<後編>
水族館内をあらかた見終えたところで、併設されているカフェに立ち寄って休憩を取ることにした。
お互いにケーキセットを注文し、微妙に緊張しながらのお茶。水族館で魚達を見ている間は比較的自然に話すことが出来たが、こうして改まって向かい合うとどちらともなく硬くなってしまう。
「あの……水族館で、楽しんでいただけましたか?」
「は、はい、もちろんです。とても楽しかったです」
「そうですか、それなら良かったです」
「はい」
「…………」
「…………」
こういう時に何を話したら良いのか分からない。女の子と話すなんて機会、祐巳以外とは殆どないし、その祐巳とだってたいしたことを話しているわけではない。相手は祥子で、どのジャンルに興味を示すのか、そもそも祐麒と話題が合うような部分が存在するのかどうかもあやしい。
もちろん、祥子だって普通の女の子だというのは分かっている。学校で友人ともお喋りくらいするだろうし、祐巳とだって話しているのだ。多少、お嬢様だからといって凄く世間一般から外れていることもないはずだ。
そもそも、生徒会活動の時にだって話くらいしたはずだ。何を話しただろうか。考えるまでもなく学園生活のことだ。学園生活のことであれば、面白味はないかもしれないが無難である。いや、リリアンと花寺では異なるわけで、楽しいような、祥子に楽しんでもらえる話をすればよいのだ。
学園祭の話をしよう。いや、それともこれから先のイベントについて話した方が良いだろうか。
一人、悩んでいるうちにも時間は無情に過ぎていく。とにかく、黙っていてはいけない、何か喋らないとと口を開こうとしたところで祥子に先手を打たれた。
「あの、祐麒さん」
「は、はいっ」
呼ばれて見てみれば、思いつめたような顔をしている。
「私、謝らないといけません」
いきなりそんなことを言われて、戸惑う。祐麒が謝らなければいけないならともかく、祥子に謝ってもらうことなど何一つ思い浮かばない。
だが、あくまで祥子は真剣な表情で見つめてくる。
「実は、その」
「は、はい」
雰囲気につられて、ごくりと唾をのみ込み、前のめりになって祥子の言葉を待つ。
「実は私……すごく、緊張しているんです」
「…………は?」
「その、男性とのデートなんて初めてのことで、実は凄く緊張をしていたんです。いえ、今でもしています」
まあ、それは見ていれば分かるし、祐麒だって緊張しっぱなしである。だが、それで何故、謝らなければならないのだろうか。
「ですから、楽しいお話をすることも出来ず……いえ、そもそも本来であればお誘いした私の方が、行先など決めるべきなのでしょうけど、何も思いつかなくて……祐麒さんに、つまらない思いをさせて」
「え、ちょ、ちょっと待ってください」
慌てて祥子の言葉を止める。
どうやら祥子は、緊張しているためにデートの場所や楽しい話題を提供できず、祐麒につまらない思いをさせているのではないかと、そう感じてしょげているらしい。何でそんな馬鹿なことを考えて、思い至る。
先ほどから黙っているのは自分自身なのだ。気まずい雰囲気だと祥子が感じ取ってもおかしくない。
「つまらなくなんて、ないですからっ」
「そう……でしょうか」
自信なさそうに俯く祥子。
いつも凛々しく自身に満ち溢れ、生徒たちを先導している麗しき紅薔薇さま。そんな祥子を項垂れさせていると思うと、自分自身を殴りたくなる。
「そうですよ、だって俺自身は祥子さんと一緒にいられるならどこに居ても楽しいですから。むしろ、俺が祥子さんを退屈させているんじゃ」
「そ、そんなっ! わ、私だって、祐麒さんと一緒ならどこでも楽しくなれますっ」
「え?」
なんだか売り言葉に買い言葉、みたいな勢いでお互いに口にしたが、なんだかとんでもないことを言われた気もするし、言った気がする。
「あ、いえっ、いいい今のは勢いといいますかっ、あの、私」
「ああ、そうですよね、そりゃ」
「え? あ、いえ、そのっ」
おたおたしている祥子。
そりゃまあ、勢いとはいえあんなことを口にしてしまったのだから、恥ずかしいだろう。祐麒だって恥ずかしいのだから。
