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ノーマルCP マリア様がみてる 野島

【マリみてSS(野島×祐麒)】伝えたいことができた日

更新日:

~ 伝えたいことができた日 ~

 

 

「――こらっ、練習中の私語は慎むこと!」
 道場内に雛絵の叱責の声が響き渡る。
 十二月、冬の冷たい空気は道場内に容赦なく侵入し、素足で踏みしめる床はおそろしく冷たく、隙間風は身を切り裂くように思えるほど。練習を始めて体が温まればよいのだが、ちょっと休んで汗が引いていくと一気に体の芯から冷えてくる。ずっと動き続けていると体はきついけれど、寒さに対してはそちらのほうが良く、ではどちらかを選べと言われると困ってしまう。
 そして選ぶ方ならまだしも、選択の余地もなく部員達の様子を見て指導する立場の身としては、寒さに耐えつつも寒いことを顔に出さないよう気を引き締めなければならず、かなりキツイというのが本音である。
 しかし、剣道部の顧問である教師の山村が職員会議の為出られないので、どうしても指導する立場の人間が必要になるのだから仕方がない。稽古のメニューがあるとはいえ、そのメニューを元に部員をきちんと誘導し、リードしていく存在は必要になるのだ。
 練習が終わり、後片付け、道場の掃除をして学園での一日が終わる。冬になって陽が落ちるのも早いので、窓から道場の外に目を向けて見ればもうすでにかなり暗くなっているのが分かる。
「野島部長、まだ帰られないんですか? 何かやることがあるのなら」
「ありがとう、私は道場の鍵を返却しないといけないから。先に帰ってもらって大丈夫よ」
「そうですか。それじゃあ、お先に失礼します」
「お疲れさま、気を付けて帰ってね」
 着替えを終えて先に帰宅の途につく後輩を見送る。
 全員が道場を出たことを確認し、忘れ物が無いかもう一度見回ってから鍵をかけ、職員室に鍵を返却して校舎から出ると、シンと静まり返って生徒の姿などどこにも見当たらない寂しい薄闇に出迎えられる。
 二学期になって三年生が引退して部長となってからあっという間に三か月ほどが過ぎたけれど、いまだに自分が部長だなんて、と思ってしまう。
 どのような姿を見せれば良いのか、どのように部員達を引っ張っていけば良いのか、悩んで、悩んで、いまだに悩み模索しながらの毎日である。今日だって、部員達を叱責した時のことを思い返すと、もっと言い方があったのではないか、あの程度の私語くらい見逃しても良かったのではないかと、そんなことばかり考えてしまう。
 結論など出るわけもなく、もやもやとした気持ちを抱えているうちいつの間にか家に到着していた。
 家はごく普通の中流家庭、家族の仲は良くて夕食の団らんは疲れた心を癒してくれるし、デザートに出されたフルーツみつまめは落ちこんでいた気持ちをとかしてくれる。単純なものだが、女子高校生なんてそのようなものだろう。
 お風呂に入って温まり、体が冷えないうちに自室へと戻ってフリースを上から纏う。通学用の鞄を手に取って中からファイルを取り出して開き、中を読んでいって大きくため息を吐き出す。
「――もう、何を陰気な雰囲気出しているのよ、姉さんってば」
「っ!? ちょ、架純いつの間に入って来たのよ。いつも言っているでしょう、姉妹とはいえノックして入ってくるようにって」
「ちゃんとしたよ、雛姉さんが気付いてないだけでしょ。それより、何を眺めてため息なんてついちゃっているの?」
