「ニジョーさ、何かいいこと、あった?」
「……へ? 何で?」
中学時代の友人とお喋りしているファストフード店内。不意に、そんなことを尋ねられた私は、首を傾げる。
「何でって、時折さ、えへら~って、幸せそうな顔しているからさ」
「うんうん、なんか、ほにゃーん、って顔しているよね」
春日と唯が、そんなことを言ってくる。
どんな顔だというのだ、それは。
私はシェイクのストローに口をつける。
「恋しているだろ?」
「ぶばっ!?」
いきなりの春日の一言に、噴きそうになったがシェイクは重いのでそんなことにはならなかった。
「おー、当たった? 何々、相手は誰だよー」
「べ、別にそんなんじゃないわよっ」
「えー、いいじゃん教えてよー。昔から乃梨子ちゃんて、そういう話と縁遠かったしね」
興味津々といった感じで乗り出してくる唯。
「ニジョーが恋ねぇ……あっ、もしかして、リリアンの先輩とかじゃないの??」
「なっ!!」
「……あれ、もしかして、マジで?」
冗談気味に言ってきた春日の言葉に、思い切り反応してしまった。自分自身で、顔が熱くなっているのが分かる。
「わー、そうなんだー、乃梨子ちゃんやっぱりそうなんだー」
「や、時間の問題だとは思っていたけれど、そうかー、ほー」
目を輝かしている唯と、納得したような困惑したような不思議な表情をしている春日。ただ、いずれにしても嫌悪感や忌避感を出してきていないのは、ちょっと意外だった。
「何、やっぱ志摩子さん?」
「志摩子さんは、そういうのじゃないの」
「じゃあ、他の先輩なんだ、へぇ~、ほぉ~」
「ち、ちがっ! だから、別に恋なんてしているわけ、ないでしょ、そんな、女の子同士でとか」
口を尖らせて横を向くが、時すでに遅い。今までの反応から、完全に乃梨子が「そうなってしまった」と思われている。まあ、確かに間違いではないのかもしれないが、今まで散々に女子校であるリリアンの風習や雰囲気に慣れない、やってられないなどと文句を言ってきたので、今さら何を言うかという感じでもある。
「別にいいんじゃないの、そういうのだって」
「……春日、あんた随分とあっさりしているわね。前はさ、女同士なんてありえない、とか言っていなかったっけ?」
「え、そ、そうだった? でもほら、恋愛は自由だし」
「あー、春ちゃんもねぇ、最近可愛い女の子に積極的に迫られて、満更でもないんだよぉ」
「唯っ、余計なこと言うなっ!」
「へえ、面白そうじゃない。唯、詳しく聞かせてよ」
「や、やめてって!」
級友たちとのガールズトークに花を咲かせるが、恋愛対象が全て女の子であるということに、話している間は全く気がつかなかったのであった。
そんなこんなで由乃さまと想いをかわしあってから、どれくらい経ったのか。私達の距離は、正直、あまり変わっていない。
やっぱり学園生活は忙しいし、学年だって異なるし、そうそう自由に二人きりで動けるわけでもない。なんとなく言い出しづらい、というか言えるわけもない感じがして、他の人に秘密にしているというのもある。
薔薇の館で仕事をしているときも、目が合って変な反応でもして、周囲の皆に下手に勘繰られるのも嫌だと思ってしまい、むしろ必要以上に近づかないようにしていたりもした。
そんなんだから、ストレスもたまりがち。
遠慮せず、臆せず、皆に公表してしまえば良いという気持ちがないわけでもないが、まだそこまでの度胸は持てない。
私も由乃さまも、志摩子さん、令さまという、お互いが大事にしている姉がいるせいもあっただろう。