しかし、いつまでも祥子を恥ずかしいままにしておくわけにもいかない。
「と、とにかく」
軽く咳払いをして、言葉を発する。
「……二人とも楽しいということで、いいんじゃないでしょうか」
「そ、そうですね」
「そんなわけで、せっかくの紅茶が冷めてしまう前に、食べましょう」
「は、はい……あ、ちょっと待ってください、えっと、ごめんなさい、メールです」
祐麒に断りを入れてから、慣れない手つきで携帯のメールを見る祥子。多少、気にはなるものの、祥子だったら無意味なメールをわざわざこういった場で見るとも思わないので、何かしら重要なことなのだろう。
「……え、なっ、そんなこと出来るわけないじゃないっ!」
「え、ど、どうかしましたか、祥子さん?」
携帯に向かって怒り出した祥子に、さすがに慌てる。
「い、いえっ、なんでも。すみません、ちょっとメールの内容が、ちょっと。気になさらないでください」
そそくさと携帯電話をしまう祥子。そう言われてしまっては、あまり突っ込むわけにもいかず、ケーキに目を向けて何とはなしに誤魔化す。
祥子も同様にフォークを手に取り、ケーキを切って突き刺す。手を持ち上げ、口に運ぶのかと思ったら、なぜか空中で動きが止まる。じっと、ケーキを見つめている祥子。
「――――あの、祐麒さん」
「はい、なんですか」
「ええと……あの……あ、あ~~」
ケーキを指したフォークを持ったままの格好で固まり、ちらちらと祐麒の方を見てくる祥子。
「どうか、したんですか?」
「いえ、あ、あー…………もんど、が、香ばしくて美味しいです、このケーキ」
そう言うと、焦ったようにケーキを口に運び、上品に咀嚼する祥子。
「あーもんど、ですか」
「はい、あの、あーもんどのスライスが入っていて、香ばしさと歯ごたえが非常に」
「なるほど」
「…………」
よくわからないが、祥子はケーキを食べている間中、ずっと恥ずかしそうだった。
お茶をした後は、散歩をすることにした。祥子は人ごみが嫌いだというのは前に聞いていたので、街中は避けて少し大きめの公園にやって来ていた。夕方になり日も落ちてきて、季節的にも肌寒くなってきているためか、人の姿はさほど多くは見えない。
「すみません、ちょっと寒いですかね」
「いえ、大丈夫です」
風が吹いて肌に当たると、少し寒い。失敗しただろうかと不安になって問いかけてみたが、祥子は首を振る。むしろ、少し機嫌がよくなっているようにも見える。
「静かで、落ち着きます。私、あまり人が多いのは苦手で」
穏やかな祥子の表情が、その言葉が真実だと教えてくれる。
静かな公園内をゆっくりと歩く。
芝生や木々の匂いが風に運ばれてくる。子供たちが走る足音が耳に届く。ぽつりぽつりと交わす会話は、随分と緊張も解けた感じになってきている。話すのは主に祐麒の方だが、くだらないと思える学院の話題についても、興味深そうに聞いてくれているし、時には笑ってもくれる。
祥子が笑ってくれると、祐麒も嬉しくなる。
大口を開けて笑うわけではない、上品に口元手で隠しながら、くすくすと笑うのだが、その仕草と笑顔にまた目を奪われてしまう。
人の姿の少ない公園で良かったと、今なら思う。
そんな祥子の姿を、他の人達に見られたくないという独占欲が心の内にあるから。
時間的に考えると、今日のデートはこの公園でお終いになる。名残惜しいし、もっと話したいこと、伝えたいこともある気がするのだが、どうすれば良いのかが思い浮かばない。
「……祐麒さん、今日は本当にありがとうございました。とても、楽しかったです」
「いえ、俺の方こそ、凄く楽しかったです。ありがとうございます」
そんな台詞が出てくるとは、もうすぐ終わりだという合図に他ならない。引き留めたいが、そういうわけにもいかない。
祥子が立ち止まり、必然的に祐麒も足を止める。
振り返った祥子が、祐麒の目を見つめてくる。
一歩、近づいてきた。軽く息を吐き出し、吸い込んで、沈みかけた夕陽を浴びた瞳が見つめてくる。
そして。
ゆっくりと、瞼が下りる。
「…………っ!?」
目の前で、目を閉じている祥子。
