浪人生というものは休みがあるようで休みがない。真美は予備校に通っているが、欠席したからといって予備校の講師に怒られるとか、内申点を下げられるとか、そういったことはない。ただ、成績は上がらないかもしれないし、講義に出ている他の人より理解できなくなるかもしれないし、大学に合格できないかもしれない。全てはある意味自己責任なわけである。
もちろん真美はサボるつもりなどない。予備校のお金を出してくれているのは両親なわけで、決してお金持ちとはいえない家だから、親が頑張って真美に投資してくれているお金を無駄になんか出来ない。大学に入ってからも学費はかかるわけで、この浪人生活でかかるお金は、ストレートで大学に合格した人から考えてみれば、単純に余計なお金がかかっているわけでもある。
更に更に言うならば、予備校に通えば祐麒に会うことが出来るわけである。高校時代は滅多に顔を合わせることなどなかったけれど、それこそ今なら毎日のように会うことも出来るわけで、ならば余計にサボろうなんて思うわけもなかった。
講義はさすがに高校の授業とは異なり、専門的で、苦手な科目の場合は結構大変だったりもするけれど、頑張っている。なんといっても一人じゃないというのが心強い。学校だったら当然、クラスの友達なんかがいるけれど、予備校じゃあどうだろうかという心配も当初はあったけれど、知っている人と同じコースになることが出来たので、難しい講義もくじけずにやっていけそうである。
「確かに、一緒に頑張っていける人がいるというのは、大事よね」
そう言って頷き、卵焼きを頬張る典。
予備校のお昼休み、全員家からお弁当持参でやってきており、こうして一日の中の束の間の休息を取っている。何せそれ以外はほとんど勉強漬けだ。
「そういうわけで祐麒さん、受験が終わるまで一緒によろしくお願いします。私、結構くじけやすいので、いつも側にいて力づけてくださると、とてもありがたいです」
典が、正面に座っている祐麒に向かってやんわりと微笑みかける。
って、え、ちょっと待って。なんだか今の台詞って、物凄く大胆というか、ある意味告白に受け取れてもおかしくないような、なんてことを考えて真美が目をぱちくり、口をぱくぱくさせていると。
「それは俺も同じですよ。俺がへこたれそうな時は、叱咤してくださいよ」
「あら、私の場合は叱咤ですか?」
「いやぁ、なんとなく高城さんはそんなイメージが」
「なんかそれ、失礼じゃありません?」
言いながら、二人で笑い合う。
そんな光景を、真美はあわあわしながら見つめている。いつの間に、祐麒と典の二人がこんな軽口をたたき合うくらい親しくなったのだろうかと。もしかして今週の頭に、体調不良で真美が休んでいるときに仲良くなったのだろうか。
二人が仲良くなることは悪いわけではないはずなのに、素直に喜ぶことなど出来ない。そして、そんな心の狭い自分自身が嫌になる。
しかし、こうして典と一緒にいると、時々ものすごく落ち込みそうになる。
典は美人で、スタイルも良いし、性格はさばさばしているようであまり人見知りもせず、話も上手で知り合って間もない祐麒とも自然にお喋りをすることができている。おまけに得意科目、苦手科目が祐麒と異なっているため、お互いに教え合ったりすることも出来る。
それにひきかえ真美は、容姿は十人並で幼児体型、インタビューはできるけれどトークはさほど得意というわけではないというか、祐麒相手だといまだに緊張してしまい、滑らかに話をすることが出来ない。得意科目、苦手科目が祐麒と重複しているので、典のように勉強面で役に立てることも少ない。
祐麒も典も、真美に対してそんなことを思ってなどいないのは分かるのだが、それでもなんだか、惨めになってくるのだ。
「真美さんどうしたの? 具合でも悪い?」
目を上げると。
前の席に座っている祐麒が、心配そうに見つめてきていた。
「ふぇっ!? いいいいえ、別にっ」
見られていたことに気が付き、恥しくて顔が赤くなってくる。こうしてすぐに赤面して、どもってしまうのもどうにかしたい。
「ちょっと、午前中の講義のことを思い出していただけです。む、難しかったから」
「あー、確かに今日の部分は俺も完全に理解は出来なかったかも」
「あそこですよね、でも重要ポイントですから、きちんとおさえないと」
誤魔化せたようで、とりあえずホッとする。
しかしまあ、当たり前だけれど何とも色気のない会話にばかりなってしまう。浪人生なのだから仕方ないし、色気のある話をしろと言われても出来ないだろうが。
いけない、いけない。受験生、浪人生の身だというのに、何を甘いことを考えようとしているのか。そんな余裕などないはずだと、自らを戒めるように頭を振る。
「……あら、真美さんは都合が悪かった?」
「はい?」
「でも、それじゃあ仕方ないか」
「え、え?」
ぼーっとしているうちに、また何か話が進んでいたようで戸惑う。典と祐麒は、何やら思案顔。
「でもまあ、せっかくですから、とりあえず今回は私と祐麒さん二人でやります?」
「そうですねぇ」
「え、え、なっ、何がですかっ!?」
一体ナニを二人でヤるのか、理解できていなかった真美は慌てる。
そんな真美とは対照的に、ごく落ち着いた表情で典は事もなく告げる。
「だから、今週の土曜日に私の家で勉強会をしようという提案だけど」
「えっ……」
「真美さんの都合が悪いようなら、私と祐麒さんで」
勉強会、それはいい。
だけど。
典と祐麒の二人きりで、しかも、典の家で!?
