寒さも厳しくなった二月の上旬。
大学の帰り道、私はデパートへと足を伸ばしていた。
「うわぁ……」
思わず、声をあげていた。
予想はしていたけれど、かなりの盛況振りというか、賑わいをみせている。バレンタインまではもうしばらくあるけれど、お店の方は完全にバレンタインフェアに突入している。
色々なブランドが可愛らしいチョコ、綺麗なチョコ、派手なチョコなどを華々しく販売している。
きっと、バレンタイン直前の週末になると、さらに女性客で賑わうであろうことが簡単に予測できた。
私も高等部に在籍していたときは、お姉さまや祥子のためにチョコレートを用意したけれど、その頃がなぜか遥か昔のことのように思える。
色々と、売り場を見て回る。
どうしてだろう、高校生の頃もそれなりにドキドキしたり、お姉さまの喜ぶ顔を想像したりして楽しかったけれど、また違う気持ちが胸の中にあふれ出してくる。
祐麒くんだったらきっと、私がプレゼントしたものなら何でも喜んでくれるだろう。こんなことを口走ると、「惚気ている」なんてからかわれそうだけれど、私だって祐麒くんからのプレゼントならどんなものでも嬉しいのだから。
恥しそうに、でも嬉しそうに少し照れながら受け取ってくれる祐麒くんの姿を考えると、渡すときが楽しみになってくる。
「……水野さん、一人でニヤニヤしていないでよね」
一緒に買い物に来ていた氷野さんが、隣から肘でつついてきた。
「に、ニヤニヤなんて」
「していたわよ。幸せそうな顔しちゃってさー、いいわねー、ラブラブで」
言われて恥しくなる。
そんなに、見てすぐに分かるくらいだったのだろうか。
「ま、同じような顔した人が何人もいるけどね、ここには」
氷野さんはちょっと皮肉っぽい目をして、売り場に沢山いる女の人の姿を眺める。
言われて周囲に目を向けてみれば、楽しそうに友達とチョコレートを選んでいる女子高校生や、真剣な顔をして吟味しているOL風の人、幸せそうに頬を緩ませている人など、実にさまざまな表情を見つけることが出来た。
ちなみに氷野さんは、バレンタインには今お付き合いしている女の子と『ちょこれーとぷれい』なるものをするのだと、よく分からないけれど色々なチョコレートを大量に買いあさっていた。
「よかったら、水野さんも一緒にどう?」
「結構です」
「つれないわねー。じゃあ、祐麒くんとすれば?」
「す、するわけないでしょう」
いつもの軽口をたたきあいながら、歩いてまわる。
ふと目に止まった、売り場の中の一つのコーナー。それは既製品のチョコレートではなく、手作りチョコレートのキットやレシピを集めたコーナーだった。
簡単に作れる普通のチョコレートから、ちょっと手の込んだもの、ガトーショコラやトリュフといった少し手強そうなものまで、色々とある。
やっぱり男の子は、手作りをもらうと嬉しいのだろうか。
手に取って眺めながら、考える。
「手作りチョコに惚れ薬でもいれちゃう?」
「そんなの必要ないもの」
「うわっ、即答。すっごい自信だね。ま、祐麒くんが水野さんにメロメロなのは、見ていて分かるけれどね」
「そ、そんな」
無意識のうちに即答していたが、こうして改めて突っ込まれると、途端に恥しくなってしまう。
隣で、氷野さんは楽しそうな顔をしながら。
「まあでも、手作りチョコは嬉しいよね。気持ちが感じられるし」
「気持ち……」
手に胸をあてて、考える。
自分の、気持ちを。
もちろん、何も疑うところなどない。
「水野さん、決めた?」
両手に沢山のチョコレートが入った紙袋を提げて、氷野さんが聞いてきた。
私は迷うことなく、頷いた。
手作りチョコレートを贈ることは決めたけれど、さすがにぶっつけ本番にする気はなかった。
料理は決して苦手ではないけれど、普段から進んでしているわけではないし、お菓子作りとなると更に縁遠い。
だから私は週末、まずは試作することにした。
作るのは、抹茶と苺のトリュフ。難易度が少しばかり高そうだったけれど、少しくらい難しい方が、やる気が湧き上がってくる。
日中は母が食事の支度などをするので、夕飯が終わった後のキッチンを使って、私はチョコレートと格闘する。
チョコレートを刻んでボウルに入れておき、鍋で温めた生クリームをボウルに注いでチョコレートを混ぜ合わせる。さらにラム酒を少し混ぜ、冷やして少し固くなったところでトリュフ一個くらいの大きさにスプーンで掬い、冷蔵庫で冷やしてガナッシュを作る。
コーティング用のチョコについては、抹茶と苺、それぞれ刻んでボウルに入れ、湯せんで溶かす。
