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マリア様がみてる 百合CP

【マリみてSS(乃梨子×笙子×日出実)】つかんで離さない

更新日:

~ つかんで離さない ~

 

 梅雨に入り、雨の日が続いていた。今日もまた窓の外は暗い空に重い雨。高知日出実は自席で頬杖をつき、ある一点を眺めていた。
 その視線の先にいる人物は、二条乃梨子。いわずとしれた白薔薇の蕾である。一年のときから白薔薇の蕾であった乃梨子は、二年生に進級すると人気が一気に急上昇した。一年生の子達から、凛々しくて素敵だと高い人気を誇っている。
 そう、日出実は乃梨子を追っかけていたのだ。
 追っかけといっても、日出実が乃梨子のファンだとか、そういうわけではない。
 乃梨子は一年生のときから、現在の白薔薇様である藤堂志摩子をおとし、松平瞳子、細川可南子といった個性的で手強そうな女子を次々と陥落させていった。二年生になると、内藤笙子という学年トップクラスの美少女をも手中に入れようとしているように見える。
 一体、乃梨子のどこがそんなにも少女達をひきつけるのか。幸いにも同じクラスになったことだし、一人の新聞記者として、日出実は乃梨子の謎を追おうとしているのであった。
 目を向ければ、乃梨子は笙子と一緒に話をしている。日出実は耳に神経を集中させた。

「ホント、こう雨続きだと嫌になっちゃうよね」
 笙子が憂鬱そうにため息をつく。
 しかし、美少女というのは、憂鬱そうな表情をしていても絵になるものである。
「ねえ笙子さん。今週末あたり、どこか買い物でもいかない?」
 乃梨子が誘いの声をかけた。これは、今週末は二人でデートか。ならば待ち合わせ場所や時間を聞き出し、どうにか二人のデート模様でも調べてみようかと、さり気なくメモ帳を広げたのだが。
「あ、ごめん。今週はちょっと予定が入っていて」
 そういって、笙子はあっさりと断ってしまった。
「あ、そうなんだ」
「うん、ごめんね。せっかく誘ってくれたのに」
「ううん、私もいきなりだったし」
 どうやら、今回のデートは無いらしい。デート現場を見れば、乃梨子の女たらしテクニックでも分かるかと思ったが、これは次の機会を待つしかない。
 結局、その後は二人で雑談をしているだけで、特に収穫となるようなものはなかった。
 だけど必ず、乃梨子の秘密を掴んでやるぞと意気込む日出実なのであった。

 

 やまぬ雨を窓の外に見ながら一日を過ごし、放課後、部室へと向かう。掃除当番だったため少し遅れてしまい、心持ち足早に廊下を歩いていると、不意に横から誰かが現れ、思わず視線を向ける。
「あ、日出実さん」
「あ、あら乃梨子さん。き、奇遇ね、こんなところで」
「奇遇って、別にそんな」
 軽く笑う乃梨子。日出実は、調査対象と考えているだけに、少し身を硬くしてしまったのだ。
 乃梨子は軽く首を傾げる。
「日出実さんはこれから新聞部?」
「ええ、まあ」
 仮に乃梨子の秘密をつかんだとしても、特に記事にするつもりはなかったが、それでも同級生を探るような真似をすることに変わりはなく、どこか後ろめたい気持ちもあった。
 だからなんとなく目をあわせづらく、日出実は胸の前で指を組み、つま先で床にぐりぐりと円を描いていた。
「ねえ、日出実さん」
「えっ」
 日出実がぐりぐりしているうちに、いつの間にか乃梨子がすぐ目の前までやってきていた。黒い、綺麗な瞳で見つめられると、思わず一瞬、ドキッとしてしまう。
「な、何でしょう」
「今週末暇だったら、一緒に遊びに行かない?」
「ええっ!?」
 まさか、自分が誘われるなんて思っていなかった。今までだって、そんなことは一度もなかったのだ。
「いや、でも、それは」
 ゆるゆると首を振る。
 こういう場合、どうすれば良いのか分からず、後退しようとしたところですぐ背後に柱があることに気がついた。知らぬ間に、退路を断たれていた。
「どうして? 私とじゃ嫌かな」
「そ、そういうわけじゃないけれど」
 その言い方は、卑怯だ。嫌だなんて、言えるはずないのだから。どうすればよいのだろうか。いつの間にか他の生徒達も何事かという顔をして、日出実たちのことを見ている。白薔薇の蕾に迫られているのは一体誰なのか、そんな顔をしている。このまま注目を浴び続けるのは、まずい。
「わ、分かった。行くから、ええ」
「本当? じゃあ、約束ね」
「え、ええ」
 こうなったら、頷くしかない。
 日出実が頷くのを見て、ようやく乃梨子は満足したように微笑んだ。
「あ、私ももう薔薇の館に行かないと。それじゃあ、ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう……」
 薔薇の館に向かって去ってゆく乃梨子。その背を見届けながら、日出実は自分の膝が笑っていることに気がついた。
「さ、さすが、白薔薇の蕾……」
 どうにか堪えた日出実なのであった。

