アメフト部の主将である大俵彦蔵は、高校時代からアメフトに青春を賭けていた。泥臭く汗臭く、華やかさと決して近いとは言えないが、それでも好きなことに打ち込んできたのだから満足していた。
そんな彦蔵だったが、大学に入学して衝撃を受けた。
「――――ごきげんよう」
些細なことがきっかけで言葉を交わした彼女は、別れ際、優雅にそう言った。女性と縁がないまま大学まで進学したが、決して顔立ちが不細工というわけではない。彫りが濃くて好き嫌いは別れるかもしれないが、男らしくワイルドさが好きな女性なら惹かれるものもあるだろう。それでもアメフト一筋で、女性にうつつを抜かしている時間などないと言い聞かせて練習に明け暮れてきた。
それが完全に打ち砕かれた。言うなれば、人目惚れというやつだったのかもしれないが、むしろそれ以上のものを彦蔵は感じていた。
彼女、鳥居江利子はそれくらい美しかった。
入学した時から徐々に噂は広がっていたが、それでもそれなりに大きな学校であり、そこまでの大騒ぎにはならなかった。ただ、何人もの男が告白しては玉砕したという噂は常に耳に入ってきた。
事態が大きく変化したのは二年生の文化祭の時、江利子がミス・キャンパスに選ばれたことだった。
一年の時に出場しても確実に選ばれただろうと言われているが、もともと江利子はその手のことに興味がなく、出るつもりもなかったし実際に出てもいない。しかし二年生になって周囲の友人から半ば強引に推され、出場する羽目になり、そこで他を圧倒して優勝を勝ち取った。
そこで今まで江利子のことを知らなかった他学部、多学科の多くの学生達も江利子を知り、実際にその美しさに多くの男が虜となった。
大俵はそのタイミングで江利子のFCを作った。さすがに無名の一学生に対してFCを作るとなるとどうかと思われるが、相手がミス・キャンパスならおかしくはない。特に江利子は、十年に一度の美女とも言われているくらいの美貌を誇っている。
また、FCを作ったのには江利子に好意を寄せる男を牽制する意味もあった。
彦蔵は、自分が江利子の恋人になれると思うほど自惚れてはいなかったが、だからといって素直に江利子が外の男と付き合うのを見てはいられない。彦蔵の意図が当たったのか、はたまた江利子の"浮沈艦"の噂が広まったせいかは分からないが、江利子に言い寄ろうとする男の数が減ったことは確かだった。
もちろん、江利子の恋愛を一方的に邪魔するつもりは無い。江利子が心を寄せ、好意を抱き、またそれに相応しい男が現れたなら祝福する心づもりは出来ていた。心の内で泣こうと、笑顔で祝福しようと。江利子が選ぶほどの男ならば、男である彦蔵だって納得するだろうと思ったのだ。
ところが事実はどうだ。
江利子が選んだのは、江利子より二学年も年下の男で、単に年下というだけならまだしも、容姿は悪くないが中の上といったところ、頭脳、運動神経ともにそれなり、名家の出身というわけでもなく、言うなればごく普通の男子学生であり、とても納得のできるものではなかった。
江利子には相応しくない、釣り合っていない、そう何度も訴えかけたが、江利子は聞く耳を持たないどころか彦蔵たちに見せつけるかのように、祐麒との仲の良さを大学に喧伝していた。
諦めきれず、納得できなかった彦蔵だが、半年が過ぎたこの秋になってようやく、少しずつだが現実を受け入れようという気になっていた。
「――どうしてですか、会長! あいつを、福沢を認めるというんですか!?」
会員達の悲鳴とも言える言葉に対し、彦蔵は応じる。
「認めざるを得ないだろう……江利子さんに、あのような表情をさせることができるのだからな」
彦蔵の一言に、会員達は押し黙る。
そう、会員達も気づいてはいたのだ。祐麒が入学して江利子と一緒にいるようになってからというもの、江利子の表情がとみに豊かになったことを。生命力に満ち溢れ、輝かんばかりの笑顔を見せるようになったことを。