 いつの間に室内に侵入してきたのか、妹の架純が長いストレートの髪の毛を手でかきあげながら雛絵の手元を覗き込んでくる。ふわっと鼻先に漂ってくるのはシャンプーの匂い、傷一つない白い肌、整った目鼻立ち、長い睫毛、薄い唇、自分の妹ながら不意をつかれると思わずドキッとしてしまう。
「来年の練習メニューを考えているの。三年生が引退して、選抜に向けて団体戦メンバーを決めたりもしないといけないし」
「そんなの毎年決まっているんじゃないの? それに、そういうのって先生が決めるんじゃないの」
「基本はあるけれど、年によって部員のレベルや人数に偏りもあったりするから、アレンジをするの。最終的に決めるのは先生だけど、宿題として与えられているのよ」
「大変ね、部長さんは」
 からかうような架純の言葉に、雛絵は言い返すことなくもう一つ息を吐き出して応える。
 夏休み明けの九月に二年生の中から新しい部長が選ばれる、それは毎年のことだから驚きはないけれど、まさか自分が指名されるとは思ってもいなかった。何せ、同学年には支倉令がいるのだから。
 雛絵も小学生の高学年から剣道を始め、腕はそれなりにあると思うが、とても部長になるような器だとは思っていなかった。事実、中等部の剣道部で部長を務めたのは令だった。雛絵自身は何の役職にもつかず、ただの一部員として中学自体の部活動を終え、それは高校になっても変わらないと思っていた。
 ところが、である。
 確かに令は黄薔薇の蕾となって生徒会活動と二足の草鞋となり、それに加えて剣道部の部長をこなすというのは難しいのかもしれない。だが、イコール雛絵が部長というのはどうなのだ。同学年には他にも沢山の部員がいて、明るくて人気のある人、実力のある人、努力家で信頼されている人、部長に相応しいと思える人がいるというのに。
「雛絵さんが部長をやってくれるなら、私も安心して任せられると思う」
 先代の部長、副部長から指名された後、色々と断ろうとしていた雛絵だったが、そんな風に言って微笑んだ令の一言で全てが決まってしまった。イケメンで天然女たらしの令にそんなことを言われては、他の皆だってそう思ってしまうではないか。普段はそのイケメン且つ天然な言動に雛絵すらもときめかせられそうになることしばしだが、その時ばかりは恨めしいとしか思えなかった。
 お嬢様学校であるリリアンだが、剣道部は歴史があり運動部の中では最も厳しいと言われている。その剣道部の部長となり部をまとめていくなんて、とても荷が重いとしか思えない。
 方針としては真面目に、厳しく、といった感じでまったく面白味もないものだが、雛絵には他にやりようがなかった。
「うーん、どうしよ……去年と同じだと、今の一年生には厳しい気がするけれど、でもこれくらいやってもらわないとってのもあるし、むしろ実力を上げるためには少しくらい厳しい練習をしないと。でも、それだと反発を受けるかもしれないし……」
 頭を抱える。
 副部長である令に相談したいけれど、部長としての仕事だし、後で相談するのは良いけれど第一案は自分で考えることと先生にも釘を刺されている。
「雛姉さんって決めたことに対してはビシッといけるのに、決めるまではうだうだと長いよね。あと、決めたこと以外の事態に弱い」
「分かっているわよ、そんなことくらい」
 だから、部長になど向いていないのに。
 そう思っていると。
「でもさ、それだけ悩むってことは、それだけ真剣に考えているってとらえることも出来るし、いいんじゃないの」
「――――え?」
 不意に顎を掴まれて強引に顔を上げさせられると、正面から架純が見つめてきていた。
「それに、もし失敗したら、あたしが慰めてあげるから」
 そして架純は雛絵の頭を優しく撫でてきた。
