宮小路瑞穂は三年生になってからリリアン女学園に編入してきた。高校三年生で編入してくるというだけでも珍しいのに、かてて加えて容姿端麗、文武両道、礼儀も作法も嫋やかで隙がない。
瑞穂自身はあまり目立ちたくないと思っており、目立たないよう、ごく控え目に生活しているつもりなのだが、なかなかそうもいかない。
リリアンには薔薇様という圧倒的な人気とカリスマを誇る生徒がいるのだが、そんな薔薇様方にも負けず劣らずという噂が少しずつ広まっている。
「ねえ、瑞穂さんはバレーボールは得意なのですか?」
「え? いえ、特別に得意ということはありませんが」
体育の授業は今日からバレーボールになる。高校三年生ともなると受験を控え、体育の授業も試合形式で楽しむものが多くなる。
クラスメイトに話しかけられ、たじろぎながらも応じる瑞穂。リリアンの体操服はハーフパンツなので露出度も控えめとなり助かっている。
準備運動をしながらちらりと視線を横に向けると、体育館の半分を使用した隣では一年生が授業を行っている。女の子だらけの中に二か月も生活していれば慣れるかと思ったが、やはり簡単にはいかない。それでも学園生活を楽しめているのは、頼もしい友人や可愛い後輩に恵まれたからだろう。
「瑞穂お姉さまっ」
向かってくるのは二人の女子生徒。
「桂ちゃんと祐紀ちゃんも体育だったのね」
いつでも元気いっぱい、という感じの桂は瑞穂から見ても微笑ましい程に可愛らしい。
一方、桂に手を繋がれて一歩遅れてやってきた祐紀は、どこか控え目。聞けば、頭も良ければ運動神経も良く、そして見た目も可愛らしい。だというのに、なぜかいつもどこか自信がなさそうというか、おどおどしているように見える。
「瑞穂お姉さまの体操服姿、とっても凛々しくてお美しいです。隣で瑞穂お姉さまの雄姿が見られるなんて、今日は凄くラッキーです」
「ありがとう。でも私なんかより、桂ちゃんたちの体操服の方が可愛いわよ?」
「え、そ、そんな、えへへ」
褒めると、嬉しそうに、そして恥ずかしそうに照れる二人。
「桂ちゃんたちはバスケかしら? ほら、そろそろ行かないと駄目よ。頑張ってらっしゃい」
「はーい、頑張りますっ」
ぱたぱたと走り去っていく二人の後輩を見送り、瑞穂も軽く気合いを入れる。二人が見ていると思うと、無様な姿を見せるわけにはいかない。
ちょっとばかり良いところを見せよう、なんて気を起こしたのが良くなかったのか。
「――も~っ、今日の瑞穂さま、すっっっっごく格好良かったです!!」
拳を握りしめ、目をバッテンにして興奮している桂。
一日の授業を終えて寮に戻り、瑞穂の部屋にお茶を持ってきてのお喋り。これはまさにお世話係としての特権である。
桂が興奮しているのも当然で、体育の授業で瑞穂はスーパープレイを連発。鋭いスパイクを決めるだけでなく、ダイビングレシーブなども見せては桂たち一年生からの黄色い声援を集めていた。
はっきり言ってしまえば一人だけ次元が異なるという感じで、祐麒だって見惚れてしまうくらいだ。そこまで出来るとやっかみを受けそうなものだが、人徳のなせるわざか、凄すぎて嫉妬の対象にもならないのか、クラスメイトからもちやほやされていた。
「ありがとう。でも、祐紀ちゃんも凄かったじゃない」
「え、そ、そんなことないです」
「そんなことあったよー、祐紀ちゃんも格好良かったよ!!」
瑞穂に触発されてというわけでもないが、バスケをやっているうちについ男の時の感覚でプレイしてしまい、大人げなく女子の攻撃をブロックするわ、鋭いフェイントで相手をごぼう抜きでゴールを決めるわ、更にはワンハンドでの3ポイントシュートまで決めてしまった。バスケ部の女子でもワンハンドでシュートするかどうかなのに、いきなりそれで3ポイントである。驚きと賞賛の声を一身に受けて、しまったと後悔したものだ。
「た、たまたまですよ。それにその後は、ミスも多かったですし」
3ポイントシュートを機会に自重するように心掛けたのだが、ゲームに集中するとつい本気になりかける。途中で気が付いてセーブをかけようとすると中途半端なプレイになってしまい、極めつけはレイアップシュートをしようとしたときに躊躇ったせいで目測を誤り、ボードの下にぶつかったボールが勢いよく跳ね返ってそのまま祐麒の顔面を強打するという、漫画のようなドジをしてしまったこと。
「涙目の祐紀ちゃんも、可愛かったよぉ」
「う、ひどい桂ちゃん。本当に痛かったのに」
「あはは、ごめんごめんっ。でも、瑞穂お姉さまも祐紀ちゃんも美人で可愛らしくて、それで何でもできるなんて凄すぎですよー」
と、桂が瑞穂と祐麒の二人のことを賞賛すると。