 

 約束の日の当日、日出実は自室で自分に言い聞かせていた。
 これは、デートじゃない。ただ、同級生と一緒に遊びに行くだけだし、そもそも乃梨子のことを調べようと思っていたのだから、絶好の機会ではないか。
 空は、前日までの雨がまるで嘘のような快晴であった。気温もぐんぐんと上昇して、早くも真夏到来かと疑いたくなるようであった。
 待ち合わせ場所にて、日出実は落ち着きなく乃梨子が来るのを待ち受けていた。とにかく今日一日、気をしっかり持って乃梨子に篭絡されないようにしなくてはならない。
「あ、お待たせ日出実さん」
「はいっ」
 声のしたほうに顔を向けると、手をあげて向かってくる乃梨子の姿が見えた。気候にあわせてだろう、乃梨子の格好も、ホルターキャミソールに半そでのTシャツ、そしてジーンズという軽装であった。
「あ、日出実さん……」
 日出実の姿を確認したところで、なぜか乃梨子は思わず声をなくした。まじまじと、日出実の姿を見つめてくる。
「……な、なんですか?」
 乃梨子の視線に晒されて、日出実は軽く身を捩る。ひょっとして、チョイスした服装が変だったのだろうか。
 今日は、半そでシャツの上に、ギンガムチェックと花柄の組み合わせのキャミソールをあわせてきた。
 スカートはデニム素材のミニスカート。ふりふりがついているのが可愛らしいと気に入って購入したものだが、確かに上下あわせて見てみると、少しばかり子供っぽかっただろうか。
「ううん、凄く可愛いと思って。うん、ちょっと意外だって思っちゃったけれど、日出実さん、よく似合っている」
「あ、ありがと」
 つい、素っ気無い口調になってしまう。
「可愛い系が好きなんだ」
「別にそういう……乃梨子さんは、好き……なの?」
「私? 私は似合わないから。でも、自分が似合わないから、そういうのが似合う子を見るのは、好きかも……あれ、ひょっとして」
「ちっ、がう! 別に乃梨子さんのために着てきたわけじゃないから」
 慌てて、否定の言葉を発する。
「まあ、そうだよね。そんなこと話したこともないし」
 だけど実は、少しだけ意識をしていた。
 笙子は見た目どおり、可愛い服装を好むことが多いという情報はつかんでいた。その笙子と最近、一緒に楽しそうにしているのを見て、最初はパンツにしようと思ったのをミニスカートに変更し、スカートにあわせるようにトップスも変えてきたのだ。
 これは、あくまで乃梨子を油断させるためであって、別に乃梨子に気に入られようと思って着てきたわけではないと、日出実は自分に言い聞かせる。
 この手の格好した子が好みなのであれば、何かしてくるかもしれない。その時に、数々の女の子を篭絡してきたテクニックが見られるかもしれないと、ただそれだけだ。
「今日はさ、ちょっと観たい映画があるんだけれど、いいかな」
「うん、映画って、どんな?」
 乃梨子が口にした映画のタイトルは、日出実もちょっとだけ耳にしたことがあった。上映している場所は少ない、あまり有名ではないタイトルだが、その内容と出来のよさから口コミで人気が広がっていると聞くが。
「少し怖いらしいんだけれど、日出実さんってその手の大丈夫かしら?」
 乃梨子が、少し心配そうな目をして聞いてきた。
 ひょっとして、日出実が怖がりとか、臆病とか思っているのだろうか。
「そんなの、問題ないです。じゃあ、行きましょう」

 こうして乃梨子と日出実の初デート(?)は始まったのである。

 