ガナッシュをコーティング、上手にツノをつけるのがなかなかに難しい。
作成途中では、レシピの作り方に加え、色々と自分なりにアクセントを入れてみたつもりだけれど、果たしてどうなっただろうか。
完成品は、見た目にはそう悪くはないけれど。
一口、含んでみる。
「……甘い」
やけに舌に残る甘ったるさであった。
不味いわけではないのだが、女の私でも相当に甘いと感じるのだから、男の子である祐麒くんにしてみたら、ちょっと問題ありかもしれない。いくら祐巳ちゃんの弟さんだとはいえ。
初めてだとしたら、まずはこんなもんだろうか。
まだ時間もあることだし、もう一度挑戦しようと気合を入れなおす。今度は甘みを抑えるために、違うものをいれてみようか。
「頑張っているわね」
チョコレートを包丁で刻んでいると、不意に後ろから声をかけられた。
いつの間にか母が顔を見せていた。
ゆっくりとキッチンに入ってくると、試作品のトリュフをつまんで口の中に放り込んだ。
「うわ、随分と甘いわね」
顔をしかめる母だけれど、なぜか嬉しそうに私の後ろ姿を見ている。
「お父さんがヤキモキしているわよ。誰にあげるのだろうかって」
「もちろん、お父さんにもあげるわよ」
「お父さん『にも』ね」
「な、何よ」
意味深な母の物言いに、少したじろぐ。
とゆうか、言いたいことは大体分かっているけれど。
「もちろん本当は彼氏のために、なんでしょう」
「悪い?」
母にはもう、祐麒くんのことは知られているけれど、それでもやっぱり言われると恥しい。
「ねえ、いつになったら紹介してくれるの? いつでも家に呼んでいいって言っているじゃない」
祐麒くんのことは、正式に付き合い始めてからわりとすぐに感づかれた。私から言ったわけではないから、母として、女として、娘の変化に気がついたのだろう。
「何言っているの、デートの日なんかあからさまだったじゃない。洋服だってそれまで着たことないような服を着初めて。物凄く色気が出てきたし、恋は女を変えるってね。気がつかないのは、お父さんくらいよ」
と、母は笑いながら言うけれど。
とにかく母は、早く祐麒くんに会わせろと事あるごとに言ってくる。
「蓉子が年下の男の子をねー、可愛いわよね、祐麒くん。実物はもっと可愛いんでしょうねえ」
プリクラの写真を見られてしまったので、そんなことまで言ってくる。適当に聞き流せばよいのだろうけれど、つい反応してしまうのは、私がまだ幼いからだろうか。
「もう、変なこと言わないでよ、お母さん。邪魔するなら出て行ってちょうだい」
「はいはい。それじゃあ、頑張ってね。あ、それから早く祐麒くんに会わせてちょうだいね」
もう一度、念を押すように言いながら去ってゆく母。
背中を見ながら、私は息を一つ大きく吐き出した。
別に、父や母に祐麒くんを会わせるのが嫌なわけではない。祐麒くんであったら両親も気に入ってくれると思うし、きちんと認められたいとも思う。
同時に、やはり気恥ずかしさが先に立ってもしまう。
自分の彼氏を、両親に紹介するなんて。
「……とりあえず、今はチョコレート、チョコレートっ」
気を取り直し、私は包丁を持つ手に力を入れるのであった。
そしていよいよ、2月14日。バレンタインデー当日。
「……水野さん、大丈夫?」
「―――っ!」
つつかれて、目を覚ます。
顔をあげると、正面から氷野さんが見つめてきていた。
「珍しいね、水野さんが。あんまり無理しない方がいいわよ?」
紅茶を飲み、苦笑する氷野さん。
ここ数日、あまり睡眠を取れていない。どうしても、満足のいくチョコレートが作れなくて、ついつい遅くまで台所に立つという日が続いていたから。
昨夜も、結局は納得がいくまで作り続け、出来上がったのは夜明け近くになってしまった。
その後で眠ろうかとも思ったが、万が一、寝過ごしてしまったりしたらどうしようもないと思い、起きつづけることにした。
「大丈夫、うん」
軽く頬を叩き、目を覚まそうとする。
大学が既に休みに入っているのが、せめてもの救いだった。今の状態で、まともに講義を受けられる自信はさすがに無い。
「随分と気合をいれたみたいねー」
「入れたのは気合というか愛というか……」
「はいはい、ご馳走様」
「あ、や、やだ。今私、変なこと言った?」
睡魔でちょっとばかり頭がぼーっとしているところもあり、無意識のうちに妙なことを口走ってしまう。
私は首を振り、まとわりつく眠気をどうにかしようとした。
「……駄目ね。暖かい場所にいると眠ってしまいそうだから、私、もう行くわ」
立ち上がる。
