ゴールデン・ウィークの最後の週末、祐麒は午前中に家を出て、とある場所に向かっていた。電車に乗って移動している最中、昨夜に届いていたメールを確認する。
"福沢君、三奈子がヤヴァイ! 助けにきてあげてー(笑)"
ため息をつく。
ゴールデン・ウィーク中は大学の友人と旅行にいっていたし、三奈子は三奈子で休日出勤のため忙しく、会う暇がなかった。だから、もともと今日は三奈子に会いに行く予定であったのだが、こんなヘルプメッセージが届くとは、随分と酷いことになっているようだと予想する。
電話やメールのやり取りでは非常に明るく元気そうなのだが、それだけでは推し量れないものがあるのであろう。
電車を降りて、目的地に向けて歩く。3月からまださほど経っていないが、何度も通った道なので間違えようもない。5分ほどで、三奈子が住んでいる女子寮に到着する。女子寮といっても、普通にマンションを会社が借り上げているだけで、寮母などはいない。だから、男子禁制とはいっても注意すれば特に問題はない。
というか、そもそも祐麒の存在は既に入寮している女性の殆どに知られてしまっているので、今更おどおどする必要もない。何せ、三奈子が堂々と寮の皆に紹介してしまった。
『こちら祐麒くん、これからしょっちゅう来ると思うので、よろしくお願いします』
と、悪びれた様子もなく、満面の笑顔で。
他の女性も、彼氏を連れてくることがあるというのは暗黙の了解らしく、苦笑をしていた。まあ、中には堂々と言い放つ三奈子に対し、苦々しい表情を向けてきている人もいたので、祐麒としてはあまり目立つようなことはしたくない。
ちなみにメールをくれたのは三奈子の隣の部屋に入っている、三奈子の同期の女性。明るくてノリのよい人である。
ずっと実家育ちだった三奈子だが、就職するにあたって会社が家から遠いために寮に入ることにした。必然的に、祐麒も会いに行くのが大変になったのだが、そこはそれ、三奈子に「祐麒くんに会えないとパワーが出ないよー」と言われては、足しげく通うしかなかった。もっとも、三奈子に言われるまでもなく、祐麒自身も三奈子に活力をもらわないと、なんだか腑抜けになってしまうのだが。
誰に遭遇することもなく、三階の三奈子の部屋の前に到着する。既に面は割れてしまっているのだが、やはり誰にも見られない方が内心ほっとする。
今のうちにと、インターフォンを押す。
反応なし。
もう一度押す。押す。押す。
反応なし。
「ふぅ……」
いつまでも突っ立っているわけにもいかず、祐麒は仕方なく合鍵を取り出した。女性の部屋だし、いくら付き合っているといっても勝手に入ることはしたくないのだが、ここは仕方あるまい。
鍵を開けて、扉を引く。
「……って、チェーンだし!」
鈍い音とともに、扉は小さく開いて止まってしまった。女性の一人暮らしだから当たり前だし、むしろチェーンしていなかったら心配だが、今の状況でそれはないだろう。
中は薄暗くてよく分からない。
「おーい、三奈子さん?」
隙間から声をかけてみるが、反応はない。まだ眠っているのだろう。
「三奈子さ~~ん?」
何度か声を投げてみるが、それでも起きてくる様子はない。熟睡した三奈子は、そう簡単に目を覚まさないことは知っている。
どうするか、しばらく時間を潰してからまた様子を見に来るか、などと思っていると。
「あら福沢くん、こんちゃー」
「あ、金井さん、こんにちは」
いつの間に出てきていたのか、隣室の金井亜矢子が祐麒のことを見ていた。ショートカットの似合う、中性的なイメージを持った女性である。
「そんな小さな声で呼んでいたって、起きないでしょう?」
つかつかと歩いてきて、扉の隙間から中を覗き込む亜矢子。
「そうは言いましても、大きな声を出すわけにもいかないでしょう」
知られているとはいえ、恥ずかしい。
「何、今更そんなこと。夜は隣の部屋の私のことも気にせず、大きな声を三奈子に出させているくせに」
「な、な、何て事を言うんですかっ!」
亜矢子はことあるごとに祐麒と三奈子のことをからかってくる。素直に反応してしまう祐麒のせいかもしれないが、この辺は簡単に変えられるものではないから仕方ない。
