分不相応だと分かっていながらも、小笠原家のパーティに足を向けた。来ると決めたときから、場に合わない異分子だということは予想できていた。だから、最初は少し躊躇いもしたけれど、肝を据えて立ち向かう。
優からも、少しは話を聞いていたからある程度の心構えも出来ている。それに、優から任された人がすぐ隣にいる。
姉の祐巳ではないけれど、その人が隣に居るというだけで、なぜかいつもと違う思いが心の中から湧き上がってくる、そんな気がするのであった。
<その2>
並んで歩いていても、全く絵になっていないのだろうと思いながら、待ち構えつつ品定めをするような視線を向けてきている、いいところのご子息集団の前に立つ。先ほど力が沸いてくるような気もしたが、さすがに人数に圧倒されそうになる。加えて誰もが皆、自信に満ちたような表情をしている。そう、ある意味、どこか優と同じような雰囲気を持っているのだ。
隣にいる祥子はもちろん気後れする様子などみせずに、悠然とした態度で祐麒に手を伸ばす。
「ご紹介します。優さんの後輩で現、花寺学院生徒会長の、福沢祐麒さんです」
「はじめまして、福沢です」
ごく普通に挨拶をして、頭を下げる。無難に、敵を作らないように、それでいてごく平静を装って。
「へえ、優くんの可愛い後輩ってわけか。よろしく」
「今日は優くんの代理ってわけかい?」
「俺も花寺のOBなんだよ」
男たちが、かわるがわるに声をかけてきては、手を差し出してくる。そして、握手を交わしながら自己紹介をしてくる。握手だなんて、さすがに違う世界の住人達だなと変なところで感心する。
男たちは大体、二十代前半から後半くらいにみえる。誰も彼もピシリと決まった装いをして、自信と誇りを鎧として身にまとっていた。少し観察すると、男たちもそれぞれがお互いを意識しているようだった。どうやら、祥子をめぐってのライバル同士とでもいったところで、優の言っていたことは事実だったのだと理解する。
彼らはみな、祐麒に話しかけながらも、頭からつま先まで観察するかのように目線を動かす。あからさまなものはなかったが、それでも祐麒は彼らの意思を感じ取った。不審そうな目、疑念の視線、うさんくさい人間でも見るような目をする者とさまざまだが、共通していえることは、大なり小なり差はあれど、どれも友好的ではないということだった。祥子が親しそうに接してきたからだろうか。
一通りの挨拶が済むと、男たちはすぐに祐麒のことなど忘れたかのように祥子に話しかける。
その会話の欠片を耳にして。
(――ああ、祐巳の気持ちも分かるなぁ)
と、祐麒はしみじみと思った。
この夏、祥子の別荘滞在中にちょっとしたことから交流したお嬢様方の会話を聞いて、どこか異星人の言葉でも聞いているのかと思ったという気持ち。自家用クルーザーでどうしただの、自宅にオーケストラを招いて音楽会を開いただの、いったいどこのどなた様方なのだろうかと唖然とする。
自分は本当にここにいていいのだろうかと、不思議な気持ちになってくる。
「――祐麒くんは夏休みとか、いつもはどのように過ごすんだい?」
不意に、話がふられた。
彼らとて、大人だ。そうそう祐麒を無視し続けるというような大人気ないことはしないのだろうが、ここまでくると、祐麒としたらむしろ、あえて無視して欲しい気分だった。
「そうですね、いつもは山梨にいる祖母の家に行くことが多いです」
見栄を張ってもしようがないので、素直に答える。もっとも、見栄を張ろうにも張れる材料がどこにもないのだけれど。
「なるほど。いや、いいねえ、のどかに田舎を満喫できそうで」
遠まわしに皮肉を言われたようだ。しかし、それも事実なので反論はしない。山梨がすべて田舎というわけではないが、確かに、祖母の住んでいる場所は山梨の中でも田舎の方だった。
ところがここで、思いがけずに援軍が現れた。
