第五話 『接近遭遇』
ゴールデン・ウィークは天候に恵まれ、むしろ恵まれすぎて少し暑く感じるくらいであった。
「……ってゆうか、この暑さはなんなんだよ」
汗ばむような熱気は、人の多さと人々が放出しているエネルギーのせいであろう。
「ほらほら祐麒先輩っ、元気出してくださいようっ」
「菜々ちゃんは元気だな」
「何、じじくさいこと言っているんですかー、せっかく祐麒先輩の大好きな菜々ちゃんとデートできているのにー」
「勝手に捏造しないように。大体、休みのところの早朝からいきなりやって来て、無理矢理連れてきたんだろうが」
「ちゃんと昨日の夜にメールしたじゃないですか」
「そうだけどさ、俺もう寝ていたし。つうかこれ、デートっていうの?」
「若い男女が二人で出かける、これをデートと言わずして何と言いましょうか?」
言葉だけをとらえれば確かにそうなのかもしれないが、祐麒にしてみればいつも通り、菜々に都合よく担ぎ出されたとしか思えなかった。
早朝に祐麒のマンションまでやってきた菜々は、寝ぼけている祐麒を叩き起こし、無理矢理にここまで引っ張ってきた。
都内某所であるこの場所で何が行われているかというと、同人誌即売会である。そういえば一昨年も連れてこられたことを思い出した。
「あのさ、俺、こういうの興味ないんだけど……」
「まあまあ、今回は祐麒先輩のことも考えてBLオンリーじゃなくて、男性向けもありますから」
一昨年は確か有名ゲームのBLオンリーイベントに連れてこられたのだ。祐麒自身、別に他の人がBLを好むのは構わないが、自分自身は特に興味がないので困った。祐麒も困るし、興味がない男に来られて会場の女性達も困っていたであろう、苦い記憶である。
「そう、私もあの時の反省を生かして、こうして今回は男女向けのですね」
「本質はそこじゃないんだけどなぁ……」
苦笑する。
祐麒はそもそもオタクではないのだ。
「えーっ、祐麒先輩もゲーム好きじゃないですかー。だから今回は、ゲーム色の強いのを選んだのに」
菜々は不満そうに口を尖らすが、だから問題はそういうところではないのだ。菜々はゲームもBLも乙女ゲーも漫画もアニメもミリタリーもファッションもグルメも愛する、いわば多趣味全方位を抑えたオタクである。
「――っと、そうだ、先輩、ちょっと私寄るところがあるので、外します。ここで待ち合わせしましょう」
「え? ちょっと、菜々ちゃん?」
「それでは、また――楽しみに待っててくださいね」
祐麒が止めようとするのを無視して、菜々はすばしこく人の間を縫ってどこかへ行ってしまった。
待っていろと言われても、どうすれば良いのか。興味があってきたわけではなく、菜々に引っ張ってこられたわけである。仕方なく祐麒は、適当に会場内を見物してみることにした。
会場内を歩いていて目を引くのは、やはりさまざまなコスプレイヤーの姿だ。一般入場者達とは明らかに異なる衣装で、非常に目を引く。皆、楽しそうである。似合っている人も似合っていない人も、それぞれが心から楽しもうとしているのが伝わってくる。祐麒自身は特にコスプレに興味があるわけではないが、それでもついつい見てしまう。
「気合い入っているよな、皆さん……」
色々な人を眺めながら歩く。コスプレイヤーも見られることを意識しているわけで、サービスにポーズをとってくれたりする人なんかもいる。役になりきっているのだろう、たいしたものだと思う。
「いらっしゃいませ、良かったら見ていってください」
どこかのサークルのブースの前に立っていたようで、声をかけられた。邪魔になっては悪いと少し移動したところで、隣のブースに立っていた女性と目があった。
「………………あれ?」
その女性は祐麒の顔を見て目を見開いたかと思うと、ぷいと顔を横にそらした。首を捻る。移動して、更に近づいてみると、もはや間違いようもなかった。
「えと、あれ、加東さん……?」
「ふ、ふ、福沢くん、どうして此処に……っ?」
呼びかけると、しばらく無言でいたが、やがて諦めたかのように振り向いた景。その声は震え、顔は真っ赤になっていた。