 指で髪の毛をすくい、そっと口づけをするように唇を寄せた後、髪の毛を離して指先を頬に触れさせてくる。
「雛姉さえ望むなら、嫌なことは全て忘れさせてあげ――痛っ!」
「あんたねえ、馬鹿なことしないの」
「引っ叩くこと無いじゃない、痛いなあもう」
 手の平をさすって顔を顰める架純。
「そもそも何なの今のは。そんなんで色んな子を誑かしているの?」
「誑かしているなんて酷いなあ。あたしは誰に対しても本気だけど。うーん、でもさすがに実の姉にはきかなかったか」
「あんたのはわざとらし過ぎるのよ。うちには天然たらしの王子様がいるんだから」
 しかし、自分の妹のことながら将来が不安になる。
 架純は中学一年生だけど年齢にしては上背があり、ぱっちりとした目鼻立ちに黒髪が良く似合う。弓道部に所属し、立ち居振る舞いや言動から中等部では先輩、同級生を問わず人気があって本人もそのことを自覚し、何人もの生徒と浮名を流しているとかいないとか噂が流れている。
「支倉令さま、でしょ? やっぱそのレベルに達するまでにはまだまだか。これから男子の人数が増えたら今までのようにはいかなくなるから、早いところレベルを上げないと」
「なんのレベルよ……って、ああそうだ、男子か……」
 ここでまた雛絵は頭を抱える。
 雛絵を悩ませているもう一つの大きな理由は、今年度よりリリアンに増えた『男子生徒』の存在である。
 少子化に伴う対策としてリリアンも共学化の検討が数年前より進んでおり、その先駆けとして花寺学院より試験的に男子生徒を受け入れる施策が今年度より開始された。試験的なものであり人数的にはまだまだごく僅かなのだが、なぜかよりによってそのうち三名が夏休み明けから剣道部に入部してきたのである。
 夏まではただの一部員だったから男子と接することもなかったし、必要性もなかったので問題なかったが、部長となるとそうはいかない。三人とも中学まで未経験者だから指導しなければならず、誰かに指導を頼もうとしても男子の指導を受けてくれる子はおらず、そうなると部長である雛絵が必然的に受け持たざるを得なかった。
 女子だけならまだしも、男子部員も引き受けての部長など勘弁してほしい。ずっとリリアン育ちでまともに話したことがある異性は父親くらい、同世代の男子と接する機会なんてなかった雛絵には厳しい役割だった。
「ああもうっ、男子のメニューとか分からないし、どうしたらいいの……?」
 髪の毛を掻き毟ったところで妙案など出てこないが、雛絵は本気で困っていた。
「とりあえず、めっちゃ厳しいメニューにしちゃえば? 疲れたら、女子の事えっちな目で見る余裕もなくなるでしょ」
「え?」
「だから、男子なんてどうせ、えっちな目で見てくるじゃん。そう思うでしょう?」
「え、と……そういうものなの? だって、真面目に部活動……」
「そんなわけないじゃん。あ、もちろん真面目に部活動しているんだとは思うよ、わざわざリリアンの中で一番厳しい剣道部に入ってくるくらいだから。でもそれでも、男子高校生なんて女の子のことばかり考えているに決まっているし、隙があれば見てくるでしょう」
 と架純は言うが、剣道の格好など別に露出度が高いわけでもないし可愛いわけでもないし、変な目で見られるとも思えず今までそういう視線を感じた気はしていない。 「雛姉さんは免疫がなくて鈍感なだけじゃないのかなぁ」
「架純に言われたくないわよ、あなただって同じでしょう」
 肩をすくめ、架純を部屋から追い出して再びメニューを模索する。
 野島雛絵、剣道部の部長としての悩みはまだまだ尽きそうもなかった。