「あはは、まあそれより、三奈子を確実に起こせる方法、知ってるよ?」
「え、本当ですか……って、あの、な、何を?」
亜矢子がにじり寄ってきて、祐麒の腕を掴む。
中性的とはいえ紛れもなく女性であり、近寄られるとさすがにドキドキする。
「ねえ福沢くん、起きてこない三奈子なんて放っておいて、私といいことしない? 私、前から福沢くんのこと、いいかなーって思っていたのよね」
「え、え、ちょっと、金井さんっ?」
「三奈子よりも気持ちよく、してあげるよ?」
「あの、や、俺には三奈子さんが」
突然モーションをかけてきた亜矢子に狼狽していると。
部屋の奥で空気が動くのがわかった。
「――ちょ、亜矢、にゃぎゃーっ!」
そして、部屋の中から悲鳴と鈍い音が聞こえた。おそらくベッドから落ちたのであろうと、容易に想像がつく。
どたばたと廊下を駆けてくる音、そして。
「ほら、起きたでしょ――あがっ!!」
「こ、こら亜矢子っ! 何、祐麒くんに手だしてるのよ、って、どしたの?」
「あんたが勢いよく開けるからでしょ……」
迂闊と言えば迂闊だが、三奈子が思いっきり扉を開いた際に亜矢子にぶつかってしまったのだ。額を抑えて蹲る亜矢子。
「天罰だよ、天罰。ね、祐麒く……」
と、そこまで言いかけたところで三奈子が固まる。
手で顔をおさえ、目を見開く。
「ふにゃっ!! やだ私、昨日帰って寝落ちしたから、酷いことになってるのにっ!!」
確かに、三奈子は髪の毛はぼさぼさの乱れ放題だし、ブラウスはしわしわだし、ズボンだってぐちゃぐちゃで、酷い有様ではある。
慌てて室内に戻ろうとする三奈子だったが、素早くその腕を掴んで引き留める。
「大丈夫、三奈子さんはそんなんでも凄く可愛いですし、すっぴんの方が俺、好きですよ。あ、もちろんメイクした三奈子さんは凄く綺麗で同じくらい好きだけど」
「ううぅ、でもー」
「大丈夫ですって、ほらー」
「うにゃー」
手櫛で髪の毛を梳くと、猫のように目を細める三奈子。
そして隣でじと目をする亜矢子。
「うわ、出たよバカップル……人がいるのも気にやしねえ」
「えへへ、でも久しぶりに祐麒くんだ」
抱き着いてくる三奈子。
そして、おもむろに顔を近づけてくる。
「だあぁぁぁっっ! だから人前で平気でキスしようとするなっつのバカップラーが! こちとら彼氏いない歴四年目に突入してんだぞオラァ!!」
キレた亜矢子が三奈子の肩を掴んで引き離す。
「エロいことはベッドの上でやれっての! どうせこれから明日までべったりなんだろうから、そこで好きなだけエロってろ!」
「ななな、何を言うのよ、亜矢子っ!?」
亜矢子の言葉に、顔を赤くして動揺する三奈子。
普段、三奈子は天然のエロさを発揮して祐麒を戸惑わせたり、嬉しがらせたり、赤面させたりするのだが、なぜか正面切っての下ネタやHトークになると途端に過剰反応してしまうのだ。
「……ちょっとー、うるさいわね朝から」
「朝からって、もうすぐ11時ですけどね」
「あ、祐麒くんだー、一緒に遊ぶー?」
騒いでいたせいか、近くの部屋から続々と住人達が姿を見せてきた。結局、今日もまた静かに三奈子の部屋に入るということは達成できなかった。
「あ、駄目駄目、今日は私と3人ですることになっているから」
「あああああああ亜矢子っ!? ば、馬鹿っ! もう、祐麒くんほらっ」
真っ赤になった三奈子に背中を押され、玄関の中に足を踏み入れる。入寮するまでは3Pの意味も知らなかった三奈子だが、寮でからかわれるようになってから知って、絶句していた。
扉の内側に入り、女性たちの笑い声をシャットアウトするように鍵をかける。
「まったくもう、亜矢子ったら……」
頬を膨らます三奈子だが、すぐに気を取り直したように笑顔に戻る。そして、祐麒に近づいてきて首に手を絡めてくる。
「それじゃあ、改めて」
三奈子の唇が近づいてくる。
しかし。
「……あ、ちょっと待って、三奈子さん」
三奈子の頬を両手で挟むようにして止めると、右に左に首を振り、口を開く。