二人きりの勉強会、教え合ううちにいつしか身を寄せ合う二人。気になる吐息、ふとした瞬間に絡み合う視線、触れ合う手と手。
潤んだ瞳をゆっくりと閉じる典、その華奢な肩に手を置いてゆっくりと顔を近づけて行く祐麒――
「だっ、だだだだ駄目ですそんなのっ、わ、私も参加しますっ!!」
「え、でも都合を聞いたら真美さん、首を横に振っていたじゃない」
「大丈夫です、浪人生ですから全く都合なんて悪くないですから、私も絶対に参加しますからっ、えふっ、ふぇっ」
勢いこみすぎて、最後に無様にむせてしまった。恥しいが、そんなことに構っている場合でもなく、真美は真剣な表情で典を見つめる。
「分かったから、そんなに子犬のような目で見ないでよ。それじゃあ土曜日は三人で勉強会ということで。進め方はどうしましょうか、せっかくだからお互いに補い合えるようなやり方がいいかしら」
苦笑した典はあっさりと受け入れ、さっさと具体的な勉強会の内容へと話を移していった。これではなんだか、一人だけ真美が空回りしているみたいではないかと、気になって祐麒の方を見てみると。
同じように真美の方に目を向けた祐麒に、くすりと笑われて。
物凄く恥しくなって俯いてしまう真美なのであった。
真美達が通っている予備校のコースは、土日は休みである。なので、その土日は自宅で勉強をする。講義で習った内容の復習や、次週の講義の予習、あるいは講義とは関係ないことを勉強したり。休憩を途中に挟みはするけれど、今のところ遊んだりすることはしていない。まあ、一年は長いしどこかで休息日をいれたいとは思っている。
そして今日の土曜日は、先日約束をした通りに勉強会である。
教えてもらった住所と地図を頼りに、典の家の前に到着した。閑静な住宅街の中、なかなか立派な門構えの邸宅、といった感じ。
迎えに出てきた典は、パーカにデニムといったカジュアルな格好だったが、それだけでもサマになるように真美には見えた。
在宅していたご両親に挨拶し、手土産を渡して典の部屋に通される。
「てっきり、真美さんと祐麒さん、一緒に来るもんだと思っていたけど」
「あ、ごめんなさい。まとまって来た方が良かったですよね」
「それは別にいいの。ただ、一時間も早く来るとは、ちょっと想定外だったけど」
「うぅ……ご、ごめんなさい」
早く来すぎてしまい、一応、メールで連絡して問題ないことを確認してからやってきたのだが、やはり迷惑だっただろうか。
「もしかして真美さん、実は祐麒さんだけ早く来ていて、真美さんが来るまでの間に私がいちゃついているとでも思っちゃった?」
「なっ……! なな、そ、そんなことはっ!」
実は、考えてしまった。
あり得ないとわかっていたのに考えてしまい、想像してしまい、それで約束していた時間よりもずっと早くに到着してしまったのだ。
「え、冗談だったんだけど、もしかして本当?」
逆に驚く典。
しばし無言で、なんとなく居心地が悪くなる。
先に耐えられなくなったのは、真美だった。
「ごっ……ごめんなさい!」
腰を90度以上に曲げて深々と頭を下げる。
「そんなこと絶対にあるわけないって頭の中では分かっているんだけど、それでもなんか、疑心暗鬼になっている自分がいて……典さんに凄い失礼だって分かってる……本当、ごめんなさい」
「あ、いえ、そんな、頭を上げて真美さん」
典に手を取られ、出されたクッションの上に腰を下ろすが、まだ顔をあげることができない。情けなくて、申し訳なくて、泣きそうだった。
対面に座した典は、しばしの間考えるようにして、やがて。
「ねえ真美さん、時間もあるし丁度いいわ。少し、ガールズトークしましょうか」
「……へ?」
顔を上げると。
悪戯っ子のような笑みを浮かべた典がいた。
「おそらく今の状況は、真美さんにあまり良くないと思うの。私も性格的に、はっきりしておいた方がすっきりするし。どう?」