 

 

 剣道部に入部した理由に特筆すべきことはなかった。
 リリアンに編入する生徒として試験を通過してリリアンに通い始め、女子ばかりの環境になかなか馴染めない中で数少ない男子と仲良くなり、やがて部活動をやりたいと言い出したやつがいた。
 確かに、帰宅部としてただ帰るだけではつまらないし、祐麒としてもその考えには賛成だった。
 運動部というのは決まっていたが、チームプレーが必要な種目は人数的に無理なので、個人競技が望ましい。そんな中で剣道部が上がったのは、リリアンの中で最も有名な運動部であったから。有名な理由は、リリアンの"王子様"が所属しているというものだったが、きっかけなんてそのようなものかもしれない。
 夏休み明けに入部して部活動を開始して思ったのは、想像していた以上に厳しいということだった。
 もちろん、野球を離れてから数か月が経って純粋に体力が落ちているというのもあるけれど、それでも稽古は厳しいと感じた。基礎体力的な部分はまだなんとなるのだが、竹刀を振るということがこんなにも大変だとは思っていなかった。
 剣道部に誘ってきた小林、そして祐麒と同様に誘われて入部した高田の二人もそれは同様のようで、やはり素振りに苦しんでいる。
 それでも負けずに頑張っているのは男としての意地とプライドだろうか。大勢の女子部員達の中で数少ない男子部員、しかも二学期からわざわざ入部してすぐに音を上げるようでは格好悪いという思いがある。だから練習が厳しくても、きつくても、へろへろになっても、女の子達の前でそういう顔や姿を見せないようにしている。
「……とはいえ、きっついな」
「ああ……半端ないよな、練習メニュー」
 疲れていてもそれくらい喋る気力はある。
「でも剣道部の女の子、可愛い子が多いからやる気出るよな」
「可愛いというより凛々しいじゃないのか」
「どちらにしても、道着姿で汗をかく姿はいいよな」
「練習中にそういう目で見るなよ」
 とは言うものの、小林の言うことも分かる。
 黒髪を後ろで束ねてあらわになった首筋、光る汗、肌に張り付く髪の毛を指ですくう仕種、そういったものが道着とよく似合う。
「――男子、練習中に余計なお喋りは慎むこと!」
 少し声が大きくなってしまったか、部長である野島の叱責が響く。
「まだまだ余裕があるようだし、練習が足りないようね。追加メニューよ」
「ええっ!? ちょっと待ってくださいよ部長、それは」
「なに、反論でもあるのかしら?」
 厳しい目つきをしたまま部長の野島雛絵が歩み寄ってくると、声を小さくして祐麒達だけに聞こえるように言った。
「……道着姿で汗をかくのが良いのですって? そういうこと、他の部員達に聞かれたらどう思うかしらね」
「はいっ、反論などありません、追加メニューお願いします!」
 素直に頷くしかない祐麒達。
 もともと女子校だったところにいきなり男子が入って来たのだ、男子に対して厳しくなるのも当たり前なのかもしれないが、雛絵はそれだけではなかった。
「こらそこっ、何を笑っているの! 私が目を離していると思って手を抜いていたでしょう。剣道は武道、ただ強ければ良いってものではないのよ。心と体をともに鍛えているの、そのような姿勢で稽古をしていても、積み上がるものなど何もないわよ」
「は、はい、すみませんっ」
 叱られている祐麒達を見て、ほんのちょっとだけ笑っていたように見える女子が今度は厳しく叱責された。
 これ以上目を付けられるわけにはいかないと、祐麒達は以降、ひたすら練習に打ち込むのであった。

