クリスマスパーティの前週である今日、私と祐麒さんは『月の子学園』を訪れることになっていた。パーティ当日にいきなり訪問するのもどうかということで、事前に交流を深めておこう、仲良くなっておこう、というのが狙いである。
学園の先生に電話をしてその旨を伝えると、思っていた以上に喜んで出迎えてくれた。どうやら、この手の仕事ではいつも人手不足らしい。給料はさほど高くないらしく、それでいて労働はそれなりに厳しいし、休みも取りづらいし、ということでボランティアでのお手伝いなんていつでも大歓迎とのこと。
あまり期待されすぎても、応じられるだけの働きが出来るか分からないので怖いけれど、喜んでくれるなら一生懸命にお手伝いをしようという気もわくもの。
「そんなに気張らず、子供たちと一緒に遊んだり、勉強を教えてくれればいいんですよ」
と、学園の先生には言われたけれど、本当にそれだけなのだろうか。まあ、正規の職員でもないただのボランティアに、必要以上の仕事や責任を持たせられないというのはあるだろう。
祐麒さんと待ち合わせをして学園に到着すると、ちょうど学園の上野先生が出てきて出迎えてくれた。私達の姿を見て、出て来てくれたのかもしれない。
上野先生は四十代くらいの落ち着いた女性で、とても優しそうな人である。この人が先生なら、子供達も安心するだろうなと思えるような。
学園の中は、とても温かい雰囲気のする空間のように、私には感じられた。建物は決して新しくないけれど、きちんと手入れは行き届いているし、汚い所はない。子供達の悪戯の跡や落書きといったものは見られるけれど、それすらも頬がほころんでしまうようなものばかり。
先生に案内されて歩いていると、前方から騒がしい声が聞こえてきた。子供達がいるのだろうと思っていると、曲がり角から数人の子供が元気よく飛び出してきて、私達の間をすり抜けるようにして駆け抜けて行った。
少し驚いてぼーっとしていると。
「こら、お前ら逃げるなっ!」
新たな声が曲がり角から聞こえてきて、同じように飛び出してきた。
「おまえらっ……うわっ、と!」
飛び出してきた人は私にぶつかりそうになって、慌ててブレーキをかけた。バランスを崩したけれど、どうにか体勢を立て直す。
中学生くらいだろうか、まだ少し幼い顔立ちに、気の強そうな太い眉がちょっとアンバランスな男の子。
「あ、あぶねーな、ぼーっとしてんなよっ!」
「ご、ごめんなさい」
いきなり強い口調で怒られて、思わず謝ってしまう。だけど、怒ったような表情と口調のわりには少し高めの声で、怖さのようなものは感じなかった。声変わりしていない男の子の声なんだなと、なんとなく思う。
「こら壮太、あなたが走って飛び出してきたのに、なんですかその口のきき方は。あなたの方が謝るべきでしょう」
「えっ? あ、先生……って」
壮太君と呼ばれた男の子は、上野先生に言われてようやく私達に気がつく。おそらく、誰か学園の人間だと思って先ほどのようなことを言ってしまったのだろう。それが、相手が学園の人間ではないことに気がついてか、みるみる顔色が変わる。
「あっ……え、て、あのっ……」
自分の行為を恥しく思っているのだろう、あっという間に顔が真っ赤になった。きっと、根は素直で凄く良い子なのだろう。
「あの、先生、えぇと」
落ち着かない様子で、上野先生と私を交互に見る。
「この前お話したでしょう、ボランティアで来てくださる、藤堂さんと福沢さん。ほら、挨拶なさい」
「え……あ、ど、どうも」
「どうも、じゃないでしょう。挨拶もきちんとできないのかしら、壮太は?」
「あ、ああ、俺、矢内壮太ですっ。いきなり、すみませんでしたっ」
真っ赤な顔をしたまま、壮太君は腰を直角に曲げて深々と頭を下げてきた。そこまで気にすることではないと思うし、壮太君のそんな言動がなんだか少しおかしくて、私はそれら諸々の意味も込めて軽く笑ってしまった。
すると、壮太君はますます茹だったように赤くなってしまった。ひょっとしたら、笑ったことで馬鹿にされたとでも思わせてしまっただろうか。
「こらーっ、そうた、どうしたーっ?」
「あれっ、そうたタコみたいだぞっ」