外の寒気に身を晒していれば、否が応でも目は覚めるであろう。
「頑張ってね」
手を広げ、片目を瞑ってくる氷野さん。
彼女は彼女で、この後、付き合っている女の子と約束があるらしい。私も彼女に応じて手を振り、店を出る。
途端に、冷たい風が頬にあたる。
マフラーをしっかりと巻きなおし、私は歩き出した。
花寺学院の正門前に近づいて、驚いた。
門の周りには、何人もの女の子の姿が見えた。それも、ほとんどは私も昨年まで身につけていた制服、すなわちリリアン女学園の制服を着ている。
彼女達の目的も私と同じ、意中の男子生徒にバレンタインの贈り物をするために来ているのだろう。
「失敗したかなぁ」
細く白い息を吐き出す。
約束して待ち合わせれば済むことなのだが、驚かせようかと思って何も知らせずに学校まで足を運んだのだ。
それがこんなにも女の子が多いとなると、躊躇われてしまう。
何しろ、制服姿じゃないのは、どうやら私くらいのようなのだから。
この状況の中、祐麒くんにチョコレートを渡すのは、はっきりいって恥しい。
一度街のほうに戻り、どこかで連絡を入れようかと踵を返しかけたとき。
「あの、蓉子さまではありませんか?」
名前を呼ばれた。
声のした方に目を向けると、どこか見覚えのある女子生徒が、寒さで赤くなった頬を緩ませて私のことを見つめていた。
私のことを慕ってくれていた、後輩の女の子だった。今は二年生のはず。
「わあ、本当に蓉子さまなんですねっ、お会い出来るなんて感激です」
「ありがとう」
素直に喜びを表現してくれる彼女に、私の顔も自然と綻ぶ。
卒業した今でも慕ってくれるというのは、やっぱり素直に嬉しいものである。
「こんな寒い中、大変ね」
「いえ、これくらい大したこと無いです」
手にした手提げから覗いて見える、可愛らしいラッピング。手作りなのか、それとも買ってきたものか、いずれにせよ彼女の想いが溢れんばかりにつまっているのだろう。
「蓉子さまはどうしてこちらに……あっ、もしかして私達と同じですか? え、そうすると蓉子さまの意中の方が花寺にっ?」
「えっ」
言われて、身体が固まる。
彼女の言っていることに間違いは無いのだが、認めてしまうのは物凄く恥しい気がした。卒業したとはいえ、いや、卒業したからこそ、リリアンに在学中の彼女達と同じように好きな男の子のことを待っているなんて、言えない。
ましてや紅薔薇様なんていう有名人だった身、下手をすれば『りりあんかわら版』にスクープとして掲載されかねない。
そんな事態は、絶対に避けたかった。
「わ、私はただ用事があって、ここを通りかかっただけだけれど」
「あ、そうなんですかー」
澄ました顔で言うと、彼女は素直に信じたようだった。
ほっと胸を撫で下ろし、とりあえずこの場を去ろうかとしかけたが。
「あ、祐麒さまっ」
という誰かの言葉に、ぴたりと足が止まった。
素早く視線をはしらせてみれば、確かに校門の近くに、見慣れた祐麒くんの姿。そして、祐麒くんに向かってゆく女の子。
しかも、声を出した女の子だけではない。
数人の女の子が、揃ったように駆け出してあっという間に祐麒くんの周りを取り囲んでしまった。
まず、最初に声をかけた女の子が何か恥しそうに小さな声で言いながら、鞄から取り出した包みを祐麒くんに差し出す。
私は、半ば呆然としながらその光景を見ていた。
学園祭には顔を出したから、祐麒くんが山百合会の劇に出演していたことも知っているし、リリアン生達に顔を覚えられていてもおかしくないとは分かる。だから、ファンの女の子が出来ても不思議でないことは想像出来たはずなのに、私ときたら今の今まで、自分の目で見るまで全く頭の中に思い浮かんでいなかった。
しかし、それにしても。
数人の女の子に囲まれて、祐麒くんは困ったようにしながらも、どこか嬉しそうな顔をしているように見える。
そりゃ、可愛い女の子に囲まれれば悪い気はしないだろうけれど。
むっとする。
すると丁度、祐麒くんの目がこちらを向いた。目があった瞬間、祐麒くんは驚いたような表情を見せた。
私は良い気分がしなかったので、すぐに視線をそらした。
「……それじゃあ、私は失礼するわね。ごきげんよう」
「あ、は、はいっ。ごきげんよう」
まだ側にいた女の子に笑顔で挨拶を返し、足早に花寺学院を後にする。
何よ、祐麒くんときたら。だらしなく鼻の下を伸ばしちゃって。
私はずんずんと歩いてゆく。
「…………」
歩く。
「…………」
歩く。
「…………」
歩く。
(―――ど、どうして追いかけてこないのっ?)