「なんか、臭い……さすがにもうちょっと、こう、この雰囲気じゃ」
「うっ……」
鼻を突いてくるくる臭いは、決して「匂い」ではなかった。
さらに、目が慣れてくると薄暗かった室内の様子も分かってくる。1Kの決して広いとはいえない廊下と続きになっているキッチンには、ごみ袋が幾つも置いてあるし、それどころか入りきらなかったと思われるものも散乱している。
キッチンのシンクには洗われていない食器が積まれ、食材の欠片っぽいものも転がっていたりする。
奥の部屋に目を転じれば、散らかっている洋服類、本、お菓子の袋やペットボトル、その他良く分からないもので満たされていて、ローテーブルの上には昨日食べたと思われるコンビニ弁当の容器。
「あは、あははっ、こ、今週はちょっと忙しくて~」
ごまかし笑いを浮かべながら、頬をぽりぽりとかく三奈子。
「そうか、先週は外出して外に泊まったから……即ち二週間分か」
頭を抱える祐麒。
三奈子が寮に入って一人暮らしを始めたのが、三月のことである。そこで祐麒が知ったのは、三奈子が生活無能力者ということである。いや、料理が出来ないわけではないし、洗濯だってするが、この有り様。俗にいう、『片づけられない女』なのだろうか。
「ほら、まずは掃除して、綺麗にしますよ」
「は~い」
この部屋に来ると、まずは掃除というのがいつもの流れだった。
役割分担をして、祐麒がキッチンまわり、三奈子が部屋の中を片づける。下着やら何やら散らかっていて、さすがに三奈子も祐麒には見せたくないらしいのだ。そう思うなら常に綺麗にしておけばいいのにと思うが、仕事が忙しくて出来ないと言われると、まだ学生の祐麒は強く文句も言えなかった。
ゴミはゴミ袋に詰めていっぱいになったら口を締める。調味料や小物類は元の場所にしまい、食材のうち不要なものは捨て、まだ使えるものは冷蔵庫の中や食材置き場に置いておく。
食器類はきちんと洗って、拭いて、しまう。物があらかた片付いたところで、シンクの中と周辺を綺麗にしていく。排水溝もぬめって汚くなっているので、使い終えた歯ブラシなどを使って汚れを落とす。
一通り綺麗にしたところで息をつき、部屋の様子をうかがってみると、案の定、三奈子がへたばっていた。部屋の中は、下手をしたら最初よりも散らかっているかもしれない。
「……何をしていたんですか、三奈子さん」
「ふえぇ、ご、ごめんなさい祐麒くん……」
眉を下げ、情けない顔をする三奈子。
話を聞いてみると、とりあえず下着類を回収していた三奈子だったが、テーブルの下の下着を取ろうとしてテーブルにぶつかり、乗っていたコンビニ弁当やお菓子を落としてしまった。お菓子の中身が散らばってしまったので、慌てて回収していたのだが、その際にフローリングの床にこびりついた汚れを発見、これは落とさねばと雑巾を探す。部屋の端の方に雑巾があったので取りに行ったら、途中に置いてあったペットボトル軍団を蹴飛ばしてしまい、転がったペットボトルを取ろうとして、積んであった本の山をお尻で崩してしまった。本を片づけようとしたら、探していた雑誌が目に入ったのでついページを開いてしまい、そうして気が付けば何を掃除しようとしていたのか分からなくなってしまったのだという。
部屋の方からドタバタと音が聞こえてきたと思ったら、そんなわけだった。まあ、ある程度は予想の範囲内である。
「……ええと、三奈子さんは衣類に集中してください。あとは、俺がやりますから」
とりあえず室内の空気を入れ替えようと思い、ベランダへと続く窓を開けたのだが、さわやかな風どころか淀んだ空気が鼻をつく。
「こ、これは……」
ベランダにもゴミ袋が置いてあったのだ。しかも臭い。
「あー、福沢くん、それそれ。それさっさとどうにかしてよー、こっちにも漂ってくるしさー」
「あはは……ご迷惑をおかけします」
隣のベランダから亜矢子が顔を覗かせてきて言い、祐麒としては申し訳なくて謝るしかない。
「ああもうっ、今日は徹底的に綺麗にしますよ!」
「え~っ、せっかくのゴールデン・ウィークの最後のお休みなのに……」