後ろの方から、先ほど駆けて行った子供達が姿を現し、追いかけてこない壮太に向けて声を投げつける。
「あっ、お前ら、そうだ待ちやがれ!」
「わーっ、そうたが来たっ!?」
再び逃げ出す小さな子供達を追いかけて駆けだす壮太君。もしかしたら、私達の前にいることが、バツが悪かったのかもしれない。壮太君はちらりと私の方を見て、目があうと慌てたように顔の向きを戻して走っていってしまった。
「ごめんなさいね、あれでも男の子の中では一番年上なんだけど、やんちゃが抜けきらなくて」
「いえ、みんな、仲が良さそうで、活気があって、楽しそうです」
これは本当のことだ。小学生くらいの小さな子達と、中学生の壮太君が友達同士のように接しているのを見ると、皆の仲が良いのだなと感じる。
「そうですよね、祐麒さん」
と、祐麒さんの方にも尋ねてみると。
「え? ……あ、うん、そうですね」
「――?」
なぜか、少し怖そうな表情をして廊下の先に視線を送っていた。
「あの、どうかしたんですか?」
「え、何がですか?」
次の瞬間には、いつも通りの祐麒さんに戻っていた。
今、私が見た祐麒さんはなんだったのだろうか。
不思議に思ったけれど。
「さ、行きましょうか」
上野先生に促されて、曖昧なままに私達は歩き出した。
矢内壮太君は中学三年生で、学園の中では最上級生になる。小さい頃は学園に来ることとなった家庭の事情などもあり、引っ込み思案だったらしいけれど、先生達や上級生の指導、また自分より小さい子達と関わっているうちに随分と変わったとのこと。
「あ、ごめんなさい、ちょっとお手洗いに寄っていくので、先にそちらの居間に入っていてくださる。ソファに座っていてちょうだい」
上野先生の言葉通りに、私達は先に居間に向かった。食堂と続きになっている居間は、カーペットの上にソファやクッション、ローテーブルなどが置かれていて、子供用のおもちゃなども転がっている温かみのある空間だった。
「へえ、こんな感じになっているんだ」
そんな風に呟きながら、まず、祐麒さんが中に足を踏み入れると。
「ちょっと壮太、どこ行ってたのよ、あんたも手伝いなさいよっ!」
突然、女の子の叱咤の声が室内に響いて、私も祐麒さんも立ちすくんでしまった。
声のした方を見てみれば、一人の女の子が脚立の上に立って窓に向かっていた。どうやら、掃除をしているようだ。
「何、ぼーっとしているのよ、あんたサボってばっかだと他の子達への」
言いながら首を捻り、こちらに顔を向ける女の子。
ちょっと吊り目がちで、勝気な感じの女の子で、年頃的にはきっと壮太君と同じくらいだろう。
「示しがつかな……って、え、あれっ……わ、あわっ」
怒鳴りつけた相手が壮太君ではない、見ず知らずの私達であることに気がついたのだろう、驚いたように目を見開いた女の子は、脚立の上で体のバランスを崩した。ふらふらと体が揺れ、どうにか体勢を戻そうと腕を振る。
「あ、危ないっ」
私は思わず、両手で口元を抑えた。
さほど高くないとはいえ、後頭部から落ちたら大きな怪我をしないとも限らない。どうしようと、動けない私の隣で、祐麒さんが風のように飛び出した。
女の子は姿勢を立て直すことができず、背中からゆっくりと落ちて行こうとする。祐麒さんが駆け付ける。
そして。
「きゃあっ!?」
「うおっと、危ない、セーフっ」
脚立の下に駆けこんだ祐麒さんが、落ちてきた女の子を見事に抱きとめた。
「大丈夫ですか、祐麒さん?」
遅ればせながら、私も祐麒さんと女の子の元へと向かう。
「ええ、なんとか。えっと、大丈夫ですか?」
祐麒さんが、助けた女の子に声をかけるが。
「……祐麒さん。あの、どこを触っているんですか?」
「へっ?」
近づいた私の目は、一点に集中していた。
女の子を背中から抱きしめる格好となっている祐麒さんの右手が、女の子の左胸を掴んでいたから。
「え、うわっ、いやっ!」
「ぎゃああああっ!?」
「へぶっ!?」
女の子がじたばたと暴れ、肘が祐麒さんの顎を直撃した。
「いやっ、何、えっ?」
女の子が自分の胸を腕で隠すようにして、祐麒さんの方を振り向く。見るからに、混乱しているのが良く分かる。
「ご、ごめん、わざとじゃないんだよっ。助けようとして、その流れでっ」