それはそうだろう、景は白いブラウスに濃紺のベスト、黄色いリボン、チェックのプリーツスカートでしかもスカートはかなり短い。明らかに先日の部屋で見かけた制服の一つで、女子高校生スタイルとなっている。
「ん、景ちゃん、知り合い?」
景の隣にいた、白いブラウスに白衣、タイトスカートにストッキング姿の気怠そうな雰囲気を醸し出している女性が二人を交互に見て訊いてきた。
「ご、ごめん、ちょっと外すね。福沢君、こっちへ」
「あ、えと」
景に手を引かれ、会場の端の方へと連れて行かれる。
「あのっ、こ、こっ、これは違うのよ? 別に私の趣味とかじゃなくて、友達にどうしてもってお願いされて、仕方なくだから」
「は、はあ……」
「し、信じてないでしょうっ? 本当なんだから」
「いや、信じていますよ」
「嘘よ、どうせ心の中では笑っているんでしょう。いい歳して女子高校生の格好とか、私だってそれくらい分かっているし」
「いやいやそんな、本当に高校生くらいかと思って、最初は加東さんだなんて全く思いませんでしたよっ」
「…………本当にぃ~?」
「本当ですって、マジで、ガチで!」
もちろん、嘘である。嘘であるが、世の中には必要な嘘というのも確かに存在するのだ。
しかし、さすがに高校生というのは無理があるが、女子大生が無理して高校生の格好をしている、くらいには十分に見られる。
「そ、そう?」
なぜか少し嬉しそうな様相を見せる景。
「ま、まあ、とにかくそういうわけなんで、このことは会社の人には秘密にしておいてっ」
「大丈夫です、誰にも言いませんから」
ほっと一安心した表情を見せる景。
もちろん、誰に言うつもりもない。先輩の恥となることを他の人にあえて告げるなどしたくないし、そもそも今の景の姿を他の人に伝えたいと思わない。
何せこの一か月間一緒に働いてきて、景のスカート姿など見たことがないのだ。パンツスーツをはじめ、ボトムスはパンツを基本としていることは祐麒でも分かった。その景が今、女子高校生の格好をして、スカートはミニで細い脚を出し、そんな自分自身が恥ずかしいらしく頬を赤らめモジモジしている。いつもクールで冷静な景しか見たことがなかったが、今の景は会社の時とまるで違っていて、やたらと可愛らしく見える。これがギャップ萌えというやつか、と一人感心する。
「あーっ、先輩やっと見つけたー。駄目じゃないですか、さっきの場所で待ちあわせだって言ったじゃないですか」
菜々の声がした。そういえば、菜々はどこへ行っていたのだろうと振り向いてみると。
「えっ、菜々、ちゃんっ?」
登場した菜々の姿を見て驚く。
菜々は、白いブラウスにベージュのベスト、プリーツスカートという格好で、髪型も少し変えていた。これも、コスプレに間違いないと思った。
「そうですよー、どうですか、これ」
「って、ちょっと、そんなスカートをひらひらさせたらっ」
「えーっ? 大丈夫ですよ、だって下には短パン穿いて……」
そこで菜々の言葉が途切れた。祐麒の隣に立っている景のことにようやく思い至ったのか、怪訝そうな表情で見上げていたかと思うと、一歩、二歩と下がり、祐麒の後ろに微妙に隠れる体勢をとる。
そんな菜々を見て、祐麒の方が不思議に思った。菜々は、誰に対しても馴れ馴れしいわけではないけれど、人見知りはしない。初対面の相手にでもマイペースで、動じることも緊張することもないはずなのに、なぜ景を目の前にして逃げるような素振りをみせるのか。
「あの、そちらの方は……」
「えーっと、同じ会社の人。たまたま、会場で見かけて」
上司だとか先輩というのは、やめておくことにした。
「へえ……会社の……そうですか……」
やけに菜々の歯切れが悪い。どうしようかと思って、景の方に目を向ける。
「あの、もしかして福沢君の彼女さん?」
「えっ、違いますよ。単なる大学の後輩です――って、痛っ!? なに人の脚、蹴ってんだよ??」
「そういうキャラですからー」
不機嫌そうな菜々が祐麒を蹴るのをやめて、景の前に歩み出る。制服姿の女子二人が相対して挨拶すると、場の雰囲気は柔らかくなったような気がする。
顔を上げた菜々は、景の頭のてっぺんから足先までぐるっと見回し、口を開いた。
「はじめまして、有馬です」
「どうも、加東です」