何がどうしたのかと急いで左右に首を振るが、周囲には丁度、人の姿がない。公園の奥の方に来ていて、祐麒と祥子以外に誰もいない。
心臓の動きが急速に激しくなる。
まさか、そんなことはないだろうと考えるが、目の前の祥子は目を閉じたままじっと立っている。
ごくり、と唾をのみ込む。
疑問を覚えながらも、他に考えられることはない。
祐麒は祥子に気付かれないように深呼吸をした。
「…………祥子、さん」
祥子の頬に手を添え、顔を近づける。
「――っ!? なっ、ななっ、祐麒さんっ!?」
祐麒に触れられて驚いたように震えた祥子が目を開く。至近距離で目があう。あと少しで、唇が触れ合ってもおかしくないような距離。
「な、な、何をなさるのですかっ!? ゆゆゆ祐麒さんが、そんなことをする方だとは思いませんでしたっ!」
怒ったように睨みつけてくる祥子。
「え、だ、だって祥子さんが目を閉じるから」
「目を閉じたからって、なんでそんな、は、はしたないことをいきなりっ」
「こんな二人きりで、目の前でそんな風にされたら、そう思ってしまうというか……じゃあ、なんだったんですか今のは」
「わ、私は、だって別れ際にはそうしろって、アンリが……」
言葉の最後の方はもにょもにょしてよく聞き取れなかったが、どうやら誰かに余計なことを吹き込まれたらしい。
そして、遅まきながら祥子も自分がしたこと、祐麒がどう捉えたのかということを理解したようで、目を大きく開いて硬直していた。
「ちっ、違います、私は別に!」
「分かってます、いや、その残念ではありますが」
祥子の方が先にテンパっていたということもあり、祐麒の方が比較的余裕を持つことができて、そのような軽口を放つことも出来た。
「な、何を仰るのですか!? 大体、私たちはまだ……っ」
「はい」
「くっ……な、なんでもありません。あの、今日はそろそろ失礼しますっ」
くるくると表情を変えた後、誤魔化すように祥子は祐麒から顔を背け、歩いて行ってしまいそうになり慌てて呼び止める。
「ちょっと待ってください、祥子さん。あの、俺まだ大事なこと、話していなくって」
その一言に、祥子の足が止まる。
「大事なこと、ですか?」
頷く。
実はデートの最中も色々と考えていたのだ。水族館で、不意に祥子が怒ったような、拗ねたような態度を見せた理由を。
女の子の気持ちは良く分からない。自分がもしかしたら祥子の機嫌を損ねるようなことを行ったか、あるいは言ったか、してしまったのかもしれない。考えても考えてもなかなか思い浮かばなかったが、つい先ほど、不意にピンとくるものがあった。
祥子からは、仮装パーティの相手となるよう依頼をされていた。祥子から言われたことではあるが、パーティでペアを組む相手の申し込みとなると、普通は男の方から行うものではないだろうか。あのとき祥子は、『正式に申し込まれたわけではないから』なんてことを怒ったように言っていた。即ち、いつまでたってもパーティに関して言ってこない祐麒に業を煮やしたのではないだろうか。
なぜ、今回のデートの場でそのようなことを言われるのかと思ったが、もしかしたら今日のデートの誘いもその辺のことを期待されていたのかもしれない。それにも拘わらず、その手のことに鈍くて疎い祐麒からは全く話があがらず、祥子も我慢できなくなったのではないか。あの時、何か祥子のスイッチを押してしまうような発言を、祐麒がしたのかもしれない。
こう見えて、祥子は意外と気が短いと祐巳も言っていた気もする。祐麒は覚えていないが、やはり祥子の怒りを買うようなことを言ったとしか考えられない。
「あの、ですね……」
「はい……?」
訝しげな、どこか身構えたような感じで祐麒の言葉を待つ祥子。
「すみません、俺のせいで待たせてしまいましたね」
何せ、その手のルールやしきたりのことは全く分からないから。
祥子を見つめ、真面目に、だけど固くなり過ぎないように注意して口を開く。
「祥子さん――是非、俺のパートナーになってください」
「――――――っ!!!??」
言った瞬間、祥子の目が大きく見開かれた。