顎を手でさすりながら、女の子に向かって謝る祐麒さん。
そこに、上野先生がやってきた。
「あらどうしたの、和葉ちゃん」
和葉ちゃんと呼ばれた女の子は、上野先生を見て、次いですぐ横にいた祐麒さんを見て、うろたえている。
「ああそうそう、こちら前に話した、今度のクリスマスにお手伝いをしてくれる藤堂さんと福沢さんよ。ちゃんと挨拶しなさいね」
「えっ……こ、この人がっ?」
驚いて目を丸くする和葉ちゃんだったけれど。
次の瞬間、祐麒さんを見て顔を赤くして、続けて自分の姿を確認するかのように顔を下に向けて。
「うあああああっ!! あたしジャージじゃんっ!?」
悲鳴を上げたかと思うと、更に真っ赤になって、凄まじい勢いで居間から走り出て行ってしまった。
確かに、和葉ちゃんは小豆色のジャージを着ていたけれど、それは掃除をしていたから汚れても良い格好をしていたのだろう。まあ、それでもやっぱり女の子としては、家の中とはいえ他の人にジャージ姿を見られるのは恥しいだろうから、気持ちは分かる。特に、異性である祐麒さんに見られたくはなかったのだろう。
「えっと、今のは天音和葉ちゃん。中学二年生で、女の子の中では一番上の子ね。壮太君を入れても、うちの中じゃあ一番のしっかり者なんだけど、どうしたのかしら」
経緯を知らない上野先生は、首を傾げていた。
ソファに座っていると、居間の入り口から小さな子たちが何人か、興味津津といった感じで目を光らせて私たちの方を見てくるのが、なんだか可愛らしかった。私がにっこりと微笑んで見せると、びっくりしたように首をひっこめるが、またすぐに顔を出してくる。
「みんな、そんなところで隠れて見ていたら失礼よ。こちらにいらっしゃい」
上野先生に声をかけられると、ゆっくりと中に入ってくる子供達。幼稚園から小学校低学年くらいだろうか、男の子が二人に女の子が三人、近づいてくる。
上野先生が順々に紹介してくれるけれど、果たして全員の名前と顔をきちんと覚えられるだろうか。間違えてしまったら大変に失礼だし、ここは頑張って覚えようと気合いを入れる。
「どうぞ」
知佳ちゃんという女の子の相手をしていると、素っ気ない声とともにお茶が出された。顔をあげると、先ほどの和葉ちゃんがお盆を持ってきていた。
ジャージから普段着に着替えた和葉ちゃんは、オフホワイトのセーターにジーンズという格好で、髪の毛をゴムでサイドにまとめていた。
「どうもありがとう」
お礼を返すと、なぜかたじろぐような和葉ちゃん。何か気に障るようなことでもしただろうかと見返すと、どこか気まずそうに顔をそらせる。
続いて和葉ちゃんは、祐麒さんの前にお茶を置いたけど、私の時と比べて随分と荒々しく、音も大きく立てて、お茶が跳ねんばかりの勢いだった。
「……どーぞっ」
「どうもありがとう」
祐麒さんが頭を下げる。
和葉ちゃんは、何か言いたそうに祐麒さんのことを見ている。
「……えと、何か?」
ちらちら見られていることに気がついて、祐麒さんが和葉ちゃんに向かって尋ねると。
「べ、別にっ。ただ、その、さっきは助けてもらったから、一応お礼を言っておこうと思って。あ、ありがと」
「いや、それより体の方は何ともない? 大丈夫だった?」
つんけんしながらお礼を言う和葉ちゃんに、祐麒さんは優しく笑ってみせる。
「だっ、大丈夫、だけど。でも、助けてくれたのと、その後ので、チャラなんだからねっ」
「その後のって」
「だっ、から」
自分で言っておきながら真っ赤になり、空になったお盆を胸の前で抱きしめる和葉ちゃん。そんな和葉ちゃんの姿を見て、祐麒さんも何かを思い出したのか僅かに頬を赤くする。
「あー、ええと、本当にごめん」
ぺこりと、頭を下げる祐麒さん。
すると。
「ふ、ふんっ!」
頬を膨らませ、和葉ちゃんは居間を出て行ってしまった。
去っていく和葉ちゃんの背中を見ながら、私に向けて祐麒さんは苦笑いを見せる。
「うーん、しまったなぁ、いきなり嫌われちゃったかな」
「……そんなこと、ないと思いますけど」
「え?」
「別に和葉ちゃん、祐麒さんのこと嫌いになんかなっていないと思いますけど」
「そ、そう、かな…………えぇと、ていうか藤堂さん、何か怒ってます?」
