聖にどうにかして想いを伝えたい、だがその前に聖との絆を深め、自分の想いを確かなものとして、且つ聖からも好意を得たいと考えるのは、果たして傲慢だろうか。例え図々しい考えだろうと、人を好きになりたい、好きな人から好かれるようになりたいと思うのは、ごく当然のことだろう。
だから祐麒も、当然のように行動した。
とはいっても、大学生である聖と、高校生の祐麒。おまけに祐麒は生徒会長としての仕事もあり、そう簡単に都合が合うわけもない。
うざくならない程度にメールのやり取りをして、学校帰りの夕方や休日など、時間があれば会う機会を作るように努力する。聖も祐麒のことは気に入っているのか、決して避けようとはしないし、暇になったら聖の方から祐麒のことを誘ってくることさえあった。
もっとも、聖の祐麒に対する気持ちは、友人以外の何物でもないだろうが。
それが証拠に、聖が誘ってくるときは大抵、ゲームセンターとかカラオケとか、その手の遊びばかりであった。どうやら、前に連れて行って以来、ゲームセンターにはまってしまったようだ。一人で遊んでいてもいいのだが、やはり相手がいる方が楽しい。景はそれほどゲームにはまるというほどでなく、リリアンでゲームセンターに一緒に行くほど親しい相手もなく、祐麒にお鉢が回ってきている。
祐麒はもちろん喜んで相手をしているが、さすがにゲームセンターや、その後のファーストフードで告白をするという感じにもならない。
夕食にでも誘いたいところだが、夕方過ぎると聖は大抵、帰ってしまう。バイトの時もあれば、そうでない時もあるが、ごく自然と祐麒と別れていってしまう。
一方で、相変わらず景とのことは誤解したままで、色々と情報を流してくるし、祐麒をたきつけるようなことも言ってくる。
楽しいけれど、もどかしい、そんな日々がしばらく続いて、いつしか秋も深まっていた。
そして祐麒は、頭を抱えていた。
聖と親しくなる、仲良くなる、その当初目標は果たしつつあるが、本当にただ仲良くなっているだけだった。このままでは、友人という関係に定着してしまうおそれがある。もちろん、まずは友人として親しくなり、それからさらに上を目指すというのも自然かもしれないが、友人で終わってしまいそうな予感も漂いつつある。
性格をきちんと把握しているわけではないが、変な形で告白をしようものなら、そのままフェードアウトしていきそうな雰囲気を、聖は持っているように感じる。
親しくはなるけれど、本当の意味で聖には近寄れていない。ある一定の距離を保ち、そこから内側に入り込もうとすると、逃げていく。以前に景からも、心の扉を開けるのは難しい、というようなことを言われたことがあるが、なんとなくそれが分かってきた気がするのだ。
仲良くなればなるほど、親しくなるほど、聖のかたくなさが伝わってくる。
祐麒と遊ぶけれど、決して長時間は一緒にいない。バイトだとか、用事があるとか、様々な理由はつけているけれど、聖自身が無意識に察してそのように行動しているのではないだろうか。
別に、クリスマスまでに、なんてことを思っているわけではないが、このままダラダラと流れていって良いとも思えない。
こうなったら、思いきって聖の懐近くにまで踏み込んでみるべきか、そう思い始めた頃に、それはやってきた――
「おー、祐麒、これ最新作? プレイしてみない?」
ゲームセンターにやってきて、目新しいゲーム機に目を輝かせている。聖は、ゲームがすごく好きというよりも、今まで触れて来ていなかったから物珍しい、という風に見えた。実際、特定のゲームをずっとやり続けるというよりは、色々なゲームに手を出していく。
この分なら飽きるのも早いかも、とは思いつつも、とりあえず本当に飽きるまでは祐麒だっていくらでも付き合うつもりだ。何より、ゲームセンターなら物にもよるが比較的安価に楽しめる。
「何これー、どうやんの? あははっ」
よく分からなくても、それでも適当な感じでこなし、面白そうにしている聖を見ているだけでも、心が弾む。
こうして遊んでいる時間は二人の距離も近くなり、それだけでも胸の鼓動は速くなる。一緒にいるだけでここまで幸せな気分になれるというのは、やはり恋に間違いないだろう。今はまだ、ただの友人関係でしかないとしても、気持ちは本当だ。
あとは、今の状況から更に一歩、抜け出すこと。気楽に遊ぶのも良いが、もう少し違う場所で、デートらしき雰囲気を味わいたい。そして、どこかできちんと自分の気持ちを告げて――