私は完全にフラストレーションがたまり、週に七日は一人で自分を慰めてしまったりして、おまけに一昨日なんかはうっかり漏らしてしまったので大変なことになった。まあ、昨日は一昨日のことをきちんと考慮に入れてお風呂でしたので問題はなかった。私は同じ失敗は二度と繰り返さないのだ。
とまあ、そんなことはともかく、このままでは私がヤバい。最近では、体育の着替えの時にクラスの女子の肌に目がいってムラムラして仕方がない。由乃さまという女性がいるというのに、私ったらなんたる浮気者か。だけどムラムラするだけで、手は出さない。人間だもの、欲望が心に湧き起ってしまうのを止められないのは仕方がない。
「ののの乃梨子さんっ、な、なんで抱き着いてきますのっ?」
「あ、ごめん、つい」
目の前に美味しそうなお尻……もとい瞳子がいたのでうっかり抱き着いてしまったが、これは不可抗力というものであろう。私の目の前で、スパッツに包まれているとはいえ、可愛いお尻を突き出してくるから悪いのだ。
しかし、こうして改めて考えてみるとリリアンは魔窟だ。
何せ女子生徒のレベルがかなり高い。
体育の着替えで平気で下着姿を晒す、なんて生徒はもちろんいないけれど、それでも隙が多く、ちらちらと下着や胸の谷間を盗み見てしまうことも出来る。で、皆お嬢様ばかりだから覗かれているとも思わない。
あっさりと見せられるよりも、全体は隠されながら微妙なチラ見せがある方が色っぽく感じられることに気が付いてないのだろうか。
リリアンの女子はガードが甘い!
こんなの、私立中学育ちの私が本気を出したら、あっという間に色々なことが出来てしまう。即ちそれは、下手をしたら由乃さまだって誰かにされてしまうかもしれないということ。
祐巳さまとかべたべたと抱き着いて、どさくさまぎれに乳を揉んだり尻を撫でたりしそうな感じでナチュラルにエロい気がするし、蔦子さまとか常に盗撮している変態カメ子でいつ実際に手を出すか分かったもんじゃない。真美さまだって、『黄薔薇の蕾の秘蜜に密着取材! 奥の奥まで入り込んで覗いて全てを晒しちゃうから!』なんて挿入、もとい潜入取材とかやりかねない。由乃さまは気が強いとはいえ、体の方は強くない。力づくで迫られたら逃げ切れるとは言い切れない。
なんと、リリアンはこんなにも危険な花園であったのか。私は愕然とした。
「……さっきから乃梨子さん、下着姿のまま突っ立ってどうしたの?」
「さ、さあ……乃梨子さん、グラウンドに行きますわよ?」
「ぐ、グラウンド(寝技)でイク!? わ、私はまだっ」
「だから早く着替えなさいっての」
「なんなんですの、まったく」
可南子、瞳子の凸凹コンビが変な顔をして私のことを見ている。
そんな顔をして、私は知っているのだ。二人が人のいない薔薇の館で乳繰り合っていたということを。
「ふん、二人には分からない悩みを私は抱えているのよ」
「はぁ、分かったわ。瞳子、行きましょう」
「ちょ、ちょっと可南子さん、そんな抱きかかえないでくださいましっ、一人で歩けますからっ」
「この方が速いでしょ」
いちゃつきながら去っていく二人を見送り、私は。
「ふむぅ……」
これからどうすべきかを考えていた。
結局、妙案は浮かばないままに放課後になってしまった。早いところ何がしかの解決策を見つけないと、このままでは私は今夜も一人寂しく致してしまうことになる。さてどうしようかと、多目的教室の掃除を終えて教室へ戻ろうという道すがら、私はうっかり、掃除をするときに使用した雑巾を置きっぱなしにしていたことに気が付いた。かなり考えにのめり込んでいたようだ。
一緒に戻りかけていたクラスメイトに声をかけ、一人、多目的教室へと向かう。雑巾を手に取り、一度洗ってきちんとしかるべき場所に戻す。余計な手間をかけてしまったと思いながら、再度、教室へ戻ろうかと思った時に、耳がとある声を拾った。
