<その6>
私は駆けていた。
美耶香さまに背中を押されたから?きっと、そうだろう。私は何か、きっかけがほしかったのだ。考えれば、私はいつも何かに影響を受けて動くことが多かった。今回のロザリオ騒動にしてもそう、私は何一つ主体的に動けていることがなかった。そんな自分が情けないと思う。
でも、そうだとしても動き出したことに変わりはない。
今、私は―――
「……椿さま、理沙子さまっ!!」
駆け込んだ。
お二人は、まだその場にいた。そして、いきなり飛び出してきた私のことを見て、それぞれ別の表情で驚いていた。
二人の間で、あの後どのような話がされていたのかは分からない。でも、どのような結論が出ていたのだとしても、私の気持ちを伝えなければ意味がない。
そう、私の気持ちを―――
「―――あれ?」
そこで、立ち尽くす。
私の気持ちとは、なんだろうか。美耶香さまに言われてその気になっていたが、よく考えてみると結論なんて出ていなかったのではないだろうか。
勢いで駆け込んで、二人の名を呼んでしまったけれど、どうしよう。
「……桂?」
「桂ちゃん?」
いきなり出現して、呆然とした表情で棒立ちとなっている私の姿を見て、訝しげに声をかけてくる。
「え、えと、あの、そのっ」
てんぱってきた。
すると。
「桂、落ち着きなさい。深呼吸して」
「は、はいっ」
息を大きく吸い込み、吐き出す。
ようやく、少し気持ちが落ち着く。
「で、どうしたの?」
「どうしたの、はないんじゃないかしら。私と椿さんのいるところに、桂ちゃんがやってきた。聞くまでも無いのではないかしら」
理沙子さまの、クールな声。
この数日で急速に親しくなった、素敵な先輩。
切れ長の涼しい瞳でこちらを見つめる表情は、冷めているようでいて温かいということを私は知っている。
どうしたら、良いのだろうか。
いや、私はどう考えているのだろうか。心は惑う。だけれども、目は、体は、口は自然と動いていた。
「お姉さま……」
私の発した言葉を耳にして、二人の体がわずかに揺れる。
無言の時。
時間にしたらきっとわずかなものだったと思う。だけれども、息が詰まるような時間が流れた。
動いたのは、理沙子さまだった。
「……ふぅ」
俯き、細く息を出して。
顔を上げたときは、少し悲しそうな、それでいてどこかさっぱりとした表情をしているように見えた気がする。
「ダメ、だったか」
腰に手をあて、誰に言うとでもなく呟く。
そうだ、私の中ではきっと結論は出ていたのだろう。だって、ロザリオを返した後でもお姉さまのことは『お姉さま』としか呼べなかったのだから。やはり、美耶香さまは正しかったのだ。そして今、自分の言葉で、態度で、それを示してしまった。
自分はなんて、どうしようもないのだろう。自らの口で伝えることも出来ずに、理沙子さまに悟らせてしまった。例えどのように思われようと、自分の口から伝えるのが最低限の礼儀のはずなのに。
ざっ
土を踏みしめる音に顔を上げると。
静かに歩き出す理沙子さまの姿。決して下を向くことなどなく、瞳は真正面を見据え、風を切るようにして堂々と。
近づいてくる。徐々に、姿が大きくなってくる。
声をかけたい。でも、何を言ったらいいのかわからない。理沙子さまの姿はどんどん近くなる。
私の横を通り過ぎる。
私の方にわずかでも視線を向けることなく、歩んでゆく。
「あのっ、理沙子さまっ」
私は、呼び止めていた。
振り返ると、5歩ほど進んだところで理沙子さまは立ち止まっていた。
残酷だと、分かっていた。そんなことを聞いたところで何にもならないことも理解している。理沙子さまに対して失礼だとも。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「理沙子さまは、どうして私なんかを妹にしたいと思われたのですか……?」
知りたかった。
テニス部の一年生の間でもファンの多い理沙子さまが、私を妹にしたいと考えたのか。
「桂ちゃん」
身構える。
わずかに、顔の向きを変える理沙子さま。
「それはもちろん……桂ちゃんだから、よ」
そう言った理沙子さまの横顔を、私はきっと忘れない。
理沙子さまの後ろ姿が消えて見えなくなった頃。
「こら、桂」
「きゃんっ」
いつのまにかすぐ後ろまで来ていたお姉さまに、軽く頭をこづかれた。
「いつからいたの?盗み聞きしていたわけじゃないでしょうね?」
「あ、いえ、聞いていませんいません」
「そ、ならいいけれど」
腕を組んで私のことを見つめてくるお姉さま。なぜか、見られていることに落ち着く自分がいて、ああやっぱり私はお姉さまのことが大好きなんだなと実感する。
こんなことにならないと、改めて認識できない自分が情けなくはあったが。
「あの、お姉さま」
「あら、まだ『お姉さま』って呼んでくれるんだ?」
「あうぅ……」
意地悪口調のお姉さま。
それもそうだ、元はといえば自分が事の発端だったのだ。何事も無かったように昔に戻ろうとするなんて、虫が良すぎる。きちんと、けじめをつけないといけない。
私は、背筋を伸ばし、顔を上げた。
「あの、椿さまっ!」
「わっ、びっくりした」
いきなり大きな声を出した私に、目を丸くするお姉さま。
「あの……た、大変言いにくいのですが」
「…………」
一つ、大きく息を吸って。
「わ、わわわ私を、椿さまのい、妹にしてきゅださいっ!」
って、あああ、大事なところで噛んじゃった!