「そういや祐麒さ、来週の土曜日って空いている?」
ゲームセンターを出て、すぐ近くのファーストフードで空腹を満たしているときに、聖がそのようなことを聞いてきた。
いつものお誘いか、それにしてはちょっと先だなと思いながらも、特に用事もないので頷くと。
「コンサートのチケットが手に入ったんだけど、行かない? あ、ちなみにクラシックだけど」
耳にして、思わず、聖を見つめ直してしまった。
無言でいる祐麒に対し、聖は首を傾げる。
「あ、興味無かった? そんじゃあ――」
「いやいや、行きます、ぜひ行かせてくださいっ!」
慌てて前のめりになって、お願いする。
こんな、まるでデートのようなお誘いが来るなんて、頭の中の会話シミュレーションには入っていなかったのだ。
「そう? じゃ、決まりねー。そうそう、そんな格式ばったものじゃないけれど、適度にフォーマルな格好で来てよね、恥ずかしくない程度に」
「わ、分かりました」
クラシックのコンサートとなると、やはりスーツなのだろうかと、乏しい想像力を働かせてみる。
そもそも、クラシックのコンサートって、どんな感じなのか。テレビで時に流れているのを、目の端でとらえたことがあるくらいか。知識は、全くと言っていいほど無い。
「んじゃ、当日の待ち合わせ時間とかは、またメールするから」
「はい、お願いしますっ」
その後、バイトということですぐに聖は立ち去ってしまったけれど、思いがけないデートの誘いに、祐麒は舞い上がっていたのであった。
正直、クラシックのコンサートなんて生まれてこの方行ったことはないし、今までにさほど興味もなかったけれど、そんなことは関係ない。もちろんOKの返事をするとともに、すぐにコンサートについても予習した。
いくら興味がなかったといっても、こうして事前に知らされて一緒に行くことを決めたのだから、きちんと最低限のことは頭に入れておきたかった。
調べてみると、日本でも有名な交響楽団の『名曲コンサート』ということで、初心者でも比較的入りやすい、わかりやすくて有名な曲をメインに、クラシックを楽しんでもらおう、親しんでもらおうというプログラムである。実際に聴いたわけではないが、これならば初めての祐麒でも楽しむことができそうだった。
服装は、特にカジュアルな格好でも問題はないようだが、だからといってセーターにジーンズ、というわけにもいかない。
色々と悩んだ末に、シャツにネクタイ、ジャケットという、何の変哲もない服装に落ち着いた。とはいっても、普段遊びに行く時に着るわけではないので、多少、背伸びをしているともいえる。
待ち合わせ場所に、待ち合わせ時間より30分早く到着し、どこか落ち着かない心をおさえながら待つ。
ゲームセンターやビリヤードなどで遊ぶことはあっても、本当にそれだけを1、2時間遊んで帰るだけ。こうして、いかにもデートみたいな約束で待ち合わせをするのは、初めてのことで、意識しだすと弥が上にも緊張が高まってくる。
そわそわしつつ、携帯電話を取り出して時間を確認する。待ち合わせまであと10分。聖は待ち合わせ時間にはルーズで、早く来る時もあれば、かなり遅れてくることもあり、今日がどうなるかは分からない。
ただ、確率的には遅れる方が大きい。というか、ほとんどがそうだ。今日もそうなるかな、なんて考えながら首を動かしていると。
前方に、どことなく見覚えのある女性の姿が小さく見えた気がした。もう一度首をまわし、そちらの方向に目を向けると、ほぼ同時に、女性の方も祐麒に視線を固定させた。
そのままゆっくりと、近づいてくる
「あら、祐麒クンじゃない」
「どうも、こんにちは」
景だった。
「奇遇ね、こんなところで。誰かと待ち合わせ?」
「あ、はい、まあ。えと、加東さんは」
なんとなく、聖のことを言い出しにくくて濁しつつ、景に話を振ると。
「ああ、私は佐藤さんと待ち合わせなの」
「…………え?」
「今日このあと、コンサートに行く予定なの……って、どうしたの? そんな顔しちゃって」
変な表情をしていたのも当然のこと、何せ祐麒が待ち合わせをしている聖と、景は約束をしているというのだから。
「え、佐藤さんと? ……ちなみに、チケットは?」
「それは、聖さんが持っているからって」
「で、私は佐藤さんから、なくしそうだから持っていてと言われて2枚、持っている」
言いながら景が取り出したチケットは、確かに2枚。
同じ待ち合わせ場所に、時間。同じ目的地。と、いうことは。