 映画は、サイコミステリーとでもいうのだろうか。お金は使わないけれど頭は使いましたよ、といった感じでよく練られていた。そして確かに、途中で残酷なシーンや、怖いシーンもまじっていて、ホラー要素も入っていたかもしれない。
 日出実は自身、ホラーが好きというわけではないが、特別な怖がりでもないと思っていた。しかし、現実はちょっと異なったようだ。確かにホラー系が好きなわけではないから、普段は自分から近づくことはしていなかった。だから、こうして接するのも久しぶりなわけで。ましてや、演出やら効果音やらCGやらでリアルに近いものを見せられると、さすがに怖かった。
 だが、隣の席に座っている乃梨子は、ごく平然とした表情でスクリーンを見ている。日出実は無様な姿を見せるまいと、身構える。隣の乃梨子が横目で日出実の様子を窺っているのが分かり、ますます醜態をさらすわけにはいかないとプレッシャーがかかる。
「っ!」
 どうにか声に出すのは抑えたが、体が少し、痙攣するように動いてしまった。やはり、備えていても怖いと感じるものは怖いのだ。だけど頬に感じる、乃梨子の視線。目を閉じることだって、怖いと認めたことも同然だ。
 思わず、肘掛を強く握る。ひんやりと硬い感触は、日出実に安心感を与えてくれるものではなかったけれど、無いよりはマシだ。
 と、思った瞬間。
 日出実の手の上に、柔らかな感触が降りてきた。
 驚き、目を向けてみると、乃梨子の手が日出実の手の上に重ねられていた。目をあげ、乃梨子の顔の方を見てみると。
「ちょっと怖いんで、手、繋いでいてもいい?」
 と、小声で聞いてくる。
「す、好きにすれば?」
「じゃあ、好きにするね」
 言うなり、更に強く握り締めてきた。
 手から乃梨子の熱が伝わってくるようで、日出実の体も芯から蕩けるような熱がこみ上げてくる。
 お腹の奥から、子宮が疼くような波動が体を伝う。
 始めは日出実の手の甲の上から乃梨子が手をかぶせるような格好だったが、映画が終盤に差し掛かる頃には、お互いの指と指を絡ませあう恋人つなぎになっていた。
「ちょ、ちょっと乃梨子さん?」
 映画が終わり、エンドロールも流れ、館内が明るくなって一息ついたところで、ようやく日出実は手のことに気がついて声を出した。だけど、力みが入っていてなかなか手が放れない。
 怖がっていると思われたら嫌なので放そうとするが、手が開きそうも無い。焦って放そうとしたところ、もう片方の手が更にギュッと力をこめて握ってきた。
「結構、怖かったよね。もうちょっと手、繋いでいてもいい?」
 にっこりと、微笑みかけてくる乃梨子。
「ま、まあ仕方ないわね。じゃあ、あと少し」
「ありがとう」
 人が少なくなってゆく中、二人はしばらく手を繋いで座っていたのであった。

 

 映画館を出ると、日出実は大きくため息をついた。思いのほか、映画で疲れてしまったようだ。観ている間、力を入れていたからかもしれない。
「ごめんね、ずっと手握っていたから、疲れちゃった?」
「ううん、そ、そんなことは別に」
「あはは、日出実さんの手、柔らかくて暖かくて気持ちいいから、ついつい堪能しちゃった」
「そ、そう」
 言われて、頬が熱くなる。
 本当に、乃梨子は怖がっていたのだろうか。あまり余裕はなかったが、さほど怖がっているようには見えなかった。日出実のことを気遣って、あえてあのようなことをしてきたのだろうか。
「どうしたの、次に行こうよ」
「あ、はい」
 慌てて、差し伸ばされた手を掴む。
「あ……」
「ん、何?」
 ごく自然に、手を繋いでしまった。
 少し恥しかったけれど、ここで急いで手を放すような素振りを見せれば、変に意識していると思われてしまうのではないか。
「別に、何でも。さ、行きましょう」
 結局、そのまま澄ました風を装い、歩き出すのであった。

 