「文句ありますか?」
「……ありません」
しゅんとする三奈子だったが、なんだかんだで二人で掃除をするだけでも楽しいものである。
ゴミをまとめてマンションのごみ集積場に捨て、掃除機をかけ、洗濯機もまわし、クローゼットやカラーボックスにきちんと物をしまうと、部屋の中は見違えるほどに綺麗になった。もともと、築年数も浅いし、綺麗な部屋のはずなのだ。
「わー、綺麗になったー」
ぱちぱちと、無邪気に拍手をして喜んでいる三奈子。
「まったく……さ、三奈子さんはシャワーでも浴びてきてください」
一息ついて、軽く肩をほぐしながら言う。
「え……こ、こんなお昼から?」
ちょっと恥ずかしそうに問い返してくる三奈子。
「ち、違いますよっ。三奈子さん、昨日帰ってきてからお風呂入っていないんでしょう? 掃除も終わったし、汗流してきた方がいいと思ったからですよ」
「あ、そ、そうか。あはは、そうだよね、うん、じゃあお言葉に甘えて」
照れ笑いを浮かべながら浴室へと向かっていく三奈子。まったく、何を考えているんだかと思うが、祐麒とて期待していないわけではない。
「とはいうものの……まさか本当に、聞こえていたりするわけじゃないだろうなぁ」
ちらりと壁に目を向ける。
新しいマンションだから、防音もそれなりに施されているとは思うが、亜矢子の言葉も気になってしまう。本当のことだとしたら、恥ずかしすぎる。
「まあいいや……っと、腹減ったな」
掃除をしていたせいで、時刻は昼の十二時を大きく回っていた。冷蔵庫に中にベーコンが残っていたことを思い出した祐麒は、昼飯にパスタを作ることにした。今から作れば、三奈子がシャワーから出てきて丁度良いころだろう。
パスタを茹で、アルデンテの手前(といっても適当な感覚)で火を止め、フライパンでオイル、にんにく、ベーコンとあわせて炒める。味付けはペペロンチーノの素を使っているので、祐麒でも美味しく出来るはず。実際に、良い匂いが漂ってくる。
「うわー、美味しそうっ!」
いきなり、後ろからしがみつかれて箸を落としそうになる。フライパンで炒めていた音のせいで、三奈子が出てきたことに気が付かなかったようだ。
「ちょっと三奈子さん、火を使っている時に危ないじゃん」
「えーっ、いいじゃない、少しくらい」
「う……」
背中に押し当てられているのは、三奈子の胸。こういうところは昔から何も変わっておらず、本人は意識していない天然なのだ。
「危ないから、駄目です」
「ちぇーっ、しゅん」
理性を保って諭すと、三奈子は口でがっかり感を表しながら身を離す。祐麒は火を止めて、問題ない状態になってから振り返る。
「前から言っていますけれど、火と油を使っているんですか……ら」
言葉に詰まる。
シャワーから出てきた三奈子は、肌はピンク色でつやつやもちもち感がくっきりと見えるくらいで、おまけにノーブラで着古したタンクトップの胸の部分は緩くなっていて、ボリュームのある胸の谷間がちらちら見える。
何年付き合っても、このナチュラルなエロス加減にはやられてしまう。チラリズムというのは、どうしてこうも男心をくすぐるのであろうか。
「いい匂いだねー」
きらきらと目を輝かせてくる三奈子だが、今の祐麒にとっては風呂上りでシャンプーの芳醇な香り漂う三奈子の方が、よほど良い匂いがすると感じる。
三奈子をまとわりつかせながらパスタを更に盛り、冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。濡れた髪の毛をタオルでくるみながら、三奈子はついてくる。
「うわーい、それじゃあ、いただきまーすっ」
「いただきます」
部屋のローテーブルで、少し遅めの昼食。
ゴールデン・ウィーク中の仕事の話、祐麒の旅行の話、離れていた間の時間を埋めるように、お互いのことを話し合う。
「うーん、でもやっぱり、こうして食べと美味しいねー」
「そりゃそうでしょう、散らかった部屋で食べるより、片付いた綺麗な部屋で食べた方が美味しく思えますって」
ペペロンチーノを一足先に食べ終え、麦茶を口にしながら答える。
