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ノーマルCP マリア様がみてる 栄子

【マリみてSS(栄子×祐麒)】縮む距離

更新日:

~ 縮む距離 ~

 

 

「――――栄子さん」

 その日は、体の芯から震えが来るほどの寒さだった。
 しかし、栄子の体は心の芯から熱くなっていた。
 祐麒と約束していたクリスマス・イブのデート。浮かれてなどいないと自分自身に言い聞かせはしたものの、さすがにイブともなればある程度のお洒落は必要だろうと、以前よりも綺麗め感を出した格好で出かけた。
 演劇の舞台を見て、軽くショッピングをして、そして初めて夕食をともにした。クリスマスのディナーを既に予約したと言われては、さすがに栄子もキャンセルしろとまでは言えなかったし、予約した店もカジュアルイタリアンでごく真っ当な値段でもあったので、それも理由とは出来なかった。
 食事を終え、栄子としてはそのままさっさと帰ろうと思ったのだが、せっかくだからクリスマスのイルミネーションを見ていかないかと誘われ、栄子も美しいイルミネーションは好きだったので頷いてしまった。それがいけなかった。
 だから今、こうして目の前には緊張して赤くなっている祐麒が立っているわけで。
「……何度かデートしてもらって、色々と話して、やっぱり栄子さんのこと本気で好きだって確信したんです」
 初めて『栄子』と名前で呼ばれて、一気に体が熱くなったのだ。
「だから、改めて……お、俺と、結婚を前提に付き合ってください!」
 そして、決死の思いで紡ぎ出された言葉を聞いて、思考が一瞬途切れた。
 予想はしていたのに。
 予想以上のことを言われて固まってしまったのだ。
「ま……待て、待て。ちょっと待て。い、今……け、結婚、といったのか?」
 くらくらした。
「はい。あ、あの、ふざけているわけじゃありません、むしろ、本気を分かっていただきたくて。ええと、その、失礼ですけれど栄子さん、年齢のこととか気にしているようだったから」
 祐麒の表情は、初めて告白してきた時と同じ、いやそれ以上に真剣なものに感じられた。緊張の度合いも上回っているようで、震えているのは寒さのせいばかりではないだろう。
「指輪、とかまでは用意できませんでしたが、これ、クリスマスプレゼントです」
 取り出したのは、今日のショッピングの中で栄子が良いなと口にしたシルバーのネックレスだった。
「え、ちょ……」
「包装もなくてすみません、慌てて買ったから、そのままで。事前に用意できれば良かったんですけれど、何がよいか迷っているうちに今日になっちゃって、段取り悪くてすみません」
 差し出してくる手は、冷えて赤くなっている。
「受け取って……くれませんか。受け取って、欲しいです」
 真っ白な息を吐き出す。
 寒いのに、熱い。
「ああ……もう……」
 首を振る。
「その……君の……福沢くんの気持ちは分かった」
 手を息で温めるふりをして、口元を手で隠す。
 頬が熱い。
「その……なんだ」
 うまく言葉が出てこない。
 見つめてくる祐麒の視線が気になり、目が泳いでしまう。
「君のことを、一人の男として、見ることにしたよ」
「は、はい」
「…………以上だ」
「え、は? ど、どういうことですか?」
「だからぁっ」
 祐麒が持っていたネックレスをひったくるようにして奪う。
「き……君の気持ちを、受け取ろう…………と、思う」
 ネックレスを握りしめたまま、ポケットに手を突っ込む。
 つっけんどんすぎたか。だが、これ以上のことはできそうにない。ちらりと、上目づかいに祐麒の様子を見てみると。
「あ……ありがとうございますっ!!!」
「うわあっ!?」
 いきなり、祐麒に強く抱き寄せられた。
「ば、馬鹿者、何をするっ!? こ、こういうのはまだ早い!」
 ポケットから手をだして身体を押し返そうとするが、力では敵わない。体と体の間にわずかな隙間ができただけだった。
「嬉しいです……俺」
 本当に嬉しそうに笑う祐麒が見下ろしてきて、栄子の頬が赤くなる。
「た、ただしだ!」
 再び強く手で押して体を今度こそ離すと、栄子は人差し指をつきつけた。
「私たちが教師と生徒であることに変わりはないから、その、あくまで君が卒業してからだ、本格的な付き合いというか、交際は。君が卒業してもまだ、本当に私のことが好きならば、全てを受け入れようではないか。それまでに私のことを好きでなくなったり、あるいは私が君に愛想を尽かしたら、それまでの関係だ」
「分かりました、俺が栄子さんを好きじゃなくなるなんてことはないですから、栄子さんが俺を好きで居続けられるように俺自身が男を磨けば良いってことですね!」
「ばっ、馬鹿者っ、だ、誰が君を好きだなどと言った!?」
「いや、嬉しい、凄い嬉しいっす!!!!」
「こら、き、聞いているのかっ!」
 こうして、イブの日に新たな関係が築かれた――