 映画の後は、食事をして、デパートの催事場で開催されていた美術展を見て、ケーキを食べて、街を歩いてと、ごく普通のデートコースのような場所を辿ってきた。
「日出実さん、疲れてない?」
「うん、大丈夫」
 乃梨子は、ごく自然に日出実に気を遣ってくれた。
「あ、あそこのクレープ、凄く美味しいんだって。日出実さん、クレープ好きでしょ」
「ええ……あっ」
 不意に、優しく肩を抱かれて乃梨子の方に自然と引き寄せられる。乃梨子の体に密着するような形となり、鼓動が高鳴る。
 しかし乃梨子は表情を変えるわけでもなく、特にそれ以上何をするわけでもなく、淡々と歩いてゆく。
 そんなことが何度かあって、日出実はようやく気がついた。
 今日は休日であり、街中は混雑していた。梅雨の中、久々に天気が良いこともあり、いつも以上に人が多い気がする。日出実は人込みが苦手で、よく、人の波にぶつかって思うように歩けないことが多々あった。
 それが、普段より人が多いにもかかわらず、殆どつっかかることなくスムーズに歩けていた。乃梨子が、ごく自然とルートを確保し、歩きやすいようにリードしてくれていたのだ。肩を抱き寄せてくるのも、人にぶつからないようにしてくれているのだ。
 思い起こせばそれだけではない。
 歩くときは必ず車道側を歩いてくれているし、美術展は日出実の好きな画家のものだったし、連れられたお店も日出実が好きな系統の店で、日出実がトイレに行っている間に支払いをすませているし、日出実が喉が渇いたと思ったタイミングで飲み物を差し出してくれるし。そう考えると、映画館でのこともやはり日出実のことを思ってとった行動としか考えられない。
 一日トータルの行動を顧みて、日出実は思った。

"なに、このパーフェクト紳士ぶりは!? 女子高校生にして、何人の女をこましてきたプレイボーイなんだ!"

 と。

 

 そうこうしているうちに時間は過ぎ去り、二人は帰宅の途についていた。
「ちょっと、遅くなっちゃったね。門限とか大丈夫?」
「うん……あれ、そういえば乃梨子さんの家って、この駅だっけ?」
 降り立ったのは、日出実の家の最寄り駅。話をしているうちに、ごく自然と駅に降りてしまったが、今まで学校の登下校で乃梨子を駅で見かけたことなど無い。登下校時間なんてそう変わらないのだから、もし同じ駅だとしたら一度もみかけたことがないのも不自然だろう。
「え、あーうん、丁度知り合いがこっちの方に住んでいて、ついでに貸していた本を返してもらおうかなと思って」
「へー」
 そのまま、話しながら歩く。
 時間はまだ夜の八時過ぎであり、遅すぎるというほどの時間ではないが、お嬢様学校で育ってきた日出実にとっては少し遅い時間であった。夏前であり、この時間となれば空も暗くなり、昼に観た映画のこともあって実は一人では少し心細いと思っていた。だから、こうして乃梨子が一緒にいてくれるのは心強いと思った。
 と、そう感じた瞬間。
 ひょっとして、乃梨子は日出実を家まで送ってくれているのではないかと思った。思い始めると、そうだとしか思えなくなった。そもそも、乃梨子の実家は離れた場所にあり、高校からリリアンに通いだしたのだ。都合よく、日出実の家の近くに知り合いが住んでいるなんて、出来すぎている。
 悟ると、心が震えた。
 これで、瞳子たちも堕ちたのか。このままでは、日出実自身も乃梨子の手中に落ちてしまうのではないかと思い始める。
 気がつけば、人気の少ない公園内に入っていた。家に近いからと、実際にルートを選んだのは日出実なのだが、徐々に判断力を失ってゆく。そそくさと、乃梨子と距離を置こうと足を早めたのだが。
「日出実さんあぶない、そこ段差が」
「えっ」
 暗くて、目に入っていなかった段差に足がひっかかる。バランスを崩しかけたところ、咄嗟に伸ばされた乃梨子の手が、日出実の腕を掴む。そのまま力を入れて引っ張られる。
「大丈夫?」
 強く閉じていた目を開けると、目の前に凛々しい乃梨子の顔があった。そして、胸を襲う甘い快感の波。
 見れば、乃梨子の右手が日出実の胸を掴んでいた。転びかけた日出実を助けようとした弾みではあろうが、生まれて初めての感触に動揺する。
 胸から今まで感じたことの無いような波動が生じ、強いうねりで日出実をのみこんでゆく。乃梨子の手の平が動くと、布地越しに敏感な部分が擦れ、反応する。とてもエッチな娘だと乃梨子に思われるのではないだろうかと、不安が襲う。
 吸い込まれてゆく。
 乃梨子の黒い瞳に、日出実の意識は吸い込まれてゆくようだった。何を考えているのか、何を感じているのかも、混乱して分からない。何かもう、身体中のあらゆる汁が噴き出してしまいそうだった。
 ゆっくりと、瞳を閉じる。
 もう、全てを乃梨子に委ねてもよいとさえ、思えてきた。
「あ、ごめんっ」
 次の瞬間、気がついた乃梨子が手を離し、体も離れる。
「あ……」
「ご、ごめん、わざとじゃないからね」
 乃梨子は別に、変な下心など持っていなかった。逆に、自分ばかりが先走っていて、それどころか乃梨子に心傾いていたことに、慄然とする。動悸のおさまらない胸をかき抱くようにして、俯く。
「ごめん、ごめんね。あー、なんならほら、仕返しに私の胸、触ってもいいから」
「え、ええっ!?」
 目をむく日出実。
 しかし、何か言い返すよりも先に。
「ほら」
 と、腕を取られ。