「――それにしても部長、すげー怖いよな」
 練習を終え着替えをしながら小林がそんなことを言う。
 なお、男子の更衣室など用意されておらず、使用されていなかった古い倉庫を使用して着替えている。暗くて寒いけれど、野外で着替えさせられるより遥かにマシである。男子部員が増えればもう少し良い場所を確保できるかもしれないが、それもこれも来年に部員を確保できればの話であろう。
「部長、厳しいしちょっとしたことも見逃さないし、今日のだってあれ地獄耳かよ。女子にも容赦ないし、俺達のあとに注意された中多さん少し涙目じゃなかったか?」
 帰り支度を終えて外に出ても小林の話は続いていた。
「確かに厳しいけどさ、あれって……」
「うぉっ、さみー! 風、めちゃ冷てーな」
 強い風が吹き付けてきて身を震わせる。
 女子ばかりの学園で生活を続けて半年以上、男同士の結束は必然的に強まるものの、女子との距離はなかなか詰まっていかない。本格的な共学化に向けては祐麒達の行動と成果が重要なのだろうが、果たして今のままで良いのかと思うこともある。もちろん、誰かと仲良くなって恋人同士になれば良いというものでもないのだろうが。 「帰りに肉まんでも食ってかねー? 腹減ったし、温まりたいわ」
「あっ――」
「ん、どうしたユキチ」
「いや、倉庫の鍵をかけるの忘れてたかも。ちょっと行ってくるから、先に帰ってて」
「あ、おいユキチ」
 小林の声に背を向けて歩いてきた道を早足で戻ってゆく。
 鍵の話は嘘である。本当は鍵をかけたことを覚えているし、かけ忘れたところで盗られるようなものなどないのだが、それでも祐麒は足を止めない。ただ、向かう先は倉庫ではなく、道場の方であった。
 先ほどの帰り際、確かにその姿が道場の方に向かっていくのを見たと思った。
 既に薄暗くなった学園内、部活動も終わって誰もいなくなったはずの道場の窓に明かりが灯っているのが目に入る。
 道場の鍵の管理をしているのは顧問である山村、もしくは部長か副部長である。ならば中にいるのはと、足音を立てないようにして近づいていきそっと中に目を向ける。
 すると、道場内でたった一人、しゃがみ込んでいる雛絵の姿があった。何をしているのか分からなかったが、ちらと見える横顔に練習中の厳しい表情はなく、むしろどこか寂し気に感じられた。
「――――っくし!」
 このまま盗み見しているわけにもいかず、どうやって声をかけようか決める前に、寒さでくしゃみが出てしまった。
「誰かいるの?」
 あ、と思ったときには既に雛絵は立ち上がって祐麒が立っている出口の方に向かって歩き出していた。

 

 

「福沢、くん? どうしたの、帰ったんじゃなかったの」
 外に出た雛絵は、祐麒の姿を目にして訝し気な表情をする。
「あ、いえ、ちょっと手拭い忘れたみたいで、道場にないかなと思って。もう誰もいないかとは思ったんですけれど、念のため戻ってきてみたら明かりがついていたのが見えて」
「あらそう。でも、特に忘れ物はなかったと思うけれど、一応もう一度見てみる?」
 道場内はガランとしており何か忘れものがあれば目立って気付かないはずはないと思うが、それでも下足入れや物入れもあるので可能性がないわけではない。雛絵は祐麒を道場内に招き入れると、祐麒とともに手拭いがどこかに落ちていないか調べて回る。
「――やっぱりないみたいですね。もしかしたら小林か高田の荷物に紛れちゃったかな? すみません、別を確認してみますので。ご迷惑をおかけしました」
 しばらく探してみたがやはり見つからず、諦めたように祐麒は言う。
「私も気を付けておくわ。見つけたら連絡するから」
「ありがとうございます…………あの、部長」
「ん、まだ何か?」
 軽く首を傾げると、後ろでまとめた雛絵の髪がつられるように揺れる。
「えっと、野島部長、大丈夫ですか?」
「大丈夫って、何が?」
 意味が分からずに問い返す。
「それは、今日の部活で部長、結構強く叱ったじゃないですか、俺達とか色々」
「そう……だけど、それで何で私に大丈夫って訊くの? むしろ福沢くんたちの方が大丈夫かと心配される側じゃないのかしら」
 あれだけ厳しく叱り、追加のメニューを課したのだ、肉体的にも精神的にも疲労していておかしくない。どうして、あんな風な物言いをして叱ることしかできないのか雛絵自身だって悶々としていたのだから、言われた方はそれ以上にストレスが溜まっていてもおかしくないと思う。
 だから、次に発せられた祐麒の言葉はあまりに想定外だった。
「いえ、怒るのって怒る方も辛いしパワー使うじゃないですか。だから」
「――――」
 言葉もなく、雛絵は目をぱちくりとさせた。
「俺も野球をやっていた時、下の子達を怒るの嫌だったんですよ。でも怒るときは怒らないといけない。別にエラーは仕方ないんですけど、ちゃんと走らないとか、楽をしようと雑になるとか、そういうのは怒らないと駄目だから。そういう時は俺、内心では嫌だったんですよね、怒るっていうことは。部長も同じかなって思って、今日は特に厳しめに言われていましたし、だから大丈夫かなって」
「――福沢くん、いつ頃ここに戻って来たの?」
 先ほどまでの道場内での雛絵のことを、呟きを、もしかして聞かれていたのではないかと、ふと不安になる。