 

「――で、で、その後は?」
「その後って……別に、それで別れておしまいだが」
「なんでそこで終わるのよ!? イブの日に告白受けて、晴れてカップルになって、それで終わりってどういうこと!? お洒落なホテルにいって、素敵なバーでお酒でも飲んで、そのままお泊まりしてエッチするでしょー!?」
「いきなりそんな、はしたないこと出来るか! 大体、相手はまだ高校生だと言っとろーが!」
「だとしても、せめてキスくらいはするでしょう!?」
 年内最後の土曜日、栄子の部屋にやってきて美月が憤慨していた。
 果たして祐麒との関係がどうなったのか、結果を知らねば年を越すことなんてできないと、ワインを持参しての訪問である。
 そこで聞いたのが、告白は受けて祐麒の気持ちも受け入れた、だけどそれだけという結果とあって、美月は嬉しいやら情けないやら、はたまた怒りたいやらと複雑な気持ちに襲われているというわけであった。
「とにかく、私が教師で福沢くんが生徒でいる間は、関係を進めるというわけにはいかない。話した通り、卒業して尚、私のことを思っていてくれたならば、彼の気持ちを本気と考えてだな」
「そんなこといって、高校生の男の子に彼女が出来たのに一年以上、エッチどころかキスも許さないなんて、拷問以外の何物でもないんじゃない? 我慢できずに、他の女の子に転んじゃったらどうするのよ」
「そうなったらそれまでだ。所詮、私に対する想いなどその程度だったということだろう」
「じゃあ、私が誘惑しても……っと、それは冗談だけど」
 栄子に凄い目で睨まれ、口を濁す美月。
「まあ、とにもかくにも、めでたく栄子に初の彼氏が出来たことを祝いましょうか」
 美月は立ち上がり、持参したワインを開けてワイングラスに注ぐ。部屋の蛍光灯の光を浴びて、真紅に輝くワインが波を打つ。
 カチン、と小さく音を響かせてグラスをあわせ、互いに口をつける。
「……うぅ、だけど16歳差? 17歳差? って、やっぱり無理がありすぎるだろう」
「まだ言っている。受けたんだから、切り替えなさいよいい加減に」
「いや、そうとは思っているのだが……」
「これから若いピチピチの彼と楽しいことが待ち受けているわけでしょう。あ、そういえば次のデートはいつ?」
「相変わらず喰いついてくるな……一応、正月明けたら、初詣に行かないかと誘われてはいるが」
「お、姫初めね、いいじゃない」
「そうじゃない! ただ、正月は毎年、実家に帰っているから」
「なるほど、早速ご両親に紹介すると。随分と心配していたでしょうから、喜ぶでしょうねえ」
「連れて行くか! 大体、いきなり高校生を連れていったら、逆に怒られるか呆れられるかだろう」
「ま、いずれにしても正月明けたら、ってことだから、帰ってきてからでいいんじゃない」
「ああ、そのつもりで日にちは決めたんだが」
「…………栄子さ、わざと?」
「何が?」
 表情を見るに、どうも栄子は意識して発言しているようではない模様。
 なんだかんだ言いつつ、祐麒のペースにはまって付き合っているではないかと、内心で突っ込みを入れる美月。
「まあいいか、とにかくこれからは逐一報告、よろしく」
「なぜ、そんなことをしなければならん。それに大体、報告するようなことなど当分は起きることもないしな」
「まあまあ、何か困ったことがあったら連絡して」
 楽しげにワインに口をつける美月。
 今まで経験の無い栄子が、果たしてどのような顔を見せるのかが実際に楽しみなのであった。もちろん、悪い意味ではない。確かに相手が高校生というのでは近い将来に破たんする可能性は大いにあると思うが、このまま男と出会うこともなく、出会う機会を見つけようともせずに朽ちていくよりは余程良いはずだ。
 女の幸せを見つけて欲しい。
 そう、願う美月なのだ。

