その週から再び由乃は登校し始めた。
薔薇の館での仕事も無難にこなし、特に変わった様子もみられない。先週のことなどまるで無かったかのように。
火曜日の昼休み、江利子は由乃に呼び止められた。
「江利子さま、先週、クラスメイトに私のこと何聞いたんですか?」
お下げを揺らしながら、そう問いかけてきた。
誰かが、江利子が由乃のことを聞きまわっていたことを喋ったのだろう。特に口止めをしたわけでもないので、由乃の耳に入るのも当然だろう。
「色々とね。私、考えてみたら由乃ちゃんのこと全然知らないことに気がついて。可愛い孫のことなのにね。それでちょっと。変なことを聞いたつもりはないんだけど、ごめん、嫌だったかしら?」
「いえ、そういうことでしたら。嫌と言うわけではありませんけれど」
ちょっと首をひねっていたけれど、由乃はそれだけで引っ込んだ。
その場は。
翌日の水曜日。
薔薇の館で昼食をすませて教室に戻ると、クラスメイト達の会話に気になる単語が入っているのが気になった。その会話の輪に、そっと近づいて声を掛ける。
「なんの話をしているの?今、由乃ちゃん、って聞こえたけれど」
「ああ、江利子さん。由乃ちゃんてやっぱり可愛いわねえ」
振り向いたクラスメイトは、両手を胸の前で組んで、うっとりとした目をしていた。よく見ると、そこで会話をしていた他のクラスメイト達も、どこか幸せそうな顔をしている。
「えと、由乃ちゃんが、何か?」
「さっきまでここにいたのよ、由乃ちゃん」
「え?」
どういうことだろうか。三年生のクラスに来るとは、何か用事でもあったのか。それとも、江利子でも探していたのか。
「江利子さん、あなたのことを聞きにきていたのよ」
「え?」
「大好きなお姉さまのお姉さまのことを、もっと良く知りたいんですって」
「江利子さんは何が好きなのか、食べ物とか、色とか。それとは逆に、嫌いなものは何かあるのかとか」
「嫌いなもの?」
「何か料理を作るときに、江利子さんの嫌いなものとかあったらまずいからじゃない?健気よねえ」
「好きな色を聞いたってことは、何か編み物でもするのではないかしら」
「ホント、可憐で可愛らしいわよね、由乃ちゃん。私、抱きしめたい衝動を抑えるの大変だった」
「ああいうコが妹だといいわよねえ」
みんな、由乃のことで盛り上がってる。その気持ちも、わからなくもない。あんな可愛らしい子が上目遣いで聞いてきて、さらにちょっと小首でも傾げようものなら、もう、かなりの確率で骨抜きになるだろう。
「他に、何か聞かれたりしたの?」
「江利子さんの得意なことは何か、苦手なことは何か、昔はどんな感じだったのか」
「江利子さまのことならなんでも知りたいんです、だなんて、なんて可愛らしいことを言うのかしらね」
「あ、そういえば、恥ずかしいから江利子さまには内緒にしてくださいね、って言われていたんだわ。あ、でも恥らう由乃ちゃんも可愛かったわねぇ」
「江利子さん、この話、由乃ちゃんには内緒にしてね」
「……ええ、そうね」
みんな無邪気に由乃のことを話しているが、江利子は内心、舌を巻いていた。これは明らかに、江利子の行動に対するものであろう。昨日の今日で、何と行動の素早いことか。しかも、一年生がたった一人で最上級生である三年生の教室に乗り込むとは、その行動力と度胸の良さ。
加えて、可憐な一年生を演じて江利子の情報を集めてゆく。好きなものと同時に嫌いなものを、得意なものと同時に苦手なものを聞く。当然、真の目的は後者の情報なのだろうと察する。
江利子はぞくぞくした。
今まで、こんなことをしてきた子は、同級生にだっていない。あんなことがあった後だというのに、なんという強さだろうか。
……いや、そうではないのか。
ここで江利子は、由乃に何が必要なのかを知ったような気がした。