 職員室に道場の鍵を返しに行こうとした途中、雛絵は忘れ物をしたことに気が付いて引き返した。忘れ物は無事に見つけたが、誰もいなくなった道場内に一人立っていると急速に不安が襲い掛かってきて押し潰されそうになった。
「ああ……今日もまたきつく叱っちゃった。もっと言い方はなかったのかしら……ううん、そもそも、あの程度のことで叱る必要あったのかしら……あぁ、もうやだ……」
 叱った後もウジウジしている自分自身が嫌で頭を抱えていた。
 後輩や同級生も、部長になって厳しくなった雛絵のことを責めているような気がして仕方がない。
 実際、耳に入って来ることもあるのだ。男子部員が雛絵のことを「怖い」、「厳しい」と言っているのは知っているし、今日叱った一年女子が泣きそうになっていたことも、部活の後で「あそこまで厳しく怒ることないのにね」と言っていたことも知っている。
「……自信、なくすなぁ。やっぱり私に部長なんて向いてないのよ……」

 などと一人呟いていたそんな時に、外からくしゃみが聞こえてきて慌てたのだ。まさか、聞かれていたのではないかと。
「え? いつ頃って言われても、えーと、くしゃみをした時ですよ」
 表情を見て、嘘ではなさそうと思いほっとする。
「そう……気を遣ってくれてありがとう。でも……」
「そうだっ、なんだったら俺、『怒られ役』になりましょうか?」
「大丈夫だか……え、な、なんですって?」
 話している途中でいきなりよくわからないことを言われ驚く雛絵だったが、構わず祐麒は続ける。
「だから、『怒られ役』ですよ。他の皆の代表として怒られる役。他の部員に対して怒りたいことも、俺に対して怒るんですよ。俺が怒られる姿を見て、他の部員も『同じことをして怒られないようにしよう』って気を付けるようになるわけですね」
「でもそれじゃあ、福沢くんばかりが怒られて、福沢くんには良いことがないじゃない」
「うーん、でもそれで部全体がうまく回るなら俺にとっても良い事だと思うんですよね。正直、今の状況はあまりよくないと思うんですよ」
 祐麒の言葉がグサッと胸に刺さって痛い。
 雛絵自身も、今の剣道部が良い状態だとは思っていなかったが、こうして部員から直接駄目出しをされるのは、思っていた以上にダメージだった。部長として駄目出しをくらったも同然なのだから。
「そ、そう……よね……やっぱり、私……」
 それまで持ちこたえていたものが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくような感覚だった。接触が多いといえない男子部員にここまで思われ、言われてしまったのだ、ならば女子部員は尚のことだろう。遠くないうちに大きな反発が起きて部は内部から崩壊、そんなことにならないうちに身を引いた方が良いのではないか。情けないが、令に頭を下げて部長職を受けてもらい自分は一部員に戻る、いやそんなことになったら部に残るのも居たたまれないから辞めた方が良いだろうか。後ろ向きな考えで一気に雛絵は満たされる。
「――だって、部長があんなに窮屈でやりづらそうにしているのって、よくないと思うんですよ。見ている俺も嫌ですし」
「そうよね、私なんかが部長じゃ……って、え?」
「部長、嫌々怒っていますよね、でもそういうのを見せないよう厳しくして、それで苦しくなっているんじゃないですか。だからこう、気兼ねなく怒ることのできる相手がいれば、少しは楽になるんじゃないですかね。あ、大丈夫ですよ、俺中学まで野球やっていて、口の悪い監督とコーチにさんざん怒鳴られまくってましたから。いや、その監督とコーチの出身がなぜか二人とも関西の方だったから、普段から話し方が関東と違って怖く感じたのもあったんですけどね、そんなわけで幾ら怒ってくれても大丈夫ですよ、って、どうかしましたか?」