少し怯えた様な顔をする祐麒さん。
言われて、私もなぜか言葉が刺々しくなって、気分も少しささくれだっていることに気がついた。
「えっ……いえ、別にそんな、ことは」
うろたえる。
なんでだろう、無意識に、祐麒さんに対してそんな態度を取ってしまっていた。
ただ、和葉ちゃんが祐麒さんのことを嫌っているわけではないことは、分かる。先ほどの態度は、どちらかというと照れ隠しのものである。表面的な部分だけを見てしまうと、祐麒さんのように思ってしまうのは仕方ないかもしれないが。
とにかく、祐麒さんが何か悪いことをしているわけでもないのに、嫌な態度をしてしまった私の方が悪いのだろう。理性では理解しているのだけれども、気持ちとしては素直に悪いと認められない自分もいるような気がして。
「お姉ちゃん、怒っているの?」
「えっ?」
小学生の雪絵ちゃんが、下からつぶらな瞳で見上げてきていて、私は心配かけないように笑った。
「怒ってなんかいないわよ? 怒る理由なんてないもの」
「ふーん」
そう、理由なんてないのに、なんで祐麒さんも雪絵ちゃんも、怒っているなんて言うのだろう。
この後、何人かの子供達と少しお話などをして、パーティの話をして、学園を出た。
上野先生と子供達に見送られ、駅に向かって歩き出す。
長時間の滞在ではなかったけれど、それなりに学園の人たちとは交流出来たと思う。子供達も良い子が多いみたいで、心配するような事はなさそうだった。先生や、上級生たちがしっかりしているからだろう。まだ会っていない子供もいるけれど、パーティに関しては大きな不安を抱えることはなさそうだった。
「温かい感じの所でしたね」
「そうですね、実は少しばかり不安があったんですけど、なんとかうまくやれそうな気がしましたよ」
ほっとしたように表情を緩める祐麒さん。
子供達と仲良くするのは慣れている、なんていうようなことを言っていたけれど、やっぱり不安に思っているところもあったんだなと、不謹慎だけどちょっと親近感を受けて嬉しくなる。
「皆で楽しくなれる、そんなパーティにしたいですね」
祐麒さんに言われて、心から私も同意する。
今日の訪問で、むしろ私達の方が楽しませてもらえるんじゃないかと思ってしまうくらいだけど。
来週に向けて、一つの不安は取り除けたけれど、全てが大丈夫だというわけではない。
まだ準備しないといけないことはあるし、実際に当日、祐麒さんが言ったように楽しくなるだろうかという不安はどうしたって残る。
当日のことなんてわからないけれど、きっと大丈夫だと思いたい。
「パーティの前に、上野先生や和葉ちゃんたちとは、また打ち合わせをしておいた方がいいかもしれませんね」
「……え、どうしてですか」
「ああほら、先生や、上級生の子達とは当日何をするか、意識を合わせといたほうがスムーズに進みそうじゃないですか。全員を楽しませるのはもちろんだけど、俺達だけで全てをっていうのはどうしても無理があるだろうし、手伝ってもらった方がいい部分はあると思うんですよ」
「それならどうして和葉ちゃんなんですか? 一番上の子は、壮太君ですよ」
「上野先生が、和葉ちゃんが一番しっかりしているって言っていたから」
「だからって、壮太君を外したら、壮太君に失礼だと思います」
「もちろん、壮太君も協力をしてもらうつもりですけど……藤堂さんは、そんなに壮太君を推すんですか?」
「推すとか推さないとか、そういうことじゃなくて、ただ普通に考えてそう思っただけです」
「そう、ですか」
なんだか、言葉を重ねるごとに、私も祐麒さんも刺々しくなっているような気がした。そんな風にしたくなどないのに、口をついて出る声が、自然とそうなってしまうのだ。自分自身で制御できずに。
「……ともかく、俺達自身、当日の予定と準備をまずしっかりしましょうか」
祐麒さんも変な空気を感じ取ったのだろう、気を取り直すように、少し明るい感じの声で言った。
それなのに私は。
「……はい」
返事そのものは素直にしたけれど。
頭の中ではなぜか全く関係ないはずの、祐麒さんが和葉ちゃんを助けたシーンが再生されて。
軽く頬を膨らませてしまったのであった。