"ふにょん"

 という、柔らかな感触が手の平に伝わってきた。
 え、何事、これは現実のことなのかと、指をわきわきと動かしてみると、日出実の指の動きにあわせるようにして弾む手触り。決して大きくはないが、確かな膨らみがそこには感じられて。
「……え、わ、あ、すすすみませんっ」
 自分の行為に気づき、飛びのく日出実。
「これでおあいこってことで、ね」
 気のせいか、月の光の下、乃梨子の頬もほんのり赤くなっているように見える。
「……あ、あ、じゃあ、わわ、私はこれでっ」
「日出実さん? ちょっと、まだ暗いから――」
「も、もう家すぐそこだから大丈夫。ありがとう、今日は楽しかったですっ」
 踵を返し、逃げるように足早に進む。
「私も、楽しかったよ。また、明日ねー」
 後ろから、乃梨子の声が追いかけてくるが、日出実は振り返ることなど出来なかった。
 なぜなら。

 先ほどのあまりに刺激的な出来事に、鼻血を垂らしていたから――

 

 そして、翌日。
 昨日の快晴が嘘のように、朝から湿った雨が降り続いていた。乃梨子は、少しばかり濡れてしまった制服の袖やスカートの裾をハンカチで軽く拭き、自席で鞄の中身を机の中にいれようとしていた。
「ごっ、ごきげんよう、乃梨子さん」
「あ、日出実さん。ごきげんよう」
 既に登校していた日出実は、そっと乃梨子の隣まで寄った。隙なく周囲を窺うが、特に日出実たちに注目している生徒はいない。
 日出実は一つ静かに深呼吸をして、昨日の夜から自分に言い聞かせていたことを再度、胸の内で言い直す。
 これは別に、乃梨子にほだされたわけでも、魅了されたわけでもない。まだ、乃梨子の底が見えないから、もっと近づいてもっと知ろうと思っただけなのだ。
「き、昨日は楽しかったわね」
「うん」
 顔をあげ、頷く乃梨子。
 ごくり、と唾をのみこみ、日出実は口を開く。
「も、もし良かったら、また今度一緒に遊びに行ってあげてもいいけれど」
 言いながら顔を背けてしまう。まともに顔を見ることができない。
「うん、また行こうね」
 にっこりと微笑む乃梨子。その笑顔に、赤面しそうになるのを必死に抑える。
 耐えろ、耐えるのだ――と、思っていると。
「ごきげんよう、乃梨子さん、日出実さんっ」
 笙子が、アイドルのような笑顔を振りまきながらやってきた。
「何、二人で話していたの?」
「ああ、昨日、日出実さんと遊びに行ったから、その話を」
 何も躊躇いもせずに乃梨子が話し始めたものだから、日出実としては冷や汗物であった。変に勘繰られたり、嫉妬されたりしたら、どうすればよいのか。
 しかし、笙子はいたって普通の様子で。
「へえー、どこ行ったの? あーあ、私も行きたかったなぁ」
 などと残念がっている。
 まあ、一度二人きりで遊びに行ったからといって、疑われることもあるまいというのが当たり前なのだろうが、少し寂しい気もする――などとそこまで考えたところで、日出実は頭を振る。この思考では、完全に乃梨子にはまっているようではないか。
「どうしたの、日出実さん。急に頭を抱えて――なんか、顔も赤いけれど」
 笙子が、心配そうに覗き込んでくるのを避けるようにして、顔を背ける。すると自然と、再び乃梨子の方に顔を向ける形になるのだが。
「本当だ、どれどれ?」
 椅子から立ち上がった乃梨子が、日出実の前髪を手で持ち上げ、額をくっつけてきた。
「んーーー?」
「な、な、な――――!」
 日出実は絶句する。
 意味もなく手をばたつかせる。
「熱はないみたいだけれど……って、日出実さんーーーっ!?」
「わ、わ、日出実さん、まっかっか!」
 意識が遠のいてゆく中。

 日出実は、自分の中に芽生え始めた"気持ち"に戸惑うのであった。

 

 

おしまい

 

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