二年間の大学生活の間、もちろん江利子だって様々な表情を見せてきているが、それでもなお違うということが、江利子を追い続けてきたからこそ彦蔵たちには分かるのだ。
特に、夏休みを開けてからの江利子は、全身から幸せオーラを発しており、夏休みに何があったのかを想像するのも恐ろしいことだったが、それ以上に見惚れてしまう魅力を放っていた。
「……分かってくれたか。だから、もうこれ以上、江利子さんに迷惑をかけるわけにはいかない。潔く……我々は今月末をもって解散する!」
そう宣言したのが十月半ばのこと。
FCを解散したことは江利子と祐麒を驚かせはしたものの、それ以上のことはない。ただ、彦蔵の胸にはぽっかりと穴があいたようになっていた。アメフトの練習にもいま一つ身が入らない。それではいけないと分かっているのだが、いかんともしがたい。
「また新たに、誰かに熱を上げたらどうだ?」
仲間の一人がそんなことを言った。空いてしまった穴を、何か別のもので埋めろというわけだが、そんな簡単にいくものではない。何せ、江利子ほどの美貌をもった学生が他にいるとも思えない。
ならば、大学以外に求めればよいだろうと友人たちに連れられ街に出て行ったりもしたが、やはり同じこと。ただ、むなしさと疲労ばかりが募る中、疲れた体を癒すべく彦蔵たちは喫茶店に足を踏み入れた。
「――ご注文はお決まりになりましたか?」
そこで、遂に出会ってしまった。
「あの……お客様?」
困惑した表情を向けられ、声をかけられ、それでも我に返ることも出来ずに上の空のまま注文するが、何を頼んだのかすら覚えていない。
「おい彦蔵、どうした?」
様子が変だということを察して、友人が肩を掴んでゆする。
「…………可憐だ……」
「……は?」
「今の……あ、あのウェイトレスだ! なんと可憐だと思わんかったのか!?」
「え? あ、ああ……まあ、確かになぁ。でも俺的にはユキちゃんよりも理於奈ちゃん派だな」
と、金髪ツインテールの理於奈に目を向ける友人をよそに、彦蔵の方は立ち去ってゆくユキの後姿を目で追いかける。
「ユキさん、というのか」
「ああ、この店のナンバーワン人気だって。何だお前、ああいうボーイッシュな子が好みなのか? 鳥居さんと全然違うけど」
「そんな自覚はなかったが……こう、ビビッときたんだ! これこそ運命の出会い、俺は江利子さんという女神を失った代わりに、ユキさんという天使を得た!」
「分かったから落ち着け、お前、そんなキャラじゃなかったのに、つくづく女ってのは男を変えるよなぁ。まあ、元気が出たなら何よりだ」
彦蔵の調子が戻ってきたことを感じ、適当に頷く友人。
やがて、ユキが注文したメニューを持ってきてテーブルに並べる。
「――お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ」
ぺこりと頭をさげ、どこか照れくさそうな表情をしてテーブルを後にするユキを眺め、頬を緩ませる彦蔵。そこに、アメフト部の強面首相を思わせるものは皆無だった。
バイトを終え、既に日も沈んだ店の外へと出てゆくと、随分と涼しくなった風が頬に当たって思わず身をすくませる。
つい先日まで残暑の名残を感じていたというのに、一気に秋めいてきたというか、むしろ冬が近づいてきたのではないかと思わせられる。もう少し適度な気温の季節がなかっただろうかと、薄着で来てしまった身を嘆いて無意識に腕をこする。
裾シフォンタンクトップの上から透かし編みニットをあわせ、ボトムスはミニのフレアスカートにニーハイソックスをあわせて絶対領域を作り出している。コーディネートはもちろん、江利子セレクトである。
「うぅ……今日もさんざんだった……」
可愛い、可愛いと騒がれて、佐奈枝と香奈枝の双子の百合姉妹からは前から後ろから抱き着かれ、太ももやお尻を撫でられた挙句にスカートを捲られた。ボクサーパンツでつまらないと口を尖らせられたが、前から見られず後ろだけだったので助かった。
