リリアンにおける初日はどうにか終えることが出来たものの、最初から道を間違えて遅刻しそうになるわ、変な上級生が上から落ちてきて下敷きになるわ、クラス委員に選ばれるわと様々なことがあり、肉体的というよりも精神的に結構な疲労が多かった。周囲が女性ばかりという緊張感もあったし、半日の学園生活だったにも関わらず、家に帰って部屋でちょっと横になったつもりが、気が付いたら夕方になっていた。
「……しまった。なんか凄い時間を無駄にした気分だ」
中途半端に昼寝をしたせいか、頭がぼーっとして気分が冴えない。かといって、今からまた寝てしまうという時間でもない。仕方なく祐麒は立ち上がり、とりあえず目を覚ますためにまずは顔でも洗うかと階段を下りて洗面所に向かう。
一階に着き、のろのろ歩き、欠伸を噛み殺しながら無造作に洗面所の扉を開けると、そこにはバスタオルで裸身を包んだだけの女性が立っていた。シャワーを浴びたばかりなのか、背中に流れる髪の毛はしっとりと濡れ、頬は上気して桜色に染まっている。バスタオルに隠されてはいるが、はみ出して見える胸の膨らみ、腰の曲線は女性らしさを遺憾なく見せつけており、男性の目を引き付けるに足るだけのものを持っていた。
「――――ご、ごめんっ!!」
しばし硬直していた祐麒だったが、慌てて体をくるりと反転させて扉を閉めた。一気に目が覚める。
そうだった、寝ぼけた頭で彼女がいることを失念していた。
こんな初歩的なミスをするなんて――
「もう。いきなり祐ちゃんが入ってきてびっくりしちゃったわ」
「ご、ごめん。その、直前まで昼寝していてぼーっとしていたんだ。でも、だからってわけじゃないけれど、殆ど見ていないからっ」
リビングのソファに腰を下ろし、頭を下げる。
そんな祐麒を見下ろす瞳は、あくまで優しげ。
「あら、どうして謝るの? 別に怒ってなんかいないわよ。ただ、一緒にお風呂に入りたいならちゃんと言っておいてくれれば驚かなかったし、祐ちゃんが起きるまで待っていたのに」
風呂上がりで艶の良い肌の上からシャツとクロップドパンツの格好に着替えているものの、まだ火照っているのか大きく開いている胸元が眩しい。
「い、一緒になんて、入るわけないだろっ」
そう言うと、彼女は歩いてきて祐麒の隣に座って顔を覗き込んできた。
「どうして? 祐ちゃんが小さい頃は私がよくお風呂に入れてあげたのに。体中、洗ってあげていたのよ?」
「うあああああっ!? ちょ、そ、そういうこと言うの反則だろっ!!?」
真っ赤になってバタバタと慌てる。
言葉にされたことは真実かもしれないが、そんな小学生とかの小さい頃の話を出してくるのはずるい。
「そんなに恥ずかしがっちゃって、可愛いんだから祐ちゃんは」
くすくすと笑いながら、指で頬をつついてくる。
「や、やめてくれよ。もう子供じゃないんだからさ……真紀ちゃん」
隣で身を寄せているのは鹿取真紀。そう、今日からクラス担任となった彼女である。
実は真紀、祐麒とは遠い親戚にあたるのだ。盆や正月にはよく互いの家に遊びに行き、ずっと年上の真紀に祐麒は懐き、そんな祐麒を真紀も可愛がってくれていた。お風呂に一緒に入っていたというのも祐麒が小学生の頃、確か真紀は大学生とかそれくらいだったはずで、男女とかあまり意識していなかった頃だ。
その真紀がなぜ、祐麒の家にいるかといえば。
実は祐麒の父親がこの春から海外での仕事が始まり、家族ともども現地に行ってしまっていた。祐麒も、環境を変えるために一緒に行くという選択肢もあったのだが、むしろ家族とも離れて一人静かに過ごしたいという気持ちが勝り、残ることにしたのだ。
ところがそれを心配した母親が、一人暮らしをしていて賃貸マンションの更新時期がちょうどやってきていた真紀に相談、息子を一人で残すのが心配だから家で面倒を見てくれないかなんて話をしたところ、真紀はすぐに頷いたというわけだ。何せ、家賃がかからないのだから、真紀としても願ったりである。
そんなわけで、この春休みから始まるはずだった一人暮らしは、真紀との同居という形で開始されたのである。
「大体、今になって一緒に風呂に入ったり、そんな……洗ったりなんか、やばいだろ」