「そんなことないよ、私なんかより桂ちゃんの方が絶対に可愛いよ!」
「そうよ、桂ちゃんはとても女の子らしいと思うわ」
祐麒と瑞穂、二人から同時に想定外に強く褒められて目を丸くする桂。
「もーっ、二人とも、私をおだてても何にも出てきませんよー?」
ケラケラと明るく笑う桂。本気に受け止めていないようだが、その辺がもどかしい。
お喋りは桂を中心にして続く。話題はあっちにいったり、こっちにいったりと忙しないが、それでも楽しいのは桂の人柄というものだろう。瑞穂も穏やかで優しい表情で桂と祐麒のことを見つめている。
「――でもでも、瑞穂お姉さまがこられたから、今年のエルダー選挙はどうなるか分かりませんよね」
何度目かの話題転換の中で、桂からそのような台詞が飛び出した。
「「エルダー選挙?」」
期せずして瑞穂と祐麒の疑問の声が重なった。
「え? あ、そうか。瑞穂お姉さまも祐紀ちゃんも、今年リリアンに編入したから知らないのか」
顔を見合わせる瑞穂と祐麒。
リリアンのことは祐巳から色々と聞いていたし、生徒会に入ってから交流もあったからある程度は知っているが、『エルダー選挙』については初耳だった。薔薇様を選ぶ選挙は昨年度のうちに行われており、加えてまだ何か選挙があるというのか。
「えーっとですね、エルダー選挙というのは」
桂の説明を受けると、手本となる最上級生に贈られる称号として『エルダー・シスター』なるものがあり、毎年六月末の全生徒からの投票により選ばれるらしい。エルダーは同級生も含めて『お姉さま』と呼ばれるようになり、薔薇さまのような公式の役職ではないものの学園に長く継承される伝統であり、その影響力は非常に大きいらしい。
リリアンでは薔薇さま方の人気が高く、通常は薔薇さまの中の誰か一人が選ばれ、薔薇さま以外で選ばれた生徒はいない。それが今年、もしかしたら、という噂が立っているらしく、その噂の先にいるのが瑞穂というわけだ。
「そんな制度があるんだ……『姉妹制度』と『薔薇さま』があるだけでも十分な気がするけれど」
「うん、でもね、『エルダー』となるお姉さまは、全校生徒のお姉さまになるんだ。そうすると、お姉さまのいない子や、最上級生で本来はお姉さまを持っていない三年生のお姉さま方も甘えることが出来るじゃない」
「あー、なるほど」
リリアンの『姉妹制度』は強制的なものではないから、全員が誰かと姉妹になっているわけではない。自ら望んで姉妹を作っていない生徒なら良いが、内気な子だったり、本来願っていた先輩が既に他の子のお姉さまだったり、色々な理由でお姉さまが欲しくても得られない子もいるだろう。そういう生徒たちのための皆の『お姉さま』でもあるわけだ。
「そ、そんな大それたものに、今年からぼっと出の私なんかがなれるわけがないわよ」
瑞穂は焦って否定するが、この二か月で瑞穂の噂は一年生の元まで広がってきている。それは、今日見せた体育での活躍であったり、昨日発表された中間試験の結果でいきなりトップをとったことであったりする。それまで同学年でのトップは、常に蓉子か江利子だったというので、かなり大騒ぎになったらしい。
ちなみに一年生のトップは祐紀だった。
「本当に凄いですよね、お二人とも!」
学年トップの二人だということに改めて驚き、賛辞の声を送ってくれる桂。本来なら少しくらい僻みが入っていてもおかしくないのだが、素直な賞賛の声、そして笑顔に心が温かくなる。
「でも、だとすると本当にその、『エルダー』というのに瑞穂お姉さまが選ばれてもおかしくないですよね」
「も、もう、祐紀ちゃんまでやめてちょうだい」
「あ、そうだ、それなら」
ぴん、と人差し指を立てて桂。
「今度の週末、皆で一緒にお買い物に行きませんか?」
その発言に、思わずずっこける瑞穂と祐麒。
「か、桂ちゃん。"それなら"って、それまでの会話とお買い物って全然つながってない気がするんだけど」
「え、そうだった? あはは、ごめん。でも試験の話があったから、試験も終わったし遊びに行きたいなぁって思っちゃって」
「あら、それだったら私が一緒にいったら邪魔じゃないかしら? 二人のデートについていくなんて無粋な真似、したくないわ」
「み、瑞穂お姉さまっ、で、でーとだなんてっ」
瑞穂にからかわれて顔が熱くなる。
隣の桂はにこにこしているが、祐麒としては自分が男であるだけに、変に意識してしまうのだ。
「もー、瑞穂お姉さまと一緒にお出かけしたいんですっ。ねー、祐紀ちゃんもそう思うでしょ?」
「え、う、うん」
桂の勢いに思わず頷く。
この辺、桂は甘え上手というか、上級生に可愛がられる要素が盛りだくさんだと思う。狙ってやっているのではなく、自然に、純粋に思っているのが良いのだろう。