「コスプレ、よく似合っていますね。ただ、そのキャラって巨乳がウリの一つでもありますよね……?」
菜々のとんでもない発言に、思わず目を剥く。一体、いきなり何を言いだしているのだと。明らかに景は巨乳ではなく、そのことに対しての発言なのだろうが、初対面の相手に対して何故そんな失礼なことを口にするのか。少なくとも菜々は、そこまで礼儀知らずの子ではなかったはず。
恐る恐る景を見ると、怒った様子もなくむしろ軽く笑みを浮かべた。さすが景、大人の対応をしてくれるようだと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
「有馬さんの扮しているキャラは、胸がないキャラだからそういう意味ではぴったりね、その胸なら」
「え、あの、ちょっと加東さんどうしたんスカ?」
全く大人げなく、祐麒はぶっ飛びそうになった。
「加東さんって祐麒先輩より先輩ですよね? それで高校生キャラクターのコスプレするって、凄いですよねー」
「あら、有馬さんこそ、今大学生なんでしょう? それで中学生のキャラが似合うって、中学生で通用する体型を維持しているってことじゃない」
お互い、にこやかな表情こそ見せているものの、会話の内容は鋭い刃で突き刺し抉りあうようなものだ。そして中間にいる祐麒は、自分自身のことを言われているわけでもないのに、胸が痛くて苦しくなってきた。しかし、笑顔を浮かべながら対峙する二人の間に、割って入っていくことはとてもではないが出来なかった。
「ちょ、ちょっと菜々ちゃん、やめろって。何、いきなり言ってんだよ」
ここはまず、菜々を止めることにした。何せ相手は祐麒の上司であり、今後の仕事にも影響するかもしれないし、そもそも菜々の方からけしかけたことだから菜々の方を諌めるべきであったから。
祐麒が注意すると、菜々は一瞬、ふてくされたような顔を見せたが、すぐに笑顔を見せて祐麒の手を掴んできた。
「そうですね、すみません、私と先輩、でぇとの途中でしたもんね」
「いや、無理矢理連れてこられただけ……」
「さ、それじゃいきましょう。失礼します、加東さん」
ぺこりと頭を下げる菜々。
そのまま景の前から去ろうとしたところで、不意に行く手を遮られた。
「待ってそこの貴女、私たちとコラボしない? ってゆーか、ちょうどウチ、その子のコスプレする予定の子が急病でさ、入ってくれると助かるんだけど!」
「…………はぃ?」
聞くところによると、景が参加していたサークルのコスプレと、菜々が単独で行っていたコスプレは同じ作品だったということ。同作品の中で菜々のコスプレしているキャラクターがいないということで急遽、参加してほしいという依頼をされた。菜々は当初迷っていたが、結局は参加することになった。
祐麒も臨時で売り子をして、思いがけない交流が生まれた。
そうして熱気に包まれたイベントも終わり、会場の後片付けまで手伝ったところで、今度は打ち上げに誘われた。初めは遠慮しようと、菜々に手を引かれて別れようとしたのだが、思いがけず景に引き止められ、やはり打ち上げに参加することになった。
打ち上げ参加者は関係者や友人含めて二十人弱というところで、正直、参加したところで話しについていけるかと不安だったのだが、景と菜々がすぐ側に座ってくれたので、大丈夫だった。
初めの方は。
しかし今はカオスだった。
「――そうですよね、やっぱ『転生八犬伝』は名作ですよねっ! 八人の男子が個性的で、イケメンばかりじゃないってのがいいですよねー」
「信と仁の二人が争うところとか、凄く良かったわよね、あぁもう、私のために二人ともやめて、って!」
「分かります分かりますー! それでその後、まさか智が」
「最後の八人逆ハーレムエンド、見た? あんな風に傅かれたらどんなに気持ちよいでしょうね」
「でもでも、私的には孝×礼が公式だと思うんですよ、もちろん孝がヘタレ攻めで!」
「それもいいけれど、悌のお尻の疵を確認するためにさ、ほら智がズボンを脱がせてそのまま我慢できなくなっちゃったじゃない? えー、そこでーっ!? って」
「あははははっ、そうそう、主人公の私が見ている前で何でー!? って」