「私は別に構わないわよ?」
真紀にとっては、いつまでたっても小さな男の子でしかないのかもしれないが、祐麒は既に高校生、男女関係のなんたるかだって、知識は頭の中にある。三十路を迎えたとはいえ真紀は今でも綺麗なお姉さんであり、一緒にお風呂になんて入れるわけがない。
「彼氏とか怒らないの? 俺と一緒に住んでいて」
「どうして? 親戚の男の子で、高校生じゃない。それくらいで怒るような小さい男だったら、こっちからお断りよ」
ひらひらと手を振りながら言う真紀。
「そんなこと言って、振られて婚期逃しても知らないからね。真紀ちゃんだって、もう30歳でしょ?」
余裕を見せる真紀に、せめてもの反撃を見せる祐麒であったが、真紀は堪える様子もなく微笑んでいる。
「それなら大丈夫。だって、祐ちゃんがお嫁さんにしてくれるんでしょう?」
「なっ……!?」
「散々言ってくれていたじゃない、大きくなったら真紀ちゃんと結婚する、真紀ちゃんをお嫁さんにするんだって、親戚中の皆や近所の人にも」
「そ、そんなの、子供の頃の話でしょ!?」
「あら、子供の頃の約束は無効なの? そんな気持ちで祐ちゃんは言っていたの?」
「そ……そりゃ、その頃は本気だったけどさ」
小さいころには良くある話ではないか、誰それのお嫁さんになるのだとか、誰しも一度くらいは口にしたことがあるだろう。それを今になって持ち出すのはずるい。からかわれているとは分かっていても、相手の真紀は初恋の相手なのだから。
「私、生まれて初めてされたプロポーズなんだから」
「だ、だから……そんなこと言って、今俺が真紀ちゃんに告白したら、今付き合っている彼氏と別れてくれるの?」
「本気で祐ちゃんが私をお嫁さんにしてくれる気で告白してきてくれたら、OKしちゃうかも?」
最後の反撃のつもりで口にしたことも、あっさりと迎撃されて打ち返されてしまった。
「そ……それより、なんで担任だってこと前もって教えてくれなかったのさ?」
仕方なく、無理矢理に話を変えることにした。
「ああ、サプライズよ。驚いたでしょう……そうそう、祐ちゃんってば今日私のこと『真紀ちゃん』って呼びそうになったでしょ?」
くすくすと笑う真紀。
「びっくりしたし、クラス委員とか押し付け来られて……そうだ、ずるいよ真紀ちゃん、あれ、真紀ちゃんも俺にクラス委員押し付けようとしたでしょ?」
「あ、ばれちゃってた?」
「酷いよ、あれじゃ拒否できない空気だったし」
「私というより小林くんたちだったと思うけれど……でも、私も祐ちゃんがやってくれた方が助かるのよ。男子クラスを受け持つとかプレッシャーだから、良く知っている祐ちゃんが男子委員だと、困った時も色々と訊きやすいし、助けてくれるし」
頼られると、なんだかんだと悪い気がしないのは男の性というものか。それでも、なるべく重々しく見せるよう心掛ける。
「だけど、あんまり親しげにしたら駄目でしょ。こんな風に、いくら親戚とはいえ教師と生徒が一緒に暮らしているとか、知られたらまずいんじゃないの?」
「そうよね、引っ越しの際に住所は実家に戻しちゃったし、傍から見たら祐ちゃんの家に同棲している風にしか見えないものね」
「そうでしょ……って、え、なんでそんなことになってるの!?」
「祐ちゃんが今言ったじゃない。親戚とはいえ、教師と生徒、しかも男女が二人だけで一緒に暮らすとか、上の人に知られたら許してくれるわけないじゃない」
「いやいやいや、そういう問題? なんでそんな危険まで冒して、ここにいるのさ」
「何よ、祐ちゃんは私がいるの、嫌なの?」
「そうじゃなくて、だから」
「実家から通うのは遠いし嫌だし。ここなら家賃もかからないし、祐ちゃんも一緒だから寂しくないし。やっぱり一人暮らしより、こうして誰かいる方が嬉しいわ。あと、祐ちゃんを一人にしたら心配だし。食事とか、洗濯とか掃除とか、あと……女の子を連れ込んでエッチなことをしないかとか」
「真紀ちゃんはいいの?」
「あら、私も女の子扱いしてくれるの? 嬉しいなぁ。私はほら、小さいころに祐ちゃんと一緒にお風呂でお……」
「だから、それはもういいからっ!!」