 

 しかしながら、美月が願うのとは裏腹に、栄子が言った通り報告するような特筆すべきことはなかなか起こらなかった。
 一応、デートは定期的に行っているようだが、栄子も仕事が忙しいし、祐麒も生徒会活動や学校行事が忙しく、なかなか都合を合わせるのも難しい模様。
 初詣には行ったし、バレンタインでは美月に押されてとりあえず市販のチョコレートを購入して渡した。祐麒は大層喜んでくれた。
 しかし、本当にそれくらいだ。微笑ましいという以前の問題ではないかというような付き合い。メールだって最低限、電話はしない、栄子は本気で祐麒が卒業するまでは距離を保つつもりのようだった。

 

 そうして時は三月下旬、リリアン女学園の三学期終業式。
 卒業式は既に終えているから三年生は不在で、終業式は少し寂しさを感じさせる。生徒達は短い春休みを楽しみにしながら学園を離れ、新たな年度には一学年上になって戻ってくる。学年があがると、それだけで随分と大人びたような感じになる子も多い。そんな姿を見ることができるのも、教師としての楽しみである。
 直接に授業を教えるわけではないが、栄子もまたそれは同じである。保健室から色々な生徒を見つめてきたが、年度が変わることで雰囲気が異なってくる生徒には、いつもながら驚かされる。夏休みで何かしら経験して変わった、というのとはまた違うのだ。
「あ、栄子ちゃんだ。栄子ちゃん、さよならー。また新学期に!」
 何人かの女子生徒に声をかけられる。
「保科先生、だって言っているでしょう」
 注意したところで、呼び方が変わるわけではない。
 親しみを込められているのは分かるが、『栄子先生』はまだしも、『栄子ちゃん』はないだろうと苦笑する。
 静かになっていく校内、今日は早めにあがっても大丈夫なのだが、せっかく静かなのだから仕事を少しやっていこうかと椅子に腰をおろしたところで、保健室内に設置されている電話が静かに音を鳴らした。
 具合が悪くてベッドで休んでいるような生徒がいる場合もあるから、電話の音は柔らかいものになっている。
「はい、保健室です…………ああ、岡本さんですか」
 電話の主は、正門の脇に設置されている詰所の警備員の岡本だった。
「え、お客、ですか? 一体誰が…………っ!?」
 思わず絶句する。
「ええと……はい、え、ああ、すみませんが岡本さん、お願いがあるのですが……」
 受話器を置くと、栄子はその場で頭を抱えたくなるのを我慢した。
 苛々しながら待つこと数分、保健室の扉がノックされた。
「――すみません、岡本です」
「どうぞ、開いています」
 扉が開き、姿を現したのは岡本警備員、初老で気のいい男だが、こう見えても柔道の黒帯で腕を鳴らしている。
「ああ、岡本さん、わざわざ申し訳ありません。ちょっと、手が離せなかったもので」
「いえいえ、幸い巡回の時間でもありましたし、そのついでですよ」
 そう言って笑う岡本の後ろには、学生服姿の祐麒が立っていた。
「まったく……なんでこんな」
 思わず呟いてしまう。
「どうもありがとうございました」
 岡本に対して深々と頭を下げる祐麒。岡本は軽く手をあげて去っていく。
「――どういうつもりなんだ、一体」
 岡本の気配が完全に消えたところで、ようやく吐き出すように言う栄子。
「あの……すみません。その、会いたかったから」
「わざわざ、学校に押しかけてまでか? 分かっているのか、君が女子高であるリリアンにいるというのは、君が思っている以上に目立っているのだぞ」
 終業式を終えた後で生徒の数も随分と少なくなっていたとはいえ、ゼロというわけではないのだ。岡本と一緒に歩く祐麒の姿を見た生徒はいるだろうし、何事なのかとも思ったはずだ。それだけで栄子と結びつける生徒は少ないだろうし、むしろそんな風に考える生徒がいるとも思えなかったが、危険であることには変わりない。
「だ、だって、保科先生、こうでもしないと会ってくれないじゃないですか」
「そ、それは……私にだって仕事の都合というものがあってだな」
「分かっていますけれど、でも」
 仕事というのは嘘ではないが、口実でもある。
 祐麒の気持ちを真剣なものだと理解し、美月にも背中を押されて受け止めることにはしたものの、やはり教師と生徒という関係はよくないという思いから、どうしても栄子としては避けてしまう。