「なっ……な、な、本気、ですか」
「当たり前じゃないですか」
「ほ、本当に、私、で」
「いやだなぁ、祥子さん以外に、他に誰がいるっていうんですか、俺のパートナー」
元はといえば祥子からお願いされたではないか、なんてことはさすがに言わない。そんなことを言うほど馬鹿ではない。
ようやく言えたと思ったが、なぜか祥子はぽかんとしたようにしていて、何も言ってくれない。あまりに遅いタイミングで、呆れているのだろうか。
「あれ、やっぱり駄目ですか。遅すぎましたかね」
「だ、駄目とか、そういわけではありませんっ! 遅すぎるだなんて、むしろ、その、早すぎると言いますか、え、でも私、そんないきなり、まだ」
「ちょ、ちょっと祥子さん落ち着いてください、どうしたんですかっ!?」
挙動不審になり、よく分からないことを口走りだした祥子をなだめようとすると。
「――――っ」
いきなり祥子の顔が、目に見えて分かるくらいに真っ赤になっていった。
「祥子、さん? えーと、だからあの、今度のクリスマスのパーティで」
「わ――わた」
「綿?」
「私、きょ、今日はこれで失礼いたしますっ!」
今度は祐麒が止める間もなく、凄まじい勢いで駆けて行ってしまった祥子。一人、取り残される祐麒。
「えーと……?」
冷たい風の舞う公園で、首を傾げるしかないのであった。
☆
「……祥子さんはどうしたの? デートで失敗をしてしまったとか」
「いえ、そんなことはないと思いますが……」
家に帰ってくるなり自室に引きこもった祥子に、心配そうな顔をする清子。アンリは、戸惑いつつも表情を変えずに答える。遠くから見守ってはいたが、会話の中身まで聞いているわけではない。
公園で、祐麒に何かを言われてからおかしくなったのだが。
一方、二人が目を向ける扉の向こうでは、祥子がベッドに腰掛けて虚ろな顔をしていた。
脳裏に浮かぶのは、ほんの小一時間ほど前のこと。
真剣な表情をした祐麒の大事な話。祐麒の言葉。
"俺の(人生生涯の)パートナーになってください"
人気のない夕暮れの公園、二人きりで向かい合い、告げられた言葉。そのシチュエーションを見ても、内容を考えても、どこをどうとっても。
「ぷ、ぷ、ぷろぽーず……」
呆然と呟く。
まさかと思って聞き直した。本気なのかと。本気で自分のことをと。
すると祐麒は、ごく自然に答えた。
"――祥子さん以外に、他に誰がいるんですか、俺のパートナー(に相応しい女性が)"
どうすればいい。何と答えたらいい。
今日は思わず逃げ出してきてしまったが、いつまでも逃げているわけにはいかない。確か祐麒は、言いかけていたはずだ。
"――今度のクリスマスのパーティで、貴女の答えを聞かせてください。俺の人生のパートナーになってくれるかどうか、イエスかノーで"
頭の中で再生される祐麒が、穏やかな笑みを投げかけてくる。
ぼっ、と顔が燃えるように熱くなる。
「そんな、の、ノーだなんて言えるわけが、あ、でもだからってイエスとか、いくらなんでも私にはまだ」
熱くなった両頬を手でおさえると、ひんやりとした手が熱を吸い取ってくれるようで、心地よい。
祥子はそのまま、ベッドに沈み込むように倒れた。
短いスカートの裾が捲れ、見事な脚線美を誇る太腿が最大限に姿を見せ、その下の下着があやうく見えそうになる。室内に他に誰もいないとはいえ、普段の祥子がとるようなポーズではない。それくらい、動揺しているのだ。
「ど、どうしたらいいのかしら、私……」
返事をするしかない。
祐麒があそこまで、ハッキリと言ってくれたのだから。祥子が答えないわけにはいかない。
「だって、私も祐麒さんも、まだ高校生なのよ? 優さんとの、親が勝手に決めたような関係とは違う、祐麒さん自身の意思でのプロポーズ。それを私が……」
心が千千に乱れ、考えがまとまらない。
でも、不思議と嫌な気はしない。
驚き、戸惑いはしているが、お腹の奥の方が熱くて心地よいような不思議な感覚がある。
「私は……」
呟くような声は、天井に吸い込まれていく。
クリスマスのパーティまでは、あと――――
おしまい