真紀は、見た目しっとりとした大人の女性である。少し茶色の入った髪の毛は軽くウェイブして背中にかかり、目は心もち垂れているかどうかというくらいで、それが優しい感じを醸し出している。
学園内における真紀は、生徒からも慕われているようで、そこそこ気さくに話すことが出来る先生という立ち位置のようだが、こうして祐麒と一緒に家にいるときはなかなか大胆かつ放埓な感じであり、昔に戻ったような感覚を思い出させる。それだけ祐麒には気を許しているのだろうし、自分にだけ見せる姿というのは嬉しいものでもあるのだが、ここまであけすけだと祐麒自身の精神というか、自制心というか、そういった諸々のことが不安にはなるのだ。
「さて、それじゃあ、そろそろお夕飯の食事をするから。今日は、祐ちゃんの入学を祝ってご馳走にするからね」
言葉通り、夕食としてテーブルに並べられたものはなかなか豪華だった、というよりも、子供の頃から祐麒が好きだったおかずが並べられていた。
「お祝いの席だし、お酒飲んでもいいわよね?」
「それって、単に真紀ちゃんが飲みたいってだけじゃないの?」
「もう、それは言いっこなし。ほら、祐ちゃんも飲んでいいから」
そういう問題ではないだろうと思うが、嬉々としてワインを持ち出した真紀をとがめる気にもなれず、そもそも相手は大人で祐麒がどうこう口にする権利などないのだ。未成年である祐麒に飲ませようとするのは、教師としてどうかとも思うが。
「いいじゃない、私と祐ちゃんの仲なんだし。一人で飲んでもつまらないし」
押し切られ、結局ワインを一緒に飲むことになった。口当たりの良いワインで、祐麒でもさらりと流し込むことが出来る。
「うーん、美味しい。やっぱり仕事をした後のお酒は格別よね。ふふ、それじゃあ祐ちゃん、これからもよろしくね」
「はいはい」
既に口にしてはいたものの、改めてグラスをあわせて乾杯する。
こうして、真紀との奇妙な同居生活は進んでいくのだが。
翌朝。
頭痛と共に目が覚める。
記憶に残っているのは、真紀と共にワインを飲んでいたところまで。どうやら飲みやすさが災いして許容量以上を飲んでしまい、飲みつぶれて記憶を失ってしまったようだ。ベッドの上にいるのは、本能的に自力で戻ってきたのか、それとも真紀が運んできてくれたのかのどちらかだろう。
「今日も学校あるんだよな……」
大失敗だと思い、痛む頭を堪えて起き上がろうとして気が付く。
「――――真紀ちゃん!?」
妙に体が重いと思ったら、アルコールのせいではなく、真紀が抱き着いて眠っているからだった。一応、寝間着としてシャツを着てはいるものの薄手であり、前ボタンが2つくらいしか留まっていないので胸の谷間と膨らみがよく見える。下はショーツ一枚で、生の足が祐麒の足に絡み付いてきており、すべすべとした肌ともっちりとした肉感が直に伝わってきている。
「ちょ、真紀ちゃん、なんでここにっ!?」
空いている方の手で肩を掴んでゆすると、ゆるゆると瞼が開いていく。
「う……ん……祐ちゃん……? おはよ……」
「真紀ちゃん、ちょっと退いて、起きられないんだけど」
「ん…………うん……」
よいしょ、という感じで両肘をベッドについて上半身を持ち上げようとする真紀。
「ちょちょちょっ、待って、それじゃあ、見えちゃうからっ!!」
ボタンが僅かにしか留まっていないシャツは祐麒のもので真紀にはゆるゆる、その状況で今の体勢をされるとシャツの下の胸が見えてしまいそうになる。重力に引かれて迫力を増したバスト、その先端までが視界にとらえられそうになり、慌てて祐麒は隠そうと真紀のシャツに手を伸ばしたところ、そのまま胸を掴んでしまった。なかなかボリュームのあるバストは大学生時代から知っていたが、こうして手で触れるのは初めてだった。手のひらにかかる重みと柔らかさに思考がストップする。
「やん……もう、祐ちゃんったら、本当におっぱいが好きなんだから。お風呂に入るといつも、ぺたぺた触ってきたわよね」
「そそっ、それは、子供の頃の話で、無邪気なスケベ心というかっ」
「そんなこと言って…………あら?」