「どう、って言われても、具体的に何を……」
「もちろん、恋バナ。祐麒さんに対する気持ち。まあ、訊くまでもないんだけど、真美さんは祐麒さんのことが好きなのよね」
「なっ……!」
あっさりと口に出されて、先ほどまでの居たたまれなさが消え去り、かわりに熱い何かが胸の奥から湧き上がってくる。
「ねえ、いつから好きなの?」
「いいい、いつからって、そんな、私は」
「何で知り合ったの? やっぱり祐巳さん繋がり?」
「あとえと、つ、典さん?」
いきなり勢い込んで尋ねてくる典に圧倒される真美。
「あ、もしかして意外と、学園祭で真美さんの方から逆ナンパしたとか!」
「ち、違いますっ! 初めは単なる偶然というか、思いがけないというかっ」
「へぇ、どういうこと? 教えてよ」
興味津々といった感じで、瞳を輝かせて尋ねてくる典。予備校ではいつもクールで、あまり表情も変化させない典にそのような姿を見せられて、新鮮さを受ける。
「で、二人の出会いはいつどこで何をどのように?」
「わ、ちょちょっ、そんないっぺんに訊かれても、順番に話すからっ」
結局、勢いに押されるままに、真美は祐麒との出会いから今までのことを、ほとんど喋ってしまった。
典が聞き上手ということもあっただろうし、真美自身、誰かに話したかったというのもあるのだろう。
話し終えると、典はローテーブルに突っ伏した。
「何よそれー、なんかもう、二人はラブラブって感じじゃあない?」
「そ、そんなこと」
「だってクリスマスにバレンタイン、色々と聞くにどう考えてもそうとしかとらえられないんだけれど。これじゃあ、私が入る余地とかないんじゃない?」
「そんなこと……てゆうか、典さんは本当に?」
ずっと、気になっていたこと。
以前、ファミレスではなんとなく曖昧にされてしまったが、その日から典の言動が気になって仕方がなかった。だから、なんでもないようなことでも、つい余計なことばかり考えてしまい、一人で悶々としたり暴走したりしていたのだ。
テーブルの上から顔を上げ、頬杖をついて典は真美を見つめる。いつもなら目をそらしてしまうのは真美の方だったが、今回ばかりは負けずに見つめ返す。
「……うん、多分、好きになりかけている」
「っ!」
「初めはね、真美さんへの対抗心というのが大きかったのは本当。見ていて、真美さんがとても可愛らしくて、少し意地悪しちゃおうかって。でも、ちょっとからかうだけのつもりだったの」
髪を撫でる典。
そんな仕草一つとっても、どこか舞台の上みたいで映えると思うのは、真美がひがんでいるだけだろうか。
「そうだったんだけど、一ヶ月くらい一緒に予備校で勉強して、お話して、同じ時間を過ごしているうちに、なんだかいいなって思えてきて。フィーリングとかもあるんでしょうね。雰囲気とかが、私の好みなんだと思う」
落ち着いた声で、真美をからかうでもなく、淡々と語る典。
ほんのりと頬が赤くなっているように見える。
「真美さんの気持ちは知っていたわけだし、駄目だって自分に言い聞かせるんだけどね、このままじゃまずいって。だけど、そういう想いって自分じゃ止められないものね」
そんな典の言葉を聞いていた真美は。
「うぅぅ、ずるいですよ典さん~」
「うぇぇっ!? ちょ、な、なんでいきなり泣いているのよ真美さんっ!?」
「だ、だって、典さんみたいに素敵な人に好きになられたら、私なんかじゃ勝てないじゃなないですか」
自分でも気がつかないうちに、目の端から涙の粒がこぼれ落ちていた。
「はぁ? 何を言っているのよ」
「だ、だって典さん綺麗だし、スタイルも良いし、胸だって」
「あのね、私、ギリでBカップだから」
「充分じゃないですか! 私なんかAAですからっ! 男の人は胸の大きな女の子が好きなんですよ、祐麒さんだって胸の大きな女の人がいると目がそっちに移るんです」