「本当、私も一度行ってみたいわ、祐麒さんのお祖母さまのお家」
「え……」
祥子だった。
「祐麒さんのお祖母さまだったら、さぞかし素敵な方でしょうね」
言いながら、優しい表情で祐麒の方を見る。
「そんな、どこにでもいる普通のお婆ちゃんですよ」
「そう?ふふ、機会があったら是非、お会いしたいわ」
祥子の様子を見て、男たちの態度が変化する。それまで、自分たちがどんな話をしようとも、祥子がそのような表情を見せることはなかったからだ。
「そうだ、祥子さん。実は今度我が家に……」
話題を変えるかのように、横から割り込んでくる眼鏡の青年。
それからしばらく、男たちが話しては祥子が祐麒に話をふるという、奇妙な会話が続けられる。
(やれやれ、これじゃあ祥子さんも疲れるわけだよな)
周囲の男性に如才なく、それでいて隙も見せずに応対する祥子の麗しい姿を見つめながら、祐麒自信もこの先のことを考え内心では重く息をつく。
それでも。
時折向けられる祥子の視線に、頑張ろうと思うのであった。
小笠原家のパーティに参加し、祥子を含む集団と一緒になってからどれくらい、経っただろうか。三十分から一時間の間くらいか。軽く食べ物をつまんだり、飲んだりしながらの会話はいまだにダラダラと続いている。よくも飽きずに続けるなと、祐麒などは内心思っていたのだが、他の男は祥子の気を惹こうと一生懸命のようだった。
(しかし、まずいな……)
少し、視界が揺れ始めていた。
男たちに勧められて口にしたアルコールが体内に回っているようだった。祥子は止めようとしていたが、『ちょっとくらい羽目をはずしたっていいだろう』という男たちの言葉によって遮られた。祐麒としても、相手の魂胆はなんとなく見えていたけれど、そこで簡単に引き下がるほど弱い性格ではなく、カクテルに満たされたグラスを何杯か傾けた。お酒の良し悪しなどは分からないが、それでも口当たりもよくとても美味しいということだけは理解できた。
(うー、……なんだこれ、気持ち悪い……)
何がいけなかったのか、悪酔いしたようである。今まで、自宅で父親に勧められて軽くお酒を飲んだことは何回かあったが、その時はちょっと体が熱くなったけれど、調子が悪くなったり気分が悪くなったりはしなかった。乗せられて飲みすぎたのか。
(だけど、ここで気持ち悪いから、なんて言い出したら、本当に何しに来たかわからないしなぁ……)
今までだって、優が言っていたような役には立っていないような気がしている。だから、我慢しようと思ったのだが。
「大丈夫かい、祐麒くん?顔色が悪いようだけれど」
「本当だ。ちょっとどこかで休んだほうがいいんじゃないか?」
男たちが、声をかけてくる。本当に心配しているのだか、分かっていて言っているのか、どちらだかもよく分からない。
「いや、これくらい……」
と、断ろうとしたが。
「本当、祐麒さん、真っ青よ。気分が優れないのかしら?無理せずに休んだ方がいいわ」
祥子も心配そうに祐麒の顔を覗き込んでくる。
「祥子さんもそう言っているし、休んだ方がいい。それに、ここで無理を言っても、そんな顔で居続けたら祥子さんに迷惑だぞ」
「……く」
正論なだけに、言い返せなかった。
このまま引き下がってしまっては、優から任された役割を果たせなくなってしまう。だからといって居残っていても、心配をかけるだけ。そうこうしているうちに、目の前にいる男性たちが動き出す。
「さ、どこか部屋でも借りて。おおい、セバスチャン―――」
そう、男のうちの一人が手を上げて執事の一人を呼びかけたところ。
「その必要はありません」
涼やかな声が耳に心地よく響く。
皆がいっせいに、声の主の方を振り返る。
何対もの視線を受けながら、
「私が、祐麒さんをお連れするわ」
祥子は何でもないことのように、さらりと言い切った
「――え?」
ざわめきが上がる。
男たちは皆、驚きの目で見ている。