「そうねぇ……」
「駄目ですか?」
「わ、分かったわ、それじゃあ今度のお休みの日は私も一緒に行かせてもらうわ」
「本当ですか、わー、やったー!!」
喜んで祐麒の方を向き、両手を上げる桂。意図を察して祐麒も手をあげてお互いの手の平を叩きあうハイタッチ。
こうして、思いがけず瑞穂と一緒に出掛ける機会を得ることになった。
あっという間に週末となり、お出かけの日。
六月ではあるものの天候には恵まれ、空は晴れて行楽日和。同部屋である祐麒と桂は一緒に駅前まで出てきたけれど、瑞穂とは駅前で待ち合わせだ。その方がお出かけの雰囲気が出るし、寮から一緒に出ると他の子から妬まれてしまうかもしれない、というのが桂の言である。
お世話係だから仲が良くなるのは当然とはいえ、もしかしたらエルダーに、なんて言われているほどなのだから瑞穂人気は相当に上がってきている。あまりに独占しすぎるといけないというのだ。
「でも、だからこそ今のうちに瑞穂お姉さまと沢山遊んでおいたほうが、っていうのもあるけどね。本当にエルダーになられたら、それこそ独占なんてできなくなっちゃうかもしれないし」
と、悪びれずに笑う桂は今日も可愛い。
シャツの上から七分袖のカーディガン、キュロットパンツに二ーハイソックスをあわせた格好は、カジュアル且つアクティブで桂らしい。
祐麒はパーカにデニムという簡単な格好。小笠原家で買い与えられた服は可愛らしいのが多いが、外に出るのに躊躇いが生じるのでやはりズボン系が良い。
二人でお喋りしながら待っていると、やがて瑞穂も姿を見せる。
グリーンのチュニックにグレーのスキニーチェックパンツを組み合わせた姿は、祐麒からみてもとても眩しかった。
三人でひとしきりお互いの私服について褒め合った後、さてお出かけしようかとしたところで。
「ちょ、ちょっと待った!」
「ちょっと待ったコール!?」
と、振り返ってみると。
「あれ……なんでアンリが?」
走って向かってきたのはアンリだった。
相当に急いで来たらしく、アンリにしては珍しく僅かに息を切らせている。
「はぁっ、はあっ……あ、あたしを置いていくなんて、い、いい度胸じゃない」
確かにアンリは祐麒のサポートのために一緒にリリアンに来たわけだが、休日の時間まで拘束するつもりはない。
「ごめんなさいアンリさん、別に貴女の祐紀ちゃんを盗るつもりなんてないのよ?」
「なっ……べ、別に、あ、あたしのじゃないしっ」
必死な様相をみてからかう瑞穂に対し、真っ赤になって否定するアンリ。この辺、アンリは真面目すぎるのだろうと祐麒は思う。
「わーっ、アンリさんとも一緒できるんですか? 嬉しい、私、アンリさんと仲良くなりたいって思っていたんです、ずっと!」
「え、あ、そ、そうですか?」
今度は桂に純粋な思いをぶつけられて戸惑うアンリ。同じクラスとはいえずっと年上なわけで、クラスメイト達はどうしてもアンリと接しづらいようであまり話しかけたりしない。アンリはアンリで特にそれで構わないのだろう、気にした様子もない。桂も普段は気おくれしているのか積極的に話しかけはしないが、今日はテンションも上がっているのだろう、桂らしくアンリにアプローチしていた。
「アンリさん、私服は可愛いんですねっ!」
「えっ、いえ、こ、これはっ……」
桂の言うとおりだった。
ブラックキャミの上にホワイトのブラウス、更にキャラメルブラウンのベストを重ね着。ボトムスは裾にサテンテープのあしらわれたミニのフレアチュールスカート、そしてソックスとショートブーツ。
「ほら、み、皆さん女子高校生だから、あたしもそれらしくって思って……」
「うん、とてもよく似合っていて可愛い、アンリ」
と、素直に祐麒が褒めると。
途端にアンリは耳まで真っ赤になってしまった。
普段、メイド服姿がリリアンの制服姿しか見たことがないだけに、新鮮でもあるし実際に可愛らしい。アンリは別に童顔というわけではないのだが、肌から何から非常に若々しくて、女子高校生の中に居てもさほど違和感は覚えないのだ。
「べべべ別に、お世辞なんて」
「お世辞なんかじゃなく、本当に良く似合っていて素敵ですよ、アンリさん」
瑞穂にまで言われてしまい、沈黙するアンリ。
「さ、それじゃ行きましょう。今日は四人でたっくさん、楽しんじゃいましょう!」
桂の号令で歩き出す四人。
女子高校生四人での賑やかな休日。
しかしてその実、本当の女子高校生は一人しかいないということに気が付いているのは誰一人としていなかった。
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