更に仕事中には「あの男」が店内にやってきて、しかも自身が接客する事態となって生きた心地がしなかった。
「じゃあね、ユキちゃん。また明日ねーっ」
「あ、うん、バイバイ香奈枝ちゃん、佐奈枝ちゃん」
仲良く手を繋いで帰途に就く双子に手を振り、祐麒もまた家路につく。
歩き出してしばらくすると、駅に向かうべく暗い横道へと入っていく。大通りを回るよりも近道だが、危ないから使うなと店のアルバイトの女の子には伝えられている。ただ、祐麒は男だし、一人で帰る時は気にすることも無く使っていた。
「――――ん?」
すると前方の暗闇で何かが動いた。
もしや、変質者か痴漢かと注意して身構えつつ距離を詰めてゆく。
「――――――ひぃっ!!?」
突然の事だった。
背後から何者かに抱き着かれる。
「……こ、こんな時間に一人でこんな暗い道を通る子が悪いんだ…………」
耳元に生ぬるい息とともに、粘着質な声が吹きかけられ、背筋を悪寒が駆け抜ける。前方にばかり注意が向けられており、後方に対する警戒がおろそかになっていたことを悔やむが、今はそれよりもこの状況を抜け出さなければならない。
だが、背後からがっちりと組みつかれてしまい、身を動かすこともままならない。
「へへ……なんだ、おっぱいは小さいんだな」
「うひいぃぃっ!?」
胸を撫でられて怖気立つ。
小さいというか、あるわけないだろうと怒鳴りたいが、気持ち悪さが上回る。
「こっちはどうかな……」
「あ、ちょ、ちょっと待て……!」
男の考えを察したが、自由を奪われた状態ではどうしようもなかった。変質者の手が、祐麒の股間へと伸ばされる。
「うあぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
「…………え? え、ちょっと、何だこれ……」
驚いた男の拘束の力が緩む。
咄嗟に肘をわき腹に入れ、どうにか腕を振りほどいて身を離す。
最悪としかいいようがなかったが、それでも本当の意味での最悪の事態は逃れられた。変質者も、祐麒の正体を理解して逃げ去るだろうとそう思ったのだが。
「…………か、可愛いは正義。こんな可愛い子が女の子のわけがない、というのはこういうことだったのか……もう、可愛ければ構わない!!」
「か、構えぇぇぇぇぇぇっ!?」
なぜか、より興奮した様子で両手を広げ襲い掛かってくる変質者に、さすがの祐麒も恐怖を覚えて走り出したが、すぐに追いかけてくる変質者。
暗い横道を抜け出るも、駅の裏道のため人通りの少ない場所である。
「捕まえたぁっ」
「ひいいっ!?」
背後から、またもや胸を掴むようにして抱き着かれ、咄嗟に頭を思い切り後ろに振ってぶつける。後頭部に激しい痛みがはしったが、相手の男もダメージを受けたようで手が離れる。
「こっ、この…………」
ここでようやく、怒りが上回った。
何が悲しくて男の変質者に追いかけられ、抱きしめられ、胸を触られ、挙句の果てには股間を握られなければならないのか。
「――くたばれっ!!」
まだ脳にダメージがあるのか、フラフラしている相手に向けて攻撃を放とうとする直前、いきなり第三者が闖入してきた。
「――――貴様、ユキさんに何をするっ!!」
彦蔵であった。
変質者を羽交い絞めにし、身動きを封じる。
その時既に、祐麒は攻撃のモーションに入っていて止められなかった。
「あ――」
祐麒のハイキックが、見事なまでに彦蔵の側頭部に命中した。ローファーの鋭く硬い爪先がピンポイントで当たったわけである、彦蔵はそのまま気を失って倒れた。但し、気を失っている間も変質者の体を離すことなく羽交い絞めにしていたのは、凄まじい根性であった。
「本当に、申し訳ありませんでした」
余程頑丈に出来ているのか、ほんの二、三分ほどで彦蔵は目を覚まし、頭をさすっていたもののすぐに正気を取り戻していた。
「い、いえ、ユキさんが無事で何よりでした」