「で、でも、祥子さん自らがそんな……」
「そうですよ、こういうことは使用人に任せておけば」
どうにか思いとどまらせようと反論する男たちに対し、物腰は柔らかくも、毅然とした態度で答える祥子。
「祐麒さんは、優さんの代わりに来ていただいた大切なお客様ですもの。それを使用人に任せるなんて失礼なことできません。皆様方には大変申し訳ありませんが、私はこの辺で席を外させていただきます」
優雅に頭を下げる。
顔を上げた祥子は、今度は祐麒へと向き直り、手を出してくる。
「さあ、祐麒さん、こちらへ」
「は、はい」
気分が悪いこともつかの間忘れて、祐麒は祥子に先導されて小笠原家の中へと足を踏み入れていった。
後には、呆然とした表情の男が数人、庭に取り残されたのであった。
小笠原家の客用個室のベッドの上で横になっている祐麒。
大げさにも小笠原家お抱えの医師まで登場して診断されたが、その結果はといえば当然のごとく、『飲みすぎによる悪酔いですな。急性アルコール中毒というほどでもないですし、しばらく安静にしていればよくなりますよ』といったもの。正直、祐麒としては格好悪いやら情けないやらで、涙が出そうになる。
祥子は、そんな祐麒が寝ているベッドのすぐ側で椅子に腰掛けていた。パーティに参加していたときのドレス姿のまま、医師が診療している間もずっと付き添っていたのだ。
「ホント、申し訳ありません、ご迷惑おかけしちゃって。柏木先輩に言われてやってきたのに、意味無いですね、俺」
天井を見上げる。祥子の顔を見ることはできなかった。
しかし。
「そんなこと、ないわ」
不意に祥子の顔が視界に入ってきて、どきりとする。祥子がベッドの上に身を乗り出して、祐麒のことを見下ろしているのだ。
パーティの熱気がまだ冷めやらないのか、白皙の肌にはほんのりと朱が浮かんでみえた。
「あの人たちにはいつもうんざりさせられているのよ。だけど、父の大切なご友人や知り合いだから無碍にすることも出来なくて。でも今日は祐麒さんがいてくれたから、随分と気が楽だったわ。今日も、ちょっと疲れていたんだけれど、こうして休むことができたし」
少し悪戯っぽく笑う顔は、どこか子供らしさを漂わせているように見えて新鮮だった。こんな表情もするのだなと思うと、なぜか少し嬉しい気持ちになる。
「じゃあ、俺も少しは役に立ったんですかね」
「もちろんよ。むしろ私の方こそ御免なさい。あんな場にいて、祐麒さんには不愉快な思いをさせてしまったでしょう?」
最初からそれは覚悟していましたから――とも言うわけにもいかず、祐麒は気分が悪いながらも気丈に笑った。
「そんなことないですよ。聞いたことないような話ばかりで、面白くて飽きなかったですし。それに」
「それに?」
「祥子さんと一緒に居られたから、不愉快になんかなるわけないじゃないですか」
「――――っ?!」
これは勿論、酔っていたからこそ言えた台詞であった。素面であったならば、とてもじゃないが女性に対してこのようなことを真正面から言える性格ではない。
一瞬、祥子の表情が固まる。
わずかに、いつもより大きく目を見開き、ベッドに横たわる祐麒のことを黒真珠のような瞳に映していた。
残念ながら、目を閉じていた祐麒にそのときの表情は見えず、ただ沈黙だけが二人の間に横たわる。
「――もう、祐麒さんたら、酔っているの?」
しばらくして、ようやく祥子は口を開いた。
きゅっとシーツを握り締めていた手の力を緩め、流れるような長い髪の毛を左手でおさえながら、祥子は仰向けに寝ている祐麒の顔を覗きこむ。指からこぼれた髪の毛が何本か、祐麒の頬をくすぐる。
祥子は優しい瞳で、祐麒のことを見ていた。
「ゆっくり、休んで」
小さいけれど、それでも脳によく響く美しい声を残して、祥子は部屋を出て行った。
後には、柑橘系のような香りがほのかに残り、眠りの世界に落ちていく祐麒の鼻腔をくすぐるのであった。