ちょっと遠くて分かりづらかったけれど、由乃さまの声だと思った私は、声がした方向に足を向けた。
化学準備室や物理準備室といった部屋が並んでいる此処は、放課後ともなるとあまり生徒の影は見えなくなる。そんな場所にある階段の、2階から3階へと上がる踊り場を見上げると、見覚えのあるお下げの後ろ姿が目に入った。他にクラスメイトらしき人の姿も見え、階段の掃除をしていたのかもしれない。
由乃さまは掃除を終えたのか分からないが、3階の方に上がろうとしていた。私は、咄嗟に呼び止めていた。
「あ、あの、由乃さまっ」
私の声を聞き、由乃さまとクラスメイトさんの動きが止まる。
「あら乃梨子ちゃん、ごきげんよう」
「乃梨子さん、ごきげんよう」
下級生の私に丁寧に挨拶をしてくれた先輩に、私も挨拶を返す。
「どうかしたの?」
「え、あ、ええと」
問いかけてくる由乃さまに対し、咄嗟に言葉が出てこない。姿が見えたので思わず声をかけてしまいました、何て恥ずかしくて言えないではないか。
私が言葉を濁していると。
「由乃さん、乃梨子さんが何か用があるみたいなので、掃除用具は私たちが片づけておきましょうか」
「え、でも悪いよ」
「いいですよ、これくらい。山百合会のお仕事も大変でしょうし」
「それじゃあ、お願いしちゃおうかな。ありがとう」
何やらクラスメイトさんが勝手に都合の良い方向に勘違いしてくれて、由乃さまから掃除用具を受け取ると、一礼をして去って行った。
その姿を見届けて、私は階段を上っていく。
「どうしたの、乃梨子ちゃん。あ、もしかして今日、山百合会の活動がなくなったとか、そういう言伝?」
由乃さまが首を傾げる。
畜生、可愛いぞ。
「え、ええとですね」
踊り場まで辿り着き、向かい合う。
大きな瞳に真っ白な肌、細い腰、手、足。
「山百合会の用事というか、ですね」
二階の廊下を、おしゃべりしながら通り過ぎる女子生徒達。
「単に私が由乃さまとお話ししたかっただけといいますか……」
もじもじと床を見つめながら、そんなことを小声で言う。言っておきながら、凄く恥ずかしくなってくる。これじゃあ、単なる我がままだ。
呆れられたりしないだろうかと思い、おそるおそる俯いていた顔を上げてみる。
「あ、そ、そうなんだ……」
私の言葉を聞いて、由乃さまも恥ずかしかったのか、ほんのりと白い頬をピンク色に染めていた。
「う、うん、嬉しいよ、うん。そうだね、このところ二人でお話とか、あまりできていなかったものね」
「そ、そうなんです。それで」
とは言いつつ、実際には何か話したいというよりも、もうちょっと直接的なことしか考えていなかった私は、咄嗟に話が出てこない。
「あ、あの、由乃さま」
「うん?」
なんとなく、むずがゆいようなムード。
三階の廊下を、足早に過ぎてゆく体操服姿の女子。
二階の廊下を見れば、教師を呼び止めてお喋りかあるいは質問でもしている生徒の姿が見える。
「あの、ですね」
私は由乃さまとの距離を一歩詰め、その手を握った。
「え、ちょ、ちょっと、乃梨子ちゃん?」
少し驚いたような由乃さま。
私は構わずに、更に距離を詰める。
「ええええ、の、乃梨子ちゃんっ」
顔を赤くし、わたわたとし始める由乃さまが、凄く可愛らしい。
由乃さまは逃げるように一歩、後ろに下がるが、私はその分を前に詰める。やがて由乃さまの背後には壁がやってきて、それ以上は後退できなくなる。
「の、乃梨子ちゃん、だ、駄目だって。ほら、人が」
肩をすくめて出来る限り身を小さくするようにしている由乃さま。そんな姿が、私をさらに盛り上げさせる。