変質者を警察に引き渡し、事情聴取から解放された後で深々と彦蔵に頭を下げたのは、不可抗力だったとはいえノックアウトしてしまったから。それに対し、彦蔵はなんでもないかのように笑って応じ、むしろ祐麒の身の安全を心配してくれた。
「オレ……わ、私なら大丈夫です。ちょっと、抱き着かれて触られただけなので」
「なっ、ななななななんですと!? あいつ、ユキさんにそのようなことを、万死に値する! 警察に引き渡す前に、金輪際ユキさんの前になど顔を出せない様、痛めつけてやるべきだったか……」
「いやあの、ホントに大丈夫ですから! とにかく、助けていただいてありがとうございました」
「そんな、俺などむしろ邪魔してしまったようで。それくらい、見事なハイキックでした。何か武道でもたしなまれているのでしょうか」
「あー、いえ、そのー、と、とにかく私、そろそろ帰りますので……」
「では、お送りしましょう。先ほどのこともありますし、女性の一人歩きは危険です」
「そんな、そこまでしていただくわけには」
「俺なら大丈夫です。むしろ、ユキさんのことが心配ですから……ああっ、これは失礼。大丈夫です、自宅まで押しかけようなどというつもりはありません。駅まででも、せめて」
「は、はぁ……」
それ以上はさすがに断り切れず、駅まで一緒に行くことになった。それで事が済めば良いのだが、彦蔵の態度、言動から、とてもそうとは思えなかった。
具体的にいえば、彦蔵から祐麒(ユキ)に対する並々ならぬ熱い思い、ストレートに言うなれば愛情というか恋心というものを感じたから。
「ユキさん、またお店の方に行きますね」
「は、はい……お待ちしていますね……」
そう答えることしかできず、引きつった笑みを浮かべつつ祐麒は彦蔵と別れたのであった。
「ええっ!? ちょっと祐麒くん、大丈夫だったの?」
「まあ、なんとかね……」
翌日に会った江利子に浮かない表情を見咎められて尋ねられ、隠しきることも出来ず、結局は何が起きたのか話さざるをえなかった。
「だから、あの道は使っちゃダメって言われていたのに……お店の皆にも改めて言っておかないと駄目ね。もう、心配かけないでよ」
「ご、ごめんなさい」
江利子の言う通りなので反論することも出来ず、謝るしかない。不幸中の幸いだったのが、襲われたのが江利子や店の他の女の子ではなく男の祐麒だったことか。まあ、祐麒のことを女だと思っている子達には、酷く心配されてしまうだろうが。
「それにしても、まさか、あの大俵くんがね……くすっ」
重くなりかけた空気を変えようとしたのだろうか、江利子が話題を変えてくれたものの、祐麒にとってはむしろ更に嬉しくないことだった。
変質者に襲われただけならば、まだ一度だけのことと忘れることも出来たかもしれないが、彦蔵に目をつけられたというのは重い。
しかも大学では、当の大俵とその友人がベンチに座って話をしている姿が見え、そっと後ろから近づいてみると、声がでかいから話す内容が耳に入ってきてしまった。
「……とにかく、彼女は強くて凛々しくて、尚且つ可憐という、今まで見たことがない女の子で、俺は、俺は」
「分かった分かった、とりあえず落ち着けよ。お前がいかにユキちゃんのことを好きになったかは分かったから」
「すっ……好きとかだな、そういうのではない。あんな可愛い子、俺なんか手が届かないことくらい理解している。それに……俺は、そんなことを考えることは許されないんだ」
「なんでだよ、別に可能性がないわけじゃないし、それくらい自由だろう」
「違うんだ……昨夜、俺は……俺は、彼女の強烈な蹴りを食らったその瞬間……」
頭を抱えて項垂れている彦蔵。
まさか、蹴られたことでMにでも目覚めてしまったのかと不安になっていると。
「その瞬間俺は……かっ、彼女のミニスカートの下の可憐な下着を見て……目に焼き付けてしまったんだ!!」
(ぶーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!)
