠とも思える、でも実はほんの僅かの時間。
喉がカラカラに渇いている。唾を飲み込み、考えもまとまらないまま、とにかく何かを言おうと口を開きかけたその時。
「……よかった」
目の前の水野さんが、安心した笑顔を見せた。
「え…………?」
「本当、加東さん、私のこと嫌いになっちゃったのかと思って、ドキドキしちゃった」
胸に手を当て、ありえないことを口にしながらほっと息を吐く水野さん。
一体、どういうことなのか。
「……だって加東さん、私のこと好きなのかと思っていたのに、全然告白してくれそうもないし、今日だってあんなことになった後、凄く機嫌悪そうに見えたから……」
何を言っているのか。
混乱して、頭がよく働かない。
「あの、ええと……私、水野さんのことを好きって」
「ええ、聞いたわ……とゆうか、遅いわよ、もう」
拗ねたような表情で見つめてくる水野さん。
とても可愛らしいのだが、ということはひょっとして。
「加東さんて、本当に鈍感……もうずっと前から、私は加東さんのこと好きだったのに……気がつかなかったの?」
今度は少し怒ったように眉を寄せる。怒った顔も可愛いのだが。
「えと、嫌われているとは思わなかったけれど……」
「嫌いな人とデートするわけないでしょう。本当に気がつかなかったの?」
「だ、だって、女同士だし」
「加東さんは、そんな女の私のことを好きになったのでしょう?」
「そうだけど……って、え? ということは、あの、ひょっとして水野さんも私のことを」
「バカ、何度も言わせないでよ」
頬をほんのり赤くして、横を向いてしまった。
ということは何だ、私の想いは受け入れられたというか、両思いということなのか。
「し、信じられない……」
「私は、加東さんの鈍感さが信じられないわ」
「そんな、それだったら水野さんの方から告白してくれても」
「だって私、ずっと加東さんも私の気持ちに気づいてくれているものだと思っていたし。それに、加東さんに告白されたかったんだもの」
「うわぁ……」
頭の中が真っ白になる。
幸せすぎて、何も考えられない。ただ目の前にいる水野さんが愛しくて、でもどこか信じられなくて。
幻ではないことを確かめるかのように、ぎゅっと水野さんの肩を掴んだ。
「あ……」
水野さんの体が一瞬、びくりと動いて硬直したかと思うと。
どこか潤んだ瞳で、私のことを見つめてきた。
「……っ!」
そこで私はようやく気がついた。水野さんの肩をつかんで引き寄せる格好となり、今、私たちはそれこそ触れ合うほどの至近距離で見つめ合っていたのだ。これではまるで、私が水野さんに……
「ん……」
思った瞬間、水野さんの瞼がゆっくりと落ちてゆく。
「!!」
息を飲む。
だけど、鈍感といわれた私でもさすがにここで間違えたりはしない。心臓は破裂するのではないかと思うくらいに速く、激しく動いていたけれど、可能な限り冷静に。それでも、手が、唇が震えるのを抑えきることはできなかったけれど。
そっと、水野さんの可憐な唇に、自分の唇を押し当てた。
温かくて柔らかくて、吸い付いてくる。
「んっ……」
ゆっくりと、離れる。
ただ押し当てるだけの拙いキスだったけれど、それでも頭の芯がぼうっとして、心地よい酩酊感が残った。
水野さんも、どこかとろんとした表情で、私のことを見ていた。
「……私、今すごい幸せ」
「私もよ……景さん」
「え……」
見つめると。
水野さんは照れたように私のことを見ていた。そしてまた同時に、私に何かを期待するかのような目もしていた。
「うん……大好き……蓉子、さん」
「ありがとう」
にっこりと満足したように笑うと、いきなり身を寄せてきて唇を重ねてきた。
二度目のキスは、ほんの一瞬。
触れたと感じた瞬間には、離れていて。
「さっきは景さんからだから、今度は私から」
はにかむ、彼女。
私の方はといえば、首まで真っ赤になってしまったのが自分でも分かる。
「やだ、景さんどうしたの。そんなに赤くなっちゃって」
「だ、だって。き、き、キスされたから」
「さっきは、景さんからしたじゃない」
「でも……うああ」
頬を右手で抑えるが、熱くなる一方のような気がする。今さらになって、凄く恥しくなってきたのだ。
「ふふ、行きましょう」
「う、うん」
熱に浮かされたように、ふらふらとした足取りで進む。
だけれども。
「ほら、真っ直ぐ歩けないのかしら?」
私の左手につながれた蓉子さんの手は、確かなものだった。
夜の公園を二人で手をつないで歩く。
それが、二人が恋人となってからの初めてのデート。