真紀の視線が下に向けられる。そこは、トランクス一枚の祐麒の下半身であり、股間に真紀の足が触れていた。朝でもあり、こんな状況でもあり、当然のように股間部分は大きく盛り上がっていて、そこに触れている真紀も気がついての視線移動だろう。
慌てて祐麒は誤解をとこうとする。
「真紀ちゃんっ、これは朝の生理現象だから、その、わざとじゃないからっ」
すると真紀は視線を祐麒の顔に戻し、にっこりと微笑んだ。
「うん、大丈夫、祐ちゃん。分かっているから」
「そ、そう。それなら……って、ままま真紀ちゃんっ!?」
真紀の指がトランクスの上からさらりと撫でるように触れてきて、ビクリと反応する。
「大丈夫、お姉ちゃんが気持ちよくしてあげるからね」
「いやいやいやっ、ちょ、嬉しいけど、駄目だって」
手首を掴んで止めようとするが。
「ああ……手じゃ嫌なの? それじゃ、お口でしてあげるから……あ、それともおっぱいでしてあげる方が、嬉しいの?」
手を封じられたのもなんのその、真紀は、知らないうちにパンツ一丁で寝ていた祐麒の胸元に顔を寄せると、チロチロと乳首を舐め出した。
「はうっ!? ちょ、真紀ちゃ……うっ」
「お姉ちゃんに任せて、大丈夫だから……ちゅうっ、ん、気持ちいい? 祐ちゃん」
力が抜けると、再び真紀の手が股間部分に触れてきた。トランクスの上からやわやわと、優しくくすぐるように刺激を与えてくる。
このままでは理性の崩壊も間近、真紀には付き合っている彼氏もいるはずだけれど、そんなことも飛んでしまいそうな今の状況、そして快楽に流されそうになる。
「真紀ちゃ……」
欲望に屈しそうになったその時、携帯の目覚ましタイマーが甲高い音を立てて鳴り響いた。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
突然のことに驚き声を上げ、真紀も体を起こして音の発生源に目を向ける。そして、どこかどんよりと靄のかかっていたような瞳が徐々にクリアになって行く。
やがて。
「…………え、きゃっ、ちょっと祐ちゃん何しているの、エッチーーーー!!!」
悲鳴とともに、真紀のパンチが祐麒の股間に炸裂した。
「――ごめんね、ごめんね、祐ちゃん」
ぺこぺこと謝ってくる真紀に対し、祐麒はげっそりとした表情で頷いて見せる。
「いや、もういいから……ははは」
いまだに痛みの残る股間を手で隠すようにしながら、登校の準備をする。真紀も既に目を覚まして正気に戻っており、通勤仕様のブラウスとスカートを身に付けて化粧もばっちり決めている。
「とりあえず、真紀ちゃんはしばらくお酒は禁止だからね」
「はい……」
しゅん、と項垂れる真紀だが、祐麒も真紀が過度に酔っぱらうとあんなふうになるなんて初めて知った。
親戚の集まりの時もお酒を飲んでいたとは思うが、その時はセーブしていたのか、あるいは祐麒の相手をしていたから抑えていたのか。
いずれにせよ、真紀に飲ませすぎると幾つかの意味で危険だということが今回の一件で分かった。
「でも祐ちゃん、本当に大丈夫? 機能が失われていたりしない?」
「そ、それは大丈夫……だと思うけど」
真紀の拳で撃沈した後は再起動していないので明確なことは言わないが、とりあえず潰されてはいないし大丈夫だろう。
「私のせいでもし祐ちゃんが不能になったりでもしたら……ああ」
「いやいや、大丈夫だって。それより、俺の方が心配だよ」
「あら、何が?」
「真紀ちゃんだって飲み会とかあるでしょ。その度に、もしかしてあんな風になっているのだとしたら」
「そんなこと、ならないわよ」
「言い切れるの? 今回のを見ちゃったから信じらんないな」
「だって今回は相手が祐ちゃんだったからだもの」
安心しきっているということなのだろうが、それは安堵してよいものなのか。
「……まあ、いいや。お酒さえ飲まなければ、大丈夫だろうし」
頭をかき、これ以上言うのはやめることにした。
そんな祐麒の後姿を見ながら、真紀は呟く。
「…………祐ちゃんも、"男の子"から"男の人"になったんだなぁ」
「ん? 何か言った、真紀ちゃん?」
「あ、ううん、なんでもないのよ」
手を振って答える真紀。
その頬がほんのりと赤くなっていることは、化粧によって隠されていたため祐麒には分からなかった。