由乃様の言うとおり、放課後とはいえまださほど遅くない時間、廊下には人の気配がある。そもそも二階の廊下では、いまだにどこかの教師と生徒が立ち止まって話をしている。ちょっとこちらの方を気にして、ちょっと階段の方に身を寄せて見上げてみれば、きっと私たちの姿が目に入るはず。
もしかしたら見られるかもしれない。
そんな緊張感が、逆に私を燃え上がらせる。
「の、乃梨んっ……」
私は由乃さまに体を押し付けて壁と挟み込むようにして動きを封じると、そのまま唇を重ねた。
ぎゅっ、と目をつむり、体を硬直させている由乃さま。
「……ふっ……ん」
三秒ほどで唇を離し、二階と三階に素早く目を向ける。
誰も、こちらのことを見ている人はいない。
目の前で、由乃さまがほっと息をついている。
「ね、由乃さま、もう一回」
「え、で、でもっ」
あわあわとしている由乃さまだけれど、逃げようとはしていない。
「ん……ちゅっ……」
先ほどよりも少し深いキス。
由乃さまも、さっきは身を固まらせていたけれど、今回は私の背中に腕を回して抱きしめてくれた。制服越しにでも感じられる、由乃さまの温もりと柔らかさ。もっともっと由乃さまを感じたくて、私は更に強く体を密着させる。
「んっ、あ……」
股間に、由乃さまの足があたる。痺れるような心地よさが背中を貫く。
「ちゅっ……くちゅっ……」
舌をいれて、音を立てて吸う。
「んっ……だ、ダメっ……ちゅ、ん」
駄目と言いつつ、私の背中を抱きしめる力は緩まらない。
それでも、時間的には十秒くらいであったと思う。
私は名残惜しくあったが、身を離した。
「あ……あの、由乃さま」
そこになってようやく、私はとんでもないことをしてしまったと我に返る。
もしかして、由乃さまを怒らせてしまっただろうか。学校内でいきなりキスするなんて、なんて思われただろうか。
おそるおそる由乃さまを見る。
「……あれ、そこに誰かいるの?」
その時、階下から声をかけられて私も由乃さまも飛び上がらんばかりに驚いた。
声をかけてきたのは、先ほどまで女子生徒と話をしていた先生だった。
「あ、はい、あの、ちょっと」
そんな返事をすると。
「あら、島津さんに二条さん。生徒会のお話をするのもいいけれど、それなら教室か薔薇の館に行ってしなさい」
「あ、はい、すみません」
それだけ告げると、先生は去って行った。どうやら先ほどのシーンは目撃されていなかったようで、ホッとする。
「ええと……じゃ、じゃあそろそろ行きましょうか」
気を取り直す、というか先生が割り込んできたのをいいことに、私は話を変えて薔薇の館に向かおうとしたのだが。
歩きかけた私の手を、由乃さまの手が握って止めた。
ドキっとしつつ、由乃さまのことを見ると。
「……あのね、乃梨子ちゃん。べ、別に嫌じゃあ、なかったから」
由乃さまは赤くなりながらそう言って。
驚く私にいきなり顔を近づけてきて。
「――あ痛っ!?」
キスをしてきたけど、勢いがありすぎたのと、突然だったので、お互いの歯と歯が「ガキッ」と音がするくらいにぶつかってしまった。
「じゃ、じゃあっ、私先にいくからっ」
キスをしようとしたこと、それが失敗したことが恥ずかしかったのか、由乃はさらに真っ赤になって、逃げるように去って行った。
「……か、可愛いっ!!!」
私はそんな由乃さまの後ろ姿を、身悶えしながら見送るのであった。
ちなみに。
その日の夜は、由乃さまとのキスとその後の由乃さまのことを思いだしながら、結局私は一人でしてしまった。
というか、もはや日課となってしまい、由乃さまと日中にどうこうあろうが関係なさそうなのであった。