 こういうとき、立場が異なるというのはある意味便利だ。仕事だといったところで、嘘かなんて祐麒には判別つかないだろうから。
「とにかく、あと少ししたら帰るんだ。目的も果たせたし、満足だろう?」
「あ、いえ、目的はまだ」
「まだ何かあるのか?」
「はい、えと、これを……」
 慌てたように祐麒は鞄を漁り始め、中から何かを取り出して栄子に差し出してきた。
「なんだ、これは?」
「少し遅くなりましたけど、ホワイトデーのお返しです」
 祐麒の言葉に、虚を突かれた栄子。
 正直、全く気になどしていなかったのだ。
「ホワイトデーの頃、保科先生忙しくて会えなかったから。今も忙しいようですけど、これ以上遅れちゃうと、さすがにと思って……すみません」
「そ、そうか。ありがとう」
 さすがに受け取らないわけにはいかない。
 いささか戸惑いつつも手に取ったそれは、開けてみるとマカロンのつめあわせだった。入れ物もなかなかお洒落で使いようがありそうだ。
「……せっかくだ、一緒に食べようか。お茶くらいはいれてやろう?」
「いいんですか?」
「特別だぞ」
「はいっ」
 嬉しそうに笑って椅子に座る祐麒に背を向ける栄子。なんとなくバツが悪いのだ。
 紅茶を淹れてマカロンをつまむ。サクサク、しっとりとした歯ごたえ、甘さがくどくなくて生地と一緒にクリームが口の中で溶けていくのが見事だ。入れ物といいマカロンの味といい、栄子の好みを汲んで選んできているのが分かる。だから、何かと文句をつけようにも、なかなか難しいのだ。
 おもいがけない休憩を終えると、なんとなく話すことがなくなって静寂に包まれる。こういうとき、何を言ったらいいのか栄子も分からず、困っているのを隠すために立ち上がって外を眺める。
「保科先生は」
「ん?」
 沈黙が耐えきれなかったのか、祐麒の方から口を開いてきた。
「保科先生は、やっぱり白衣が似合いますね」
「何を言っているのか?」
「い、いえ、久しぶりに白衣姿を見たもので……その、白衣姿が凄く素敵だなって、改めて思いまして」
 しどろもどろになりつつ答える祐麒だが、褒められた栄子の方だって困る。
「き、君は白衣フェチか」
「そういうわけじゃないですけど……あの」
 祐麒も立ち上がった。
「どうした?」
「あ、あの、キスしてもいいですか?」
「ぶっ!?」
 突然の発言に、思わずたまげる栄子。
「な、な、何を言っているんだ君はいきなりっ!?」
「すみません、でも、その」
 顔を紅潮させながら、それでも決してふざけているわけではなく真剣な顔で見つめてくる祐麒。
 一歩、近づいてこられて、栄子は逆に一歩退いたがすぐ後ろは窓だ。
「ば、ば、馬鹿、そんなの駄目に決まっているだろう、こんな場所でなんかっ」
「それじゃ……場所が違えば、良いんですかっ?」
 自分の失言に気が付き、顔を赤くする栄子。
「そ、そ、そういう意味じゃない。大体、私は教師で君は学生で、そういうことは卒業まではしないと前に約束したわけでだな」
「そこをなんとか、キスだけでいいですから!」
 また一歩、近づく祐麒。
「ままま待て、待て! 大体、誰がいつやってくるかも分からないしだな」
「俺、ここに来るまで、学校内では誰も見かけませんでしたよ」
「だとしても、だ。全員が帰宅したわけでもないんだぞ」
「そ、それなら……」
 きょろきょろと保健室内を見渡した祐麒は、ぱっと顔を輝かせたかと思うと、栄子の腕を掴んで引っ張った。
「こ、こら、何をするっ?」
「ここなら、誰か来てもすぐには見られませんよ」
 そこはパーティションで区切られたベッドスペース。確かに、保健室に誰かが不意に入ってきても見えない場所ではあるが。
 というか、いつの間にかキスする流れになってしまっている。まだ頷いたわけでもないのに、祐麒のペースにはまりかけている。
「そ、そこまでして、したいのか……」
「当たり前じゃないですか! だって俺……保科先生のこと、ほ、本当に、好きですから」
 真っ赤になって言われると、栄子の方も頬が熱くなってくる。ストレートな好意。
「あ……でも、あの、本当に保科先生が嫌だったら、無理にはしません」
 急に我に返ったかのように言う祐麒だったが、そんな顔をして言われてはまるで栄子の方が悪いような罪悪感にかられてしまう。