不安になりかけたそこでようやく、後を追いかけてくる足音が聞こえてきて、私は内心で安堵のため息をつく。
だけど、厳しい表情は変えないし、歩調も緩めない。
「蓉子さんっ」
呼び止める声も無視して、歩く。
やがて足音が近づき、私を追い越して前方で止まる。
僅かに呼吸の乱れた祐麒くんが、私の行く手を遮るようにして立っていた。
「あの」
何か言いかけたのを遮って、先に口を開いた。
「良かったわね。可愛い女の子から沢山チョコレートもらえて」
祐麒くんが手にしている紙袋の中に、女の子達から貰ったと思われるチョコレートの包みが見えた。
我ながら子供っぽいとは思うが、良い気分になれるはずもなく、意地悪なことを言ってしまう。
「嬉しそうに頬を緩ませていたわね。若くて可愛い娘達だったものね」
言いながら、後悔する。
なんでこんな、我が侭な子供みたいな言葉が口をついて出てくるのだろうか。
「そ、そんなんじゃないですよ」
「でも、全部ちゃんと受け取ったみたいじゃない」
だから、私のことを追いかけてくるのも遅くなったのだろう。
ちょっと、悔しい。
「だって、こんな寒い中待っていてくれたみたいだし、受け取らないのも悪いと思って」
分かっている。
祐麒くんだったら、断ることなんかできず、困りながらも受け取るしかないだろうとは物凄く分かる。
分かるけれども、それでもどこか割り切れない自分がいるのも事実で。
そして、そんなにも独占欲の強い自分が、凄く嫌な女に思えてくる。
「だけど、チョコレートは受け取っても、彼女達の好意を受け取るわけじゃないから」
「そんなこと言ったら、せっかく勇気を振り絞ってチョコレートを渡しに来た彼女達が可哀相じゃない」
「そ、それは、でも」
ああ、別にこんなに祐麒くんを困らせたいわけじゃないのに。一言、謝って笑いながらチョコレートを渡せば、きっとそれで終わりになるはず。
それなのに、それが出来ない。
私は顔を見せられず、再び歩き出し、祐麒くんの横を通り過ぎてゆく。
せっかくのバレンタインデーに、こんな下らないことで喧嘩するなんて、馬鹿みたい。睡眠時間を削って作ったチョコレートは、何のために鞄の中に入っているのか。
冷たい風は、私の身も心も切り裂いていく。
「待って、蓉子さんっ」
また追いかけてきた祐麒くんに、腕を掴まれた。
無言で顔を向けると、真剣な表情の祐麒くんがいて。
「何、まだ何か言うこと」
と、今度は私の言葉を遮るようにして、祐麒くんの方が口を開いた。
「お、俺が欲しいのは、蓉子ちゃんだけだからっ!!」
―――えっ。
その言葉を聞いて私は、たちまちのうちに赤面した。
「あの、ゆ、祐麒、クン? そそ、そ、そんなこといきなり」
あまりに大胆な発言に、どうしたらよいのか分からなくなる。顔が、身体が、急激に熱くなってゆく。
「え……? って、あ、ち、違うっ! 俺が言いたかったのは、蓉子さんのチョコレートだけが欲しいっていう」
どうやら言い間違いに気がついた祐麒くんだったが、こちらも私に負けず劣らず赤くなってうろたえていた。
しかもここは、往来の真ん中である。
時間的なせいか人通りはさほど多くないとはいえ、まったく誰もいないというわけでもない。
そんな中、大きな声で大胆な告白をした祐麒くんと、その相手である私に、注目が集まっていた。
「あ、いや、そのっ」
「…………」
お互いに顔を赤くして向かい合う。
「い、行きましょうか」
「そ、そうですね」
私たちは逃げるようにして、その場を後にしたのであった。
「……もう、祐麒くんのせいで、恥しい思いしちゃったじゃない」
「す、すみません」
駅の近くまで歩いてきて、ようやく、落ち着いてきた。
「もう、いいわ。はい、これ」
素っ気無く、鞄から取り出した包みを祐麒くんに差し出す。
「―――え?」
なぜか、きょとんとする祐麒くん。
「な、何よ。チョコレートよ。わ、私のが欲しいんじゃなかったの? それとも、やっぱり他の子の」
「と、とんでもない、ありがたくいただきますっ!」