「えーっ、違うよー。祐麒くんが作ってくれたものを、祐麒くんと一緒に食べるから美味しいんだよー」
幸せそうにフォークを口に含みながら言う三奈子に、恥ずかしさも、てらいも、何もない。感じるままのことを言っているのだと分かる。
「う……そ、そりゃどうも」
「祐麒くんは?」
「え、な、何がです?」
「だからー、美味しい?」
「そりゃ、もちろん」
「何で?」
「えーと……」
「な・ん・で、かなー?」
笑顔攻撃の三奈子。
祐麒は素直に降参することにしたが、それでもやっぱり恥ずかしい。
「えと、み、三奈子さんと一緒に食べているから……です」
何年一緒にいようと、あるいは何年も一緒にいるからか、そんな台詞を言うのは恥ずかしい。だというのに三奈子は恥ずかしげもなく言ってくれる。それが魅力でもあり、嬉しくもあるのは確かであるが。
「よくできました、うん、じゃあ今日はご褒美にずっと一緒にいてあげるね」
食べ終え、祐麒の横に移動してくる三奈子。ベッドを背もたれ代わりにして、膨れたお腹をさする。
休日の午後、食事の後のまったりとした時間。
隣には三奈子。肩に頭を乗せ、もたれかかってくる。まだ乾ききっていない髪の毛が汚れてしまうとも思ったが、口にはしない。
代わりに。
「――ふにゃっ!?」
背中から三奈子を抱きしめると、タンクトップの上から胸に触れた。服の上からでも感じられるボリューム、何度手にしたところで飽きることなどない心地よさ。
「こら駄目、祐麒くんのえっち!」
祐麒の手を振りほどき、頬を赤くしながら腕で胸を隠す三奈子。この辺は、実はお堅い三奈子。
「もう、油断も隙もないんだから」
正面からふくれっ面で睨んでくる。
「ごめん、ごめん」
「もう……今はこれで我慢」
祐麒の胸を手で押し、ベッドに押し付けるようにして体重をかけてくる三奈子。
「えっと、三奈子さん。今、俺たち二人ともにんにく臭いけど」
「にんにく臭いちゅーは、嫌?」
迫ってくる、油のせいかてらてらと光っている三奈子の唇。
再び三奈子を抱きしめようとしたが、察した三奈子に手首を抑えられてしまう。三奈子は年上だということを強く意識していて、こういう時は常にリードしようとしてくるのだ。
「部屋が臭いのよりは、全然よいです」
「む~~っ、意地悪」
「あははっ、でも本当、少しは普段から片付けとかしましょうよ」
「えーっ、すぐには無理よ。だから私、祐麒くんがいないと生活できないかも」
「それは重畳……」
唇が重なる。
口の中に広がるのは、にんにくの味。
「んっ……」
離れていく。
名残惜しく、もう一度求めようとして。
「さ、お腹もいっぱいになったし、部屋もきれいになったし、お休みはまだたっぷりあるもんね、午後は何しよっか? そだ、夜に見るDVDレンタルしにいこーよ。それで、帰りにモスド寄って、マルエソで夕飯のおかず買って。あ、今日は泊まっていくんだよね?」
「……もちろん」
ベッドの上に立ち上がり、笑顔全開で言われては、そう答えるしかない。まあいい、三奈子が言うとおり、明日まで時間はたっぷりあるのだから。
出かける準備をしようと祐麒も腰を上げ、財布を手に取る。
「ねえ、祐麒くんは観たい映画ある?」
「そうだなー、今は何が出ているっけかなー」
タイトルを思い出そうと、軽く上を向く。
そこに影がかぶさる。
「――っ!?」
ベッドの上に立った三奈子が、少し腰を曲げて上から口を覆いかぶせてきた。
「……えと、三奈子さん?」
「さっき祐麒くん、『もう一回キスしたいよ~っ』っていう顔をしていたから、ね」
ベッドを降り、変な顔をする三奈子。
「……それ、もしかして俺の真似ですか?」
「そうそう」
「そ、そんな変な顔、してませんってば」
「えー、していたよー。キスしてくれないと泣いちゃう、しょぼーん、って感じで」
「し、してませんってば」
「してましたー」
ケラケラと笑う三奈子。
つられて笑ってしまう祐麒。
たとえ時間や場所が少しくらい離れてしまっても、全く変わることのない二人の空間なのであった。
おしまい