「……はめられたわね、私達」
「やっぱり、そうなんでしょうか?」
「それ以外に、考えられないでしょう。そっか、だからあんな念入りに、今日の服装とか髪型のこと、言ってきたのね」
肩をすくめる景。
そんな景の言葉を確かにするように、待ち合わせ時刻を30分過ぎても、聖の姿は見えない。どちらかにメールくらい送ってくるかとも思ったが、それもない。
「まったく、まだ、誤解がとけていないの?」
「す、すみません」
仕方ないわね、といった風にため息をつく景。
「うーん、このコンサート、楽しみにしていたのにな」
そして、小さく呟く。
チケットで口元を隠すようにしていたが、祐麒の耳には届いていた。
「どうしようか? さすがに、一緒にってわけにはいかないわよね」
「いえ、行きましょう、せっかくですし」
「え? でも」
「実は俺、今日のためにコンサートの内容とか、予習してきたんですよ。それにそれ以上に、勿体ないじゃないですか。おれ、貧乏性なんで」
「……ふーん」
なぜか、じろじろと見られた。
何となく目を見返せず、視線をそらし、改めて景の全身をとらえる。
ベージュのシャツは胸元のピンタック使いが特徴の、細いストライプ柄。それに上下ブラックでテーラードジャケットとタックスカートをあわせた、シックだけどおしゃれさも見えるスーツスタイル。薄紅色のネックレス、赤いパンプスが、上下でアクセントをつけている。眼鏡は変わらずにかけているが、髪型がいつもと違い、軽くカールをかけたサイドアップで、可愛らしい大人っぽさを出していた。
「あ……と、加東さん、スーツ姿が素敵ですね、髪型もよく合っていて」
デートの時、洋服を褒めるのは基本だということを思い出し、相手は違っていたけれど口にする。
「ふふ、ありがとう」
笑われた。
やはり、無理して背伸びしている感があったのだろう。
「じゃあ、本当に行く? いいのかしら」
「はい、加東さんが嫌でなければ、ですけれど」
「それは無いけれど……それじゃあ、行きましょうか」
「はい」
聖とのデートでなかったのは残念だが、景がこのコンサートを楽しみにしていたのは本当のことのようだし、祐麒のことで気を遣わせて楽しめなくなるのは申し訳ない。自分だけ帰ってしまうというのも、感じが悪いし、ここは景を楽しませることが最適の選択肢だと思ったのだ。
そうして初めて経験したクラシックのコンサートは、思っていた以上に楽しかった。
二階席でオーケストラ全体を眺めることができて、色々な楽器を見ることができた。予習してきたものの、やはり分からない楽器があったが、隣に座る景がその都度、あの楽器は何で、どういう楽器なのかということを簡潔に分かりやすく教えてくれた。
曲についても、「イングリッシュホルンていう珍しい楽器があるんだけどね、2曲目の冒頭で凄く綺麗なメロディを聴かせてくれるから、よく聴いてみて」、「シンバルは第4楽章で1回、叩かれるだけなの。よく聴いていてね」などと、祐麒も直前に勉強したものの、そんなにわか知識よりも遥かに自然に、且つ豊富に、説明をしてくれた。
おかげで、非常に楽しい時間を満喫することが出来た。
会場の外に出ると、既に外は真っ暗。本来であれば、このあと、食事に誘うという予定だったのだが。
「お腹、すいちゃったわね。何か食べていこうか?」
祐麒が何かを言う前に、景に誘われた。
誘われるままに連れていかれたイタリアンレストランで夕食をとり、さらにその後、景に連れられて、生まれて初めてバーに入る。
店内はこじんまりとしているが、想像していたほど暗くなく、お洒落でカジュアルなバーのようだった。時間的にはまだ比較的早いので、店内に客の姿は少ない。
祐麒と景は、カウンターに並んで腰かける。
「祐麒クンは、何、飲む?」
「え? ええと、じゃあジントニックを」
まさかお酒を飲みに来るとは思っていなかったので、何も調べていなかった。とりあえず、知っているカクテルの名前を出す。
そんな祐麒を横目で見て、景は微かに笑う。
「じゃあ、私はレモンハートで」
知らないお酒の名前を出される。いったい、どんなカクテル何だろうかと思い、つい景の方を見てみると。
「実は、私もよく知らないのよ。なんとなく、名前が可愛かったから頼んじゃった」
と、軽く舌を出して見せる。思いがけないお茶目なところに、ちょっと驚く。
「そりゃそうよ、私、まだ大学一年生なのよ? こんなバーに来るのだって、まだ3回目、かな? お酒にだって、そこまで詳しくないし」