失態に、頭の中で頭を抱えていると。
「……ああもう、真面目な顔してくるから、何かと思ったらそんなこと」
「そ、そんなことって!」
自分にとっては、物凄く大事なことなのに。恥をしのんで、もう一度妹にしてくれと頼んだのに、お姉さまにとっては『そんなこと』なのか。もう、私のことなんか妹にしたくないと思っているのだろうか。
こんな、馬鹿な妹、いらないと。
「ちょ、ちょっと桂、何泣いているのよっ」
「だ、だって……うっ、ぐすっ、ひっく」
お姉さまに『いらない子』だと思われたら、凄く悲しい気持ちになって。こんなにも、こんなにも好きなのに、どうして姉妹を解消するなんて言ってしまったのか自分が腹立たしくて。
そして、もう二度とお姉さまの妹として過ごしていけないのかと考えると、絶望的なまでに孤独に包まれて。
零れる涙を止める術を私は持っていなかった。
「あーもう、本当に手間のかかる子ね、私の妹は」
「だって、だって……ひっく、うっ……えっ?」
聞き間違いだろうか。
今、お姉さまは何と言ったのか。
「ほら、涙を拭きなさい」
ハンカチを押し付けられる。
荒っぽいけれど、優しい。
「あの、あれ……え、今、なんて」
ハンカチで目元をぐしぐしとこすりながら、私はお姉さまに疑問を投げかける。
「手がかかる妹だ、って」
「え、あれ、でもだって、私、え?」
「そうそう、忘れ物よ、これ」
「え、えっ?!」
わたわたとしている間に、お姉さまはポケットから取り出したロザリオを私の首にかけた。ひんやりとしたチェーンの感触が、首筋に懐かしい。
「あの、お姉さま、これ??」
「なに、いらないの?」
「と、とんでもないっ!!」
私はもう二度と離すまいと、強くロザリオを握り締める。
そんな私の様を見て、お姉さまは苦笑している。
「あの……でも良いのですか?私……」
「だって私、姉妹を解消することにイエスなんて言った記憶ないもの。だから、これは桂から預かっていただけ」
「わ、私、てっきり、お姉さまはもう私なんか妹にしたくないとばかり思って……だからさっき、『そんなこと』って言われたとき、もうお姉さまにとって私なんかその程度の存在なのかと思って」
「おっちょこちょいねえ。ま、桂らしいけれど」
言いながら、私の髪の毛をくしゃくしゃっとするお姉さま。そこでようやく、私も笑うことが出来た。涙でくしゃくしゃになった、変な顔だったと思うけれど。
「……あの、ごめんなさいお姉さま。例えお姉さまが許してくださっても、やっぱり最初にロザリオを返したのは」
「ストップ。それ以上言う必要なし。どうせ桂のこと、『黄薔薇革命』にあてられたんでしょう?」
「う……」
「ミーハーな桂らしいものね」
返す言葉も無い。
「さ、行きましょうか」
歩き出すお姉さまに慌ててついてゆく。
隣に並び、本当にまた妹になれたのだと安堵する。
「…………」
「どうしたの、まだ何か言いたいことでもあるの?」
「あ、あのっ。お姉さまはどうして、私を妹に?」
やっぱり、どうしても聞きたいことだった。
自分に自信が持てない。一度気になると、もう止まらない。
きっと、明確な理由などないのだろう。姉妹になるというのに、そんな特別な理由など必要ない、ただ二人の相性とか、そういうものが重要だから。
それでも一度、お姉さまの口から聞いておきたかった。
「私なんて、なんの取り得も特徴も無い普通の子なのに、どうしてお姉さまは」
「なに、桂、気づいていないの?」
「だ、だって」
気が付くも何も、私は何も持っていないのだから。
だけどお姉さまは。
「桂は新しい物好き」
「は?」
笑いながら。
「桂は誰よりもミーハーで、元気で明るくて人懐っこくて、おしゃべりで落ち着きが無くて、そんな、他の誰も持っていない素敵な魅力があるじゃない」
「あ……」
「私も、理沙子さんも、きっとそんな桂に惹かれたのね」
「あぁ……」
声が出ない。
そんな、そんなどうしようもないところを、お姉さまは、そしてもしかしたら理沙子さまも気に入ってくれたというのか。
そして即ちそれは、ありのままの桂を受け入れてくれているということで。
「……馬鹿ね、どうしてそこで泣くのよ」
「うあぁ……」
分からない。
どうして涙が出てくるのか分からない。
でも。
「本当に、手のかかる子ね」
そう言いながら頭を撫でてくれるお姉さまの手は、温かくて優しかった。