「男の子なんだから、仕方ないんじゃないの?」
「だからAAよりBの方がいいに決まっているじゃないですかーっ!」
「だから落ち着きなさいっ!」
ぺしっ、と真美の頭を叩く典。
頭を手で抑えて涙目の真美。
「胸の大きさで選ぶなら、志摩子さんや祥子さまが選ばれるでしょう」
「……志摩子さんや祥子さまなら、胸が小さくても勝てる気がしない」
「それは、確かに……」
ずーん、と重くなる室内。
「だーかーらー、そうじゃなくって! 現実に今、祐麒さんと仲が良いのは真美さんでしょうが、自信を持ちなさい、ってなんで私が恋敵の真美さんを元気づけないといけないのよー」
はぁ、と典は大きく息をつく。
真美はうなだれている。
「まあ、いいわ。それより真美さん、協定を結ばない?」
「協定?」
「そう、私と真美さんの、淑女協定。この一年は受験勉強に専念して抜け駆けしないこと。色仕掛けとかしないこと。受験が終わったら想いを告げるのを許可すること。告白する際にはお互いに知らせること。どちらが選ばれようとも恨まないこと」
「なな、なんですか、それっ」
「だから、協定。駄目かしら?」
可愛らしく小首を傾げる典を見て、真美は改めて考える。典の口にした内容は、決して真美にとって不利になるものではなかった。何せ、抜け駆けだとか色仕掛けだとか、とてもではないが真美に出来るようなものではないから。むしろ、典の行動を制限できるので真美の方に望ましいことかもしれない。
「……本当に、抜け駆けなしですよ」
「もちろん」
「じゃ、じゃあ、分かりました」
真美が頷くと、典はにっこりと笑い手を差し出してきた。
戸惑いつつ、真美もゆっくり手を出して、協定締結の握手をする。
「あ、ちなみに当然、合格しないと受験は終わらないから、告白は禁止よ」
「え、ええーっ!? そ、それじゃあ二浪したら」
「もちろん、あと一年間、協定内容を遵守よ」
「そそそそんなーっ!?」
「合格すればよいのだから大丈夫よ、それに、こうなったらもう頑張るしかないでしょう?」
「や、やっぱり取りやめというわけには」
「あ、祐麒さん、来たんじゃないかしら? さあ、出迎えに行きましょう」
「ちょちょっ、典さんっ」
立ち上がり、部屋を出て行く典を慌てて追いかける。廊下を抜け、階段を降り、一階に到着してみると既に開いた玄関から祐麒が中に入って来るところだった。その姿を目にするだけで、今でもやっぱり胸が高鳴る。
「さあ、どうぞ上がって」
「お邪魔します。あ、こんにちは、真美さん」
スリッパを履きながら、真美に気がついて軽く会釈をしてくるので、真美も挨拶をしつつ玄関の方に向かい。
「――あっ」
スリッパが廊下に引っ掛かり、つんのめる。
倒れかかった先にいたのは祐麒で、咄嗟に受け止めた祐麒に抱かれる格好となってしまった。服の上からでも伝わってくる祐麒の温もり、そして心臓の音。いや、これはむしろ真美自身の鼓動か。
「大丈夫、真美さん?」
「は、はい……すみません」
頬が熱くなる。
今、顔をあげたらきっと薔薇のように真っ赤になっているだろうと思い、そのまま祐麒の胸に額をくっつけるようにして俯いたままでしかいられない。
「真美さん、抜け駆け禁止っていったでしょう、協定違反よ!」
「えっ!? ここ、これは違うよーっ」
「もー、意外に油断も隙もないのね、真美さんって」
「だから、ち、違うってばーっ」
突っ込まれ、手を振りながら言い訳する真美に、胸の前で腕を組み憤慨した様子の典。そして、そんな二人を戸惑いつつ見ている祐麒。
「えーと、協定違反って、何?」
良く分からず、とりあえずそんなことを口にした祐麒に対し、真美と典は一瞬、目を合わせたかと思うと。
「ゆ、祐麒さんには、内緒ですっ」
「女の子には女の子の秘密があるものよ」
そう言って。
二人仲良く、照れくさそうに笑った。
おしまい