意外な気がした。祐麒から見れば、ずっと大人の女性に見えたから。
「それは、偏見ってもんじゃない?」
他愛もない会話。
そうこうしているうちに、目の前に頼んだカクテルが置かれる。
細い指で、グラスを持ち上げる景。祐麒もグラスを手に取りグラスをあわせ、静かに、清らかな音色を店内に響かせた。
景は饒舌ではなく、むしろ口数は少ない方だが、それでも祐麒の話す言葉にきちんと耳を傾け、相槌をうち、時には突っ込みをいれるなど、聞き上手であった。
調子に乗って一杯目を飲みほし、二杯目を注文するときに景は三杯目を注文していた。前にも思ったが、お酒にはそれなりに強いようだ。それでも、ほんのりと頬に赤みが差し、目もとにえもいわれぬ色気のようなものが漂い始める。
「ところで祐麒クンはさ、本当に今まで彼女とか、いなかったの?」
そんなことを景が口にしたのは、話も落ち着いてきて、ふと無言の時間が一分ほど続いた後のことだった。
「いないですよ、男子高ですし。なんでですか」
「だって、慣れている感じがしたんだもん。コンサートが無駄にならないよう、私ががっかりしないよう、気を遣ってくれたでしょう。私の服のことや髪型も褒めてくれたし。今までにも、同じようなこと、あったからじゃないの」
服や髪のことは、デートの時は褒めるのが定番だと聞いたことがあるからだった。気を遣ったのは確かだが、それは特別なことではなく、ごく普通のことだと思った。
「でもさ、佐藤さんのことが本気なら、ここは断るべきだったんじゃない。だって、こうしてデートしたって聞けば、佐藤さんはまた勘違いを強めるだけよ」
「まあ、分かっているんですけれど」
「優しいんだ」
マンハッタンに飾られた、マラスキーノ・チェリーの刺さったカクテルピンをつまみ、もてあそぶように口づけをする景。
「ねえ、それならさ、本当に佐藤さんじゃなく、私と付き合っちゃおうか?」
「え、加東さん、また……」
冗談だと思い笑おうとしたが、眼鏡の下から切れ長の目が意味深な光を伴って見つめてきて、笑いが途中で止まる。
「祐麒クンがそう願ってくれるなら、私もいいかなって思うんだ、この頃。祐麒クン優しいし、可愛いし。年下も可愛くていいかなって、ね」
言いながら、少し身を寄せてくる。 景の色っぽさに、バーの雰囲気が加わり、今まで感じたことがないくらいの妖艶さを景から感じる。思わず、生唾をのみこむ。一緒に居て、とても素敵な女性だと感じた。聖のことがあっても、そんなことを景に言われると、心が惹かれていきそうになる。こんな魅力的な女性が祐麒のことを良いと、言ってくれているのだ。
細く白い景の手を握りたくなる。力を入れて、腕が動くのを抑える。
「あ……か、加東さんはとても素敵です。あの、俺」
それでも、そこまでどうにか言ったところで、景がクスクスと笑いだした。そして、さらに口を開きかけた祐麒の唇に、マラスキーノ・チェリーを押し付けてきた。
「ごめんなさい、冗談よ。佐藤さんのこと、頑張って」
身を離し、微笑む景。
「唇、色ついちゃったわね」
すっと、音もなくハンカチが差し出され、唇にあてられる。
口に含んだ真っ赤なチェリーは、とても、甘かった。
祐麒と別れ自宅へと向かう途中、景は考える。
正直、惜しいという気持ちがないわけではない。バーで口にした言葉は冗談だったけれど、そのうち何パーセントか本気が入っていた。
実際、祐麒は優しくて人柄もよく、気配りもある。それでいて、どこかが抜けているようで構ってあげたくもなる。世話焼き体質を自覚する景にも合うし、言い方は悪いかもしれないが「あたり」ではないかと思える。年下だけど、3つくらいなら問題ない。
「とは言っても、最初から佐藤さん狙いだったわけだしね、ま、仕方ない」
仮に、今まで付き合ってきている内に、好意が聖から景に移り、今日の先ほどの問いに頷いてきたら、景はどうしていただろうか。考えても無意味な仮定だと分かっていながら、それでも考えてしまうのが人間というもの。
「それはともかく、本当、私に優しくしている場合じゃないよ、祐麒クン」
この場にいない少年に語りかける。下手すればただの八方美人、最悪、二股ととられかねない。今回の場合、祐麒の好意のベクトルを、初めから景が分かっていたから問題はなかったが。
「佐藤さんも、罪づくりね」
夜空を見上げる。
晩秋の星空は綺麗に澄み渡っていた。
第六話に続く