 よほど間抜けな顔をしてぽかーんとしていたのだろう、祐麒が不思議そうな顔をして訊いてきた。
「……あ、いえ、その、私が厳しくて、しょっちゅう怒っているから部の雰囲気が良くない……とかじゃないの?」
「なんでですか? 俺、別に部長が叱っている内容は間違っていないと思ってますけど。叱られるべきことをしたら叱るのは当たり前のことじゃないですか。そりゃあ、なんの前触れもなく怒られたら嫌ですけれど、俺達男子が入部したのと同時に先輩も部長になられたじゃないですか。その時に部員全員の前で、今までの剣道部の歴史を重んじて厳しく指導していくって所信表明もして部員も皆反論していなかったじゃないですか。その方針が嫌ならその時点で、あるいは後日でも意見を伝えるべきで、そういうのが無いってことは部長の方針を受け入れたことだから、それで厳しくされて文句を言うのは違うと思いますし。これで部長が最初に、『皆で楽しく和気あいあいとすることを方針とする』とか言っていたら、話が違うじゃんって思うかもしれないですけど」
 自分の意見を訥々と述べる祐麒に圧倒される。
「そういう方針ですから、俺はむしろ部長が部員を叱れなかったらその方が問題だと思いますけれど、それは無いですからね。ただ今の部長の叱り方は無理しているっていうか、叱り慣れていないというか……そうそう、叱り慣れていない、っていうのがぴったりかもしれませんね。だから無理に叱ろうとしていて、それが部員達にも伝わって、本当は叱られてしかるべきことをしていたのに叱られ方が不自然に感じ取られて、部長に理不尽に叱られているとかそんな風にとらわれているんじゃないですかね。だから、無理に叱るんじゃなくて自然に叱るように、でも部長は優しくて難しいだろうから、それなら俺一人を『怒られ役』にした方がまだやりやすいんじゃないかなって…………って、わ、な、なんかすみませんっ、一人で勝手なコトばかり喋ってしまって!」
 ずっと雛絵が凝視していることに気が付いたのか、祐麒はそれまで勢いよく喋っていたのから一転、顔を赤くしてしどろもどろしだした。そんな祐麒の姿を見て、ようやく雛絵の方も少しだけ冷静になれた。
 びっくりしたのが正直なところだった。
 祐麒が言ったことは、おそらく大きく外れていない。雛絵自身もうまく言葉に言い表せなかった違和感、部の状況、困っているモヤモヤしたところを挙げてくれていたように思えた。
 同時に自分自身が否定されておらず、むしろ雛絵のことをそんな風に見て考えていてくれたのだと思うと、少し嬉しくなる。
 男子なんて何を考えているか分からない、なんて思っていたけれど当たり前だ。皆が何を考えているのかと考えていなかったし、聞こうともしていなかったのだ。男子だけではなく、それは女子でも同じだった。
「――ありがとう、福沢くん。ちょっと、考えさせてもらうわ。さ、もう遅いからそろそろ帰りましょう」
 祐麒の提案は揺れていた雛絵の気持ちを落ち着かせてくれた。すぐに結論は出せないが、それでも祐麒の思いや考えていることを聞けたのはプラスになった。
 道場の鍵をかけると、「俺が帰してきますよ」と言って祐麒は雛絵が止めるのも聞かずに校舎に向かって行ってしまった。鍵の管理は部長、副部長の責任で行っているというのに。
 案の定、戻ってきた祐麒は苦笑しながら口を開いた。
「なんで俺が持ってくるんだって山村先生に言われちゃいました。部長から任されたからですって言っておきましたけど」
「もう、勝手に行っちゃうからでしょう」
「すみません。でも、待っていてくれたんですか」