酒が入り、酒が進み、いつしか景と菜々は意気投合して乙女ゲーのことを熱く語り合っていた。祐麒には全く分からない世界なので、話に割って入ることなどできないのだが、すぐ隣で話しているので耳には入ってくる。
しかしまさか景が乙女ゲームにはまっているとは、全く想像できなかった。菜々との話を聞いていると、乙女ゲーに限らず百合ゲーにも手を出しているようで、祐麒としては聞いてしまってよかったものだろうかと悩んでいる。
とゆうか、まさか有能で怜悧な美人上司が、まさか腐女子だったとはこれいかに。
「……ちょっと、私は腐女子じゃありません、BLには興味ないんだからね」
酔っぱらって据わった目つきで言われる。
「えーっ、そうなんですか? 勿体ないですよ、超萌えですよー?? その割には加東さん、『八犬伝』とか『幕末蓮華』とか好きじゃないですかー」
「主人公はあくまで女の子じゃない、BLはその中でのネタじゃない」
「だったらー、超お勧めのやつ貸しますよっ!」
なんなんだ、このテンション。
イベント会場では少し険悪な雰囲気があったというのに、今では何故か意気投合して乙女ゲートークを繰り広げている。お酒の力はあるだろうが、違和感を拭えないのもまた確かなこと。
「さーさ加東さん、もう一杯いかがですか?」
「あらありがとう、そういう有馬さんも、グラス空いているんじゃない?」
時折、薄ら寒さを感じるのは店の空調のせいだろうか。
そんなこんなで一次会の飲み会が終わる頃には二人は完全に出来上がり、二次会のカラオケが終了する頃にはグダグダであった。
「――それじゃ、景ちゃんのことはよろしくね、キミ」
「えっ、あ、ちょっと待っ……」
景の仲間の女性は、面白そうに祐麒と景を見て、意味深なウィンクを残してさっさと帰ってしまった。
残されたのは、単なる酔っぱらいと化した景と菜々、そして頭を抱える祐麒。
「ねぇ祐麒先輩、私、ちょっと飲み過ぎて気持ち悪いかも……とゆーことで、この辺でご休憩していきません?」
酔っぱらいその一、菜々が腕に絡んできて指差しているのは、ラブホテルである。
「ちょっ……な、何考えているの、ふしだらよ!」
酔っぱらいその二、景が憤慨するようにして菜々に指を突きつける。
「えー、なんでですかー? 私達もう大人ですしー、そういう関係だったら別にふしだらでもなんでもないですしー」
「そ、そういう関係、って……や、やっぱり福沢くん」
「いやいや俺と菜々ちゃんはそういう関係じゃないですから! ったく菜々ちゃんも、悪酔いしすぎだ」
慌てて言い繕うと、菜々は不満そうに口を尖らせた。
「でもでもぉ、今の反応、もしかして加東さんって……」
「わ、私はそういう場所じゃなくて、お家派なのよっ」
凄いことを耳にしている気がするが、深く考えるととんでもないことになりそうというか、景に会社で殺されそうな予感がするのでやめておくことにする。そもそも、あの部屋の惨状では無理ではないだろうか。
「とにかくぅ、もう終電もないですし、私はご休憩がしたいんですっ」
「え、ちょ、ちょっと菜々ちゃんっ?」
酔っぱらいのくせに、むしろ酔っぱらっているせいか、物凄い力で引っ張られてホテルの中に引きずり込まれてしまうのであった。
~なかがき~
景「ちょ、ちょっと、どうなってんのよこれー!?」
菜「うふふ、まさかこんな展開になろーとは!」
景「ら、ら、ラブホってちょっと、しかも三人でとか!」
菜「初体験がさんぴーとか、ハードすぎますぅ」
景「そ、そんなことしないわよ、ここは健全なんだから」
菜「コスプレして三人でとは……お主も好き者よのう。しかも、いい年して女子高校生コスプレ……ぷ」
景「な、なな、何よ、あなたただって女子中学生じゃない!」
菜「私は似合ってるからいいんですー、カトーさんのは……イメクラですか? キャバクラですか?」
景「ふ……殺意が芽生えてくる瞬間って、こういうときかしら」
菜「はっ!? もしかして次は祐麒先輩のターン!? 一気に私達二人を……(ぽ)」
景「ぽ、じゃないわよ!」
菜「やっぱり私のターン! トラップカード発動、封印の杖でカトーさんの動きを封じ、ビリビリのツンデレ攻撃!」
景「いや、毎回意味がわかんないんだけど……」