「そ、それは」
 嫌だ、というわけではないのだが、やはり倫理的にどうなのかということが頭の中に残っている。
「そういえば」
「ん、ま、まだ何かあるのか?」
「先生、"栄子ちゃん"とか呼ばれているんですね」
「なっ」
「すみません、その、生徒が話しているのが聞こえちゃって」
 恥ずかしい。熱い。
「可愛いですね」
「ばばば馬鹿者っ、ひ、一回り以上私の方が君より年上なんだぞっ。な、何を可愛いだなんてっ」
「すす、すみません、でも、そう思ったから」
 怒ると、祐麒が困ったように硬直する。
 しかし、困るのは栄子の方だ。こんな、二人きりで間近に向かい合って動きを止められ、話すのもやめてしまっては、どうしたらよいのか。
「……べ、べ、別に、嫌というわけじゃない」
「え……?」
「…………き、今日だけ、だからな」
「あ……は、はいっ!」
 なんでこんな展開になってしまったのか、言った後で栄子は僅かに悔やむがもう遅い。祐麒の手が栄子の肩に置かれ、震えそうになるのをこらえる。キスくらいでうろたえてはいけない、何せ自分は相手の倍も生きているのだと言いきかせる。
 しかし、初めての相手で初めての場所が、神聖なる職場である保健室でなんて、という斑紋が栄子を苛む。
 緊張した面持ちの祐麒が近づいてくる。
 栄子は観念して目を閉じ、軽く唇を突き出した。
「………………っ」
 軽く触れる、瑞々しい感触。
(やだ……私、キスしてる……本当に福沢くんと保健室で……キスしてる……)
 恥ずかしさで身を焦がしながらも、両肩を掴まれていて身動きは取れない。
 まだ、離れないのかと思っていると、すっと遠ざかる祐麒の唇。
 ほっ、と力を抜きかけたところで、もう一度唇が覆いかぶさってきた。
(なっ……な、な……)
 しかも今度は、軽く栄子の唇をついばんできた。上唇、続いて下唇と、ぎこちなく震えながらも、祐麒の唇が優しく愛撫してくる。
「ん…………ふ……」
 再び離れる唇。
 うっすらと目を開ける栄子。
「ちょ、ちょっと福沢く…………んっ」
 三度、塞がれた。
 今度はさらに大胆に、舌で栄子の唇を舐めてきた。上唇、下唇と、おそるおそるといった感じで這わせてきて、思いがけない刺激に栄子は震える。
「ん……ふぁ…………ちょっ、こ、こらっ」
 ようやく祐麒の体を押して離れる栄子。
「な、な、なんで三回もするのよっ!?」
「あ、すみません、あまりにも嬉しくて気持ち良かったから……つい」
「つい、じゃない。まったく」
 言いながら、栄子の言葉にも力はない。栄子自身、キスされている間はぼーっとしてしまったのだから。
「ほら、これでもう満足したろう? そろそろ帰るんだ」
 いい加減に線引きをしないといけない。どうにか教師としての威厳を取り戻そうとして突き放そうとする栄子だったが。
「あの、保科先生」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「……最後に、もう一回だけ、駄目ですか?」
 あくまで真剣で、だけどまるで縋ってくるような祐麒の瞳に見つめられ。
「――――い、一回だけ、だぞ」
 思わず、そんな風に口走ってしまうのであった。

 

 再び岡本を呼んで、祐麒を正門まで送り届けてもらった。岡本に対しては、栄子の元にカウンセリングを受けに来ていると説明しているし、それを疑う様子は微塵も無い。当たり前だ。
 だが実際は大きく異なるわけで、祐麒が去った保健室で栄子は一人、先ほどのことを思い出して赤くなる。
「うぅ……き、キスしてしまった……しかも四回も……」
 机に突っ伏す。
 祐麒の唇を思い出す。
 想像していたよりも柔らかく、ひんやりとしていた。
 そして、気持ち良かった。
 美月が言っていた。好きな人とするキスは、触れるだけで気持ちいいものだと。あれは事実だったということか。
「…………って、べ、別に私はまだ本気で好きとかいうわけではないっ」
 呟く言葉にも、どこか威勢がない。
「うぅ…………」
 そして唸りつつも、ついその唇に意識がいってしまうのであった。

 

 

おしまい

 

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