思わずその場で悶絶する祐麒。
「変質者をとらえていたというのに、俺は、俺は、最低だ!」
「いやまあ、男なら仕方ないだろう、それは…………で、どんなパンツだったんだ?」
「それは黒の……って、馬鹿、言わせるな!」
「黒とは大人っぽいんだな……で、お前は昨夜どうした? ユキちゃんのパンツを見たんだ、夜は当然、それでしたんだろう?」
「ば、ば、馬鹿野郎! ユキさんは天使だ、彼女を汚すようなことを俺が」
「ほうほう、で、したんだろう、なぁ」
「いや……お、俺は…………」
ここまでで限界だった。祐麒は両手で耳を抑えながらその場を駆け去った。
女装して喫茶店でウェイトレスとしてバイトして、人気が出て男のファンがついたときから、なんとなくそういうこともあるかもしれないと思いはしたものの、あえて考えないようにしていた。
それが、実際に「そういうこと」に使われていたと聞かされると、物凄く鬱だった。
「ああ……マジか…………」
がっくりと肩を落としていると。
「ねえ祐麒くん。その……変質者の人に、触られちゃったのよね…………?」
「江利ちゃん、嫌なことを思い出させないでよ」
直接でこそなかったが、ミニスカートだったから簡単にスカートの下に手を入れられ、下着越しに掴まれた。ギュっと強い力で、思い出すだけで背筋も凍り、油汗が浮き出てしまいそうになるほど気色悪い。こんな、優しく癒してくれるような触り方ではなく……
「――って、え、江利ちゃんっ!? 何、してるのっ!」
気が付くと、いつの間にか江利子が股間にそっと指を這わせてきていた。
「だって、そんな変質者に触られたんでしょう? 可愛そう……だから、ね、その、今日は、わ、私が、慰めてあげる…………から……」
真っ赤になって、消え入りそうな声でそういう江利子に驚く。既に今までに何回か江利子とエッチをしているが、正式に付き合うまでに見せていた大胆さや奔放さとは裏腹に、江利子は性行為に対しては物凄く奥手であり、恥ずかしがり屋であった。だから、祐麒が求めれば拒みこそしないものの常に受動的というか、基本的には祐麒にお任せで、しかも正常位以外は今のところ恥ずかしいから出来ないと言われている。
そんな江利子が、自らするなどと言いだしてくるとは思いもしなかった。
「江利ちゃん、俺なら大丈夫だから、無理しないでいいから、ね」
嬉しいけれど、江利子に無理をさせたくはない。ほっそりとした江利子の肩をつかみ、押しとどめようとする祐麒。
「む、無理してない…………よ? 私もね、祐麒くんにしてあげたいって思っていたし、だから、勉強もしたから」
「べ、勉強?」
「うん、美鈴ちゃんに教わって……」
と、江利子が美鈴にHのテクニックを実地で教わっている淫靡な光景を、瞬間的に思い浮かべてしまった。というか、明らかに暗くて内向的な美鈴の方が、江利子に性的なことを教えるということに違和感を覚えたが、実はああ見えて経験豊富なのだろうか。
「あ……元気になってきた…………て……うぁぁ…………」
江利子と美鈴の絡みを想像し、加えて体勢的に江利子の胸の谷間が目に入り、自然とそうなるわけだが、まだトランクスを履いている状態にも関わらず、江利子は目を丸くして茹だったようになっている。
「だから江利ちゃん、無理は……」
「だ、だいじょうぶっ……だから」
江利子の様相に、期待と不安の双方を同じくらい抱く祐麒であった。