「後輩に押し付けて勝手に帰るわけにもいかないでしょう。それに、先生になんて言われるか分かったものじゃなかったし」
 肩をすくめて歩き出すと、祐麒も追ってきて横に並んだ。時刻は遅く他に生徒の姿は見えない中、二人での帰り道。
 無言が続き、地面を踏みしめる足音だけが耳に届く。先ほどの饒舌はどこへいったのか、祐麒は押し黙ったままであるが、雛絵も何を話したらよいのか分からなかった。先輩である雛絵の方から会話を振った方が良いとは思うのだが、祐麒のような男の子と何を話題にすればよいのか分からない。そもそも、同世代の男子とこんなにも沢山話をしたこと自体、今日が初めてなのだ。
 なんとなく気まずさを感じ、だが言葉も出せずにそのままバスに乗って駅へと向かう。バスの中でも少し話しはしたものの長続きせず駅に到着してしまった。自分自身の情けなさにため息をつきそうになりながらバスを降りる時、ふと先に降りた祐麒の通学用鞄からぶら下がっているものが目に入った。
「あ……それ」
「ん? ああ、これですか。俺の好きなプロ野球チームのマスコットキャラクターなんですけれど」
「…………スターパイン君」
 ハムスターをモチーフとした丸っこい姿かたちが可愛らしい、祐麒言う通りプロ野球チームの愛すべきマスコットキャラ。
「え、知っているんですか、部長? もしかして野球、好きなんですか」
 ばっと顔を雛絵の方に向け、嬉しそうな表情をして訊いてくる祐麒。
「え、ええ」
 勢いにおされるようにして頷く。
「嬉しいなぁ、数少ない男友達はサッカーの方が好きだし、他は女の子ばかりだから野球の話とかしたくても出来なかったんですよね。でも、部長が野球好きだって意外ですね」
「そうかもね。私も、そういう話をしたことないし」
「俺が好きなチームはですね――」
 祐麒が楽しそうに話す。本当に好きなんだということが分かるような話っぷりで、聞いている方も楽しくなってくる。
「ってすみません、また俺ばっかり勝手に喋ってしまって」
「ううん、そんなこと」
「俺、こっちですけれど、部長は」
 祐麒が指さしたのは、雛絵の乗る電車とは別のホームの方だった。
「それじゃあ、失礼します。お疲れさまでした」
「お疲れさま、気を付けて帰ってね」
 ぺこりと頭を下げて去っていく祐麒の姿は、すぐに人ごみに紛れて見えなくなった。そこで、ふっと肩と足の力が抜けてぐらりと体が揺れた。今になって気付いたが、随分と緊張して体にも力みが随分と入っていたようである。
 祐麒と反対方向の電車に乗り込んで今日のことを考える。色々とあって色々と思い悩んだはずなのに、浮かんでくるのは祐麒との会話ばかりであった。
 この日からである。
 雛絵が福沢祐麒のことを意識するようになったのは。
 そして、今日言えなかったことをいつか伝えたいと思った。

 ――実は、私も同じチームのファンだということを。

 

~あとがき~

 野島部長……なんてマニアックな。覚えている方、いますか?
 このところ、ちょっとエロい路線に偏りかけていたので、「このままじゃだめだ、もっとピュアなものを書かなくては」と思ったものの、キャラクターはおおよそ出してしまったし、まだ書いていなキャラもいるけれど書きたい内容やなんかにいまいちそぐわず、出来ればあまり性格等が定着していないキャラをうまいこと使って書いていきたいなぁ、と思ったところで出てきたのが野島さんでした。
 んで、アニメのマリみてを見てみたらなかなか可愛いじゃないですか、というかどんぴしゃ好みでしたので!

 

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