物凄い勢いで、手を掴まれた。
祐麒くんの手は、冷え切っていた。
「蓉子さん、怒っていたみたいだから、ひょっとしたら貰えないかもって思っていたんです」
まるで子供のように無邪気に喜んでいる。
その姿を見ていると、私の肩からも自然と力が抜けていた。
「怒ってなんかいないわよ。ごめんなさい、意地悪なことばかり言って」
そっと、手を繋ぐ。
私の体温を、冷たい祐麒くんの手にあげるように。
駅の改札を越えてホームに行くと、丁度電車が来たところだった。私たちは電車に乗り込み、運よく空いていた座席に並んで腰を下ろす。
「祐麒くんがそんなにモテるなんて、思わなかったわ」
「俺も、自分で驚いているんですから。でも多分、花寺の生徒会長というだけですよ。それに去年の柏木先輩なんか、俺の何倍も貰っていましたよ」
「ああ……」
あの、銀杏王子様か。
確かに、見た目だけならば王子様みたいだし、女子校の女の子が憧れてしまうのも分からなくはない気がした。
でも、なんか祐麒くんの方が少ないとなると、それはそれで納得しがたい気もする。我ながら矛盾しているけれど。
ホームに音楽が鳴り響き、ドアが閉まる。
祐麒くんと喧嘩らしきものをしたのは初めてだったので、一時はどうなるかと思ったけれど、たいしたことにならなくて良かった。
考えてみれば、あの祐麒くんの発言が、空気を変えるきっかけをくれたのだ。
「…………」
問題の言葉を思い返して、また少し一人で赤面する。
祐麒くんは、本当はどういう気持ちを込めて言ったのだろうか。
「……ね、ねえ祐麒くん。や、やっぱりチョコレートもうそうだけれど、わ、わた、私が欲しいのかしら……?」
物凄く恥しいのを我慢して小さな声で尋ねてみたのだが。
ちらりと視線を横に向けると。
「うわ、凄い、美味しそうっ」
「ちょ、ちょっと祐麒くん。こんなところで開けなくても」
鞄の中で隠すようにはしているけれど、私の上げた包みを開けている祐麒くん。
「でも、ちょっと待てなくて。凄いですね、これ、蓉子さんの手作りですか?」
「え、ええ。美味しく出来ているといいのだけれど」
箱の中に並べられた、緑色とピンク色の、可愛らしいトリュフ。
上手に出来ているとは思うけれど、祐麒くんの舌にあうかとなるとまた別の話である。
祐麒くんは抹茶のトリュフを指でつまむと、口の中に放り込んだ。緊張しながら、祐麒くんの横顔を見つめる。
「うん、凄く美味しいですよこれ! 適度に甘みが抑えられていて、俺、凄い好きです」
「本当? 良かった」
ほっと胸を撫で下ろす。
たとえ不味かったとしても、祐麒くんなら美味しいといってくれるだろうとは思うけれど、今の言葉、表情にわざとらしさは見られなかった。何しろ、嘘をつくのはあまり得意でない祐麒くんであるから。
「本当ですよ。蓉子さんも一つ、どうですか」
言われて遠慮なく、苺のトリュフを一つ、口に入れる。
「美味しい」
味見しているのだから当たり前だけれど、味見したときより何倍も美味しくなっているような気がした。
「残りは、家に帰っての楽しみにしますね」
鞄にしまう祐麒くん。
安心したということもあるのだろう、今まで忘れていた睡魔が、急速に私に襲い掛かってきた。
暖かい車内、座席に座り、単調な揺れが私を眠りの国へと誘う。
大丈夫、駅に着いたらきっと、祐麒くんが起こしてくれるから。
私は身体の力を抜いた。
「……え、よ、蓉子さんっ?」
驚いたような祐麒くんの声が、遠くから聞こえた。
なんで、そんな驚いたような声をしているのだろうか。
ただ私は、ほんのちょっと眠るために、肩を貸してもらおうとしただけなのに。
「ん……」
もたれかかった肩は、コートを着ているためか柔らかくて、とても気持ち良く感じられた。
意識が、閉ざされる。
その、直前。
「……寝ちゃったんですか? 蓉子ちゃん、可愛い寝顔」
そんな言葉が子守唄。
髪の毛を撫ぜるような感触に夢心地。
そして私の手は、もう一つの温かな手に包まれていた。
おしまい