☆
「――こ、紺野先輩っ!」
「騒がしいわね、どうしたの、福沢くん」
秋風も冷たい季節になってくると、貧弱な文学少女とでもいうイメージがぴったりと合う美鈴は、まさに中庭の隅で手にしていた文庫本から顔を上げ、駆けつけてきた祐麒に視線を向けた。
「え……江利ちゃんに、何を教えてんですか、一体!?」
「何をっえ…………ああ、もしかしてエッチのこと。じゃあ江利ちゃん、実戦したのね。嫌だったのかしら?」
「い、嫌、なんかじゃないですけど、ただ、いきなりあんなこと……」
と、昨夜のことを思いだして思わず赤面する。
そんな祐麒を見ると、美鈴は文庫本に栞を挟んで閉じ、軽く口の端を上げる。
「私はただ、江利ちゃんに、あなたを悦ばせることを教えてほしい、って頼まれたから教えただけよ? 私が思う、キミが悦びそうなことを……間違っていなかったようだけれど?」
くすくすと笑われて、更に顔面温度が上昇する。
「あ、あ、あんまり変なことを教えないでくださいよ。江利ちゃんは、その手のことよく知らないんですから」
「江利ちゃんは福沢くんのことを思って、一生懸命だったのよ。可愛いじゃない」
「そりゃ、そうかもですけど」
「それとも、まだまだ物足りなかったかしら? 一生懸命だからって上手とは限らないし……なんなら今度、私が実地で教えてあげようかしら」
「なっ…………」
絶句する祐麒。
物静かで言葉少ない地味な先輩だとばかり思っていたのに、いつからかイメージがまるで変わってきている。
「…………冗談に決まっているでしょう? もしかして私と江利ちゃんでエッチな想像でもしちゃったかしら、ふふ」
気配もなく近づいてきた美鈴が、細い人差し指の先を祐麒の唇に押し当てて言葉を塞ぐ。
「江利ちゃんを泣かせたら承知しないって言ったわよね……覚えてる?」
「も、もちろんです」
「そう。それならいいわ…………江利ちゃん」
祐麒の唇から指を離すと、祐麒の背後に手を振る美鈴。
「美鈴ちゃん、祐麒くん、二人でどうしたの?」
近づいてくる江利子の気配。反対に、祐麒の脇を通り過ぎて遠ざかる美鈴の気配。
「心配しなくても大丈夫よ、祐麒くんに言い寄ったりはしないから。それよりも江利ちゃん……」
江利子の肩に手を置き、耳元に口を近づけて小声で何か囁く美鈴。
「――え、あっ、そそっ、それは、そのっ」
すると、顔を赤くしてわたわたと慌てだす江利子。
「ふふ、うまくいったようね。それじゃあまたね、お二人さん」
「もう、美鈴ちゃんったら! ご、ごめんね祐麒くん、なんでもないからねっ」
「あ、う、うん」
江利子と手を繋いで歩き出す。
無事、正式な恋人同士となったけれど、大学生活はまだまだ色々なことがありそうだと、何となく前途多難を思いやるのだが。
「どうしたの、気分でも悪いの?」
心配そうに顔を覗き込んでくる江利子を安心させるように、笑ってみせる。
江利子と付き合うと決めた時点で、トラブル、アクシデント、なんでもこいと心に決めたのだから。
「いや、江利ちゃんが一緒なら、嫌な気分も吹っ飛ぶから大丈夫」
「え、何それ、そうゆう恥ずかしい台詞はもっと大勢の皆のいる前で言ってくれないと」
「何で!?」
「その方が、私が嬉しいもの」
笑う江利子を愛しいと思い、祐麒は歩く。この先も歩き続ける。
握りしめた小さな手を、ずっと離さずに。
おしまい